不穏なエッセイマンガ『今日を歩く』
エッセイマンガなのに不穏で不穏で。
いがらしみきお『今日を歩く』(2015年小学館、537円+税、amazon)
いがらしみきおがご近所を散歩する「だけ」のエッセイマンガ。新しい道と景色を発見しようとするわけでもなく、くり返しいつもの道を歩きます。
ところがこれが普通じゃない、怖いマンガなのです。何が怖いかといって、主人公が何を考えているのかわからないのが怖い。
エッセイマンガというのは、当然ながら作者の一人称で描かれていて、モノローグも多用されます。ですから、作者が何を考えているのかわからない、ということは本来ありえない。
しかし本書ではそれがありうるのです。いがらしみきおという存在は狂騒的な『ネ暗トピア』の作者にして、ハートウォーミングふうに見せてる『ぼのぼの』はまあおいといて、最近は目を離せないホラーマンガを連発するひと。
マンガキャラクター化されたいがらしみきおは、頭のてっぺんあたりが禿げた中年男。彼はメガネをかけているのですが、メガネをとおして目が描かれることはありません。視線がわからない、表情が読めない。つまり作者は自分に対する読者の共感を拒否しているのですね。
主人公は周囲の人間を観察しています。ところが彼らも不穏な雰囲気をまとっています。クルマのトランクに毛布で包んだ大きなものを入れようとしている男性。不気味な会釈をするおばあさん。ひたすら歩き続けるおばさん。いつも不機嫌な小学生女子。
すべて彼らが奇妙なのじゃなくて、作者=主人公の感じ方が奇妙、なのだと思います。いがらしみきおが描くからこそ、ご近所のひとびとも奇妙に描かれてしまう。ほんとはそうでもないかもしれないんだけど、いがらしみきおの目をとおすとすべてそう見えてしまう。
主人公の行動も予測できません。「よく逃げ出す近所の犬のボクサー」に出会った彼は。
私は傘を持っていたので、なんだったらやってやろうと思った。
私はとっさに傘を投げつけてやった。
「なんだったらやってやろう」と思い、傘を投げつける作者。わたしたちはこういう主人公を普通に受け入れています。これを提出する作者もアレですし、受容する読者もアレ。うーむマンガの底は見えないしすばらしい。
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