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September 29, 2013

あまりにもアメリカ的な『スーパーマン』史

 昨年から本年にかけてアメコミ史に関連する書物がつぎつぎと翻訳されてます。

●デヴィッド・ハジュー『有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』(小野耕世/中山ゆかり訳、2012年岩波書店、4800円+税、amazon
●グラント・モリソン『スーパーゴッズ アメリカン・コミックスの超神たち』(中沢俊介訳、2013年小学館集英社プロダクション、3800円+税、amazon

有害コミック撲滅!――アメリカを変えた50年代「悪書」狩り スーパーゴッズ アメリカン・コミックスの超神たち (ShoPro Books)

 前者はアメリカン・コミックスにおける1950年代表現規制史について書かれた本。当時の出版状況や人名がむちゃ詳しい。

 後者はクリエイターだけでなく作品内容についても細かく記された本格的なアメコミ史。ただし扱ってるのはスーパーヒーローものだけ、という相当に「濃い」本です。

 で、三冊目がこれ。

●ラリー・タイ『スーパーマン 正義と真実、そして星条旗と共に生きた75年』(久美薫訳、2013年現代書館、4000円+税、amazon

スーパーマン-真実と正義、そして星条旗(アメリカ)と共に生きた75年

 原題は「Superman: The High-Flying History of America's Most Enduring Hero」。昨年刊行されて本国ではベストセラーになったそうです。

 本書は「スーパーマン」史です。

 本来二次元のキャラクターであるスーパーマンは、誰がどのようにして生み出したのか。どのような経緯で出版されたか。その後、75年という長い歴史の中、コミックスやラジオ、テレビ、映画で彼はどのように描かれ、行動したか。そしてスーパーマンがアメリカ国内でいかに受容され、神話となっていったか。

 作品内と作品外の両方におけるいろんな事件やスキャンダルも含めて、なんでもかんでも調べあげて詰め込んだ本。アメリカのこの手の本でいつも感心するのが関係者インタビュー。本書もそれが徹底していて、文献調査だけでなく多数ひとのインタビューから構成されています。いや読みものとしてたいへんおもしろかった。

 若きユダヤ人ジェリー・シーゲルとジョー・シャスターが出会い、SF作品等から設定をいただいてスーパーマンの原型を作る。彼らはあちこちの出版社に売り込みを続けます。そしてやっと六年後、エロ・怪奇・スキャンダル雑誌などを出版していた商売人ハリー・ドネンフェルドとジャック・リーボウィッツが新しく子ども向けに出した「アクションコミックス」誌に、スーパーマン第一作が掲載。伝説が始まります。

 シーゲルとシャスターがこのときの契約でスーパーマンの権利をDCに売り渡してしまったものだから、以後数十年にわたって作者や遺族とDCの裁判がくり返されることになるのですが、いろんな関係者が登場してこの経緯がまたおもしろい。

 本書で多く触れられているのがラジオ、テレビ、映画について。ここに登場する多数の個性的な人物たちの手で、スーパーマンがあれこれひねくり回された結果、奇跡的にも大きな成功を経て、スーパーマンはアメリカの神話となっていくのです。

 本書の邦題にもなっているように、スーパーマンは「正義と真実とアメリカン・ウェイ」のために戦っています。スーパーマンは厳密にいうと、異星人=エイリアン、すなわち移民ですが、地球市民ではなくあくまでもアメリカ国民であると。

 1961年のコミックス内で、スーパーマンは国連加盟国すべての名誉市民として市民権を与えられましたが、彼はこう語ります。「たいへんな栄誉です。ただ、私が忠誠心を抱くのは今もこれからも星条旗です」

 2006年の映画「スーパーマン・リターンズ」が公開されたとき、この映画のスーパーマンは世界のヒーロー化してアメリカ愛国者色が薄いという非難が相次いだそうです。2011年の短編コミックスでスーパーマンがアメリカ国籍を捨てようとしたときはちょっとしたニュースになりました。

 このようにスーパーマンはアメリカそのもの。

 太平洋をはさんだわたしたちから見るとちょっとわかりにくい話ですね。

 日本でスーパーマンといえば、アメコミ邦訳は昔からとびとびになされてきたとはいえ読者数からすれば日本マンガのそれから遠く及びません。ジョージ・リーヴス主演のTV版スーパーマンは日本でも1956年から放映されて人気だったそうですが、日本ではパチモンの宇津井健「スーパージャイアンツ」(1957年)のほうがよく語られたりします。

