映画原作『ウルヴァリン』の珍ニッポン
テレビ放映するたびに見てしまうのが映画「ラストサムライ」。わたし映画館でも見ましたが、これ好きで好きでたまらん作品なのです。
よく描かれているようでも微妙にどこか違う感がただよう「日本」がねー、すごく好きなんですよ。横浜か東京かわからない微妙な都市と遠景に見えるお城。奇妙な奇妙な宮城。日本には存在しなさそうな植物や山や荒野。日本人俳優が多く出ていて立ち振る舞いがそれなりだから、なおさら美術や演出の微妙さがめだつところとか。
映画「パシフィック・リム」で東京が破壊されますが、あのビル街の日本語看板が何か違う。その感じに似てますね。極端なトンデモ日本も好きだけど、この微妙さもいいなあ。
なぜこんなにちょっと違う日本が好きなのか。われながらひねくれてるようにも思います。日本に関しては自分のほうがよく知ってるぞ、という上から目線の優越感もある気もします。
でも根本は、完全な理解なんてありえない、という諦観でしょうか。世界は誤解で成立している。
だいたい現代の日本人だって明治や江戸時代のことをどこまで知っているのか。武士道だって着物の着こなしだって所作だって、考えかたや行動も含めてわたしたちの想像をこえているのじゃないか。当時のひとがNHK「八重の桜」を見れば、これはどこの日本じゃーっ、と怒り出すことまちがいなし。
時間軸じゃなくて距離で考えても、都会は田舎を知らず、田舎は都会を知らない。同じ地方でも、わたし県庁所在地、山村、農村、漁村それぞれに住んだことがありますが、ひとも景色もどれほど違うか。
それどころかとなりにいる人間、妻や子のことをどれだけ知っているのか。あなたは妻を誤解しているし、妻はあなたを誤解している。
まして海外文化や風俗の理解においてをや。理解しようとする努力はもちろん必要なのですが、誤解は避けられない。だったら誤解を楽しんでしまおうという姿勢があってもいいじゃないか。
というわけで映画「ウルヴァリン:SAMURAI」も楽しみにしてます。その原作となるマンガがこれ。
●フランク・ミラー/クリス・クレアモント『ウルヴァリン』(秋友克也訳、2013年ヴィレッジブックス、2400円+税、amazon)
ウルヴァリンの日本での活躍を描いた1982年作品。もちろん映画公開にあわせての邦訳です。
書影イラストでちょっと損をしてます。一見すると泉昌之みたいですね。もちろんこれはフランク・ミラー画。ミラーの絵は1986年の『バットマン:ダーク・ナイト・リターンズ』のころに完成されます。このころはまだ若描きで、キレの良いアクションとスタイリッシュな画面構成はお見事ですが、洗練されてるとはいいがたい時期の作品です。
お話は、姿を消した日本人の恋人マリコを追って日本にやってきたウルヴァリンが、ヤクザ組織どうしの暗闘に巻き込まれる、というもの。
風景や風俗のジャポニズム趣味だけじゃなくて、日本人の精神性に踏み込み、同時にウルヴァリンの内面を深く掘り下げた作品として、アチラでは絶賛されてます。
しかしわたし、じつはどんな日本が出てくるかのほうを楽しみに読んだわけです。いやそこは期待どおり。
ヤクザのボスが住むのは「お城」です。庭にはでかい大仏が鎮座してます。マリコの日本髪とキモノはちょっとすごいです。ヤクザの手下として雇われてるのは当然ニンジャ集団で、歌舞伎役者は突然カタナで襲ってくるから要注意。
日本を舞台にした作品にとって、ニンジャは一応オッケーですが、日本髪とキモノとスモウ方面は鬼門ですねえ。和室の一段高いところに座るボス。その両側にマワシ一本の裸で控えるリキシふたり、という図にはどきどきしてしまう。さすがに映画にはこういうシーンはないと思いますが。
日本の情報がまだまだアメリカには伝わってなかった1982年という時代に描かれた珍ニッポンはそうとうに引っかかるのは確か。X-MENでは今もこの作品の設定が残ってて、最近の作品でも日本の悪役は必ず大きなお城に住んでたりします。
武士道や侍に造詣が深かったフランク・ミラーにして、というか彼だからこそ描いたヘンなニッポン。わたしたちとしては、わははと笑いながら読むのが正しい鑑賞法じゃないかと。
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