奇妙な動物たち『サルヴァトール』
動物の擬人化という手法があります。
これにもいろんなレベルがあって、「人間の住む家の中でトムとジェリーがおっかけっこをする」のなら、彼らは「ヒトではない」ことは明らかなのですが、「トムとジェリーが海で釣りをする」「トムが自動車を運転してデートに出かける」あたりになりますと、すでに彼らの正体が何なのかわからなくなってきます。
これが進行しますと、「ネズミのミッキーマウスが、犬のプルートをペットとして飼う」という、考えてはいけないレベルにいたります。
動物の擬人化作品は、一般には「人間が存在する世界」と「人間が存在しない世界」に別れるようですね。「とっとこハム太郎」は前者、「ミッキーマウス」は後者で、「トムとジェリー」は前者と後者を行ったり来たりしてる。
日本でもかつて後者に属する『のらくろ』や『カバ大王さま』みたいな有名作品がありましたが、これっていつのまにかすたれてしまいましたね。
「人間が存在しない世界」の動物キャラクターたちは顔や体型はイヌやカバでも、敵国と戦争したり会社に行って働いたりしてるわけで、まあ別に人間キャラクターに置き換えても、お話は成立します。読者の年齢層上昇が続いてきた日本マンガは、動物の擬人化は幼稚な手法であるとしてそれをきらったのでしょう。宮崎駿が「名探偵ホームズ」のアニメ化をイタリアから依頼されたとき、キャラクターが「イヌ」であることに困惑した、というのは有名な話。
現代日本で「人間が存在しない世界」に住むキャラクターといえば、「しまじろう」とか「キティちゃん」ですが、マンガ本流とはちょっとずれたところに生息しています。
ところが海外では、オトナ向けの「擬人化された動物」ものがオルタナ系の有名作品にも存在します。ロバート・クラム『フリッツ・ザ・キャット』、アート・スピーゲルマン『マウス』などです。
これらは「擬人化された動物」=「子供向けマンガ」と思わせておいて、じつは極悪キャラが登場したりアウシュビッツがテーマだったり。たんなる趣向をこえて、新しい表現にチャレンジした作品でもありました。
とまあそういう前提をふまえて、BD。
早川書房から出版されたあと、「ユーロマンガ」にも連載された『ブラックサッド』のシリーズがあります。二本足で歩く「かっこいい」黒猫の探偵が主人公。ストーリーは本格ノワールで、擬人化された動物がかっこよかったりエロかったりする、ということにまず驚きます。
プラクティカルには黒人差別やアラブ人差別をトリやサルに置きかえて表現できるので、それなりに便利であったりするようです。
そして今回発売されたのがこれ。
●ニコラ・ド・クレシー『サルヴァトール』(大西愛子訳、2012年小学館集英社プロダクション、3000円+税、amazon)
『天空のビバンドム』『氷河期』で日本人読者の度肝を抜いたニコラ・ド・クレシーの新作。出版社よりご恵投いただきました。ありがとうございます。
主人公は雪の山頂で自動車修理工場を開いているサルヴァトール(書影中央のキャラ。わかりにくいけどイヌです)。彼は南米に去った恋人(もちろんイヌです)に会うため、巨大自動車を自作していました。彼はペットの人間(!)をお供に、巨大自動車を駆って南米に向かいフランスを発つ。しかしその旅はわたしたち自身の人生のごとく曲がりくねっていた…… というのがメインストーリー。
これに、迷子になった子ブタが金持ちのお嬢様ネコに飼われる話、迷子ブタをその母ブタが探偵とさがす話、母ブタに見捨てられたほかの子ブタたちが悪徳商売に精を出す話、などが同時進行して構成は複雑。性格の悪い登場人物たちによるブラックなコメディ。
絵はあいかわらず超絶的にうまいですが、『ビバンドム』に比べてずいぶん軽く、気楽に読めるのがいいですね。
惜しいのは、残念ながらお話が完結していないところ。本国版でも完結していないのですからどうしようもないのですが、現在進行形の最先端BDを楽しみましょう。エンキ・ビラル『モンスター』だって、かつて完結していない段階で第一巻だけが邦訳されたんだからね。
さて擬人化の話に戻りますと、本書の登場人物はイヌ、ネコ、ブタ、ウシ、サル、トカゲなどなど。
この世界では動物が自動車を運転するし、服を着て酒を飲んでるんだからミッキーマウスやのらくろの世界と同じ、はず。