 結局、1978年以来作られてきた大作映画が日本人にとってのスーパーマン像なんだと思います。

 わたし本書を読んではずみがついて、1978年の映画リチャード・ドナー/クリストファー・リーヴ版「スーパーマン」を再見してしまいましたが、いやーつくづくよくできてる映画でした。

 この映画でのスーパーマンはまるきり神です。北極でクリスタルを投げると自然に氷の宮殿ができるシーンなどまるきり神話世界の出来事。ホワイト編集長は記者たちに「スーパーマンのインタビューをとってこい。それは神がモーゼに語りかけたみたいなもんだ」なんて言ってる。だいたいクライマックスで時間まで戻しちゃうし。万能じゃん。

 アメリカ人はスーパーマンに宗教的なものを投影しており、読者/観客もそれを受け入れているようです。

 とまあ、アメリカそのものの象徴であったり神であったりするスーパーマンですから、その死が描かれたりするとたいへん。1992年11月スーパーマンは悪役ドゥームズデイとの戦いで最後を迎えます。この「スーパーマン」誌75号は600万部が発行されたそうです。

 日本でも1993年4月に中央公論社が邦訳『スーパーマンの最期』を出しました。アメコミ邦訳としては本国とのタイムラグがもっとも短い出版例ですが、DCのスーパーヒーロー総出演なのに、なんの注釈もないという不親切な邦訳。スーパーマン物語の蓄積のない日本人が読むとまったくおもしろくないという困った作品でした。

 しかし本書によると、この作品ができたきっかけがおもしろい。当時スーパーマンのコミックスでは、ロイス・レーンとの結婚のエピソードが準備されていました。いっぽうでTVドラマ「新スーパーマン」も1993年からの放映が企画されていて、そのTV版でもスーパーマンがロイス・レーンと結婚することになっていました。

 TVとコミックスの結婚式を同時におこなえば、売り上げ倍増まちがいなし。というわけで、コミックス版では結婚を先延ばしにして、別の企画が必要になりました。そこで「主役を殺そう」

 アメコミヒーローは死んでも絶対生き返るとはいえ、なんかテキトーというかムチャしよるな、という裏話です。その後もちろんスーパーマンは生き返って、1996年にTVとコミックスで同時に結婚式を挙げました。

 とまあこういう裏話が満載で、興味がつきない本であります。

 残念なところとしては、これは著者のクセだと思うのですが、経年的に記述せずにエピソードが前後することが多いのに、それがあった年代を最初に書いてくれない。ずっと読み続けててやっと年代が出てきたりして、ちょっと読みにくいところ。

 あと人名が山のように出てきますが、過去にされていた表記と違った表記が選ばれていたり、同一人物なのに複数の表記がされてるところがあって注意。ちょっとびっくりしたのが名作『キングダム・カム』の作画者名がまちがってます。

 こういうのが少しありますが、おそらく全体の信頼性は高いのでしょう。きっとこれからスーパーマンを語るときの標準的な参考文献になると思います。

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September 23, 2013

私的で普遍の美しい物語『青い薬』

 恋人から自分がHIV感染者であると告白されたマンガ家はどういう行動をとったか。

●フレデリック・ペータース『青い薬』(原正人訳、2013年青土社、2400円+税、amazon

青い薬

 出版社からご恵投いただきました。ありがとうございます。

 B5判よりちょっと小さいソフトカバー、モノクロ200ページのバンドデシネの邦訳です。

 エイズ/HIV感染が発見され世界的問題になったのが1980年代。HAART療法(Highly Active Anti-Retroviral Therapy)が始まり長期生存が可能になってきたのが1990年代後半。

 フィクションの世界では、登場人物の多くがHIV感染者という設定のブロードウェイ・ミュージカル「レント」が始まったのが1996年。そしてフランスで本書が刊行されたのが2001年です。

 主人公は作者自身であるフレデリック。彼は20代後半のマンガ家で、スイスのジュネーヴに住んでいます。カティは離婚後ひとりで三歳の息子を育てている女性。フレデリックはカティとデートするようになりますが、ある日、彼女から告白されます。自分と息子はHIV感染者であると。その瞬間、フレデリックの頭に浮かんだ思いは。受難、憐憫、欲望、逃亡、拒絶、所有、嫌悪……

 そして彼ら三人はいっしょに住み始めることになります。

 本書は作者の自伝的物語です。最初は発表する予定もなく、ただ自分の気持ちを整理するために描き始めたものであると。脚本もなく、下描きもなしで、直接筆で描かれています。

 病気とともに生きるということ。世間からの偏見をどう受け流すか。死の恐怖。そして夫婦間の大きな問題、セックスをどうするか。感染の恐怖。

 キスがオッケーなのは知られている。コンドームを使えばいいことはわかっている。しかしそれ以上のこまごましたこと。こんなことやあんなことにリスクがあるのかないのか。

 実際にフレデリックはコンドームが破れていることを見つけてパニックになったり、傷のある指でコンドームをさわってしまい病院に駆け込むことになります。

 カティの血中ウイルス量は少なく、医師からは「あなたがエイズに感染する可能性は、ここから自宅に帰る途中で、白いサイに遭遇するのと同程度の可能性ですよ!」と言われる。しかしそれ以後、フレデリックの周囲にはサイが出没するようになる……!?

