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October 31, 2011

プロローグだけなのにすばらしい『鉄楽レトラ』

 秋の新作で、もひとつおすすめなのがこれ。

●佐原ミズ『鉄楽レトラ』(2011年小学館、552円+税、amazon

鉄楽レトラ 1 (少年サンデーコミックス〔スペシャル〕)

 タイトルが意味不明で覚えにくいのが難点。「レトラ letra」とはスペイン語。英語に直訳すると「letter」ですが、一般的にはフラメンコの歌詞をさすそうです。

 「鉄楽」はもっと意味不明で「てつがく」と読ませてます。きっと主人公の高校生、鉄宇(きみたか♂)が音楽みたいな何かを楽しむことになりそれが哲学のごとくであって…… ってやっぱりわからんぞ。

 このマンガをレビューするかたたちは、ネタバレしないようにずいぶん気をつかわれてるようですが、タイトルがすでにネタバレなんだからいいじゃん。それにネタバレしても作品の訴求力は変わらんと思うし。

 えーと、きっと、フラメンコを題材にしたマンガです。

 きっと、というのは、月刊誌連載三回分が収録されたこの1巻では、主人公はまだ踊り始めてもいないから。

 中学時代後半を不登校で過ごした主人公。そのひきこもりには理由がありました。彼は高校に進学しても居場所が見つからない。1巻は主人公が自身の再生に向かって何か=フラメンコを始めようとするところまで。つまりまったくのプロローグ。

 しかし、すでにここがもうすばらしい。

 主人公を再生へ導く家族、祖父と母と妹。祖父は明るく、母は雄々しく(←言葉としてはヘンですが)、妹はりりしく。この部分だけでも読む価値あり、なのですが、決定的なのが書影にある赤い靴。

 これはサパトスと呼ばれるフラメンコ用のシューズです。しかも女性用。

 主人公はこの靴によって再生へと導かれます。この靴をめぐるエピソードこそがこの巻、最大の見せ場で、いやー、ええもん見せてもろうた。

 ひととひとはつながって生きている。すべてのひとは、他人に影響を与えられ、そして与えながら生きている。むだな人間などどこにもいない。

 ひとの心を動かすメッセージがこめられた、主人公がふたたび立ち上がるのに十分な説得力を持ったエピソードです。このお話づくりはうまいなあ。

 これからの展開が楽しみです。とりあえず主人公の少年は赤いシューズに魅せられています。これを履いてフラメンコの女踊りをするという「奇行」の展開になるかどうか、ここが今後の見どころだ!

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October 30, 2011

センパイの系譜『まりかセヴン』

 「総天然色ウルトラQ」のDVDかブルーレイBOXを買うべきかどうか迷ってるひとは、日本中に一万人ぐらいはいるのじゃないかと思います。そういうかたはとりあえず、これを読みなさい。ウルトラQじゃなくてウルトラマンだけど。

●伊藤伸平『まりかセヴン』1巻(2011年双葉社、600円+税、amazon

まりかセヴン(1) (アクションコミックス)

 主人公、まりかは女子高生。なぜか宇宙人セヴンに憑依され、ウルトラマン型巨大ヒーローに変身して、なぜか日本を襲う怪獣たちと戦うことになります。

 変身後のまりかは、身長38メートル、体重はナイショ。変身前よりオッパイは明らかに大きくなり、変身前と同じようにオサゲ髪。政府のコードネームでは「ブレイド braid=三つ編み」と呼ばれています。

 巨大ヒーローに変身したまりかはさまざまな必殺技で怪獣たちを倒す! でもモノをなげるときは女投げだ! さらにまりかに憑依した宇宙人セヴンには、何やら秘密がありそうだ!

 というわけで本格的怪獣マンガ+ギャグ。本格的というのは、怪獣の出現に対する人間側の反応が、なんとなくホントらしいところ。このホントらしいかどうか、というのがすべての怪獣モノのキモですな。

 なんつっても、まりかがかわいい。天然系のまりかは、世間からはオタク系ヘンタイと思われているメガネの田子の浦センパイ(♂)が大好き。

 このセンパイがねー、読んでるとマンガ的記憶がよみがえるわけでして、吾妻ひでお『ななこSOS』の四谷、ゆうきまさみ『究極超人あ~る』の鳥坂センパイ、の直系の子孫。自身の欲望だけにひたすら忠実で女の子など眼中に入らない、という真のオタクですな。

