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September 23, 2012

見た目はコドモ頭脳はオトナ

 すっごいひさしぶりにアニメ「名探偵コナン」を見ました。辻真先脚本だったからです。わたしがマンガ版を買うのをやめてもう数年。それにしてもコナン、よほど人気があるのか長く続いてますねー。

 1994年連載開始、雑誌連載はすでにまる18年をこえてます。

 コナンは自分を子どもに変身させた犯罪組織との戦いがあって、高校生の姿に戻れば上がり、という最終目標があるわけです。ですから永劫回帰でも納得できる「サザエさん」や「クレヨンしんちゃん」と違っててしかるべきなのですが、皮肉なことに人気がある限り最終回をむかえることはないでしょう。コナンくんや仲間の小学生はやっぱり小学一年生。ガールフレンドの蘭ちゃんはやっぱり高校二年生。

 うちの子その2は生まれたときからコナンがあって、もう工藤新一や蘭ちゃんと同い年になってしまいました。

 しかしコナンくんもあれだよね、最初は10歳も若くなってこりゃどうしましょ、と思ったものですが、これだけ連載が長くなると、そうかこういう解決法があったか、とみんな気づいてるはず。

 要はコナンくん、何もせずにじっと待ってればいい。10年たてば高校二年生になれるじゃないか。

 子どもにとっては10年は遠い未来に思われるかもしれませんが、実際10年くらいどういうことはない。それは作者も読者も実感するところであります。10年なんてあっという間。

 成長したコナンが17歳になったとき、蘭ちゃんは27歳。いやいや、恋人としてなんてことはない年齢差でしょ。これくらいの年齢差の夫婦はざら。ましてコナンくんの精神年齢はずっと上だし。

 新一の両親にとっても10年たてば、10歳若くなった息子が現れたって、どういうことはない。そういうものです。

 というわけで長期連載になればなるほど、コナンくんが10歳若い、というのはハンデでも何でもなくなることがあきらかになっていくわけです。

 このバカないいがかりに反論するには、コナンは7歳になったまま成長しないのだ、という設定があればOKなのですが、それを証明するにはコナンの仲間たちが8歳、9歳と成長してコナンとの成長の差を見せなきゃならない。

 しかしこれまで20年近いお話の展開を通じて、それはできないことが明らかになってます。コナンとその仲間は小学一年生を永遠にくり返す定め。

 作品にとっても作中人物にとっても、そろそろ収束に向かった方が幸せだと思うのですが。

名探偵コナン (Volume1) (少年サンデーコミックス) 名探偵コナン 77 (少年サンデーコミックス)

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September 22, 2012

戦中にできた医学専門学校に対するウチの親父の意見

 前回の記事に関連して。年寄りの感想を聞いてみました。

 わたしの父は戦中に地方の「商業学校」(戦後には「商業高校」になります)を卒業したあと、上京してそれより上の学校を複数受験したらしいのですが、すべて不合格。だもんでしかたなく父親(わたしのじいちゃんですな)の商売を継いだひとです。

 戦中とはいえ、商業学校ですから当然、英語の授業はありました。というか、海外と貿易・取引するのには英語は必須でしょ。現在なら英文メールの書式を勉強するみたいに、商業英語という授業があったそうです。

 でもそんな商業学校卒の学力では、旧制中学卒にはまったくかなわなくて、のちのちまでいろいろとくやしく思ってたらしい。

 親父が商業高校を卒業したのと同時に、地元に医学専門学校ができたそうです。前回の記事に書いたように軍医促成のための学校ですね。

 ところがそこに商業学校卒の親父の同級生、しかも自分よりデキが悪かった連中がけっこう合格しちゃったものだから、親父、怒ってました。なぜ商業学校卒なのに、医専に行くか。

 あれは徴兵のがれじゃー。親父は自分も戦争行ってないくせにそういうことを言ってました。

 いやいやいや、医師になっても軍医として徴用されてたでしょう。前線には出なくてもよかったかもしれませんが。実際にわたしの妻の祖父は、30代なかばの開業医だったのに軍医として応召し戦死してます。

 もひとつ、親父が腹たててたのは、自分が業者として医学専門学校と取引してたから。

 親父は小さな製材所の二代目で、戦時中に新設なった医学専門学校に黒板などを納入してました。当時そこの小役人から、はっきりと「ソデノシタ」を要求されていたそうです。

 というわけでウチの親父は医専に言いたいことがいっぱいあった、という伝聞のお話。

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September 21, 2012

手塚治虫は大卒か?

 NHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」って「ゲゲゲの女房」や「カーネーション」と比べてもぜんぜんデキが良くないと思うのですが、なぜかふと見てしまうのが不思議ですねー。真剣に見る必要がない、というのが朝にいいのかな。

 それはともかく「梅ちゃん先生」を見てると戦後すぐの医療制度がどうだったかの参考にはなります。梅ちゃんって手塚治虫とほぼ同い年なんですよね。

 本日のネタは重箱の隅でもうしわけない、手塚治虫の学歴は、大卒なのかどうかというお話。

 手塚治虫は第二次大戦中の1945年(昭和20)、大阪大学附属医学専門部に入学、五年制のところを一年留年して1951年卒業。大阪大学医学部付属病院で一年間インターン。1952年第12回医師国家試験(これは梅ちゃん先生と同期)に合格して、満を持して上京。フルタイムのマンガ家生活に入ります。

 手塚先生、卒業前の学生時代に『ジャングル大帝』の連載開始してるし、『アトム大使』だって卒業とほぼ同時の連載開始ですからね。そりゃ留年もするよなー。

 さて手塚治虫の入学した医学専門部、これはかなり特殊な事情でつくられた教育機関でした。

 現在、医師になるには大学医学部、あるいは医大を卒業することが必須。つまり全員が「大卒」です。しかし看護師さんはまた違ってて、「看護大学」「看護短大」「看護専門学校」など、複数の道があるのですね。

 これと同様に、戦前の日本では医師になるのに複数の道がありました。

 明治以来の日本の医学教育は、病院に附属する医学教場、医学校などを経てしだいに整備されていきます。明治36年の「専門学校令」によって、医師になるには帝国大学医科大学あるいは官立私立の医学専門学校を卒業することが求められるようになります。つまり医大か医専のどちらか、という二本立て制度ですね。

 ただしここでいう「専門学校」は現在とはまったく別のものなんでご注意を。

 さらに大正7年「大学令」が公布され、歴史の長い医学専門学校の多くが医大、あるいは大学医学部に昇格していきます。

 戦時下になりますと、医療をめぐる環境が激変します。昭和12年の日中戦争勃発以来、軍医として応召する医師は増加してゆき、国内の医療に支障をきたすことが予測されていました。実際に日本国内の医師数は、昭和16年の6万7千人から昭和19年には1万1千人まで減少しているのですから、これはとんでもない数字。戦争末期には50歳代の医師まで軍医としてかり出されていました。

 昭和14年に陸軍・海軍・厚生省の三省は、帝大や官立医大に「臨時附属医学専門部」の設置を要請します。国内医療のこともありましたが、なんせ軍医が足りなかった。

 急な話で予算もなし、専従の教授もなし(教官は大学医学部と兼任するのですな)。大学からは反対も多かったそうですが、これが通ってしまうのが戦時下というもの。

 結局、昭和14年5月に七つの帝大と六つの官立医大に「臨時附属医学専門部」ができました(「臨時」の名称はのちにはずされます)。「大阪大学附属医学専門部」はこのときできたものです。

 同様の趣旨で昭和17年以降終戦の直前にかけて、新しい医学専門学校が、どちゃっと26校(多すぎ!)もつくられています。そうとうにムチャしてますが、この時期につくられた医学専門学校は、どこも第一回の卒業生を送り出す前に戦争が終わってしまいました。なにやってんだか。

 手塚が入学した「大阪大学附属医学専門部」はこういう時代背景があってつくられたわけです。ならばこの大阪大学附属「医学専門部」は「大学」かといいますと、残念ながらこれが違うのですね。

 戦前の「大学」はあくまで大正7年の「大学令」に規定されているもので、入学資格として旧制高等学校、あるいは大学予科(現在の大学教養部に相当する学校)を卒業していることが求められます。

 これに対して「専門学校」は、「旧制中学」あるいは「商業学校」や「女学校」みたいなところを卒業していても受験できました。「大学」と「専門学校」は、もともと入学するための資格が異なるものなのです。これが現代と大きく違うところ。

 手塚治虫は1945年に「旧制北野中学」を卒業しました。この時点では、手塚は大学を受験する資格がありません。彼が受験できるのは、旧制高校か大学予科、になります。

 手塚治虫は旧制中学卒で「大阪大学附属医学専門部」に入学しました。つまり「大阪大学附属医学専門部」は「大学」じゃなくて「専門学校」に相当するところだったのですね。

 手塚が入学してすぐに終戦。

 手塚治虫は「大学」に通って「大学教授」の教えを受けていましたが、「大学生」であったわけではない、という複雑な状況が続きます。大阪大学での教育ですからカリキュラムもしっかりしてたでしょうが、でもやっぱり「大阪大学医学部」とは違うもの。

 戦争中の医専は四年制でしたが、昭和22年に五年制に変更されます。同時に医学専門学校の多くは医大に昇格することが決定されましたが、手塚治虫が通ってた「大阪大学附属医学専門部」は廃止が決まります。

