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September 22, 2012

戦中にできた医学専門学校に対するウチの親父の意見

 前回の記事に関連して。年寄りの感想を聞いてみました。

 わたしの父は戦中に地方の「商業学校」(戦後には「商業高校」になります)を卒業したあと、上京してそれより上の学校を複数受験したらしいのですが、すべて不合格。だもんでしかたなく父親(わたしのじいちゃんですな)の商売を継いだひとです。

 戦中とはいえ、商業学校ですから当然、英語の授業はありました。というか、海外と貿易・取引するのには英語は必須でしょ。現在なら英文メールの書式を勉強するみたいに、商業英語という授業があったそうです。

 でもそんな商業学校卒の学力では、旧制中学卒にはまったくかなわなくて、のちのちまでいろいろとくやしく思ってたらしい。

 親父が商業高校を卒業したのと同時に、地元に医学専門学校ができたそうです。前回の記事に書いたように軍医促成のための学校ですね。

 ところがそこに商業学校卒の親父の同級生、しかも自分よりデキが悪かった連中がけっこう合格しちゃったものだから、親父、怒ってました。なぜ商業学校卒なのに、医専に行くか。

 あれは徴兵のがれじゃー。親父は自分も戦争行ってないくせにそういうことを言ってました。

 いやいやいや、医師になっても軍医として徴用されてたでしょう。前線には出なくてもよかったかもしれませんが。実際にわたしの妻の祖父は、30代なかばの開業医だったのに軍医として応召し戦死してます。

 もひとつ、親父が腹たててたのは、自分が業者として医学専門学校と取引してたから。

 親父は小さな製材所の二代目で、戦時中に新設なった医学専門学校に黒板などを納入してました。当時そこの小役人から、はっきりと「ソデノシタ」を要求されていたそうです。

 というわけでウチの親父は医専に言いたいことがいっぱいあった、という伝聞のお話。

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