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December 13, 2011

貸本時代のみやわき心太郎

 みやわき心太郎が亡くなって一年。ハートウォーミングな青春マンガから、人間の心の闇をえぐる作品まで、端正な絵で描かれた多様な作品群が残されました。

 わたしはかつて虫プロ「COM」に掲載された作品を愛読していました。長く活躍され上質の作品を多く残したのに、麻雀マンガや「THE レイプマン」をのぞいて入手できる単行本が少ないのが残念でした。

 しかし最近になって、佐藤秀峰の主催する「漫画 on Web」で、みやわき心太郎の貸本劇画時代作品を購入・閲覧できるようになっています(→)。

 「漫画 on Web」のシステムはデータを購入するのじゃなくて一年の期限付き閲覧許可です。ですから、ネット環境のないところでは読めない。PCのビューワでは画像拡大ができない(iPadで読むときは可能です)。さらに価格がやや高価。ポイントシステムで300円ごと、500円ごと購入なのでぴったりと使い切れない。などなど読者としてはいろいろと不満が多い。でも初期のみやわき作品が手軽に読めるのなら、ここはしょうがないか。

●わたしの愛するおばかさん

 これは1982年に駒絵工房から発行されたB6判の短編集。以下の作品が収録されています。

 ○わたしの愛するおばかさん(1964年「青春9号」
 ○顔(1959年「街29号」第15回新人コンクール入選作
 ○尼崎家の女中(1959年「街34号」)
 ○君(1961年 1964年「青春3号」)
 ○23年(1965年 1967年「破(ブレイク)1号」)
 ○あいつ(1964年 1965年「青春12号」)

 このうち『顔』がデビュー作なのかな。11ページの短編スリラー。貸本短編誌「街」に掲載された投稿作品だと思います。第二作(?)の「尼崎家の女中」も殺人事件を扱った作品。この二作にはまだ著者の本領は出ていません。(『顔』がデビュー作、『尼崎家の女中』は第三作でした)

●みやわき心太郎短編集1

 ○赤い夕日がしずんだ時(1960年「街」42号)
 ○折鶴(1973年「トップコミック」12月12日号)
 ○鐘鳴る宵に~盲目の彼~(1961年「新劇画ヒットシリーズ」)
 ○オタンコナスのイカレポンチのウスラトンカチ!!(1961年 1964年「青春4号」)
 ○ボイーン(1964年「青春8号 7号」)

 1960年の『赤い夕日が沈んだ時』は前年の二作から見て大きな進歩が見られます。題材も市井の若者の生活からとられるようになり、なんつっても絵がむちゃうまくなってます。女の子がかわいいのがみやわき作品の魅力ですからね。

 おもしろいのがこの作品のトビラに「尼崎くらぶ駒画作品 特別賞受賞第一回中編作品」とあること。「駒画」とは松本正彦が自身の作品を称した言葉。すでに1959年には「劇画工房」が発足していましたが、この時期でも松本以外の作品に「駒画」が使用されたことがあったのですね。

 ヒロッペ(ヒロ子、五月洋子)という女性主人公が登場するのが『オタンコナスのイカレポンチのウスラトンカチ!!』と『ボイーン』。前者は高校生ヒロッペと同級生の増田次郎くんの、後者は中学生ヒロッペとボクシング部の男子高校生との間の、ほんとどうでもいいような恋愛感情を描いた作品。

 でもこれがねー、むずがゆくってねえ、ああ、いい、とてもいい。でも恥ずかしい。わたしなんかには、これぞ、みやわき心太郎! なのですけどね。

●みやわき心太郎短編集2

 ○ニューパパ(1960年 1964年「青春6号」)
 ○おとめ(1961年「街別冊1.2.3」10号)
 ○ごきげんななめ(1964年「青春8号」)
 ○ウフフフッ(1964年「青春35号 10号」
 ○マイザブトンボーイ(1960年 1965年「青春14号」)

 わたしの記述に「?」マークが多いのは、サイトの初出紹介があやしく思われるから。作品トビラに記述されてる年代とずれてるし、著者の画風や作品内容から考えてもどうか。書誌的にはこれちょっと信用できません。(コメント欄で教えていただいた飯田耕一郎氏のサイトを参考に修正しました)

 『貸本マンガRETURNS』(2006年ポプラ社)には「一九六三年、辰巳ヨシヒロの第一プロから『青春』という短編誌の刊行が始まる」という記述もあり、これを信用するなら本サイト上の「青春」の発行年や号数はまったくでたらめということになります。

 それにしてもサイトの記述者もこれはちょっとおかしいと思わないかなあ。

 このうち『ごきげんななめ』(「ハートコレクションNo.7」というシリーズ名がはいってます)『ウフフフッ』『マイザブトンボーイ』の三作は、ひきつづき高校生ヒロッペと増田次郎くんの、どうでもいい恋愛のシリーズ作品。ああむずがゆい。

 この作品群では、時代の最先端を行く中流家庭の描写がすばらしい。この時代、このマンガに登場するようなモダーンな家がつぎつぎと建築されつつあったんですよね。

●みやわき心太郎短編集3

 ○灰色の雲のすきまの青空(1961年 1962年「街」63号)
 ○男の叫び(1965年 1966年東京トップ社「東京残酷物語1」 「青春残酷詩1」
 ○日曜日の九(1961年 1964年「青春別冊1号」)
 ○雨(1965年「青春15号 16号」)
 ○その顔大好き(1965年東京トップ社)

