« 『トーマの心臓』世界進出 | Main | 中国的ベストセラー『ひとりぐらしも5年め』 »

March 07, 2013

『ウツボラ』を読み解く

 2巻が発売されたときにすでに読んでいたのですが、妻と娘(高校生)がワケわからんっ、解説しろとせっつくので書くことにしました。たしかに結末で迷う読者もいるでしょう。わざとわかりにくく描いてるみたいだしなあ。

●中村明日美子『ウツボラ』1・2巻(2010/2012年太田出版、各680円+税、amazon

ウツボラ(1) (F×COMICS) ウツボラ(2)(完) (エフコミック) (エフコミックス)

 全二巻で完結のミステリ。冒頭の謎はすごく魅力的です。

 若い女性がビルの屋上から転落死する。顔のつぶれた死体となった彼女の名は「藤乃朱(あき)」。ケータイにはなぜか二人の履歴しか残っていなかった。ひとりは双子の妹「三木桜(さくら)」、もうひとりは作家の溝呂木(みぞろぎ)だった。

 警察に呼び出された溝呂木は、藤乃朱の書いた「ウツボラ」というタイトルの小説を盗作したという秘密を抱えていた。溝呂木は三木桜が藤乃朱とまるきり同じ容姿をしていることに驚く。さらに三木桜は、溝呂木と藤乃朱の間の秘密を知っているらしい。

 三木桜は「ウツボラ」の続きとなる原稿を利用して、溝呂木を翻弄。彼の精神と肉体を支配していく……!?

(以下ネタバレ。作品のラストやトリックに言及します)

     ◆

 冒頭で提出される謎は古典的な「双子」と「顔のない死体」です。

 そっくりな顔をしていて双子と名のる謎の女性ふたり、藤乃朱と三木桜がいます。いっぽうは転落死して顔のない死体となり、いっぽうは生きている。まず最初に刑事から一人二役じゃないか、という仮説が提出されますが、当然ですね。

 そして藤乃朱と三木桜の正体となり得べきリアル人物として、溝呂木ファンの大学生・秋山富士子と、横領犯として逃亡中の元OLがいることが明らかになります。

 さて自殺したのは誰? 今読者の前にいる「桜」の正体は? 「ウツボラ」というタイトルの小説を書いたのは誰? というのがお話をひっぱる謎となります。

     ◆

 さて、ラスト近くになって「解その1」が示されます。

 三木桜と溝呂木が対峙しての会話。

「やはり君は「朱」なんだね 君が『ウツボラ』を書いたんだね」
「―― そうです 私が『ウツボラ』を書いたんです」

 おおそうか。「三木桜」=「藤乃朱」という一人二役説。でもそうなら死んだのは誰? と言う大きな謎が残ります。

 次に「解その2」が示されます。

 刑事が三木桜に向かって、

「おやお目覚めですか 具合はいかがです? 秋山富士子さん」

 「三木桜」=「秋山富士子」説ですね。この場合、転落した女性は「藤乃朱」=「横領OL」となります。

 しかしさらに真相となる「解その3」が示されます。溝呂木が三木桜にいう言葉。

「君は『ウツボラ』の作者じゃない 僕は『ウツボラ』の作者には一度しか会っていない そうだね?」

 さあここでわからなくなるひとが多いみたいです。(A)三木桜=秋山富士子、「ウツボラ」の作者=横領OL。(B)三木桜=横領OL、「ウツボラ」の作者=秋山富士子。表面上は(A)(B)どちらの説も否定されていないから困っちゃう。

 ウチの妻はA説で、娘はB説ね。

     ◆

 藤乃朱と三木桜は、何を目的に行動していたのか。そこに注目して読むのがいいと思います。溝呂木をいじめて喜ぶため、とかそういうのじゃありません。彼女たちには明確な目的がありました。

 ふたりの行動を時系列に再構成してみましょう。

 秋山富士子はいつも図書館で溝呂木の小説を読んでいました。彼女に声をかけたのが横領犯として逃亡中の元OL。これが二人の出会い。まあナンパですね。

 秋山富士子から名前を問われたOLは、とっさに書架に並んだ本の背表紙の字を使って「三木桜」という偽名を名のります。横領犯ですし本名をいうわけにもいかない。

 三木桜は「溝呂木先生の作品から抜け出てきたような」容姿をしていました。彼女は逃亡のため顔を整形していて、それは「黒い長い髪のいかにも」溝呂木が「好みそうな」顔だったのです。秋山富士子は彼女に惹かれ、ふたりは恋人同志になります。

