異世界創造『闇の国々』
超重量級のBD『闇の国々』2巻が発売され、日本人読者としては圧倒されっぱなしなわけです。
●ブノワ・ペータース/フランソワ・スクイテン『闇の国々』2巻(古永真一/原正人訳、2012年小学館集英社プロダクション、3800円+税、amazon)
出版社からご恵投いただきました。ありがとうございます。
本シリーズは長編および番外編、計24巻におよぶ作品群から形成されています。ぶ厚い邦訳の1巻と2巻を合わせても、これまでに本国で出版された総量のまだ半分にも達していません。
『闇の国々』の世界は、現実世界における18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパと似た風俗を持っています。フランス語が使用され、服装などもそっくり。でも地理がちがう歴史がちがう社会構造がちがう。それぞれの都市では現実世界ではありえない奇想天外な事象が次々と起こる。ここはまったくの異世界です。
本作は架空世界の歴史を、とくに都市と建築に注目しながらまるっと創造しようという、とんでもないチカラワザのBDです。1巻ではシリーズのそれぞれ第2・3・6作となる「狂騒のユルビカンド」「塔」「傾いた少女」の三作が邦訳されました。続いてこの2巻では「サマリスの壁」「パーリの秘密」「ブリュゼル」「古文書官」の四作が邦訳されています。
「サマリスの壁」はシリーズ第1作。まだ『闇の国々』の全貌がぜんぜんわからない時期の作品ですが、まずオープニング、都市の鳥瞰に圧倒されます。カメラが(架空の!)都市上空をどんどん移動して、最終的にある部屋の内部をうつすまで。CGもない三十年前に描かれた超絶テクニック。
主人公が遠く離れた都市サマリスを訪れ、その都市の秘密をさぐるお話。この秘密というのが、思いついたり小説に書いたりすることはできるかもしれないけど、実際に「絵」として描くことはムチャ大変、というシロモノ。ところが本書ではこれをどれだけ楽々となしとげていることか。その「絵」におどろかされます。
シリーズ第5作となる「ブリュゼル」は今回の第2巻の中心となる作品。ブリュゼルはベルギーの首都であるブリュッセルがモデルとなっています。
ベルギーは1830年に独立した若い国ですが、その首都ブリュッセルは産業革命と人口集中で環境が悪化していました。そこで独立早々に大がかりな都市再開発が計画されました。市長の指揮のもと、街の中央を流れる川の埋め立てと幹線道路の建設、古い家屋の徹底的な破壊、放射状の直線道路による幾何学的な街の創造などが計画実行されたのですが、これらは当時から批判されていました。都市整備が歴史的景観を破壊するだけでなく、出費が膨大なものになっていったからです。市長交代のあともブリュッセルの都市計画は混乱を続けていくことになります。
といった史実を下敷きにして、架空の都市「ブリュゼル」でも都市の再開発がなされています。めざすのは摩天楼が空中回廊で結ばれたSF的未来都市。
主人公は、ブリュゼルに住むプラスティックの植木屋さんです。植木がプラスティックでできてたら水も肥料もいらない、というのが彼の革新的考え。彼が新規開店しようとしていると都市再開発で店が壊されそうになってしまう。役所に向かった身体の弱い主人公が出会うのが、再開発を推進する企業家、電気生理学の天才発明家、反都市計画地下組織に属する美女など。彼が街と大病院の中をさまよっているうちに、都市はゆっくりと破滅に向かう……
書影に描かれてるのが、主人公と計画された都市の模型です。
奇想に満ちたストーリーですが、最大の魅力は街や建築物や飛行船のデザイン、そして「絵」ですね。こういうふうに架空の異世界をまるっと創造してしまおうというマンガですから、日本マンガとはずいぶん絵がちがう。どこがちがうかというと、背景がちがいます。
架空世界=風景=背景です。背景こそ作者が描きたいもの。本作ではほとんどのコマに、背景がきちんと描き込んでありますが、この線が整理されている。最近の日本マンガの写真を模写したような背景とはちがいます。これはカラーの仕上がりを予測した絵だからでもあるでしょうが、どこに絵の重点を置くのか、いわば思想がちがう。
そして第2巻の大きな魅力が色です。1巻はほとんどがモノクロで描かれた作品ばかりだったのですが、2巻は多くがカラーですよカラー。BDの色づかいはエルジェ以来の伝統なのか、中間色を多用していて他国のマンガより格段にアベレージが高い。とくに本書は書影に見られるようにおちついたカラリングで統一されていて、渋いっ、うまいっ。
「パーリの秘密」は未完成作品ですが、現実のパリとの重なっていて『闇の国々』世界の謎を解く鍵になるような部分もあり。注目すべき「古文書官」はシリーズの初期に描かれた番外編です。
現実世界の図書館員が『闇の国々』に関する資料を発見し、論文を執筆するお話。一枚絵とそれに対する考察、という形式で進みますが、まだ描かれていない作品の設計図、プレゼンを読んでる感じ。正編となる作品群と対比して読むといろいろと楽しい発見があります。
『闇の国々』邦訳2巻が刊行され、これで正編となる長編のうち第1・2・3・5・6作が読めるようになったわけです。物語が蓄積されてくると、作品をまたいで登場するキャラクターも複数登場してきますし、世界の謎も次第に明かされていきます。
物語が進むにつれて世界の成り立ちが読者の眼前に現れてくる。これだけ先が気になってわくわくする作品もちょっとないです。まちがいなく歴史に残る傑作。
今後も続編が邦訳出版されることがアナウンスされました。本国で三十年にわたって描かれた名作が日本で一気に読めることになるわけで、いやーほんとにこれからが楽しみ。
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