« July 2012 | Main | September 2012 »

August 23, 2012

東西世界マンガ史を書く試み『まんが史の基礎問題』

 「日本の」じゃなくて「欧米のマンガ史」について知りたい、というひとがいたとしましょう。彼あるいは彼女は、なにか教科書になるようないい本はないか、とネットや図書館で検索してみるのですが、見つからない。

 それも当然。現代日本には、欧米の、あるいは世界のマンガ史を通史として学べるような本は、存在しないのですね。

 というか、かつて日本人によって書かれたこの手の本は、唯一、須山計一『漫画博物誌 世界篇』(1972年番町書房)があるだけ。訳本としてもジェラール・ブランシャール『劇画の歴史』(窪田般彌訳、1974年河出書房新社)、ただ一冊しか存在しません。

 前者は「マンガ」のとらえ方が古くて、当時すでに欧米では研究が進んでいたロドルフ・テプフェールや『イエロー・キッド』、『リトル・ニモ』も完全無視、という本。こういうのが出版されてたんだという歴史的価値は別として現代読者にはおすすめしづらい。後者はそのあたりにきちんと目配りされてるすごくいい本なのですが、なんせ訳がひどくて日本語として理解するのがそうとうに難しい、という困った本です。

 というわけで欧米のマンガ史を知りたいひとは、直接洋書にあたるか、「風刺画」などについて書かれた和書を読んでみるしかなかったのですね。

 という状況であるところに、和書としてはすごく久しぶりの世界マンガ史に関する本が登場。

●佐々木果『まんが史の基礎問題 ホガース、テプフェールから手塚治虫へ』(2012年オフィスヘリア、1800円+税、amazon

まんが史の基礎問題 ―ホガース、テプフェールから手塚治虫へ

 著者からご恵投いただきました。いつもありがとうございます。

 書影まっくろやん、と思われるかもしれませんが、アマゾンの当該ページで書影を拡大してみてください。ここにはテプフェール『ヴィユ・ボワ氏』に登場する有名な、「失恋して首をつったが果たせず、恋人を追いかける主人公の首にかかったロープに引っ張られる梁(はり)」が描かれています。

 この絵は、そのコマ単独では何が描かれているのかわからないが前後のコマとの関係性で理解できるようになる、という象徴的なコマで、マンガとは何か、という根源的な問いに対するひとつの解答みたいなもの。こういう表現こそテプフェールが近代マンガを確立した、と言われる理由なのですね。

 アマゾンではもうすぐ販売開始になるようですが、本書は先日の夏コミで頒布されたものです。A4判で図版が多いけど100ページちょっと。ところが内容が濃い。

 一部は図版を含めてネット上でも読めます。

まんがをめぐる問題


 わたしの理解してる欧米マンガ史の基本について書いておきますと、まず「前マンガ」の連作版画として18世紀半ばイギリスのウィリアム・ホガースがいると。それに続いてイギリスでは風刺画の流行があり、ジェイムズ・ギルレイやトマス・ローランドソンが人気を得ます。

 風刺を目的としたマンガは19世紀フランスのオノレ・ドーミエによって花開きます。いっぽうコマが連続するマンガはスイスのロドルフ・テプフェールによって「近代マンガ」として完成される。

 こののち諸作品、諸作家を経て19世紀末、アメリカの新聞に掲載されたR・F・アウトコールト『イエロー・キッド』が商業的に成功し、作品としてもウィンザー・マッケイ『リトル・ニモ』のようなエヴァーグリーンな傑作が登場し始めます。そして20世紀はマンガの時代になる。

 本書ではまず「連続したコマによるマンガ」の祖であるふたり、ウィリアム・ホガースとロドルフ・テプフェールの作品が紹介されます。テプフェールの日本への紹介はまだまだ始まったばかりですし、ウィリアム・ホガースの作品をコママンガとしてとらえる考えかたは、日本ではまだまだめずらしい。これだけでも価値あることです。

 ところがここから先がじつにおもしろい。ホガースの作品「キャラクターとカリカチュア」を取り上げて、それぞれに歴史的変遷を経てきた言葉、「キャラクター」と「カリカチュア」について解説されます。

 虚構内の登場人物(キャラクター)が外面的特徴(キャラクター)によって内面的性格(キャラクター)を表象してて、とくにマンガにおいてはカリカチュアによる線の単純化と観相学がここにからんでくるわけですな。このあたりわくわくしますね。

 そして、細かく描き込まれたホガース作品を「視覚的」、簡単な絵で多くのコマを費やして描かれたテプフェール作品を「触覚的」と呼んで対比させる。これは大長編マンガを短時間でさらっと読ませてしまう日本マンガ、そして読んでしまう現代日本人読者の視線から見た分類です。

 テプフェール系の長編マンガは欧米では一時すたってしまいますが、20世紀日本で手塚治虫の赤本マンガ(あるいはその先駆となる戦前作品)として復活したのじゃないか、という指摘。そうきたか。これは現代日本人がBDやアメコミを読みにくいと感じることにも通じる話。テプフェール作品のあの読みやすさは、わたしが日本人だったからなのか!?

