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December 28, 2011

ゆっくり読むべし『モンスター』

 マンガというのはいろんな方向に先端があるのだろうけど、おそらくこの作品こそひとつの方向の最先端でしょう。

●エンキ・ビラル『MONSTER モンスター 完全版』(大西愛子訳、2011年Euromanga合同会社/飛鳥新社、3200円+税、amazon

MONSTER モンスター[完全版] (EURO MANGA COLLECTION)

 出版社よりご恵投いただきました。ありがとうございます。

 1998年末、河出書房新社より突然、という感じで出版されたのがエンキ・ビラル『モンスターの眠り』でした。原書でも同年発売されたばかりの作品で、のちに「アッツフェルド四部作」と呼ばれるようになるシリーズの第一作です。

 2000年になって河出書房新社はエンキ・ビラルの旧作「ニコポル三部作」を邦訳しましたが、『モンスター』のほうは続編の邦訳はなく。だって第二作が描かれるのは2003年。完結したのが2007年というのんびりぶりでしたから。

 本年になってついに、ユーロマンガから『モンスター』が完全版として邦訳されました。いやめでたい。

 近未来、ニューヨーク上空をエアカーのイエローキャブが滑空する世界。主人公ナイキ・アッツフェルド(♂)は紛争下のサラエボ生まれ。彼は同時期、同じ病院で生まれたレイラ(♀)、アミール(♂)との再会を計画していた。三人は別々の人生を歩み世界の別の地域に住んでいたが、三人ともほぼ同時に、過激化した宗教組織オプスキュランティス・オーダーと、謎の人物ウォーホール博士の間の暗闘にまきこまれてしまう。その影には、宇宙からの信号によって発見された、アラビア半島にある砂漠の洞窟の謎がからんでいるらしい。そこに見え隠れするのは超古代に飛来した宇宙人と、人類誕生の秘密……!

 オブスキュランティズム Obscurantism とは、反啓蒙主義と訳されますが、本書でのオプキュランティス・オーダーはどうも悪の宗教組織らしい。対するウォーホール博士の名は「戦争の穴」であり、アンディ・ウォーホルのごとき芸術家。しかしその芸術は邪悪な死の芸術。

 著者自身もユーゴスラビア生まれです。紛争下に誕生した主人公が三人で、しかもひとりはイスラム名。悪の組織らしいのが宗教がらみ。というわけで本作は、民族・宗教と戦争、さらに芸術がテーマ。

 超古代遺跡+宇宙人+悪の宗教組織というネタのマンガが描かれるとして、アメコミならスーパーマンが登場するアクション、日本マンガなら妖怪ハンターでしょう。でもBDなら芸術を語ることになるのが驚きです。

 著者はなんといっても「絵」「イメージ」のひとです。まずはYouTubeでどうぞ(→)。

 鉛筆でがしがし描いたあと、いろんな画材をつかってぬりぬり。イラストを描いてるわけじゃなくて、これが実際のBD作品となります。

 自分とそっくりのレプリカントを殺すシーンがあったり、美形の悪役が登場して芸術としての殺人(部屋のあちこちに飛んだ被害者の血痕を展開図にすると、殺人者のサインがあらわれる!)がおこなわれたり、さらに「死のコンプレッション」と名づけられた全長250メートルの「芸術作品」が登場したり。

 主人公たちが彷徨するのは、そして読者の眼前に展開されるのは、悪夢的でおぞましい、しかし奇妙に美しい世界。

 著者は本作でとくに、空気を絵に描き込んでいて、ともかく背景処理がすごい。なんでもない会議のシーンでも、空中に風が吹いています。

 さらにハエやサカナや血のイメージが宙をただよい、悪夢感は強まります。さらに説明なしに提出されるSFガジェットもいっぱい。錯綜したストーリーもあって、さくさく読み進むのは困難でしょう。でもそれがBDの正しい読みかたのような気がします。

 ヒトコマヒトコマ、ゆっくりと楽しんでください。

 ちょと残念なのは判型が原著に比べてかなり小さくなってしまったこと(それでもB5判より大きいのですが)。

 かつての河出書房新社版はすっごく大きな本でハードカバー。絵のすみずみまで楽しめましたが、一巻のお値段2850円でした。もしあの大きさで刊行が続けば四巻で一万円をはるかにこえてしまう。

 ユーロマンガ版はニコラ・ド・クレシー『天空のビバンドム』でもそうでしたが、ちょっと小さめソフトカバー、だけどいい紙を使ってて、価格的にも検討しています。BD出版はいろいろとたいへんですね。

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Comments

スクイテンもゆっくり読むタイプの作品ですねー。年末のうちには読了したいです。

Posted by: 漫棚通信 | December 30, 2011 09:02 AM

ここ数年、ほんとにいいBDやアメコミが目白押しで出ましたね。
「モンスター」も面白かったです。
ブノワ・ペータース、フランソワ・スクイテン「闇の国々」も、今読んでますが、素晴らしい。
値段は高いですけど、それだけの価値はある。もともとBDは高いし、むしろ安く出しているんだけど、日本のマンガが安いですからね。

Posted by: 夏目 | December 29, 2011 11:37 AM

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