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July 25, 2012

イタリアーンなマンガ:イタリアエロマンガの父、レンツォ・バルビエリ

 「イタリアーンなマンガ」シリーズも回を重ねてきましたので、ちょっと一覧を。人名とかタイトルがわからないときは過去記事を参照してみてください。

ミロ・マナラの詩情
マニウスの『金瓶梅』
ヒーローは複雑系『コルト・マルテーゼ』
強烈!マダム・ブルータル
●女吸血鬼がいっぱい(その1)(その2)(その3)(その4
エッチなツインテール

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 さて今回は。

 イタリアのエロマンガの歴史は、ひとりの編集者の手によって切り開かれました。

 レンツォ・バルビエリ Renzo Barbieri がそのひと。書斎でこもるようなタイプじゃなくて、女性にもモッテモテ。プレイボーイとしても有名で、『プレイボーイ入門 Manuale del playboy 』という本を書けば(一晩で書き上げたという伝説あり)これがベストセラーに。じつに興味深い人物です。

 Wikipediaなどを見ると1940年3月ナポリ生まれ、ということになっているのですが、これがすでにあやしい。

 実弟の有名写真家、ジャン・パオロ・バルビエリの生年が1938年といわれてて、これでは弟より年少になっちゃう。レンツォ・バルビエリが亡くなると同時に、あいつは10歳は若くサバ読んでたに違いないという噂が出回ったそうです。

 1936年10月生まれと書いてある資料があって、こっちのほうが信用できそう。女性にモテるために若く自称していたのかしら。このあたり、二歳年長と自称していた手塚治虫と逆ですね。

 バルビエリの父親は第二次大戦後に衣料品の卸売商をしていましたが、バルビエリはこれを嫌います。ミラノには金持ち向けにクルマをチューンナップする自動車工場があって、彼はそこの広報を担当することになりました。そのおかげで彼は、ミラノのそうそうたる有名ナイトクラブに出入りし始めます。

 一方でバルビエリはマンガの脚本、小説、新聞のコラムなどを書き始めていました。このころの彼の師匠といえる人物がふたり。ひとりは「 La Notte 」の新聞記者、ニノ・ヌートリツィオ Nino Nutrizio 、もうひとりはマンガ「小さな保安官 Il Piccolo Sceriffo 」で人気を得ていた出版者兼脚本家のトリスターノ・トレリ Tristano Trelli です。

 「小さな保安官」はこんな感じのマンガ(画像検索→)。

 このトレリさん、なかなか商売上手なかたで、マンガ雑誌の表紙に初めてセミヌードの女性を起用してヒットさせたりしてます。

 これがその雑誌「 Caballero 」(イタリアebayでの検索結果→)です。

 マンガ雑誌っぽくない表紙ですが、まあ現代日本のマンガ雑誌も表紙は若いお姉ちゃんばっかりであることを思えば、時代を先取りしてました。

 1950年代のバルビエリは、作家修行をしながらナイトクラブで明け方まで過ごし、睡眠時間四時間で走り回っていました。そのころのバルビエリの写真がこれ。いっしょに写ってる女性はミス・ローマだそうですよ。

Barbieri01 Barbieri02

 1966年、バルビエリは天啓を受けます。

ある夜のこと、ジェノバのニューススタンドで偶然「 Killing 」という雑誌のフランス版を手にしたんだ。雷に撃たれたような気がしたね。すぐにナイトクラブ「チャーリー・マックス」に行って借金を申し込んだ。

 バルビエリは「66出版 Editrice Sessantesei 」という出版社を設立し「セックス&ホラー」なポケット版マンガ単行本をニューススタンド向けに出版し始めました。

 そのころイタリアでは「ディアボリク Diabolik 」に代表されるような犯罪マンガが流行していましたが、直截のエロを描いたものではありませんでした。バルビエリは「 fumetto nero 黒マンガ」と呼ばれたそれらを、もっと過激に展開しようとしたのです。

 「イザベラ Isabella 」は当時映画が公開されていた「アンジェリク」を参考にしました(フランスの大長編作品で邦訳もされてます。マンガファンには木原敏江バージョンがおなじみ)。もうひとつの「ゴルドレイク Goldrake 」はジェームズ・ボンド 007 を参考に作られました。かくして、イタリア最初のポケット版エロマンガが誕生したのです。