 ホガースやテプフェール以外にも多くのひとや作品が紹介されていますし、日本の下山凹天や岡本一平、さらにアニメにまで言及されてて、ああ、ページが少なすぎるっ。

 刺激的で楽しい本でした。いつか書かれるであろう、洋の東西をこえた世界マンガ史。その完成へ向かう第一歩であると信じたいですね。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

August 16, 2012

九周年

 以前は自分の年齢がわからないヤツなんて…… とか思ってたこともあったのですが、じつはわたしここ数年、自分の年齢がぱっと出てきません。えーと今年は西暦○○年だからー、とか暗算してます。

 ひーふーみーと指を折って数えてみますと、わたしがネット上で漫棚通信と名のりだして本日で九周年となりました。ここまでほそぼそながら継続してこられたのも、コメントを書き込んでくれたみなさま、ふらりと立ち寄ってくれたみなさまのおかげです。本当にありがとうございます。

 最近は「ブログ」という形式そのものが少し時代遅れになっちゃって、「ブログ始めました」とか書いてあると今ごろ感がただようようになりました。

 でもねー、わたしがネット始めたころ、ネットでのマンガ感想は「おもしろかったー」のひとことだけばっかりだったのですよ。自分がマンガに関する文章をネットで書き始めたのは、この状況なら自分の文章も読んでもらえるかも、と考えたことも一因です。

 ブログの時代を迎えてマンガ感想、あるいはマンガ紹介の表現は変化したと思います。マンガのコマそのものを画面上に表示して、それにあらすじ、感想、評論を加える形式。こんなのはそれまでに存在しなかった。

 批評される対象と批評文が同一の平面上に存在しながら論旨とともに両方がどんどん進行していく。これは文章を書く側にとっては禁断の果実。書籍上のそれとは違う形式を開発して、批評にとってはベストの方式。ネット上のブログはマンガ評論に新しい手法を切り開いたと思います。

 しかしこの手法の最大の問題は著作権。「批評」における「引用」は法律上許されるとはいいながら、おまはんのやっとるそれは、ほんまに「批評」なのかい?

 ネットにおけるマンガ紹介と批評の関係は、それをしている当事者にとっても悩ましい問題です。ネットで文章を書いてるひとたちはみんな同様の悩みをかかえてるはず。

 自分の書いてる文章が「批評」でないのなら、明らかに著作権侵害です。しかし批評と信じられるならそれは正当な行為。先例も判例もないなかで、わたしを含めてみなさんいろいろと大変なんですよー。

 さて漫棚通信の今後ですが、ブログの更新回数が減っております。かつてはほぼ毎日あるいは隔日に更新していたことを考えると、これどやねん、ということになるのですが、最近は、のんびり続けることにも意義があるのかなーといいわけめいたことを思いながら。今後ともよろしくお願いします。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

August 14, 2012

メビウスのふたつの顔「ユーロマンガ7号」「ブルーベリー」

 ここ数年のBD邦訳ブームを牽引した雑誌「ユーロマンガ」が帰ってきました。一年ぶりの第7号はメビウス追悼号。

●「EUROMANGA」7号(2012年、1800円+税、amazon

ユーロマンガ vol.7

 出版社からご恵投いただきました。いつもありがとうございます。

 「ユーロマンガ」がBDを定期的に紹介してくれたおかげで、日本の読者は世界は広くマンガも広いことに気づかされたわけです。ほんとにもうありがたやありがたや。本号は先日亡くなったメビウスの特集。

 この号ではメビウスがホドロフスキーと組んだ最初の作品「猫の目」が読めます。メビウスの描くネコはぜんぜんリアルじゃなくって、さらにこの作品世界全体がゆがんでいてすごく奇妙な作品。メビウスらしいといえばそうかもしんない。