 本書は私的な動機で描かれ、内容もその当時の作者のとまどいや悩みがそのまま提出されている。しかしだからこそエピソードのひとつひとつが読者の心に響いてきます。

 カティの息子のウイルスが活動し始め、治療を開始することになります。現在のHIV感染の治療では、ウイルスを押さえ込むことは可能ですが、治療をいったん始めると薬を一生飲み続けることになります。飲み忘れは許されない。ウイルスが変異する原因となるからです。

 息子の病気の原因はまさに母親であるカティです。罪悪感と、息子への愛、将来への不安。そして彼女に寄り添うフレデリック。タイトルとなる「青い薬」とは一生飲み続けていかなければならないエイズ治療薬のことです。でもこれってわたしたちの足を縛ってる他の何かと取り替えて考えることも可能ですね。

 展開でわかりにくいのが、医師がフレデリックを介してカティの治療開始をすすめるシーン。無症候期のHIV感染者に対して、かつてはウイルス活動が確認されてから治療を開始していましたが、現在では治療開始が早くてもオッケーという考えかたが有力になっています。治療には副作用もあるし金銭的にも負担だし治療中止はできない。ただし治療が成功すれば発病や感染の危険性はほとんどなくなる。

 医師の言葉を理解するにはこういう知識が必要のようです。わたしも含めてエイズ/HIV感染治療にうとい日本人読者には少しむずかしい部分です。

 ラスト近く、フレデリックは幻想のマンモス(!)と対話します。内容は愛と病気と死について。「たぶん病気はおまえさんの最大の不幸である一方で、最大の幸福だったんじゃ… たぶんそれがいくつかの本質的な事柄についておまえさんの目を開いてくれたんじゃないのかね?」

 「青い薬」は病気の象徴でもあり、愛の象徴にもなりました。ラストシーンの一文がなんと美しいことか。

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September 15, 2013

映画原作『ウルヴァリン』の珍ニッポン

 テレビ放映するたびに見てしまうのが映画「ラストサムライ」。わたし映画館でも見ましたが、これ好きで好きでたまらん作品なのです。

 よく描かれているようでも微妙にどこか違う感がただよう「日本」がねー、すごく好きなんですよ。横浜か東京かわからない微妙な都市と遠景に見えるお城。奇妙な奇妙な宮城。日本には存在しなさそうな植物や山や荒野。日本人俳優が多く出ていて立ち振る舞いがそれなりだから、なおさら美術や演出の微妙さがめだつところとか。

 映画「パシフィック・リム」で東京が破壊されますが、あのビル街の日本語看板が何か違う。その感じに似てますね。極端なトンデモ日本も好きだけど、この微妙さもいいなあ。

 なぜこんなにちょっと違う日本が好きなのか。われながらひねくれてるようにも思います。日本に関しては自分のほうがよく知ってるぞ、という上から目線の優越感もある気もします。

 でも根本は、完全な理解なんてありえない、という諦観でしょうか。世界は誤解で成立している。

 だいたい現代の日本人だって明治や江戸時代のことをどこまで知っているのか。武士道だって着物の着こなしだって所作だって、考えかたや行動も含めてわたしたちの想像をこえているのじゃないか。当時のひとがNHK「八重の桜」を見れば、これはどこの日本じゃーっ、と怒り出すことまちがいなし。

 時間軸じゃなくて距離で考えても、都会は田舎を知らず、田舎は都会を知らない。同じ地方でも、わたし県庁所在地、山村、農村、漁村それぞれに住んだことがありますが、ひとも景色もどれほど違うか。

 それどころかとなりにいる人間、妻や子のことをどれだけ知っているのか。あなたは妻を誤解しているし、妻はあなたを誤解している。

 まして海外文化や風俗の理解においてをや。理解しようとする努力はもちろん必要なのですが、誤解は避けられない。だったら誤解を楽しんでしまおうという姿勢があってもいいじゃないか。

