間取りを読む『九月十月』
空前の間取りマンガ。
●島田虎之介『九月十月』(2014年小学館、694円+税、amazon)
寡作で知られる著者の新作は、なんと家の間取りを読み取ることで、作品の全体像がわかる仕組みのマンガです。画面や会話は平易に描かれていますが、本書に登場する家の間取りを理解することでお話の別の面が見えてくる。いやびっくりした。
総130ページ弱、日本マンガとしては中編です。主人公は初老の「伊東部長」。一軒家に住み、子供は三人。長男と長女はすでに結婚して家を出ていて、現在は次男とふたり暮らし。ある日、長男がマンションを買う資金の援助を頼みに来る。さらに長女が離婚するかもしれないと伊東に伝え、彼の心に小さなさざ波がたつ、というお話。
本書の登場人物はみんな「家」のことを気にしています。長男夫婦は新しくマンションを買おうとしている。長女は離婚をきっかけに新しい部屋を捜している。また長女は建築にかかわる仕事もしてるらしい。そして父親は、長女が実家に帰ってくるのじゃないかと、すでに物置と化している二階の一部屋を眺めています。
さて、本書で読解すべき家は、伊東の家です。
最寄り駅は吉祥寺。東急のある駅前から歩いて住宅街へ。その家は通りに面して門扉があり、小さな前庭を隔てて玄関。玄関のドアを開けると突き当たりまでがまっすぐの廊下になっています。廊下の左手が居間とその奥に台所。廊下の右手には掃き出し窓が二間ぶん続いていて、外にはりっぱな庭があります。つまりこの廊下は、昔でいうなら縁側です。
居間に入ると二人掛けのソファが向かい合わせにふたつあり、その間に小テーブル。ソファの奥にはテレビと電話台。伊東はいつも二人掛けソファに寝っ転がっていて、居間の奥の台所で次男が料理をつくっている。
玄関から縁側をまっすぐ突き当たって左に曲がると、その奥は二階へと続く階段。その手前、左側には納戸があります。こういう間取りはすべてマンガに描いてあるのですが、ぱっと見ただけではわからない。自分の頭で意識的に再構成することが求められているみたい。
登場人物たちはもちろん現在に生きていますが、長女のひとことが彼らの意識を過去に向かわせます。長女は、兄、叔母、父に質問します。「ママの家 憶えてる?」
ママの家とは、伊東の妻の実家のこと。伊東の家はもともと大きな敷地に、妻の実家と伊東の家、二軒が庭を隔てて建っていました。相続税を払うため、実家を壊して敷地の半分を売り、残ったのが現在の伊東の家でした。
伊東が庭に立ち、塀の向こうを眺めると、今、そこにはお隣の家の壁が見えるだけです。しかしかつてそこには塀もなく、妻の実家が建っていました。妻も妻の妹もその家で育ちました。大きく、美しく、謎めいた、今はなくなってしまった家。
このマンガに伊東の妻は不在です。その原因について説明されることはありませんが、おそらくはすでに亡くなっている。妻の実家を壊して売却し、相続税の算段をしたのは伊東です。伊東は失われた家と妻の不在を重ね合わせていろいろのことを思い出します。彼の気持ちの中には少しの後悔もまじっているようです。
ラスト近くでは長男の新居への引っ越しのシーンが描かれます。子どもたちの意識はすでに未来へ向かっています。しかし伊東は過去へ向かう気持ちから離れられません。
さて、このマンガが間取りマンガであるという意味は、一階の納戸の位置です。この納戸は居間の隣に位置していて、窓などは存在しないはずです。
しかし、この納戸にはなぜか四角い窓があるのです。次男が夕食をつくって伊東を捜していますが、伊東は納戸の窓から外を、何かを、見ています。
存在しないはずの窓からいったい何が見えるのか。ここ、少しホラーはいってます。このシーンこそ本書のクライマックス。
ラスト、その四角い窓からは、河川敷にある野球場が見え、そこでは伊東自身が草野球をしています。しかし彼はなお過去にとらわれています。家と過去・未来・現在が結びついた、美しく恐ろしいマンガでした。
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