 秋山富士子は溝呂木ファン、というより熱狂的なマニアでした。自分の部屋の壁は溝呂木関係の切り抜きでびっしり。

 彼女は「月刊さえずり」編集部にも「藤乃朱」名義で溝呂木宛のファンレターを山のように送りつけていました。さらに彼女は、溝呂木の「文章を真似た夢日記みたいな」変な小説を書いては、それを溝呂木の家の郵便受けに投函することをくり返しており、これも「藤乃朱」名義でした。

 そして秋山富士子は「ウツボラ」という小説も書き進めていました。

「おもしろいわね これは発表しないの?」
「趣味で書いているだけだもの 人に見せたのだってあなたが初めてよ」
「そう でも私 この話好きよ とても好きよ」

 いっぽう、「月刊さえずり」20XX年新春増刊号に掲載される小説の依頼を受けた溝呂木は苦しんでいました。彼は自分の才能の枯渇を自覚していたのです。

 ある日、編集部を訪れた溝呂木は、新人賞応募原稿の封筒に見覚えのある「藤乃朱」の名を見つけます。興味を持った彼はその封筒をこっそりと持ち帰ってしまいました。

 そして「月刊さえずり」新春増刊号には溝呂木作の「ウツボラ」が読み切り作品として掲載されます。これは「藤乃朱」作品の盗作でした。これがすべての始まりとなります。

 雑誌に掲載された「ウツボラ」を読んだ秋山富士子は驚きます。

「どうしてこんな勝手なことをしたの!? 人の作品を… 勝手に…」
「あなたのためじゃない あなたの背中を押してあげたのよ あなたがいつまでもぐずぐずしているから まさかこんな展開になるとは思っていなかったけど でもある意味お墨付きをもらったようなものじゃない? 価値があるってことよあの小説は 盗むだけの価値が」
「やめて!! …そうじゃない そうじゃないの… 私も… 私も投稿したのよ 「ウツボラ」を…」

(※厳密にいうとこの部分、富士子が自分で投稿してるのだから、朱が二重投稿したことを知りうるわけがないのですけどね)

 「藤乃朱」名義の「ウツボラ」は二部、編集部に届いていたのです。ひとつは溝呂木が持ち帰り盗作に使用。もう一部は、編集者の辻が保管していました。

 出版社のパーティで髪の長い女性と出会った溝呂木は、彼女が「藤乃朱」を名のったことに驚愕します。彼女は三木桜でした。

 その夜、「藤乃朱」を名のる三木桜は溝呂木を陵辱します。しかし溝呂木は性的に不能でした。

「会ったわあの作家に 「藤乃朱」だって名乗ったら ふふ 紙のように顔色を真っ白にして あはは おかしかったわ」
「どうして…」
「簡単よ 出版社のパーティにもぐりこんだの 知り合いを見つけたような顔をして 宴もたけなわの頃だったし 堂々としていれば分からないものね」
「そうじゃなくて!」
「あなたが会いたがっていたからよ あなたが会いたがっていた人に会ってみたかったの ねえ 本当はもっと他に聞きたいことがあるんじゃないの? 私と 先生の…」

 秋山富士子は三木桜そっくりに顔を整形することにします。そしてそれは成功。

「完璧だわ」
「そう…? ほ本当に…?」
「本当よ まるで鏡に映したようだわ これで準備は全て整ったわね たった今からあなたが『藤乃朱』よ いやだそんなおびえたウサギみたいな顔しないで どうしても心配なら部屋を真っ暗にしておくといいわ」
「…桜さん ありがとう 全部あなたのおかげよ ありがとう ありがとう…」

