神は具象に宿る『闇の国々』
さてフランソワ・スクイテン/ブノワ・ペータース『闇の国々』(古永真一・原正人訳、2011年小学館集英社プロダクション、4000円+税、amazon)について。
出版社よりご恵投いただきました。ありがとうございます。
「闇の国々」とは、ある架空の世界のこと。そこはわたしたちの住むこの地球、とくにヨーロッパと地形、風俗がちょっとだけ似ていますが、まったく別の地理と歴史を持った世界です。
しかし「闇の国々」はわたしたちの地球とまったく無縁というわけではなく、ある接点でこちらの世界とつながっているらしい。
「闇の国々」シリーズはこれまで12巻のBDと、番外編となるガイドブックやCD、DVDが発表されているそうです。
今回邦訳されたのはそのうちの三編、「狂騒のユルビカンド」「塔」「傾いた少女」です。それぞれ舞台となる時代、場所が異なり、別の人間が主人公ですが、同じ世界、同じ時間軸上のお話です。
ページを開いてびっくり。本書収録の作品はほとんどモノクロ、一部カラーで描かれてるのですが、絵がすごい。銅版画のような精緻な線で描かれた絵は、人物もさることながら、奇想の室内や建築物がこまかくこまかく、すみずみまで描き込まれています。
ここは架空のあり得ない世界。しかもお話はさらにありえないホラ話系です。その世界を読者に信じさせるために、絵のはしっこにある小物にいたるまでなにひとつおろそかにされていない。絵のチカラ、具象のチカラを思い知らされます。
絵を担当するスクイテンがどんな絵を描くひとか、グーグルの画像検索でどうぞ。
●Schuitenの画像検索結果
●Les Cites Obsuresの画像検索結果
それでは各作品の感想を。「狂騒のユルビカンド」は、アール・デコ調の直線と曲線で形成された都市、ユルビカンドが舞台。主人公はこの街を設計した、「対称」を愛する都市計画家です。主人公の部屋に持ち込まれた小さな立方体。最初は単に12辺の硬い棒からできているものでした。しかしそれはゆっくりと成長を始め、ついには巨大なジャングルジムとなって都市をおおうことになります。
魅力的なのはユルビカンドという都市の造形と、さらにそれが立方体に浸食されていく風景。都市と建築物を見せるためのマンガ、といってもいいくらいの作品です。こういうのはほんと読んだことないなあ。
「塔」はこの世界にある巨大な塔のお話。主人公はこの塔の一部を保守点検する仕事をしています。しかし塔はあまりに巨大かつ古すぎて、その全貌をだれも知らない。主人公は塔の中を旅することになり、ついに塔の真実を知る……
本作でも塔そのものの描写が圧倒的にすごいです。
主人公の名はジョヴァンニ・バッティスタ。シナリオ担当のぺータースが書いているように、この名はジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージへのオマージュです。ピラネージは18世紀イタリアの版画家。本書に登場する塔はピラネージの絵が発想のもとになっています。
ピラネージが描いたもっとも有名な作品は一連の「牢獄」ですから、「塔」とは「牢獄」のこと、さらにそれは人生のアナロジーであることはあきらかです。
原著の表紙イラストは一見すると塔の外で抱き合う男女の絵(→※)。ところが本書に収録されてるイラストの全体像を見ればわかりますが、これは「塔を描いた絵」が塔の中に置かれていて、男女はその絵の前に立っているのですね。よく見ると影の感じでわかるでしょ。別バージョンの表紙イラストもあって、こっちのほうがわかりやすい(→※)。つまり表紙イラストからして寓意を含んでるわけです。
さらに本作の冒頭には主人公が登場して口上を述べるシーンがあったりして、三作の中ではもっとも寓話性が高い作品です。
「傾いた少女」は収録された中ではもっともページ数が多い。メリー・フォン・ラッテンは11歳のある日、突然に斜めにしか立てなくなってしまいます。まるで彼女だけ重力の方向が違っているように。
いっぽうそのころ、マイケルソン山の天文台ではワッペンドルフ博士が「あらゆる物体の光線を吸収してしまう」「驚異的な密度を備えた星」を発見しました。わたしたちの言葉でいいますとブラックホールですね。彼らは軍の協力を得て「天空砲弾」を製作し、その星に行くことを計画します。
さらにいっぽうそのころ。この部分は絵じゃなくて「写真マンガ」で表現されます。「闇の国々」世界じゃなくて、わたしたちが住むこのリアル世界。19世紀の画家オーギュスタン・デゾンブルは高原のある廃屋に住むことになりますが、そこで彼は憑かれたようにある絵を描き続けてしまう。
この三人の運命がからみあったとき、「闇の国々」世界の謎が明らかになる……
メリーやワッペンドルフ博士はシリーズの他の作品にも登場する重要人物で、本作は「闇の国々」シリーズの根幹に位置する作品のようです。「砲弾」型の宇宙船はもちろんヴェルヌへのオマージュで、本作にはヴェルヌ作品のようなモダン19世紀の科学世界が登場します。
三作とも難解すぎることがなく、娯楽作品として楽しめるのもいいところ。日本マンガで本書に似た作品というのは、まったく存在しません。マンガ読書体験としてすごく新鮮で堪能しました。
あとは「闇の国々」シリーズ、カラー作品の邦訳に期待。かつて『見えない国境』という作品がごく一部だけ邦訳されたことがありました。スクイテンのカラー作品は、これがまたすばらしいのですよ。
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