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July 28, 2013

フランス発実験的恋愛マンガ『塩素の味』

 実験的な表現がなされててかつステキな恋愛マンガ。

●バスティアン・ヴィヴェス『塩素の味』(原正人訳、2013年小学館集英社プロダクション、2800円+税、amazon

塩素の味 (ShoPro Books)

 出版社よりご恵投いただきました。ありがとうございます。

 新鋭BD作家の初邦訳。B5判ハードカバーでオールカラー270ページ超。『塩素の味』と『僕の目の中で』というふたつの作品が収録されています。

 フランスBDには身近な恋愛マンガが少ないそうですが、二作ともボーイ・ミーツ・ガールのストレートな恋愛マンガ。しかしヒトスジナワではいかないんだな、これが。

 表現がじつに実験的。しかもその実験が画力にかかわるものだから、ほかのひとではちょっとマネできそうにないものになってます。

『塩素の味』の主人公は脊椎側弯症の青年。彼は整体師にすすめられてプール通いを始めます。でも泳ぎは得意じゃない。彼はプールでひとりの魅力的な女性と出会いますが、なかなか話しかけられない。

 主人公は彼女の競泳用水着をまぶしそうに見つめるだけです。知り合って仲良くなり、泳ぎを教えてもらうようになっても、自分の気持ちをうちあけられるわけでもない。

 いやー、主人公が内気だから日本マンガの男女間みたいなモヤモヤ感が続きます。日本人読者にとって親和性が高いですね。

 本作の実験はいろいろあります。お話は冒頭とラストを除いてすべて屋内プールで展開します。これはストイックな設定。

 擬音と漫符の使用がない。これはBDとしてはあまりめずらしくないですが、本作では「心の声」も回想の中で少し登場するだけなので、マンガ内の「音」としては「セリフ」があるだけなのです。

 主人公は内気で無口。結果、本作はきわめて「静かな」作品となりました。数ページサイレントなコマが続くこともめずらしくない。しかもそれはただ「ひとが泳いでる」だけのコマです。

 これで読者の緊張を保つことが可能なのか。これがまったくオッケーになってるのは、絵に魅力があるから。

 引かれる線は最小限。さらに水中の人影は輪郭線すらなくなり、切り絵のように平坦にペイントされます。

 すべてフォトショップで描かれてるそうですが、こんな単純な線と絵で、主人公の内面の声があるわけでもない、主人公の泳ぎと視線の先が描かれてるだけなのに、主人公の内面が読者にこれほど伝わってくるとは。

 私が好きなシーンは女性がプールに現れなくなってからの描写。主人公がプールの端っこにタッチ、ターンをくりかえしてるだけ。これが1ページ9コマ、無音で展開される。でもよく見ると彼の泳ぎはどんどん上達してるじゃないか!

 つまり1ページのうちに数週間が経過していると。これは表現に驚かされるだけでなく、このあとラストシーンに向けての伏線になってるのですね。

     ◆

 もう一作の『僕の目の中で』、これも図書館で出会った男女の物語。こっちの仕掛けは、完全一人称マンガ。

 主人公の目から見える画像、きこえる声、だけが描かれます。

 男の子は女の子にだけしか興味がないから、女の子の振るまいのあれやこれやが描かれることになります。

 おもしろいのは、絵にフォーカスがあって、遠景がぼやける、あるいは近景がぼやけるような描き方。さらに主人公にとって興味のない場面や声は、テキトーに描きなぐられるように。感情を絵で表現してるわけ。一人称マンガである理由はこういうところに出てます。さらにキスシーンやセックスを一人称でどう描くか。

 二作とも実験的表現に挑戦していて、その表現が読者の感情を操ることにみごとに成功している。まいりました。

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July 23, 2013

小池一夫先生のコミコン・レポート

 サンディエゴのコミコンには一度は行ってみたいものです。と以前から思っていたのですが、なかなか機会(とお金)がない。そもそも英語ができないからなあ。

 本年も7月18日から7月21日まで開催されてました。盛況だったみたいですね。で、そこに参加された小池一夫先生のツイッターによるレポートが興味深かったのでトゥギャリました。って使い方がよくわからんがこれでいいのかしら。