 そして秋山富士子は三木桜の代わりに「藤乃朱」として溝呂木に会います。真っ暗な部屋で。

「最後に朱と会った夜 部屋は真っ暗だった やがて目が慣れ ほの白く浮かび上がる彼女に 朱 と声をかけて手を触れる と その腕はいつもより温かかった」

 あこがれの溝呂木と一夜を過ごした秋山富士子ですが、これが自分が求めていたことではないことに気づきます。

 ビルの屋上から飛び降りる寸前の秋山富士子が、三木桜に電話をかけます。

「アパート宛に郵便を出したわ あなたにも内緒にしていた部屋があるの そこにあなたに遺したものを置いてあるからきちんと受け取ってね」
「ちょっと… 待ってよ何の話? 何を言ってるの?」
「ありがとう あなたのおかげよ 私 全て分かったの 私の… 本当に欲しかったものが わたしは先生を愛していた 先生の作品を愛してた 先生になりたかった 先生に愛されたかった でも先生は誰も愛してなかった 作家は自分の作品しか愛していない だから… きっと書いて下さるわ 先生きっと 私のことを書いて下さるわ」

 秋山富士子が愛していたのは、溝呂木個人というよりも、溝呂木作品だったのです。彼女が望むのは、溝呂木の作家としての再生と、自分が溝呂木作品内のキャラクターとして永遠の命を得ることでした。

 秋山富士子に去られた三木桜は、恋人の死の直後から彼女の遺志をかなえようとして行動を開始します。この後の彼女の行動はすべて、溝呂木が作家として再生することを目的としています。

 秋山富士子が遺した、小説「ウツボラ」の続きを溝呂木に渡すことも、溝呂木とくり返し同衾することも、彼の盗作を告発することも、処女の身でありながら編集者・辻と寝ることも、すべて溝呂木に作品を書いてもらいたいから。すべては溝呂木に「物語」と「きっかけ」を与えるための行動でした。

 しかしその過程で、三木桜は自分が溝呂木を愛し始めていることに気づきます。秋山富士子と同じように。秋山富士子と三木桜は「藤乃朱」というひとつの人格に融合し、小説「ウツボラ」の冒頭部分のごとく「世界のさかいめが分からなく」なってしまうのです。

 そしてラスト、溝呂木は作家として再生します。彼は小説「ウツボラ」全篇を自分の手で改稿し、完結させたのです。主人公の名前は「藤乃朱」に変更されていました。

 三木桜はその目的を達したのです。

     ◆

 というわけで、B説の三木桜=横領OL、「ウツボラ」の作者=秋山富士子、が正解。トリック分類をすると、一人二役じゃなくて二人一役、ということになるのでしょうか。

 本作『ウツボラ』はすごくよくできた作品でミステリとしても名作だと思うのですが、残念ながら失敗作でもあります。それは多くの読者が真相にたどり着けてない可能性があるから。

 でもマンガで描くミステリとして、そのこころざしは高い。ミステリマンガといっても、犯人がはっきりと指摘され、探偵がトリックをきちんと説明し、さらに犯人がえんえんと動機を語るマンガばかりではいかんでしょ。

 冒頭、三木桜が好きなのはチーズケーキ。ラスト近く、秋山富士子が好きなのはイチゴのショートケーキ。よってふたりは別人である。こういう小ネタがさらっと描いてあるからなあ。本作はホント油断できない作品なのです。

 さて本作で解決されていない謎がふたつ。

 ひとつはエピローグで三木桜が妊娠している。溝呂木は不能なのだから、子どもの父親は編集者・辻である、と考えることも可能ですが、それじゃお話としてぜんぜんおもしろくない。

 ここは最後の日、溝呂木が作家として再生するのと同時に、男としても再生したのだ、と考えるのが物語の王道でしょう。

 もひとつはタイトル「ウツボラ」の意味。サカナの「ウツボ」の複数形で「ウツボら」というのはどうかと思いましたが、これはありえない。「ウツボカズラ」という食虫植物がありますが、これもあんまり美しくないし、お話のテーマとはずれてる。ご存じのかたがいらしたら教えて下さい。

     ↑

 って、ごめんなさい。以前に書いたブログ記事のコメント欄で「ウツボラ」=「空洞」=「からっぽ」と教えていただいていたのでした。

|

« 『トーマの心臓』世界進出 | Main | 中国的ベストセラー『ひとりぐらしも5年め』 »

Comments

こちらの文章を読ませていただき
あの結末の合点がいきました!
あとすでに言及されておられるかもしれませんが
この作品、題名も含めて、手塚治虫の「ばるぼら」への
リスペクトではないでしょうか

Posted by: 流転 | March 27, 2013 05:18 PM

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 『ウツボラ』を読み解く:

« 『トーマの心臓』世界進出 | Main | 中国的ベストセラー『ひとりぐらしも5年め』 »