 というわけで映画「ウルヴァリン:SAMURAI」も楽しみにしてます。その原作となるマンガがこれ。

●フランク・ミラー/クリス・クレアモント『ウルヴァリン』(秋友克也訳、2013年ヴィレッジブックス、2400円+税、amazon

ウルヴァリン (MARVEL)

 ウルヴァリンの日本での活躍を描いた1982年作品。もちろん映画公開にあわせての邦訳です。

 書影イラストでちょっと損をしてます。一見すると泉昌之みたいですね。もちろんこれはフランク・ミラー画。ミラーの絵は1986年の『バットマン:ダーク・ナイト・リターンズ』のころに完成されます。このころはまだ若描きで、キレの良いアクションとスタイリッシュな画面構成はお見事ですが、洗練されてるとはいいがたい時期の作品です。

 お話は、姿を消した日本人の恋人マリコを追って日本にやってきたウルヴァリンが、ヤクザ組織どうしの暗闘に巻き込まれる、というもの。

 風景や風俗のジャポニズム趣味だけじゃなくて、日本人の精神性に踏み込み、同時にウルヴァリンの内面を深く掘り下げた作品として、アチラでは絶賛されてます。

 しかしわたし、じつはどんな日本が出てくるかのほうを楽しみに読んだわけです。いやそこは期待どおり。

 ヤクザのボスが住むのは「お城」です。庭にはでかい大仏が鎮座してます。マリコの日本髪とキモノはちょっとすごいです。ヤクザの手下として雇われてるのは当然ニンジャ集団で、歌舞伎役者は突然カタナで襲ってくるから要注意。

 日本を舞台にした作品にとって、ニンジャは一応オッケーですが、日本髪とキモノとスモウ方面は鬼門ですねえ。和室の一段高いところに座るボス。その両側にマワシ一本の裸で控えるリキシふたり、という図にはどきどきしてしまう。さすがに映画にはこういうシーンはないと思いますが。

 日本の情報がまだまだアメリカには伝わってなかった1982年という時代に描かれた珍ニッポンはそうとうに引っかかるのは確か。X-MENでは今もこの作品の設定が残ってて、最近の作品でも日本の悪役は必ず大きなお城に住んでたりします。

 武士道や侍に造詣が深かったフランク・ミラーにして、というか彼だからこそ描いたヘンなニッポン。わたしたちとしては、わははと笑いながら読むのが正しい鑑賞法じゃないかと。

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September 08, 2013

水木しげるのアメコミ『ロケットマン』と『プラスチックマン』

 今では手塚治虫『新寶島』や漫画少年版『ジャングル大帝』を普通に読めてしまうわけで、こういう時代がほんとに来るとは思わなかった。一般的なマンガ読者にとっては、これらの有名でかつ半ば封印された作品は読みたくても読めなかった時期があまりに長くて、実際のところあきらめてましたからね。

 で、水木しげる。

 デビュー作の貸本マンガ『ロケットマン』(1958年)や同年の『プラスチックマン』がアメコミを下敷きにしているのは有名で、とくにこの二作は読んでみたいと思ってました。ただし過去の復刻は少部数で入手困難。2010年には小学館クリエイティブが『ロケットマン』を一般書籍として復刻、これは現在でも入手可能ですが、4200円+税とちょっとお高い本でした。

 そこへ今回の「水木しげる漫画大全集」の刊行開始。今月はついに出た。

●『水木しげる漫画大全集 貸本漫画集(1)ロケットマン他』(2013年講談社、2100円+税、amazon

貸本漫画集(1)ロケットマン他 (水木しげる漫画大全集)

 ソフトカバーですが、書影やカラーページもそのまま復刻されてます。「セリフや文章も初出時のまま」というのが売りなのですが、文字部分は新しく作成されてて誤字や語句の訂正はしてあるみたいなので、マンガ研究に利用するのは注意が必要か。

 収録されてるのは『ロケットマン』『プラスチックマン』以外に『ベビーZシリーズ 水人間現る』『赤電話』などなど。とくに『赤電話』は他の作家が途中まで描いた作品に水木しげるが手を入れて完成させたという珍品です。

 さて貸本デビュー作『ロケットマン』。そうか、これが鬼太郎「大海獣」のプロトタイプだったか。(水木しげる+ロケットマンの画像検索結果→

 対立する正義のウエット博士と悪のドライ博士。天空に現れた第二の月にロケットで調査に向かったウエット博士は、ドライ博士の計略で地球に戻れなくなってしまう。さらにウエット博士は謎の宇宙生物に寄生され、巨大で奇怪な怪獣「グラヤ」の姿となり太平洋に無人島に隠れ住む。しかしグラヤは発見され、日本国首相となったドライ博士ひきいる海上自衛隊との大決戦が……!?