 『灰色の雲のすきまの青空』は、父親の死で遺産相続トラブルにまきこまれた少女の悲劇。あとがきに「このシナリオは、五年近くあたためていたものです」とありますが、いやいやいや、五年前なら著者はまだ13歳のはず。

 しかしこの話、よほどお気に入りだったと見えて、そのまま『男の叫び』という作品でリメイクされています。ページ数は倍増。このころにみやわき心太郎のマンガは早くも円熟の境地にはいっていて、完成度高し。著者の代表作のひとつでしょう。

●みやわき心太郎短編集4

 ○もてない奴 その1、その2(1965年「別冊青春3号」)
 ○箱師 成金の三平(1965年「刑事48 日本チャリンコ銘々伝1」)
 ○逃げる二人(1965年「刑事49 日本チャリンコ銘々伝2」)
 ○ニューママ(1960年 1964年「青春5号」)

 『もてない奴』は絵がつたなすぎるし、内容も日活アクションの焼き直し。1965年作品とは信じがたい。(実際に1965年が初出のようです。どうも旧作を掲載したらしいですね)『逃げる二人』は「手錠のままの脱獄」を若い男女に変更して描いたものです。みやわき心太郎の絵がもっとも少年マンガに近づいていたころの作品。こういう絵、好きです。

 しかしみやわき心太郎の、すっごくむずがゆい青春マンガだけを集めてどこかで出版してくれないかしら。わたし買いますけどねー。

 【追記】コメント欄のご指摘にしたがって、飯田耕一郞氏のサイトを参考に作品の発表年、およびわたしの文章を修正しました。

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Comments

情報ありがとうございます。これは飯田耕一郎先生のサイトですか。ここを参考に本文を書き直しておきます。

Posted by: 漫棚通信 | December 23, 2011 10:02 PM

みやわきさんのリストは下記にあります。こちらが現時点で最も正確なものだと思います。ご参考まで。
http://www9.plala.or.jp/usaya/

Posted by: mtblanc | December 23, 2011 09:55 PM

「THEレイプマン」は今も電子書籍の形で複数の場所で販売されていて、みやわき作品のうちもっとも入手しやすいシリーズですね。「COM 40年目の終刊号」に掲載されたみやわき作品もエロでしたが絶品でした。

Posted by: 漫棚通信 | December 19, 2011 09:20 PM

みやわき先生の話題が出てますので便乗して、私が先生の追悼に書いた文章の抜粋を送らせて頂きます。「レイプマン」を抹殺したくない、という思いで記したものです。
「…これは漏れ聞きですが、お葬式進行の司会か誰かが、「代表作…『ザ・レイプマン』」と言いよどんだとか、それを聞いた列席者の目が一瞬宙に…とか。
事実だとすれば、これは口惜しいデスね。
編集者やファン、マニアとの間で「レイプマン」が話題になる度、私は常に「『レイプマン』はエロ漫画ではありません。いやエロでもいいのですが、あれは日本独特の伝統下にある、『左甚五郎』等と同じ『名人伝』の流れを汲むものです。」と言い続けて来ました。
初期外国TVドラマ「ベン・ケーシー」「ドクター・キルディア」等の主人公は、誠実でもあり、ヒューマニストだったりしてますが、別段「神業のオペ技術」を持ってるわけじゃない。これが日本の「ブラック・ジャック」と決定的に違うところです。
007が拳銃を撃ち合っても、命中もするけどいくらでも外して恥じない。針の穴を通し1キロ先の額に命中させる「ゴルゴ13」もまた江戸時代からの伝統を継ぐ「左甚五郎」のバリエーション日本人なんですね、ヤッパリ。
「破―ブレイク―」だっけ、でスリの神業を描いた『日本チャリンコ銘々伝』2本は、みやわき心太郎貸本時代末期の代表作の一つでしょう。「ザ・レイプマン」は明らかに、「日本チャリンコ銘々伝」を発展継承した、氏の「青年劇画誌」時代の最高傑作であり、「ゴルゴ」「ブラック・ジャック」と肩を並べる『日本伝統名人伝』の秀作と位置付けるべき作品と考えております。「凡庸なスーパーマン、アメリカナイズ正義漢」よりも「ダークで屈折してても、神業持って我が道を行くダーティヒーロー」に軍配を上げる。これが(マンガを含む)日本文化の特長と言っていいかも知れません。そして…
みやわき心太郎もまた、デッサン力にせよ点描画にせよ、「マンガの神業」をコツコツ追求し続けた「名人」の一人であった、と今私は考えております…」

以上です。お目汚しまでに。

Posted by: みなもと太郎 | December 18, 2011 04:36 PM

情報ありがとうございます。やっぱりそうですか。「漫画 on Web」から初出調べはうちの仕事じゃない、と言われてしまうとそれまでではありますが。

Posted by: 漫棚通信 | December 16, 2011 01:02 PM

コメント失礼いたします。楽しく拝読させていただいてます。

『逃げる二人』の掲載誌刑事49号たまたま、手元にありましたので、奥付見てみますと、1967年8月25日号となっていました。巻頭、永島慎二『雨の季節』のラストページに1966.12.21完と書き込みがありますので、発売はやはり67年だと思われます。

おっしゃるように、初出に関してはちとあやしいのが残念ですね。

Posted by: おまぷー | December 16, 2011 12:08 PM

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