あまりにもアメリカ的な『スーパーマン』史
昨年から本年にかけてアメコミ史に関連する書物がつぎつぎと翻訳されてます。
●デヴィッド・ハジュー『有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』(小野耕世/中山ゆかり訳、2012年岩波書店、4800円+税、amazon)
●グラント・モリソン『スーパーゴッズ アメリカン・コミックスの超神たち』(中沢俊介訳、2013年小学館集英社プロダクション、3800円+税、amazon)
前者はアメリカン・コミックスにおける1950年代表現規制史について書かれた本。当時の出版状況や人名がむちゃ詳しい。
後者はクリエイターだけでなく作品内容についても細かく記された本格的なアメコミ史。ただし扱ってるのはスーパーヒーローものだけ、という相当に「濃い」本です。
で、三冊目がこれ。
●ラリー・タイ『スーパーマン 正義と真実、そして星条旗と共に生きた75年』(久美薫訳、2013年現代書館、4000円+税、amazon)
原題は「Superman: The High-Flying History of America's Most Enduring Hero」。昨年刊行されて本国ではベストセラーになったそうです。
本書は「スーパーマン」史です。
本来二次元のキャラクターであるスーパーマンは、誰がどのようにして生み出したのか。どのような経緯で出版されたか。その後、75年という長い歴史の中、コミックスやラジオ、テレビ、映画で彼はどのように描かれ、行動したか。そしてスーパーマンがアメリカ国内でいかに受容され、神話となっていったか。
作品内と作品外の両方におけるいろんな事件やスキャンダルも含めて、なんでもかんでも調べあげて詰め込んだ本。アメリカのこの手の本でいつも感心するのが関係者インタビュー。本書もそれが徹底していて、文献調査だけでなく多数ひとのインタビューから構成されています。いや読みものとしてたいへんおもしろかった。
若きユダヤ人ジェリー・シーゲルとジョー・シャスターが出会い、SF作品等から設定をいただいてスーパーマンの原型を作る。彼らはあちこちの出版社に売り込みを続けます。そしてやっと六年後、エロ・怪奇・スキャンダル雑誌などを出版していた商売人ハリー・ドネンフェルドとジャック・リーボウィッツが新しく子ども向けに出した「アクションコミックス」誌に、スーパーマン第一作が掲載。伝説が始まります。
シーゲルとシャスターがこのときの契約でスーパーマンの権利をDCに売り渡してしまったものだから、以後数十年にわたって作者や遺族とDCの裁判がくり返されることになるのですが、いろんな関係者が登場してこの経緯がまたおもしろい。
本書で多く触れられているのがラジオ、テレビ、映画について。ここに登場する多数の個性的な人物たちの手で、スーパーマンがあれこれひねくり回された結果、奇跡的にも大きな成功を経て、スーパーマンはアメリカの神話となっていくのです。
本書の邦題にもなっているように、スーパーマンは「正義と真実とアメリカン・ウェイ」のために戦っています。スーパーマンは厳密にいうと、異星人=エイリアン、すなわち移民ですが、地球市民ではなくあくまでもアメリカ国民であると。
1961年のコミックス内で、スーパーマンは国連加盟国すべての名誉市民として市民権を与えられましたが、彼はこう語ります。「たいへんな栄誉です。ただ、私が忠誠心を抱くのは今もこれからも星条旗です」
2006年の映画「スーパーマン・リターンズ」が公開されたとき、この映画のスーパーマンは世界のヒーロー化してアメリカ愛国者色が薄いという非難が相次いだそうです。2011年の短編コミックスでスーパーマンがアメリカ国籍を捨てようとしたときはちょっとしたニュースになりました。
このようにスーパーマンはアメリカそのもの。
太平洋をはさんだわたしたちから見るとちょっとわかりにくい話ですね。
日本でスーパーマンといえば、アメコミ邦訳は昔からとびとびになされてきたとはいえ読者数からすれば日本マンガのそれから遠く及びません。ジョージ・リーヴス主演のTV版スーパーマンは日本でも1956年から放映されて人気だったそうですが、日本ではパチモンの宇津井健「スーパージャイアンツ」(1957年)のほうがよく語られたりします。
結局、1978年以来作られてきた大作映画が日本人にとってのスーパーマン像なんだと思います。
わたし本書を読んではずみがついて、1978年の映画リチャード・ドナー/クリストファー・リーヴ版「スーパーマン」を再見してしまいましたが、いやーつくづくよくできてる映画でした。
この映画でのスーパーマンはまるきり神です。北極でクリスタルを投げると自然に氷の宮殿ができるシーンなどまるきり神話世界の出来事。ホワイト編集長は記者たちに「スーパーマンのインタビューをとってこい。それは神がモーゼに語りかけたみたいなもんだ」なんて言ってる。だいたいクライマックスで時間まで戻しちゃうし。万能じゃん。
アメリカ人はスーパーマンに宗教的なものを投影しており、読者/観客もそれを受け入れているようです。
とまあ、アメリカそのものの象徴であったり神であったりするスーパーマンですから、その死が描かれたりするとたいへん。1992年11月スーパーマンは悪役ドゥームズデイとの戦いで最後を迎えます。この「スーパーマン」誌75号は600万部が発行されたそうです。
日本でも1993年4月に中央公論社が邦訳『スーパーマンの最期』を出しました。アメコミ邦訳としては本国とのタイムラグがもっとも短い出版例ですが、DCのスーパーヒーロー総出演なのに、なんの注釈もないという不親切な邦訳。スーパーマン物語の蓄積のない日本人が読むとまったくおもしろくないという困った作品でした。
しかし本書によると、この作品ができたきっかけがおもしろい。当時スーパーマンのコミックスでは、ロイス・レーンとの結婚のエピソードが準備されていました。いっぽうでTVドラマ「新スーパーマン」も1993年からの放映が企画されていて、そのTV版でもスーパーマンがロイス・レーンと結婚することになっていました。
TVとコミックスの結婚式を同時におこなえば、売り上げ倍増まちがいなし。というわけで、コミックス版では結婚を先延ばしにして、別の企画が必要になりました。そこで「主役を殺そう」
アメコミヒーローは死んでも絶対生き返るとはいえ、なんかテキトーというかムチャしよるな、という裏話です。その後もちろんスーパーマンは生き返って、1996年にTVとコミックスで同時に結婚式を挙げました。
とまあこういう裏話が満載で、興味がつきない本であります。
残念なところとしては、これは著者のクセだと思うのですが、経年的に記述せずにエピソードが前後することが多いのに、それがあった年代を最初に書いてくれない。ずっと読み続けててやっと年代が出てきたりして、ちょっと読みにくいところ。
あと人名が山のように出てきますが、過去にされていた表記と違った表記が選ばれていたり、同一人物なのに複数の表記がされてるところがあって注意。ちょっとびっくりしたのが名作『キングダム・カム』の作画者名がまちがってます。
こういうのが少しありますが、おそらく全体の信頼性は高いのでしょう。きっとこれからスーパーマンを語るときの標準的な参考文献になると思います。
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