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January 29, 2013

吉田竜夫の評伝『世界の子供たちに夢を』

 毎朝、日テレのショートアニメ「おはよう忍者隊ガッチャマン」を見てから出勤しているわけですが、ガッチャマン、実写映画化されるそうですね。キャシャーンとかヤッターマン、あとスピード・レーサーの前科があるからなあ。不安ながら楽しみなことではあります。

 ガッチャマンの魅力はいろいろあれど、やっぱ第一はキャラクターの顔、スタイル、コスチュームを含めたあのデザイン。やっぱ初期タツノコプロのデザイン、吉田竜夫の絵はかっこいい。

 日本マンガのようでそうでなく、アメコミのようでそうでない。ポーズはジョジョのごとくキレキレでキメキメ、男性キャラなのに色っぽい。ステキな絵です。

 吉田竜夫は早逝したので、生前のきちんとしたインタビューはひとつだけだそうです(「ファントーシュ」1977年8/10号。わたし持ってます、えっへん)。彼の足跡を知るためにまとまった本としてはこれまで、笹川ひろしの自伝『ぶたもおだてりゃ木にのぼる 私のマンガ道とアニメ道』(2000年ワニブックス)とタツノコプロ40周年を記念して出版されたインタビュー集『タツノコプロインサイダーズ』(2002年講談社)が存在するだけでした。

 そこへ今回発売されたのがこれ。

●但馬オサム『世界の子供たちに夢を タツノコプロ創始者 天才・吉田竜夫の軌跡』(2013年メディアックス、1500円+税、amazon

世界の子供たちに夢を~タツノコプロ創始者 天才・吉田竜夫の軌跡~

 著者からご恵投いただきました。ありがとうございます。

 吉田竜夫は京都でセミプロとして新聞の挿絵画家や紙芝居描きとしてそのキャリアを始めます。上京して絵物語作家として雑誌デビュー。絵物語で有名となり、のち売れっ子マンガ家に。

 最近ならマンガショップ/パンローリングから吉田竜夫のマンガ作品がいろいろと出版されてます。マンガ月刊誌時代の最期に間に合ったわたしなどは、じつになつかしい。

 吉田竜夫は「巨人の星」で人気作家となる以前の梶原一騎と組んだ作品が多く、梶原一騎からは(一方的に)嫉妬の炎を燃やされてますが、そのあたりについてはわたしもブログ記事にしたことがあります。

漫棚通信ブログ版:吉田竜夫と梶原一騎

 アニメに関してはまったく素人のタツノコプロが「宇宙エース」を制作して、放映開始したのが1965年。手塚治虫に遅れること二年。以後、吉田竜夫はアニメーション制作会社の社長、プロデューサー、デザイナーとして八面六臂の活躍。しかし病に倒れ、1977年没。45歳の若さでした。

 わたしが熱中した「ガッチャマン」「キャシャーン」「破裏拳ポリマー」「テッカマン」などは吉田竜夫がまだ生前の作品だったのだなあと再確認しました(失礼ながらタイムボカンシリーズには興味なくってすみません)。

 本書は吉田竜夫に関する初めての評伝です。主に二部に別れてて、アニメ制作以前、以後ですね。

 わたしの興味は主に前者にあるのですが、かつての書籍ではこのあたり書誌的にけっこうズボラでした。公認書籍のはずの「タツノコプロインサイダーズ」はすみずみまで気を配ったたいへんケッコウな本なのですが、吉田竜夫の初期絵物語については不確かな記述がされてたりします。本書で著者は国会図書館で当該雑誌に直接当たっていろいろ確認されていてすごく細かい。

 すでに当時の物故者も多く、アニメ以前の吉田竜夫については、こういう地味な文献確認作業と現在も息災な関係者への取材しかないわけで、本書はじつに健闘してます。

 なかでもおもしろかったのが、当時アシスタントだった望月三起也の証言で、「あの人はこれだから」と天を指さす。天才だといってるのですね。あの、望月三起也にして吉田竜夫とはこういう存在だったのです。

 あと、同時期に国分寺駅をはさんで南にタツノコプロ、北に劇画工房があって、ほとんど交流がなかったというのも笑った。

 後半のアニメ制作以降については、前掲二書に多くを依っています。もちろんタツノコプロの関係者にはあらためて細かくインタビューされていて資料性も高い。

 本書には吉田竜夫の知られざる絵物語時代のイラストが多く収録されていて楽しい。ただし残念ながらアニメ時代の図版、とくによく知られるはずのキャラクター図版などが少なくて、当時を知らない読者にはちょっと不親切かな。

 通読して感じたのは、吉田竜夫ってなんていい人だったんだ、ということ。成功した有名人、早逝したとはいえ、ちょっとは悪口も出てきそうなものですが、それがまったくない。著者による取捨もあるかもしれませんが、これは他の本を読んでも同じ印象なんですよね。

 このあたりが手塚治虫とまったくちがうところです。とか書くと差し障りがありそうですが、そうなんだからしょうがないじゃん。なんつっても涙なくしては見られないアニメ「みなしごハッチ」をつくったひとですし。

 吉田竜夫は本書のタイトルどおり「世界の子どもたちに夢を」というのを座右の銘にしていて、最終的にはディズニーのように遊園地開園を夢みていたそうです。

 吉田竜夫はマンガ、アニメ、さらにそれを越えた大きな構想を持っていたらしい。つくづく早逝が悔やまれます。亡くなってすでに30年以上。この時期になっての伝記制作はいろいろと大変だったようです。労作。

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Comments

吉田竜夫先生が、京都から上京し『少年画報』や、『冒険王』『ぼくら』『おもしろブック』『少年』で挿し絵、絵物語作家から漫画家へと転身した過程は、【少年画報大全】()の中で図版を交えてほんの少しだけ紹介しましたが、梶原一騎先生との関係や、一緒に上京した辻なおき先生のこと。タツノコプロでは、たつみ勝丸こと天馬正人先生、漫画家時代の金山明博先生との関係など、2001年の研究から何処まで進んだのかとても楽しみですね。

Posted by: 漫画史研究家・本間正幸 | January 30, 2013 12:53 AM

そういえば舞台版「ライオン・キング」の動物の衣装(?)になんだか既視感を感じると思ったら、タツノコ・アニメ風なデフォルメを感じていたのだ、と気付きました。

う~~ん。
皆さんの賛同を得られるかアヤシイなあ。
まあ、一応書いておこう。

Posted by: トロ~ロ | February 01, 2013 11:11 PM

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