 ギャグはまじえながらも、お話はもしかしたらマジメ。描写はひたすらかっこいい。怪獣マンガ史(←なんじゃそら)に残る傑作になるであろう、と断言しておきます。

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October 24, 2011

ちょっと難問系マンガ試験(解答編その2)市川春子作品を読む

前々回前回からの続きです。

 市川春子の新作『25時のバカンス』(2011年講談社、590円+税、amazon)を読みました。いやもうほんっっっっとにすばらしい。というわけで、前作『虫と歌』(2010年講談社、571円+税、amazon)もひっぱりだしてきて、くりかえし読んでたわけです。

25時のバカンス 市川春子作品集(2) (アフタヌーンKC) 虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC)

 市原春子作品は一貫してるなあ。ここまで同じモチーフがくりかえされるとは驚きですね。すなわち「ヒト型の異生物+生命と死+エロティックな人体破壊シーン」であります。

 しかし著者の作品は、こうの史代作品とは別の意味でちょっと難解です。お話そのものが日常から乖離している。セリフによる説明を省略する。そして著者は読解が困難な絵を描くことに躊躇しない。

 前作『虫と歌』収録の「日下兄妹」。この作品は(1)アクロバティックなアイデアが(2)叙情的なストーリーで(3)わかりやすい描写で語られる。そのあたりが絶妙なバランスの傑作でした。

 いっぽうで「ヴァイオライト」。これはわかりにくいところがいろいろとある作品です。

 で、前々回の問4になるわけです。

主人公・大輪未来を救う天野すみれは人間の姿をしているが人間ではない。天野すみれの正体は何者であったのか。

 天野すみれは静電気体質である。空飛ぶ鳥を捕まえることができる。泳ぐサカナを手づかみできる。さらには目が光ったり火花で火をおこしたりも。

 終盤で天野すみれは、自分の身体が壊れていくのもかえりみず、主人公を助けようと奮闘します。この絵が何とも美しい。

 小さな不思議がだんだんと大きなものとなり、ついには謎の人物の正体が明らかに。これほどエンタメ的構成がしっかりしているのに、難解な印象を持ってしまうのは、天野すみれの正体が言葉ではっきりと説明されていないからでしょう。

「ちょっと小指をひっかけただけだぜ?」

 このセリフがいいですね。小指をひっかけただけで飛行機を落としてしまう存在とは何か。ここで読者が扉絵を見直してみると、カミナリが飛行機に小指をひっかけるシーンが描かれてることに気づきます。おお、そうか。謎が解ける一瞬。読書の快楽ですね。

 本作で天野すみれは大輪未来を助けようとがんばりますが、カミナリであるすみれは、ついに未来を焼き殺してしまいます。皮肉で悲しいラストです。ここもセリフがまったくないので、絵だけから読み取らなきゃならないのです。

 わかりにくいですか? でも簡単な描写を心がけよ、というのは、著者の手足を縛るようなもの、そして読者の喜びを奪うようなものじゃないのか。

 ただ本作に関してはタイトルがやっぱ謎。ここは「ヴァイオライト」じゃなくて「バイオライト bio-light」であるべきなのでは、なんて思うわけです。

 新作『25時のバカンス』では、収録の三作中、表題作の中編「25時のバカンス」がもっともわかりやすい表現がされています。貝殻人間、このエロさは尋常じゃありません。

 って読んでないひとには意味不明でしょうが、ちょっとすごいですよ。

 残りの二作、「パンドラにて」「月の葬式」にはそれぞれ仕掛けがあります。クライマックスとなる大きなコマ。その絵はともに無音、無セリフ。どこで何が起こってるのか。読者にはそれを能動的に解読する努力が求められています。でないと、お話が理解できません。不親切と言えばそのとおりではあります。

 「月の葬式」、230ページと231ページの見開き。夜空では爆発のようなことがおこっている壮大な場面です。

 すごく印象的でチカラのはいったコマですが、ぱっと見て何があったのか、よくわかりません。そういうふうに描いてある。

 種明かしはラスト近くでなされます。

 「あの日降った大量の月の隕石」、「あなたが月を壊」したことが明らかとなります。

 そこで読者はあらためてタイトルに注目します。「月の葬式」。タイトルそのままかいっ。と読者は驚くわけですね。絵、セリフ、タイトル、別々な場所に配置された三者が物語を読み解くカギになるのです。