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 翌1967年1月、バルビエリはジョルジオ・カヴェドン Giorgio Cavedon と共に新しい出版社「 Edizioni Erregi 」を設立します。

 カヴェドンは映像畑のひとでジャズ演奏家でもありました。バルビエリもカヴェドンもマンガの脚本を量産し、上記二作の出版を継続しながらその他にも多くのキャラクター作品を送り出します。

 1972年、バルビエリは多くのキャラクターの権利をカヴェドンにゆずり、自身は新しい出版社「 Edifumetto 」を設立しました。バルビエリはここでも大量のエロマンガを制作し、イタリアエロマンガ界の総元締めとして君臨します。Edifumetto は鮫のマークをマスコットとしていて、彼自身も「 Squalo (鮫)」と呼ばれていたそうです。

 バルビエリは作家としての側面も持っていました。「プレイボーイ入門」を出版したのは1967年ですが小説も書いていて、1950年代に書いた作品は別にしても1970年代末から1990年代にかけて多数の小説を出版しています。

 イタリア、スペイン、ドイツでベストセラーになった1980年の「プリンセス La Princera 」には、作品内ヒロインの「下の毛」と称するものが付録についていたそうです(なんじゃそら!)から、さすがというか何というか。

 1975年には、マニウス Magnus のようなビッグネームも Edifumetto に参加し、マンガとしての質も上昇します。このころマニウスが Edifumetto で描いた作品は最近でも入手可能ですが、エロであってもそうとうにゲージツ的なものです。

 Edifumetto はイタリアのセックス革命の一翼を担い、商業的にも成功しました。

 しかし。

 世界的にビデオの時代が到来すると、イタリアの成人向けマンガは次第に衰退し市場を失い、1980年代末にはほぼ壊滅状態となります。しかしバルビエリは出版から手を引くことなくふんばり、Edifumetto は2002年まで活動を続けました。

 2007年没。いやー、なんかすごく豪快なひとだったみたいです。

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●バルビエリの写真はすべてGraziano Origa 『 Vietato ai minori. Vamp e vampire: Jacula, Zora, Sukia e Yra 』(2007年 Rizzoli 社)より。

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July 19, 2012

寺田克也の挿絵に笑った「ガソリン生活」

 日本の新聞小説には毎回挿絵がついてます。新聞小説でも明治期の純文学系には挿絵がなかったものもあるそうですが、それをのぞいてほとんどすべての作品が挿絵つき。

 もちろんこれは日本人にとって江戸の読本のころからの慣習なんでしょう。挿絵つき小説が江戸時代から現代のラノベにいたるまでの伝統かと考えるとちょっとおもしろい。

 現代では紙に刷られた新聞そのものが存続の危機らしいので、新聞小説の未来もどうなるかわからないのですが、毎日毎日、小説を少しずつ、しかも挿絵つきで読むって貴重な体験ですよね。

 のちに単行本にまとめられるときには挿絵のほとんどが収録されることはないのですから、挿絵つきのそれを読むことは、一日一日が一期一会の体験です。

 わたしはかつて、朝日新聞に連載された長嶋有「ねたあとに」を高野文子の挿絵をお目当てに切り抜いて保存してました。のちに単行本化された小説を読んだとしても、また挿絵展を見たとしても、「挿絵つきの小説を読む」体験はそのときだけのもの。あとから追体験できるものではありません。このぜいたく感は新聞小説ならではです。

 さて最近のお楽しみ、朝日新聞に連載されてる伊坂幸太郎「ガソリン生活」の挿絵は寺田克也です。

 お話の語り手が自動車、マツダのデミオというのにちょっとびっくり。緑色の彼(←男かどうか不明ですが)はクルマ仲間からは「緑デミ」と呼ばれています。わが家のクルマも緑色のデミオなので親近感ありまくり。ちなみにわが家では「デミ夫」と呼んでいます(「スネ夫」の発音です)。

 緑デミの持ち主である善良な一家が、有名人の奇妙な自動車事故や極悪な若者の犯罪にまきこまれる、というお話で、登場人物には悪人もいるけど善人が多くていい感じ。これに毎日寺田克也のイラストがついてるのだから眼福。

