『チェルノブイリの春』そしてフクシマ
3.11後の日本でこそ読まれるべきBD。
●エマニュアル・ルパージュ『チェルノブイリの春』(大西愛子訳、2014年明石書店、4000円+税、amazon)
出版社からご恵投いただきました。ありがとうございます。作者エマニュエル・ルパージュの作品は、南米を舞台にした美しい冒険物語『ムチャチョ』がすでに邦訳出版されています。
本作はフィクションじゃなくて、ルポルタージュマンガ。2008年に作者がチェルノブイリに二週間滞在した体験をマンガ化したものです。帰国してから予定どおり、参加したもうひとりのイラストレーターとの共著『チェルノブイリの花』が出版されました。しかし作者としては不満のある作品になったようで、フクシマ事故のあと、あらためてコマを割ったマンガの形で制作されたのが本書です。原著の発行は2012年。
ご存じのとおり、フランスは世界最大の原発大国ですから、当然国内の反原発運動も盛んです。作者のチェルノブイリ滞在は反核運動の一環として企画されたものでした。
作者は反原発活動家というわけではなく、原子力推進の絵の依頼を断った経験があるくらい。いわゆる消極的原発忌避者レベルだったようです。その彼が「行動する画家たち」協会が主催するこの企画に参加した理由は、なにかこう燃えるものがあったらしい。キャプションやセリフではこのように説明されます。ちょっと偽悪的に書かれてるのかな。
世の中を目撃するだけじゃない。「関わる」ことになる。活動家だ! 政治参加だ!
仕事柄、ひとりでしこしこ描いていると、世の中をガラス越しに眺めている感覚に陥ったりする。部外者みたいだ。
けど今後は、肌身で感じられるんだ! もちろん危険はある。でも興奮するじゃないか!僕は反核とは違うことでここに来た気がする。
絵を通じて大惨事と向き合いたいからかな。
チェルノブイリには「ゾーン」と呼ばれる立ち入り制限区域があります。彼らはそこから20km離れた人口300人の村に滞在し、そこを基地にしてゾーンを訪れます。
本書で描かれるのは、チェルノブイリで今も住み続ける人々、ゾーン内部の風景、廃墟となった街、さらにそこにある自然の風景。
本書の装幀は縦30cm、ハードカバー180ページ超、大きく重い本でオールカラー。しかし最初のうちはほとんど黒とセピア色の二色しか使われおらず、陰鬱なタッチがずっと続きます。
廃墟の姿に圧倒され、放射性物質を恐れ、放射線線量計を手放せない。作者の気分が直接その絵に表現されています。
しかし最初の衝撃が薄れ、村で「暮らす」ようになってから、絵に色がつくようになり、本書の印象ががらっと変わるのです。ゾーン近くの森で風景をスケッチする作者。「色彩の爆発。燃えるようだ」
放射線汚染地域であっても、5月のチェルノブイリは美しい。作者はどうしても美しい自然、美しい生命を描いてしまいます。しかしそこには目に見えない放射線がある。「見えないものをどう描く?」
作者はゾーン内部にはいりこみ、池のほとりで暖かい風に誘われて草の上に寝っ転がってしまう。しかしそこが汚染地帯であることに気づき、愕然とするのです。
生と死、喜劇と悲劇、あらゆる矛盾が同居する場所。
本書には、反権力の思想はあっても結論や主張はありません。たんたんとした現地のレポート。しかしそこには人類がおこした愚行をひとごとにはしない、深い自省があるのです。
同行したフランスの週刊誌「テレラマ」の記者キャティ・ブリソンの記事がネット上に残っていました。→(※) このページの下のほうの写真で、マスクをしてスケッチをしているのがエマニュエル・ルパージュです。
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さて、本書にはもう一作が付け加えられています。2012年11月に来日したとき、福島県飯舘村を訪れたレポートマンガ『フクシマの傷』という短編。
作者が感じるのは、チェルノブイリに何も学ばなかった人間の愚かさに対する怒りです。しかしそれをストレートに表現するわけではない。静かな静かな作品となっています。
作者自身は、除染作業は徒労なのではないか、彼らが故郷に戻ることはできないのではないかと感じています。じつはこれは日本人もずっと持ち続けている不安であり、『美味しんぼ』の作者たちの主張とほぼ同じなのだろうと思います。
しかし作品から受ける印象は大きく異なります。これは本作品が、日本における異邦人の感想であり、本来フランス国内向けに書かれた作品だから、というだけではありません。絵の力を前面に押し出すBDと、なんとか「図解」しようとする日本マンガの違いでもあるのでしょう。
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最後に本書を読むときの注意。本書では「マイクロシーベルト」という単位が、日本で使われている「μSv」という表記じゃなくて、おそらくフランスで使用されているだろう「msv」という表記になってます。これ、ミリシーベルトとすごくまちがいやすいので、邦訳は「μSv」表記のほうがわかりやすかったと思いますよ。
Comments
>世の中を目撃するだけじゃない。「関わる」ことになる。活動家だ! 政治参加だ!
フランスの実存主義哲学者ジャン・ポール・サルトルの「アンガジュマン」という思想概念を想起させますね。
フランスの思想界も実存主義から構造主義、さらにポスト構造主義へとすでに移っているのですが、やはり「行動」で「世界に関わろう」というときには意識的にも無意識的にも実存主義的テーゼが浮かび上がってくるのでしょうか。
「表現」と「主張」に関して峻険な弁別に至らないで、世間からイデオロギー的に受け取られがちになるのが「美味しんぼ」原作者の性質(或いは世代的限界?)なのかもしれません。
マンガ、BD、コミックがこの大災害に対して雄弁に「反応」しているのは、後世に注目されるかもしれません。
Posted by: トロ~ロ | May 15, 2014 09:43 PM