 「ユーロマンガ」7号では日本人作家たち(宮崎駿・大友克洋・荒木飛呂彦・浦沢直樹・小池桂一・小林治・寺田克也・内藤泰弘・藤原カムイ・村田蓮爾・りんたろう)へのメビウス追悼インタビューもあり、新作としては「ル・グラン・デューク」のコンビ、ロマン・ユゴー/ヤンの第一次大戦を舞台にした航空機マンガ「エーデルワイスのパイロット」がいい味出してて、いつも以上に楽しめる一冊でした。

     ◆

 で、日本ではSF系の作品ばかりが取り上げられるメビウスですが、じつはもうひとつの顔があります。メビウスはBDの伝統的な作品系列である西部劇も描くひとであったのですね。

●ジャン・ジロー=メビウス/ジャン=ミッシェル・シャルリエ『ブルーベリー:黄金の銃弾と亡霊』(原正人訳、2012年エンターブレイン、2800円+税、amazon

ブルーベリー [黄金の銃弾と亡霊]

 こちらも出版社からご恵投いただきました。ありがとうございます。

 まずなぜヨーロッパで西部劇なのか。映画というものが発明された黎明期から西部劇は存在しました。日本にも戦前から多くの西部劇映画が輸入されていましたが、ブームになったのは戦後のことです。絵物語やマンガでも、山川惣治『荒野の少年』(1952年)、小松崎茂『大平原児』(1950年)、手塚治虫『拳銃天使』(1948年)『サボテン君』(1951年)などが有名。

 日本での西部劇の流行はGHQによるチャンバラ禁止の影響もあったといわれています。でもこれはどうかなあ。戦後の西部劇ブームは世界的なものだったのですよ。きっかけとなったのはもちろんハリウッド映画。続いて大量の西部劇TVドラマが世界中に輸出されてゆきます。

 アメコミで西部劇の黄金時代(アメリカ人は何でも「黄金時代」と名づけるのが好きやね)は1948年から1960年にかけてだそうです。

 フランスのしゃれた西部劇マンガ「ラッキー・ルーク」が始まったのが1946年。なんと今も新作が出版され続けています。イタリアの有名西部劇マンガ「テックス」が始まったのが1948年。

 というわけで戦後、アメリカ以外の日本やヨーロッパでも西部劇は人気となり、各国で西部劇マンガが登場し始めたのです。

 「ブルーベリー」シリーズは1965年から2005年にかけて全28巻が描かれました。作画はメビウスの別名ジャン・ジロー、シナリオはジャン=ミシェル・シャルリエ。そのうち本書に収録されたのは11巻「彷徨えるドイツ人の金鉱」12巻「黄金の銃弾と亡霊」(1972年)と23巻「アリゾナ・ラヴ」(1990年)の計三巻。

 「彷徨えるドイツ人の金鉱」と「黄金の銃弾と亡霊」は続きものでこれでひとつのお話。このころのメビウスの線は整理されてなくて、しつこく描き込まれてる。後年の作品よりずいぶんと荒々しいので、メビウスのSF作品しかしらないひとはきっと驚くでしょう。

 「アリゾナ・ラヴ」の時代、メビウスの画風はすでに円熟の域に達してます。省略を知り画面には空白が多くなります。ただしSF作品のときとは「線」自体がちがってて、ブルーベリーではペンだけじゃなくて筆も多用してたようです。

 本書では各時代のメビウスの絵が堪能できるのですね。

 ストーリーは正義とは別次元で生きる悪漢どうしが暴力に満ちた争いをするタイプのもの。映画のマカロニ・ウェスタンが得意としたパターンを踏襲してます。主人公のブルーベリー自身がすでに善人とはいいがたい。正義のひとではありますが、欲のひとでもあります。

 「黄金の銃弾と亡霊」は、西部の金鉱脈の争奪戦。「アリゾナ・ラヴ」は男と女が化かし合いをするコメディみたいな作品で、わたしこれ好きだなあ。

 残念なのは判型の小ささ。といっても邦訳はB5判なんですが、原著はBDアルバムの標準的な大きさ、福音館書店版タンタンの大きさですからね。わたしフランス語版のブルーベリーも数冊持ってますが、邦訳の判型では絵の魅力が二割減、くらいになっちゃてます。惜しい。

 あと夏目先生も書かれてますが、小さな文字で書かれたセリフは老眼にはそうとうにつらいっす。

 とはいえ、邦訳されることはありえないと思われてた「ブルーベリー」の出版を、ここは素直に喜びたいです。エンターブレイン、えらいっ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 08, 2012