 都会では夕刊連載だそうですが、田舎では朝刊に掲載されています。で、本日2012年7月18日「ガソリン生活」192回の挿絵に笑った。

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 以下はクルマどうしの会話。

「うちの細見氏はよく、見回りに来てるんだよ。まあ、こういう場所を見つけるのが得意なんだ。たぶん、細見氏なら、初めて出向いた惑星でも、不良のたむろする場所を見つけられるだろうな」
「惑星に不良がいるのか」
「どこにでもいるもんだ」

 というわけで、この挿絵なわけです。

 わはは、星の王子さまが不良化しておる。サン=テグジュペリもびっくり。小説としてはけっこう劇的な展開がある回なのですが、この会話に反応してこういう挿絵を描くか。単行本には絶対収録されないだろうけど、こういうのこそ新聞小説の楽しみですね。

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July 11, 2012

アラビアの言霊『ハビビ』

 アラブ世界を描いたマンガだけどBDじゃなくてアメリカ発のグラフィック・ノヴェル。これがなんというか空前の作品。

●クレイグ・トンプソン『 Habibi 』1・2巻(風間賢二訳、2012年TOブックス、各2800円+税、amazon

Habibi I [日本語版] Habibi II [日本語版]

 「ハビビ」とはアラビア語で「愛する人」という意味だそうです。本書では上巻にこの説明がないので、最初にこの言葉が出てきたときアラビア語になじみのない日本人はちょっと混乱します。

 本書を要約して紹介するのはちょっとむずかしいです。ストーリーは時系列に沿っては語られず、エピソードはコーランの説話と二重写しになり、絵には図像的暗喩が秘められており、さらにアラビア文字や魔方陣が組み込まれた表現。その結果、全体の印象は複雑なものになり、めくるめく、という感想がぴったり。

 ストーリーを追うとこんな感じ。少女ドドラは9歳にして、父親のもとから売られるようにしてある中年男に嫁ぐことになります。彼女の夫となった男はアラビア文字を装飾的に書く書士で、幼い彼女に文字や物語を教えます。

 彼女が12歳になったある夜、盗賊がドドラの夫を殺し、彼女は誘拐されます。盗賊のすみかで自分より9歳年少、3歳の黒人少年ザムと出会った彼女は、ザムを連れて盗賊の元から逃げ出し、砂漠に置き去りになった船で生活することになります。

 この世界は生活汚染物質で満ちています。ドドラは砂漠を行く隊商の男たちに体を売り、ザムは川をせき止めるダムの水を近くの街に売りに行きふたりの生活を支えます。ドドラはザムに物語を語り聞かせ、ふたりは貧しいながらも奇妙に平穏な生活を送っていました。

 ところが。21歳になったドドラはサルタンに捕らえられ後宮に入れられてしまいます。別れ別れになったふたりがいかにして再会するのか、そしてそのときふたりを待ち受ける過酷な運命とは……!?

 上下巻で700ページ近い大著。モノクロです。

 舞台となるのはアラブ世界。一見、アラビアンナイトのような中世に見えますが、この世界にはダムがあり建設中の大都会があります。ここはどこでもない架空の現代アラブ世界です。

 物語の推進力となるのはドドラとザムの悲しいラブストーリーです。つらいエピソードが連続しますが、彼らはそれを機知と勇気で克服してゆきます。彼らを助ける魅力的なキャラクターが登場するとほっとしますね。

 このマンガの仕掛けが「文字」と「物語」です。

 ドドラがザムに語るコーランの説話、アブラハムやソロモン王のそれが、ドドラやザムの身に起こる事件と二重写しになります。まずこれが第一のたくらみ。

 コマ構成そしてコマ外はわたしたちが考えるアラビア風の様式美に満ちていて、これが第二のたくらみ。いやもう徹底的な描き込みがすごい。これだけで圧倒されます。

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 それと同時に作者はもっと暗喩的な絵も描いています。

 たとえばこの絵。しばられたドドラと共に海に沈むザム。その後ろには同じように海に投げ込まれた他の女たちの姿が見えます。

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 この絵は子宮と卵巣をイメージしています。つまりこの絵は主人公たちの死と再生を暗示しているわけですが、こういうのって日本マンガの読みかたをしていたのでは気がつかないなあ。