ところがそのあたりかなり微妙。ブタのお父さんは殺されて料理になっちゃってるし、子ブタは金持ちネコのペットとして飼われてる。スペインに住むウシは自家用車や携帯電話を持ってるのですが、職業は闘牛のウシで仕事中に死んじゃったり。
主人公が迷い込むベラルーシには巨大なレーニン像(もちろん人間)がそそりたっています。この世界は、これまでのマンガ/アニメのお約束から少しずれていて、人間と動物が奇妙な同居をしているのです。
さらに主人公のペットである、ハゲでメガネのこびと。彼は明らかに人間です。コンピュータはあやつれるけど言葉はしゃべれない。主人公は彼をひたすら虐待しますが、愛していないわけではないらしい。
作者はこのこびとを、主人公の良心(ピノキオにおけるジミニー・クリケットですな)と説明していますが、彼らの関係はそうとうにねじくれていてかつ重い。わたしの予測ではこのふたりの関係性こそ物語の着地点になると見た。
いつも思うのですが、ここ数年邦訳されたBDを読むのってほんと新しい体験ですねえ。とくにそういうタイプの作品をセレクションして邦訳してくれてるんでしょうけど。
本書に収録されている仏語版の四巻ぶんは2005年から2010年にかけて出版されました。となると完結はおそらく五年から十年先になるはず。BDとつきあうつもりなら、わたしたちもそれなりに待つ覚悟が必要みたい。
Comments
鎌やんの新世紀鳥獣戯画アニマル・ファームで西形公一=輪尾狐猿、松代守弘=樹懶と知人が擬人化されていました。
Posted by: 赤木颱輔@akakiTYsqe | September 11, 2012 06:15 AM
いつも楽しく拝見させて頂いております。
擬人化動物漫画ですが
「しろくまカフェ」「しばいぬ子さん」と
同時にアニメ化されるなどしてますし、決して現在も傍流ではないと思いますが…
「とっとこハム太郎」「おるすばんエビちゅ」はちょっとニュアンスが違いますかしら。
Posted by: 通りすがりですが | July 13, 2012 09:45 PM
おそらく「動物農場」とは別物ですね。作者が意識してるのはもっと漫画的なものだと思います。
Posted by: 漫棚通信 | July 09, 2012 09:12 PM
検証抜きで書いちまいますが、これら動物擬人化作品にジョージ・オーウェルの「動物農場」の影響ってないでしょうか。
Posted by: かくた | July 09, 2012 12:25 AM
そういえば、この作者の「天空のビバンドム」でも主人公のアザラシが悲惨な目にあっていましたねぇ。
過激な動物漫画というとジョージ秋山の「ラブリン・モンロー」なんてのもありましたね。
それでは、失礼します。
Posted by: 冬寂堂 | July 05, 2012 10:43 PM
私も言いたかった「Cat Shit One」
最初はベトナム戦争時代の新米少尉の仇名「Dog Shit One」として人間で描いたけど、どうにも暗くて陰鬱で筆が進まず、当時ゲンブン氏がペットで飼っていたウサギを主人公にすると、すらすら描けたというエピソードが。
OVAにもなっています。
You Tube で、OVAのデモ画像を見るアメリカの中年婦人を撮影した、というのがありました(ひょっとして、こちらのブログで知ったのかも)。
米国人の「何故米兵がラビット(臆病者の代名詞ですよね)なんだ」というコメントに対して、日本人が
「何故かというと、ラビットは、日本語ではUSAGIと呼ぶからです。つまり、USA・GIなんです」という珍コメントがありました。
納得してくれたのか判りませんが、これは面白かったデス。
Posted by: トロ~ロ | July 04, 2012 06:02 PM
おお小林源文。かわいいヌイグルミ系が戦争するという独特のノリは日本的というか何というかですね。
Posted by: 漫棚通信 | July 04, 2012 08:44 AM
小林源文の「Cat Shit One」はどうでしょう?
初見のとき私はアニメのペンギンズメモリーを思い出しましたが。
Posted by: 完全防水 | July 04, 2012 12:03 AM