 昭和26年、一年留年した手塚治虫の卒業と同時に医学専門部は廃止。この年に卒業できなければ退学するしかなかったのですから、手塚先生、あぶなかった。

 大学に通い、大学レベルの教育を受け、医師となり、のちに医学博士となった手塚治虫ですが、「大卒」かどうかというとこれが微妙なところなのです。

 手塚治虫は若いときから年齢を二歳上にごまかしていました。さらにこの「医学専門部」卒というのをあまりはっきり語らなかった(そこを書いているエッセイもあるのですが、年齢については生涯ごまかしてました)。二重のウソのおかげで手塚が自称する経歴はじつに変なものになっていました(→わたしの過去記事「手塚治虫と学歴」もどうぞ)。

 現代の「大卒」とはまったく価値が違う時代のお話ではありますし、大卒であろうがなかろうが、天才・手塚治虫の価値はなんら変わらない。でも本人はけっこう気にしてたみたいで、そこが人間っておもしろい、などと思うわけです。

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September 18, 2012

その顔を見よ『レオン・ラ・カム』

 ニコラ・ド・クレシーの邦訳も長編作品としては四作目。

●ニコラ・ド・クレシー/シルヴァン・ショメ『レオン・ラ・カム』(原正人訳、2012年エンターブレイン、3000円+税、amazon

レオン・ラ・カム

 出版社からご恵投いただきました。ありがとうございます。

 今回は原作つき。シナリオ担当のシルヴァン・ショメはアニメーション作家。本作でルネ・ゴシニ賞を受賞してます。

 ルネ・ゴシニ賞はアングレーム国際映画祭で若いシナリオ作家に対して与えられる賞。名を冠されてるルネ・ゴシニは『ラッキー・ルーク』や『アステリックス』のシナリオで有名なひとで、日本でいうなら「梶原一騎賞」みたいな感じなのかな。

 パリの化粧品会社、フランスを代表するような大企業なのですが一族経営の弊害か、営業成績は悪化しつつあります。そこへ創業者であるレオンおじいちゃんが99歳にして世界放浪から帰ってきます。ところがこのおじいちゃんがただものではない。なんつっても「レオン・ラ・カム」とは彼の異名で、「麻薬のレオン」という意味なのですから。

 一族のなかで役立たずと見なされているジェジェ(腹をこわしてばかりで仕事ができない30歳童貞)は豪快かつむちゃくちゃなレオンおじいちゃんに引っ張り回され、仕事でも私生活でもたいへんなことに……!?

 とまあ痛快コメディ?ふうにストーリーを紹介してみましたが、じつはそんなにお気楽なものじゃなくて皮肉と悪趣味に満ちた展開が待ってるのですね。

 そしてド・クレシーの絵が作品をさらに複雑にします。あいかわらずド・クレシーは超絶的にうまい絵を描いていて、本作ではとくに人物描写が見もの。

 登場人物はじつに多く多彩ですが、どのキャラクターもみんな細かく描きわけられ、深いイイ顔してるんだ。しかもどう考えても悪意を持って描かれてるね、これは。キャラクターの顔を見てるだけで堪能できる作品ってのはそうそうないですよ。

 物語は悲劇的かつ喜劇的な地点に着地しますが、唯一の救いがラストに待っています。

 他のド・クレシー作品と同様に、本作も日本的エンタメからもっとも遠いところに存在するような作品です。そういうタイプの作品がこれだけ紹介されるってことは、日本人読者の許容範囲が広がったと考えるべきなのか。

 もしかすると日本でBDを好んで読んでる層はマンガ読者よりも、マンガも読む海外文学好き、みたいなひとが多いのかもしれません。

 きれいに終了したと思える本作なのですが、なんと完結編となるべき第二巻が存在してて、そっちはアングレームの最優秀賞を受賞してるそうです。これはもう邦訳してもらうしかないでしょう。本書がきちんと売れてほしいと願う次第です。

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September 10, 2012

吉川ロカシリーズリメイク

 夏休み以来だらだらしていたのでリハビリ的に。

 朝日新聞連載マンガ、いしいひさいち『ののちゃん』の中で展開されていた吉川ロカシリーズ。本年の春に大団円をむかえたわけですが、作者のサイト「(笑)いしい商店」でこっそりとリメイク連載されてます。

 現在四回目まで。

HP120726N031
HP120726R032
HP0823N041
HP0823N042

 なるほどー。「コインブロッカ」のグループ名は「コインブラ」からきてたのかー。ポルトガルの地名にして曲名です。こんな歌ね。

 ちなみにバイヨンのリズムというのは、氷川きよしの「虹色のバイヨン」なんてのもありますが、こういう感じのリズムですね。

 いまのところ他の作品に混じって、ひと月に二本の掲載ペース。のんびりと楽しみに待ちましょう。

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