小池一夫先生によるサンディエゴ・コミコン・レポート

大盛況だけれど、日本のマンガのキャラクターが一つもない。アメリカ中のマンガのキャラクターやアニメのキャラクターや映画のキャラクターが集まっている中で、日本のキャラクターを探し回ったけれど、どこにもない。

日本のマンガの出版社、ゲーム会社、アニメ会社がブースを出していないからだろう。同時に日本のキャラクターがアメリカから撤退したか、売れてない事を意味している。

土曜日の会場はものすごい混雑。それを避けて今日はプレスインタビューの日だったので、大勢のインタビューを受けた。なぜ日本のマンガがないのかという質問もあった。答えに窮したが、やはり悲しかったなあ。

日本のマンガがない中で、韓国はすごい。サムソンが攻めている。アメリカのコミックや映画ともコラボして、サムソンの車や電化製品をその中に登場させ、キャラクターに使用させる。ブースを作り、大勢のマンガ家にマンガを描かせてもいる。

やるもンだなあ、日本は後れを取るぞ。もう後れを取ってるかも。映画の世界も韓流に完全にやられてるじゃないか。今回のコミコンは今までで最大で、入場者も四十万人はいくだろう。夜は入江から花火もバンバン上がってるさ。

 アツい小池一夫先生のレポートを出版関係者のみなさんは襟を正して静聴するように。

 あくまでも小池先生の個人の感想、ではありますが、北米での日本マンガ出版の退潮はすでに知られているところです。

 何でもかんでも翻訳出版したあげく、市場が飽和して一点ずつの売り上げは低下。かつては人気だった北米版少年ジャンプもとっくにデジタルに移行しています。日本マンガは短期的には、北米での「市場の拡大」にも「読者を育てる」ことにも失敗したわけです。

 そのうちに遠い目をして、「わしの若いころにはクールジャパンゆうてなあ、日本のマンガが北米で人気だったこともあってのう……」と語るひとびとが出てきそう。

 ただし日本マンガのスタイルは、現代の北米comicsの表現に影響を与えたのは確かだし、今も一部に熱心な読者がいてくれるのはありがたいことです。日本のコンテンツもまだまだ捨てたものじゃない。諫山創『進撃の巨人』なんかも、アチラでは「 Attack on Tintan 」のタイトルで訳されててけっこう評判みたいっすよ。

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July 14, 2013

孤高のバレエマンガ家 ダーティ・松本

 京都国際マンガミュージアムで2013年7月13日より「バレエ・マンガ ~永遠なる美しさ~」という企画展が開催されてます。

 図録が一般発売されてたので、見るより先に手に入れてしまいました。

●『バレエ・マンガ ~永遠なる美しさ~』(2013年太田出版、2800円+税、amazon

バレエ・マンガ ~永遠なる美しさ~

 展示は見てませんが、この図録だけですばらしいデキ。バレエの日本への受容史からバレエ・マンガ総まくりといった資料性、さらに解説やインタビュー、画像印刷の美しさも含めて、たいへんけっこうな本でした。この夏にはぜひ京都に行くつもり。

 ただひとつ、本書・本展示に欠落している部分があります。「男性目線のエロ対象としてのバレエ」ですね。

 いやいやいや少女マンガの展示でムチャいってるのは承知してますが、本書では『GUNSLINGER GIRL』や曽田正人にも言及されてるのだから、ここはエロマンガ界、孤高の巨匠、ダーティ・松本にぜひとも登場してもらわなくちゃ。というわけでわたしが補遺しておきます。

 エロマンガの対象としてバレエというのはどうなのか。思いっきり体の線を出した衣装だし、美・高貴・富の象徴でもあるから、エロの対象として人気があるかというとそうでもなく、実際のところバレエを素材にしたエロマンガはきわめて少ない。