イタリアーンなマンガ:悪魔女王ルチフェラ

 1960年代から1970年代にかけてのイタリアのエロマンガには、「女も男もオッケーなターザン」とか、「セックスを武器として闘うナチ特殊部隊に入隊した女性の冒険」とか、いろんな作品がそろっていて、いやもうあれもこれも読んでみたくなるわけですが、こういうのはネット上で紹介はされていてもマンガの現物にはなかなかお目にかかれません。イタリアやフランスの eBay (ヤフーオークションみたいな大手サイト)には古書として出品されてはいますが、さすがに日本から参加するのはちょっとねー。

 しかし先日、海外の iTunes store をさまよっておりましたら(日本では入手困難な海外マンガをいっぱい売ってるのですよ)、なんとごく最近になって、イタリアのエロティックマンガが電子書籍として販売され始めたのを知りました。いやー、そういう時代になったか。

 アメリカやイタリア、フランスなどで同じものが販売されてますが、リンク先はアメリカの iTunes store です。

「女吸血鬼ジャキュラ」1巻
「悪魔女王ルチフェラ」1巻
「悪魔女王ルチフェラ」2巻
「悪魔女王ルチフェラ」3巻

 これらはすべてフランス語版。あと「ルチフェラ」1巻をカラリングしたイタリア語版も発売されてます。

 ただしカラーのイタリア語版は乳首をすべて修正してあって、ダメダメですな。

006_new_new 005_new

 アップルはエロにきびしいそうですが、どういう基準なんだろ。

 日本在住のカスタマーは日本の iTunes store しか利用できないことになっていて、これらの作品を入手するにはいろいろと裏技が必要なのですが、そこをなんとかクリアして iPad の iBooks から購入して読んでみました。

 「ジャキュラ」についてはすでにご紹介しましたので、本日は「ルチフェラ」について。

 「悪魔女王ルチフェラ Lucifera 」はイタリアエロマンガを代表する作品のひとつ。イタリアではレンツォ・バルビエリとジョルジオ・カヴェドンの出版社から、1971年から1980年にかけて全170巻が刊行されました。

 ほんとは「女王」じゃなくて悪魔の眷属なんですが、「魔女」でもないし、名前がルシフェルの女性形なんで「悪魔女王」と名づけておきますね。

 初期に絵を描いてるのはイタリアエロマンガ界の巨匠、レオーネ・フローロ。というかフローロはこの「ルチフェラ」を描いて以降、エロの巨匠になりました。

 フローロは「ルチフェラ」の1号から15号までを担当したあと、バルビエリが独立してつくった出版社に移籍して「白雪姫ビアンカネーヴェ」を描き、さらに人気を得ることになります。

 それでは「ルチフェラ」のストーリーをご紹介。最初はファウストで始まります。

 舞台は中世ヨーロッパ。老境にいたり人生に絶望したファウスト博士は、荒野に住む魔女を訪ねます。魔女は魔王サタンを呼び出し、ファウストはサタンと契約して自分の魂とひきかえに若い肉体を手に入れます。

 サタンは地獄に戻り、愛妾であるルチフェラに命じます。ファウストに最高の快楽を与えるように。ファウストが人生に満足すると、彼の魂は地獄に落ちるのです。

 人間界に向かったルチフェラは若返ったファウスト博士の家に雇われ、彼を誘惑する。

009_new

 ある日ファウストは美しい娘、マルゲリータに恋してしまいます。ところが人間界に現れたサタンが、悪魔の力を使いマルゲリータを陵辱してしまう。

 そこに登場するのが七人のこびと。サタンの目を盗んでマルゲリータを救い出します。マルゲリータは感謝のしるしに七人のこびとと集団エッチ(どういう展開やねん)。

008_new

 怒ったサタンは七人のこびとを皆殺しにして、マルゲリータを地底に住む一つ目の怪物、サイクロップスに与えてしまいます。

011_new

 セックスに疲れて眠り込んだサイクロップスの目をつぶして逃げ出すマルゲリータ。ファウストと再会したとき、彼女は妊娠していました。一時は絶望したファウストですが、彼女の出産に協力します。

 しかし、彼女の生んだ美しい赤ん坊の額には、二本の角が生えていたのです……!?

 とまあ「ローズマリーの赤ちゃん」的なお話になって、ゲーテのファウストとはどんどんずれていきます。

 この間にルチフェラが何をしてるかというと、ファウストとエッチしたり、サタンの命令で女妖精とエッチした上に殺したり、マルゲリータを救いに地底に向かったファウストの邪魔をしたり助けたり、といろいろと暗躍するわけです。

007_new

012_new

010_new

 こういう古典的作品が iPad で手軽に読めるのはじつにけっこうなことですな。170巻は無理でも、もうちょっと続きを出してくれないかな。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« July 2012 | Main | September 2012 »