これも3.11マンガ『瞼の母』
小林まことが長谷川伸原作で描く、絶品の股旅シリーズも第四作。これで完結だそうです。
●小林まこと/長谷川伸『瞼の母』(2014年講談社、1095円+税、amazon)
長谷川伸は、昭和初期から戦後まで活躍した小説家/劇作家。「股旅もの」というジャンルを開拓し、それらは映画や演劇でくり返し演じられ、その作品やセリフは歌舞伎のそれと同様に、日本人の共有財産というべきものになりました。
だってTVなどがない時代、田舎にやってくる旅芝居の演目は長谷川伸、素人芝居(昔は多かったそうです)の演目も長谷川伸。戦地で兵隊たち自身が演じる余興も長谷川伸作品だった、と長谷川自身がエッセイで書いてます。
今回は『瞼(まぶた)の母』。ご存じ番場の忠太郎が生き別れの母に会いに行く、というお話。っても、すでに娯楽の第一線から引退してしまった長谷川伸作品は知られてませんかそうですか。
長谷川作品はその名ゼリフが有名です。『一本刀土俵入り』ならこれ。
これが、十年前に、櫛、簪、巾着ぐるみ、意見を貰った姐さんに、せめて、見て貰う駒形の、しがねえ姿の、横綱の土俵入りでござんす。
大向こうから声がかかりますね。『瞼の母』ならこれ。
幼い時に別れた生みの母は、こう瞼の上下ぴッたり合せ、思い出しゃあ絵で描くように見えてたものをわざわざ骨を折って消してしまった。
あるいは、斬り合い場面でのこのやりとり。
「お前、親は」
「何だと、親だと、そんなものがあるもんかい」
「子は」
「無え」
このあと答えたほうがばっさり斬られちゃいます。
長谷川伸自身が五歳で実の母と別れたという事実もあり、親子の情愛を描いた『瞼の母』は、とくに人気作品として知られています。原作戯曲でも番場の忠太郎と母親の再会の場は、じっくりと長ゼリフの連続で演じられるのですが、小林まことのマンガもこのシーンに50ページをかけてます。マンガでいかに細かく心情を表現するか、という挑戦でもありますね。
このシリーズ、小林まことによる脚色が見ものなのですが、今回もお見事。主人公は、小林まこと作品最大のスター、東三四郎。乱暴者でケンカは無敵。でもちょっぴりおちゃめ、という過去のマンガ作品があってのイメージを、そのまま流用してます。当然ですが原作戯曲の忠太郎はこんな人物ではありません。
長谷川伸の複数の戯曲や小説に登場する黒塚の多九蔵というキャラクターがいまして、こいつが目があうだけでケンカを売りまくる剣呑なヤツ。
「いまにどこかの盛り場で、多勢の人出の中で、顔をずっと見渡したら、どの顔もどの顔も、おめえの喧嘩相手だってことになってしまうぜ」
「そうなりゃなお面白え」
このキャラクターのイメージを少し拝借しているようです。
オープニング、幼い忠太郎が母親をさがすシーンでの母親の泣かせる独白は、『瞼の母』じゃなくて戯曲『直八子供旅』からの流用。
戯曲としてはハッピーエンドで終わるバージョンもあったそうですが、世間に流布してくり返し上演されてきた『瞼の母』は泣かせるラストが特徴。瞼の母はこれでなくっちゃ、という日本人の無意識集合体がこのラストを支持したのですね。
で、マンガ化された本作の最大の脚色はエピローグ部分にあります。本編部分が終わって数年後の安政三年。清水次郎長と森の石松が会話している。彼らはその前年におこった安政大地震を話題にしています。
ここへくる旅人の話じゃ、江戸は今どんどん家が建っているそうだ。地震で叩きのめされたと思ったら、なにをくそっと起ち上がったんだな。まったく見上げた底力だ。一万人からの人が亡くなったその亡骸を葬ると、すぐにどんどんと江戸が新規に脇目もふらずにできあがるんだ。なぁ石よ。考えてみりゃ俺たちは先祖代々みんなそうやってきたんだぜ。地震雷火事おやじといってな、怖いものの筆頭に地震をあげているがそのつど起ち上がるんだ。人間てのは強いよなあ。
このセリフは『瞼の母』とは関係ない小説『殴られた石松』の冒頭部とほぼ同じです。『殴られた石松』は昭和26年作品で、長谷川伸はもちろん空襲で壊滅した東京について語っています。彼は関東大震災も経験していますから、震災と戦災が二重写しとなってるはず。
しかし小林まことが現代、このセリフを登場人物に語らせるのなら、これはもちろん東日本大震災についての言及です。
エピローグは、前年、安政大地震直後のシーンへと続き、そこでは地震を知った忠太郎が、江戸へ駆けつける。そしてラストでは、地震で壊滅した江戸を舞台にした、まさかのハッピーエンディング。この悲劇の中での希望に満ちた終わりかたこそ、3.11以後の新しい『瞼の母』かっ。すばらしい。
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