東西世界マンガ史を書く試み『まんが史の基礎問題』
「日本の」じゃなくて「欧米のマンガ史」について知りたい、というひとがいたとしましょう。彼あるいは彼女は、なにか教科書になるようないい本はないか、とネットや図書館で検索してみるのですが、見つからない。
それも当然。現代日本には、欧米の、あるいは世界のマンガ史を通史として学べるような本は、存在しないのですね。
というか、かつて日本人によって書かれたこの手の本は、唯一、須山計一『漫画博物誌 世界篇』(1972年番町書房)があるだけ。訳本としてもジェラール・ブランシャール『劇画の歴史』(窪田般彌訳、1974年河出書房新社)、ただ一冊しか存在しません。
前者は「マンガ」のとらえ方が古くて、当時すでに欧米では研究が進んでいたロドルフ・テプフェールや『イエロー・キッド』、『リトル・ニモ』も完全無視、という本。こういうのが出版されてたんだという歴史的価値は別として現代読者にはおすすめしづらい。後者はそのあたりにきちんと目配りされてるすごくいい本なのですが、なんせ訳がひどくて日本語として理解するのがそうとうに難しい、という困った本です。
というわけで欧米のマンガ史を知りたいひとは、直接洋書にあたるか、「風刺画」などについて書かれた和書を読んでみるしかなかったのですね。
という状況であるところに、和書としてはすごく久しぶりの世界マンガ史に関する本が登場。
●佐々木果『まんが史の基礎問題 ホガース、テプフェールから手塚治虫へ』(2012年オフィスヘリア、1800円+税、amazon)
著者からご恵投いただきました。いつもありがとうございます。
書影まっくろやん、と思われるかもしれませんが、アマゾンの当該ページで書影を拡大してみてください。ここにはテプフェール『ヴィユ・ボワ氏』に登場する有名な、「失恋して首をつったが果たせず、恋人を追いかける主人公の首にかかったロープに引っ張られる梁(はり)」が描かれています。
この絵は、そのコマ単独では何が描かれているのかわからないが前後のコマとの関係性で理解できるようになる、という象徴的なコマで、マンガとは何か、という根源的な問いに対するひとつの解答みたいなもの。こういう表現こそテプフェールが近代マンガを確立した、と言われる理由なのですね。
アマゾンではもうすぐ販売開始になるようですが、本書は先日の夏コミで頒布されたものです。A4判で図版が多いけど100ページちょっと。ところが内容が濃い。
一部は図版を含めてネット上でも読めます。
わたしの理解してる欧米マンガ史の基本について書いておきますと、まず「前マンガ」の連作版画として18世紀半ばイギリスのウィリアム・ホガースがいると。それに続いてイギリスでは風刺画の流行があり、ジェイムズ・ギルレイやトマス・ローランドソンが人気を得ます。
風刺を目的としたマンガは19世紀フランスのオノレ・ドーミエによって花開きます。いっぽうコマが連続するマンガはスイスのロドルフ・テプフェールによって「近代マンガ」として完成される。
こののち諸作品、諸作家を経て19世紀末、アメリカの新聞に掲載されたR・F・アウトコールト『イエロー・キッド』が商業的に成功し、作品としてもウィンザー・マッケイ『リトル・ニモ』のようなエヴァーグリーンな傑作が登場し始めます。そして20世紀はマンガの時代になる。
本書ではまず「連続したコマによるマンガ」の祖であるふたり、ウィリアム・ホガースとロドルフ・テプフェールの作品が紹介されます。テプフェールの日本への紹介はまだまだ始まったばかりですし、ウィリアム・ホガースの作品をコママンガとしてとらえる考えかたは、日本ではまだまだめずらしい。これだけでも価値あることです。
ところがここから先がじつにおもしろい。ホガースの作品「キャラクターとカリカチュア」を取り上げて、それぞれに歴史的変遷を経てきた言葉、「キャラクター」と「カリカチュア」について解説されます。
虚構内の登場人物(キャラクター)が外面的特徴(キャラクター)によって内面的性格(キャラクター)を表象してて、とくにマンガにおいてはカリカチュアによる線の単純化と観相学がここにからんでくるわけですな。このあたりわくわくしますね。
そして、細かく描き込まれたホガース作品を「視覚的」、簡単な絵で多くのコマを費やして描かれたテプフェール作品を「触覚的」と呼んで対比させる。これは大長編マンガを短時間でさらっと読ませてしまう日本マンガ、そして読んでしまう現代日本人読者の視線から見た分類です。
テプフェール系の長編マンガは欧米では一時すたってしまいますが、20世紀日本で手塚治虫の赤本マンガ(あるいはその先駆となる戦前作品)として復活したのじゃないか、という指摘。そうきたか。これは現代日本人がBDやアメコミを読みにくいと感じることにも通じる話。テプフェール作品のあの読みやすさは、わたしが日本人だったからなのか!?
ホガースやテプフェール以外にも多くのひとや作品が紹介されていますし、日本の下山凹天や岡本一平、さらにアニメにまで言及されてて、ああ、ページが少なすぎるっ。
刺激的で楽しい本でした。いつか書かれるであろう、洋の東西をこえた世界マンガ史。その完成へ向かう第一歩であると信じたいですね。
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Comments
あぁ、其れを1970年代後半の『ぱふ』に期待した自分はやはりバカだった…。
19世紀以前だったか世界マンガ史に於けるイギリス・フランスのマンガ大国としての存在性については気付いて来はじめて居たのですが、そんな著作が現れるのは今なんですね。
30年以上無駄に過ごしたよ…でも此れから期待ですね。
Posted by: うっでぃ/woody-aware | August 26, 2012 11:07 AM
いやいやいや日本マンガを視野に入れた世界マンガ史は日本人しか書けないですし、それが書けそうな日本人は数人しか思い浮かびません。ほんとなら若いかたに書いてもらいたいところですが、ここは早い者勝ちで!
Posted by: 漫棚通信 | August 25, 2012 10:13 PM
いつもこちらのサイトにいろいろ刺激を受けてます。
今回の本は、本当は「手塚治虫まで」という副題にしたかったのですが、そこまでやるには最低でもあと数年かかりそうなので、ちょっと逃げたタイトルにして、ここでいったんまとめてみました。「世界マンガ史」は……後の世代に託したいと思います(笑)。
Posted by: 佐々木果 | August 24, 2012 02:37 PM