 「パンドラにて」はさらに難解、かもしれない。「月の葬式」は地上、日本での物語でしたが、「パンドラにて」は土星の衛星上にある女学校(!)で起こる事件が描かれます。

 なじみのうすい宇宙が舞台である上に、クライマックスで起こる出来事が、月の爆発以上にショッキングでSF的。

 そこで前々回の問6。

168ページの絵では、多数の少女が宇宙空間に存在しているようすが描かれている。この絵が何をあらわしているのか、文章で説明せよ。

Img_0002_new

 このクライマックスで、黒い肌の少女(←じつは人間ではない)は、学園を卒業した先輩の少女たちを追って、宇宙船のあるはずの部屋へ向かいます。

 しかしそこには宇宙船はありませんでした。彼女が目撃したものは。

 卒業生の少女たちは、真空の宇宙に浮かび、次々と破裂している、というのがこの絵なのです。(なぜ少女たちが宇宙に放り出されることになったのかはその先を読めば明らかにされます)。

 しかし。なぜ彼女たちは宇宙で破裂しているのでしょうか。

 じつはこれ、昔からあるSF的誤解です。体内には空気があり外側は真空。だから生身の人間が真空の宇宙に出ていくと圧力差によって人体は破裂しちゃうのじゃないか、と考えられてた時代があったのです(今では、そんなことはないと考えられています)。つまりこのシーンは、誤解による、ありえない、美しき人体破壊が描かれているのですね。

 科学的にはありえないかもしれないけど、わたし、こういうハッタリのきいたシーンは好きだなあ。そしてこのシーンに続くラストの展開も美しい。

 のですが、このあたり、著者は言葉による説明をまったく省略しています。かつ著者の絵はけっして写実的ではないので、理解しづらく思うひとも多いでしょう。ウチの娘などはこの作品については考えるのを放棄してました。でも、きちんと読めば読解できる、はず。

 わかりやすく描きすぎると読書の楽しみがなくなる。ちょっと演出を加えると難解だと言われてしまう。古くからある問題ではありますが、このあたりのバランスは難しい。永遠の課題でもあるのです。

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October 21, 2011

ちょっと難問系マンガ試験(解答編その1)

前回からの続きです。

 (A)こうの史代『夕凪の街 桜の国』(2004年双葉社、amazon)が発売されて、すでに七年もたつんですね-。いや時の流れは速いわ。

夕凪の街桜の国

 問1は誰でもわかる問題。このシーン、大きなフォントで表現されたセリフは、声が大きいことを示しています。ただしこれはすべての場合にあてはまるわけではありません。

 人物と比較して、あるいは前後のフキダシ内フォントの大きさと比較して、フォントが大きければそれは大声、小さければ小声です。しかし単に大きなフォントが使用されているだけでは大声ではありません。柴田ヨクサル『ハチワンダイバー』などがそうですね。

 問2。マンガのセリフによく使われる、かなは明朝体(アンチック体)+漢字はゴシック体(ゴチック体)という形式を、「アンチゴチ」と称するそうです。

 アンチゴチの起源は昭和初期にまでさかのぼるそうですが、マンガ雑誌でアンチゴチが一般的になったのは、わたしのちょっとした調査によりますと1955年から1956年にかけてのようです。と、このあたりはまだまだ不確かな話ではありますが。

 問3。こうの史代はきわめてテクニカルな漫画を描くひとです。登場人物や背景は単純化された線で描かれ、誰がどこで何をしているかは、小学生が読んでもすぐわかる。

 しかしそこにも「演出」というのがあって、これによって読者にはお話がちょっとわかりにくくなることもあるのです。

 (1)平田皆実は冒頭に登場したワンピースを着るのをいやがっている。(2)皆実はショーウィンドウ内の半袖ワンピースをしげしげと眺めていて、それが嫌いなはずではなさそう。(3)その後「さりげなく」、他の登場人物が全員半袖なのに皆実だけが長袖の服を着ていることが表現されます。ここは注意深くない読者はまったく気づかない。(4)風呂に入った皆実の左手に傷=やけどのあとがある。

 というわけで(4)の段階になって、皆実はやけどのあとを見せたくないので、半袖のワンピースを着るのをいやがっていることが明らかになります。読者にはここで初めて皆実が被爆者であることがわかる、という重要なシーンでもあります。マンガとして最初の見せ場。

 冒頭のワンピースと皆実のやけどの関係は、オトナの読者にとってはあまりにアタリマエのこととして読解できてしまう、はず。

 ところが。

 じつはウチの娘たちが本作を読んだとき、二人ともまだ小学生だったのですが、この関係に気づいていなかった。こらっ。

 身内のことながら、これはちょっと驚きでした。「夕凪の街」は短編だけあって描かれてるエピソードが少なく、ワンピースとやけどの関係はこのお話内で重要なエピソードのひとつです。これぐらいは読み取ってくれよー。