 日本でバレエにこだわってエロマンガを描き続けているのは唯一、ダーティ・松本だけでしょう。ダーティ・松本のバレエ・エロマンガ集『舞姫伝説』(2000年久保書店)には「世界でただ1冊! マンガ史上初の快挙! バレリーナ・エロスの名作集成!」というオビがついてました。

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 著者あとがきによると、

エロ・マンガにおいてバレエものはじつに少なく、おまけにそれだけ集めて1冊の単行本を創る、という前から企画していた画期的な本がとうとうここに実現してしまいました。たぶん今までも、これからも世界でこの本意外には無い筈です。[あったらダー松自身が一番に購入したいところ]

 とかいって、著者はこの後『白い肉の舞踏 バレリーナ暗黒調教』(2011年久保書店)というバレエ・エロマンガ集も出してますが。

 バレエを題材にしたエロマンガというのは、バレエという非現実、夢の存在をエロに引き込むのにそうとうな無理をしなけりゃいけない。そこがむずかしいみたいです。

 ダーティ松本作品でもバレエを扱った初期短編作品『犯された白鳥』『陰獣の宴』などを読むと、チュチュ姿のバレリーナが暴漢に誘拐されて陵辱される。バレリーナ衣装のままのエッチシーンが描かれますが、基本それだけ。しかも場所が倉庫だったり地下室だったりするので、なんだかなあという感じでした。短編『野獣の姦走』あたりになるとエロの場所は洋館になりますが、それでも衣装以外のバレエ要素はありません。

 作者の代表作「闇の淫虐師」シリーズでも、『眠れる美女のわななき』ではバレリーナを扱っていても同様の展開。ところが同シリーズの『性の祭典』になりますと、誘拐されたバレリーナは調教されたうえ、多数の観客の面前で舞台の上、創作ダンスを踊りながら、多数の男女に陵辱されます。

 バレエのエロには非現実空間、しかもバレエがバレエであるべき「舞台」が必要であることが明らかにされたのです。

 中編『朝日に輝け』では、エッチは人里離れたバレエレッスン場でおこなわれます。長編『淫花蝶の舞踏』になりますと、海辺の洋館、観客の面前で女性ふたりがトゥシューズを履いただけの全裸で踊ります。エロはファンタジー化されることでバレエとなじむようになりました。

 作者の代表作となる大長編『性狩人たち(セックス・ハンターズ)』(1979~1981年「劇画悦楽号」連載)では設定がもっと複雑になります。離島にあるバレエ学校「天使館(エンジェルハウス)」。そこは少女たちをバレリーナとしてだけではなく娼婦として教育し、裕福な男たちに提供する娼館でした。館の主は、黒鳥オディールと白鳥オデットと名のるふたりの女性、そして彼女たちの下僕となる美少年ジュンと黒人の巨漢サッチモ。

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 彼らは娼館の支配を狙ういろんな敵と戦いながら、離島のバレエ学校で、バレエをテーマとしたさまざまな異常なセックスをくりひろげます。

 エロマンガでバレエを扱うにはここまでぶっ飛んだ設定が必要なのかっ。というくらいぶっ飛んでます。ラストはG(ゴッド)と名のる敵役とその娘エンジェルを巻き込んだ「ハルマゲドンの戦い」。

 両者の戦いは火器を使った大殺戮戦となり、壮絶なラストを迎えます。いやもうエロマンガの極北ともいうべき作品。

 『性狩人たち』と同時期に描かれた長編『美少女たちの宴』もバレエが題材。離島にある「アカデミーバレエ学院」は、「国家の援助をまるで受けたい日本でははじめて生まれた徹底的な英才教育によるバレリーナ養成のための全寮制学校」。そこに赴任してきた新任バレエ教師藤堂梨香と新入生風倉美希。しかしこの学院は、バレエとともにセックス技術をとことん教え込む場所であった……!?

