学習マンガとしての『いちえふ』
一部は雑誌でも読んでいましたが、あらためて単行本となるといろいろと感慨が。
●竜田一人『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』1巻(2014年講談社、580円+税、amazon、Kindle版540円)
昨年秋の講談社「モーニング」新人賞、第34回MANGA OPENの大賞受賞作です。福島第一原発事故後の作業員として、実際に現場で働いていた作者による37ページのルポルタージュマンガ。多方面で話題になりましたから、ご存じのかたも多いでしょう。その後、連作短編として雑誌連載されたものが今回一冊にまとまりました。
チェルノブイリと肩を並べる世界史的大事故が、ここ日本で、わたしたちの生活と直結する形で発生。しかも今も現在進行形で続いているわけです。
その現場からのナマの声を描いた作品。作品の存在そのものがセンセーショナルであり、しかもそれがマンガというある種特殊な形式で発表されました。話題になるのも当然ですね。
原発の「中のひと」にとっては日常ではあっても、読者にとってはまったく知らない世界です。おそらく写真をもとに描かれているであろう風景や建物、装備のひとつひとつや仕事手順がこまごまと描写されます。さらに「七次下請け」というとんでもない仕事請負形態や、お金の話、日当二万円で誘われて実質八千円、などの生々しい話とか、まあ驚くことばかり。
しかし中のひとたちにはあくまで日常の仕事なので、彼らは何かを大声で叫ぶこともなく、たんたんと仕事をこなしていく……
現代日本のマンガ作品として、その題材と手法において、突出した作品となっています。
海外にはコミックス・ジャーナリズムという呼称と作品群がありますが、それとは微妙にちがっていて、作者は対象にもっと寄り添い、ルポルタージュのところどころに自分の感想・主張をはさみこんでいます。
本書の最大の欠点は、いわゆる「人間が描けていない」ことでしょうか。残念ながら主人公である作者自身を含めた登場人物が、あまりに平板。これは重要登場人物のはずの先輩のベテラン作業員、大野さんや明石さんにも感じたことです。唯一、キャラが立ってるといえるのが、最初に主人公を雇うことになる七次請負の土建屋のヒゲの専務。したたかなんだか、お人好しなんだか。
しかしキャラクターが平板なのはしょうがない。本書の目的は人間を描くことなどではなく、その基本的構造は日本で発達した「学習マンガ」そのものなのですから。
学習マンガは、読者に知識を与えることを目的に描かれます。じつは本書の目的もそれ。読者の知らないことを、ぜひ、伝えたい、という欲求で描かれたマンガです。
日本の学習マンガの多くが、太郎くん・花子さん・博士の会話で話が進むように、本書でも主人公と博士役のベテラン作業員の会話でお話が進行。作品は作者の一人称で描かれ、当然キャプションは多い。そしてわかりやすさの追求のため、学習マンガに欠かせない「図解」も多く登場します。
すなわち、本書は知識を伝えることに特化したマンガなのです。人間を描くことや社会派ジャーナリズムをめざすことなく、学習マンガとしてすごくよくできている作品。それは作品としての限界でもありますが、そこから先は読者が考えるべき問題であるのでしょう。
本書の「第零話」となる受賞作37ページは、英語訳がFacebookで公開されています。世界に向けて発信された「今」の日本を描いた作品であることは確かです。
Comments
読みました。
描かれた彼らが「いちえふ」の最底辺の肉体労働者だとすると、NHKのドキュメントで紹介される人々は原発の解体・廃炉という最難関の課題に挑むトップの技術者たちでした。
人間が侵入できない建屋内には各種のロボットを入れて、危険なガンマ線濃度をサーモグラフィのように色で表示したり、最上部のフロアの汚染を調査するためにコンクリートの床をドリルで削ってサンプルを採取するロボットが登場したり、そのサンプル採取ロボットの行く手を阻むフェンスを取り除くための小型ユンボのようなロボットが登場したり。でも、その小型ユンボが溝に足を取られて遭難しちゃったり、前途は多難。
溶け落ちた核燃料と金属が溶融してできたものを「燃料デブリ」というらしいのですが、人類史上「燃料デブリ」除去を行ったのはスリーマイルアイランドの一基の原子炉のみ。チェルノブイリは黒鉛炉でむき出しなので手も付けらない。「いちえふ」の燃料デブリは原子炉最上部フロアから30mも下に落ちていて推定で3基で300トン以上。
おまけに原子炉には穴が開いていて冷却水が漏れている。
穴をふさいで「冠水」させなければ燃料デブリを取り出す作業自体が不可能。3基それぞれの「穴あきと水漏れの症状」は違っていて「対応策」をそれぞれ考え出さなければいけない。
廃炉完了まで推定で40年。しかし取り出した「燃料デブリ」の最終処分場は未定(スリーマイルアイランドの燃料デブリは3500km離れたアリゾナの砂漠の真ん中に「中間貯蔵」されていた)。この狭くて火山と地震だらけで地下水も多い日本でどうしようというのか。
我々はなんというものを作ってしまったのか。国土を汚染するしかない代物を再び動かせというのは、あまりにも将来を考えなさすぎるのではないのか。未来の日本人たちに対して身勝手すぎるのではないのか。
さて阪神淡路大震災ではこうした「表現」らしいものが全く出てこなくて非常に不満に思ったのですが、今回は震災後1ヶ月でのしりあがり寿氏の出版を始め、コミック界の敏感で動きの素早いことには驚嘆しております。
BDに比べて表現がなんのかんのというご意見はごもっともですが、白黒のマンガでこれだけ直截に表現されるのは日本風マンガの強みかと思いました。
前々回に紹介された原爆を背景に描かれる「五色の舟」は毎夜読みふけってしまいます。くだんに連れられていまとは違う世界へ逃げたいのは、現代のわれわれなのかもしれません。
Posted by: トロ~ロ | April 30, 2014 11:54 PM