 巨大ロボット対巨大怪獣の戦い、というパシフィック・リムみたいなところもある作品で、じつにおもしろい。ただしタイトルとなってるロケットマン、こいつがいつまでたっても出てこない。と思ったら、ラスト近くになってやっと登場。

 加太こうじの描いた書影イラストでは胸が「R」のマークになってますが、水木しげるの手になるマンガ部分では「S」のマークで、まるっきりスーパーマン。はさみこまれた月報の「解題」には「これはスーパーマンをモデルにしたものと思われ」などと遠回しな書き方をしてますが、スーパーマン以外のなにものでもありません。

 南海の孤島で悪役ドライ博士の前に姿を現したスーパーマン。

「君はスーパーマンだな テレビからぬけだしたのか おまえの故郷はアメリカだろう 帰ったらどうだ………」
「ロケットマンだ だまってついて来い」

 日本のテレビでスーパーマンTV実写版が放映されたのは1956年11月から。少年画報社がアメリカと契約して「スーパーマン」という雑誌を創刊したのが1959年です。まちがいなくパチモンのスーパーマンですが、ロケットマンと名のって著作権関係をのりきろうとしてるのが笑える。これが1958年の日本貸本業界だったのですね。

 ここから水木先生の怒濤のギャグが。スーパーマンはドライ博士の前で巨大怪獣グラヤに命令します。

「グラヤ この新しい私の部下のためにちょっと踊りを踊ってみておくれ」
「あいよ」
「みてみろ俺の命令通り踊り出すから」
「うむワルツでも始まるのかな」
「アラエッサッサ」スタコラサッサ
「まったく驚いたね グラヤがここまで自由に動くとは」
「どうだおまえもグラヤといっしょに踊ってみてくれないか」
「はい踊らせていただきます」「コリャノヤア」コラヤノヤー コラヤノヤー
「まったくへたくそな踊りだな」

 これで事件が解決へと向かうわけです。いやもうなんつーか、「秘密結社鷹の爪」のデラックスファイターみたいなスーパーマン。途中には大スペクタクルシーンがあるのに、コラヤノヤーで終わるんだからなあ。

 さて『プラスチックマン』のほうは、これはもう完全にアメコミの翻案、というかまるきりそのままイタダキ。(水木しげる+プラスチックマンの画像検索結果→

 肉体を自由に変形させることができるプラスチックマンが、水木博士の手で誕生する。プラスチックマンは助手のデブさんと水木博士の遺児・三ちゃんを連れて、悪役の不吉博士と戦う、というお話。

 ストーリーというようなものはなくて、プラスチックマンの肉体が変形することを利用したアクションギャグが中心となってます。

 月報の解題では「アメコミ風の絵柄が特徴的なSF作品」と書かれているだけですが、こういうのはきちんと記述しておいたほうがいいと思いますよ。プラスチックマン Plastic Man は、アメリカのジャック・コールが1941年に創造したスーパーヒーローです。

 肉体が伸び縮みするヒーローとしては、「ファンタスティック・フォー」のミスター・ファンタスティックや、映画「Mr. インクレディブル」のお母さんの先輩になります。

 ジャック・コール版プラスチックマンは、肉体変形ギャグを多用した伝説の名作マンガとして知られてて、本国では全八巻のりっぱな全集が出版されてますし、お手軽なところではアート・スピーゲルマンとチップ・キッドによる評伝+復刻マンガ五作という本もあります。そちらを紹介したわたしのブログ記事がコチラ。

●漫棚通信ブログ版「ジャック・コールとプラスティックマン

 プラスチックマンは出版社の倒産後DCに版権が移って、最近もアベンジャーズの一員として活躍してますが、基本ギャグマンガの主人公なので、周囲のヒーローたちとの違和感が半端ないですね。

 さて水木版プラスチックマンは、ビジュアルはジャック・コール版プラスチックマンにそっくり。相棒となる助手のデブさんも、本家の相棒「Woozy Winks」のビジュアルそのままで、ここまでそっくりとは思わなかった。

 あとは肉体変形ギャグにどれだけオリジナリティがあるか、というところですが、なんせ本家は、プラスチックマンが登場する全てのコマで、なにかしら肉体変形ギャグをやって見せる、というとんでもないことをしてるからなあ(プラスチックマンはその存在や行動が「天才バカボン」の登場人物に近いんですよね)。これを越えるのはむずかしかろう。

 ただし、水木版プラスチックマンにはカマボコに変形するギャグがあって、さすがにこれは日本オリジナルでしょう。

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