 さて本書では、アラビア語のカリグラフィーをマンガに取り入れる、というびっくりするような仕掛けがなされています。

 アラビック・カリグラフィー Arabic Calligraphy あるいはイスラミック・カリグラフィー Islamic Calligraphy とはこういうもの。(画像検索結果→

 日本では「アラビア書道」と訳されるようですが、まさに字で描いた絵。アッラーの言葉を美しく書くことには宗教的意味が込められているそうです。

 作者はこれをふまえた上で、字と絵の融合を試みました。水面のさざなみは文字となって主人公を導く。降り注ぐ雨はすべて文字。主人公の体を占める文字。

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 日本人読者としては「言霊」という言葉を思い浮かべてしまいます。

 木の枝は文字に変化する。蛇は文字の形をとって主人公を導く。この世界で病人は聖なる文字を薬として飲みます。本書にはこれら以外にも多くの文字が登場します。

 文字と絵の同居はもっともプリミティブな形式のマンガでもあります。最新のグラフィック・ノヴェルが先祖返りの表現を選んでいるのです。

 作者クレイグ・トンプソンはアメリカ人。キリスト教原理主義者の家庭に育った彼は、自伝的作品『 Blankets 』で高い評価を得ました。

 そういうアメリカ人が、コーランとアラビア語について描く。本書は著者の長編第四作で昨年九月に発売されたばかり。本書の成立は現代の政治的背景と無関係のはずがありません。西欧とイスラムの対立がある9.11後の世界で、描かれるべくして描かれた物語なのです。

 本書で象徴的に取り上げられているのがアブラハムとその息子たち、イシュメイルとイサクの寓話です。アブラハムは息子を生贄として神に捧げようとしますが、コーランではそれはアラブの祖イシュメイル、創世記ではユダヤの祖イサクであると書かれています。

どちらの息子が生贄に捧げられたのでしょう。

 イシュメイル対イサク。イスラム対ユダヤ。本書の第一章で投げかけられたこの問いの答えは最終章になって明らかにされます。

 コーランの説話を使い、アラビアンナイトの外見を持ち、文字の魔法について解説された、寓話的なラブストーリー。しかしもっとも現代的な作品が本書なのです。

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July 03, 2012

奇妙な動物たち『サルヴァトール』

 動物の擬人化という手法があります。

 これにもいろんなレベルがあって、「人間の住む家の中でトムとジェリーがおっかけっこをする」のなら、彼らは「ヒトではない」ことは明らかなのですが、「トムとジェリーが海で釣りをする」「トムが自動車を運転してデートに出かける」あたりになりますと、すでに彼らの正体が何なのかわからなくなってきます。

 これが進行しますと、「ネズミのミッキーマウスが、犬のプルートをペットとして飼う」という、考えてはいけないレベルにいたります。

 動物の擬人化作品は、一般には「人間が存在する世界」と「人間が存在しない世界」に別れるようですね。「とっとこハム太郎」は前者、「ミッキーマウス」は後者で、「トムとジェリー」は前者と後者を行ったり来たりしてる。

 日本でもかつて後者に属する『のらくろ』や『カバ大王さま』みたいな有名作品がありましたが、これっていつのまにかすたれてしまいましたね。

 「人間が存在しない世界」の動物キャラクターたちは顔や体型はイヌやカバでも、敵国と戦争したり会社に行って働いたりしてるわけで、まあ別に人間キャラクターに置き換えても、お話は成立します。読者の年齢層上昇が続いてきた日本マンガは、動物の擬人化は幼稚な手法であるとしてそれをきらったのでしょう。宮崎駿が「名探偵ホームズ」のアニメ化をイタリアから依頼されたとき、キャラクターが「イヌ」であることに困惑した、というのは有名な話。

 現代日本で「人間が存在しない世界」に住むキャラクターといえば、「しまじろう」とか「キティちゃん」ですが、マンガ本流とはちょっとずれたところに生息しています。

 ところが海外では、オトナ向けの「擬人化された動物」ものがオルタナ系の有名作品にも存在します。ロバート・クラム『フリッツ・ザ・キャット』、アート・スピーゲルマン『マウス』などです。