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 本作ではバレエ=舞踏そのものがセックスとして描かれていて、エロマンガとしてのバレエは『性狩人たち』よりさらに過激になっています。

 さらにさらに。長編『白鳥の湖』(1982年、単行本『舞姫伝説』収録)になりますと、バレエそれ自体が題材となります。

 雑誌「レモン・ピープル」に連載されたことで知られている本作の主人公は、バレエを踊る美しい王女オデット。

 オデットは隣国の王子ジークフリートと湖で踊っているところを悪魔ロットバルトに襲われ、その城に連れ去られ、ロットバルトとその娘オディールと愛虐の日々を送ることになります。オデットの股間には男根がはえ、彼女は悪魔の命ずるまま強姦の旅に出ることに……!?

 というわけで、バレエを演ずる少女たちのセックスではなく、演じられるバレエをエロマンガとして描く、という純化がなされることになりました。

 バレエを題材としたエロマンガをただひとりで進歩させてきたのが、ダーティ・松本なのであります。


(ダーティ・松本作品の多くは、紙としては品切れでも電子書籍で読めますので興味あるかたはぜひどうぞ)

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July 05, 2013

極悪なるアメコミ『ウォンテッド』

 マーク・ミラーの性格が悪いとは知ってたつもりでしたが、ここまでとは。

●マーク・ミラー/J・G・ジョーンズ『ウォンテッド』(中沢俊介訳、2013年小学館集英社プロダクション、2200円+税、amazon

ウォンテッド (ShoPro Books)

 アンジェリーナ・ジョリー主演の映画「ウォンテッド」(2008年)は日本でもヒットして、わたしもDVDで楽しく見ました。でもその原作マンガがこんな作品だったとは!? いやびっくりした。

 シナリオのマーク・ミラーはスーパーヒーローものアメコミのライターとして日本でもおなじみ。『キック・アス』や『スーパーマン:レッド・サン』などのひねくれた作品も書いてます。

 しかし本書はそれら以上に極悪なアメコミ。スーパーヒーローものを思いっきりひねくりまわした最強最悪のパロディ二次創作的アメコミでした。映画じゃスーパーヒーローものの匂いを消してたからなあ。

 本書の世界では、スーパーヒーローとスーパーヴィランの全面対決があった結果、スーパーヒーローが全滅しています。これが1986年のこと。

 現在の世界は五人のヴィランたちで分割され、アメリカはレックス・ルーサー(みたいなやつ)、アジアはラーズ・アル・グール(みたいなやつ)、オーストラリアはジョーカー(みたいなやつ)に支配されてるわけです。

 みたいなやつ、ってのは本書はトップカウ社から出版された作品なので、DCやマーヴェル作品を下敷きにしながらモトネタをパロってるわけですね。

 しかし彼らは悪人ばっかなのでそんな平和がいつまでも続くわけもなく。レックス・ルーサーとジョーカーの対立はすでに一触即発の状態。そこへ放り込まれたのが、ある大物ヴィランの隠し子で、これまで自分の出生の秘密などを知らずしょぼい生活を送っていた主人公。彼はキャットウーマン(みたいな女性)に導かれ、陰謀と暴力の世界に飛び込むことに……!?

 映画ではキャットウーマン役がアンジェリーナ・ジョリーなわけですが、さすがに映画だけ見てちゃ原作のこんな意図はわかりませんでした。

 本書のどこがすごいかというと、スーパーヒーロー(スーパーマンやバットマン)がすべて死亡したあとの世界、悪人だけが存在する世界という発想。

 正義はない。悪人同士の内部抗争があるだけ。しかもそれがアメコミとはとても思えないような残酷描写、日本マンガのそれをも凌駕する残酷描写(アタマ吹っ飛ぶ、手足ちぎれる)で描かれちゃってるのですね。ストーリーも描写も、わたしがこれまで読んだアメコミの極北。永井豪までもう少し、というところまで来ています。当然ながら主人公も正義とは無縁の人間として描かれてます。

 本書で世界が壊れた1986年は、ムーア/ギボンズ『ウォッチメン』やフランク・ミラー『バットマン:ダークナイト・リターンズ』が発表され、アメコミがリボーンした年。主人公の造形はラッパーのエミネムに似せてるそうです。

 すごいすごい、とつぶやきながら読んでました。悪趣味の極北ともいうべきアメコミ。いやほんとマーク・ミラーは性格悪い。

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