 これらは「擬人化された動物」=「子供向けマンガ」と思わせておいて、じつは極悪キャラが登場したりアウシュビッツがテーマだったり。たんなる趣向をこえて、新しい表現にチャレンジした作品でもありました。

 とまあそういう前提をふまえて、BD。

 早川書房から出版されたあと、「ユーロマンガ」にも連載された『ブラックサッド』のシリーズがあります。二本足で歩く「かっこいい」黒猫の探偵が主人公。ストーリーは本格ノワールで、擬人化された動物がかっこよかったりエロかったりする、ということにまず驚きます。

ブラックサッド -黒猫の男- ブラックサッド 凍える少女 ユーロマンガ vol.2 (2)

 プラクティカルには黒人差別やアラブ人差別をトリやサルに置きかえて表現できるので、それなりに便利であったりするようです。

 そして今回発売されたのがこれ。

●ニコラ・ド・クレシー『サルヴァトール』(大西愛子訳、2012年小学館集英社プロダクション、3000円+税、amazon

サルヴァトール (ShoPro Books)

 『天空のビバンドム』『氷河期』で日本人読者の度肝を抜いたニコラ・ド・クレシーの新作。出版社よりご恵投いただきました。ありがとうございます。

 主人公は雪の山頂で自動車修理工場を開いているサルヴァトール(書影中央のキャラ。わかりにくいけどイヌです)。彼は南米に去った恋人(もちろんイヌです)に会うため、巨大自動車を自作していました。彼はペットの人間(!)をお供に、巨大自動車を駆って南米に向かいフランスを発つ。しかしその旅はわたしたち自身の人生のごとく曲がりくねっていた…… というのがメインストーリー。

 これに、迷子になった子ブタが金持ちのお嬢様ネコに飼われる話、迷子ブタをその母ブタが探偵とさがす話、母ブタに見捨てられたほかの子ブタたちが悪徳商売に精を出す話、などが同時進行して構成は複雑。性格の悪い登場人物たちによるブラックなコメディ。

 絵はあいかわらず超絶的にうまいですが、『ビバンドム』に比べてずいぶん軽く、気楽に読めるのがいいですね。

 惜しいのは、残念ながらお話が完結していないところ。本国版でも完結していないのですからどうしようもないのですが、現在進行形の最先端BDを楽しみましょう。エンキ・ビラル『モンスター』だって、かつて完結していない段階で第一巻だけが邦訳されたんだからね。

 さて擬人化の話に戻りますと、本書の登場人物はイヌ、ネコ、ブタ、ウシ、サル、トカゲなどなど。

 この世界では動物が自動車を運転するし、服を着て酒を飲んでるんだからミッキーマウスやのらくろの世界と同じ、はず。

 ところがそのあたりかなり微妙。ブタのお父さんは殺されて料理になっちゃってるし、子ブタは金持ちネコのペットとして飼われてる。スペインに住むウシは自家用車や携帯電話を持ってるのですが、職業は闘牛のウシで仕事中に死んじゃったり。

 主人公が迷い込むベラルーシには巨大なレーニン像(もちろん人間)がそそりたっています。この世界は、これまでのマンガ/アニメのお約束から少しずれていて、人間と動物が奇妙な同居をしているのです。

 さらに主人公のペットである、ハゲでメガネのこびと。彼は明らかに人間です。コンピュータはあやつれるけど言葉はしゃべれない。主人公は彼をひたすら虐待しますが、愛していないわけではないらしい。

 作者はこのこびとを、主人公の良心(ピノキオにおけるジミニー・クリケットですな)と説明していますが、彼らの関係はそうとうにねじくれていてかつ重い。わたしの予測ではこのふたりの関係性こそ物語の着地点になると見た。

 いつも思うのですが、ここ数年邦訳されたBDを読むのってほんと新しい体験ですねえ。とくにそういうタイプの作品をセレクションして邦訳してくれてるんでしょうけど。

 本書に収録されている仏語版の四巻ぶんは2005年から2010年にかけて出版されました。となると完結はおそらく五年から十年先になるはず。BDとつきあうつもりなら、わたしたちもそれなりに待つ覚悟が必要みたい。

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