 たしかに(1)から(4)までは7ページ、間があいています。読んでるうちに(1)のことを忘れてしまうかもしれない。

 サンプルがあまりに少なすぎてあれですが、こうの史代の表現は小学生にはむずかしすぎるのかもしれません。あるエピソードから7ページすぎてしまうと、もう伏線として成立しないのか。

 もっとわかりやすい表現も可能です。皆実が長袖をめくってやけどのあとを見せる、という演出も可能。だからといってそれをしてしまうと、こうの史代作品としてはどうよ、ということになってしまいます。

 マンガが難解ではいけないのか。小学生にもわかるマンガ、じゃなくてもいいのじゃないか。

 というわけで、つぎは市川春子作品について。この項、次回に続きます

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October 20, 2011

ちょっと難問系マンガ試験(問題編)

(A)こうの史代「夕凪の街」(『夕凪の街 桜の国』2004年双葉社に収録、amazon)を読んで、以下のそれぞれの設問に答えよ。

夕凪の街桜の国

(問1)作品の冒頭で、主人公・平田皆実がつとめる会社内で、同僚・古田さんの作ったワンピースが会話の話題になっている。7ページでは平野皆実のしゃべるフキダシ内には、他のフキダシ内よりも大きなフォントで「ええ言うたらええんよ」と記されている。大きなフォントは何を表現しているか。(難易度1)

Img_new

(問2)「ええ言うたらええんよ」というセリフは、ひらがなは明朝体で、漢字はゴシック体で表現されている。こういうフォント形式は日本マンガ史上でどのように呼称されているか。また日本でこういうフォント形式が使用されるようになったのはいつごろからか、歴史的な経緯を記せ。(難易度4)

(問3)平野皆実はなぜ「ええ言うたらええんよ」と言ったのか。漫画全篇を読んだ上でその理由を50字以内で記せ。(難易度2)


(B)市川春子「ヴァイオライト」(『虫と歌』2010年講談社に収録、amazon)を読んで、以下のそれぞれの設問に答えよ。

虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC)

(問4)主人公・大輪未来を救う天野すみれは人間の姿をしているが人間ではない。天野すみれの正体は何者であったのか。以下より選べ。さらにその根拠を記せ。(難易度3)

   (a)宇宙人 (b)砂糖人間 (c)カミナリ人間

(問5)主人公・大輪未来は作品の最後でどのような結末を迎えたか。25字以内で記せ。(難易度4)


(C)市川春子「パンドラにて」(『25時のバカンス』2011年講談社に収録、amazon)を読んで、以下の設問に答えよ。

25時のバカンス 市川春子作品集(2) (アフタヌーンKC)

(問6)168ページの絵では、多数の少女が宇宙空間に存在しているようすが描かれている。この絵が何をあらわしているのか、文章で説明せよ(字数無制限)。(難易度4)

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解答編その1はこちら
解答編その2はこちら

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October 13, 2011

世界中のナチュラリストのために、戦え!『マリファナマン』

 近年のアメコミ邦訳は、小学館集英社プロダクションとヴィレッジブックスが地道にがんばってくれてます。とくにアメコミ・ヒーロー映画が公開されたときは、二社から競うように邦訳が出版されてます。

 映画「マイティ・ソー」のときは、ヴィレッジブックスから『ソー:マイティ・アベンジャー』。小プロからはなんとお懐かしや、ジャック・カービー画の『マイティ・ソー:アスガルドの伝説』。

ソー:マイティ・アベンジャー マイティ・ソー:アスガルドの伝説 (ShoPro Books)

 映画「グリーンランタン」のときは、ヴィレッジブックスから『グリーンランタン:リバース』と『グリーンランタン:シークレット・オリジン』。小プロからはこれも古典だ、日本のマンガ家がいっぱい模写したと言われてるニール・アダムス画の『グリーンランタン/グリーンアロー』が発売。

グリーンランタン:リバース グリーンランタン:シークレットオリジン グリーンランタン/グリーンアロー (ShoPro Books)

 そして明日公開の映画「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」では、ヴィレッジブックスから『キャプテン・アメリカ:ニューディール』と小プロから『キャプテンアメリカ:ウィンター・ソルジャー』。

キャプテン・アメリカ:ニューディール キャプテン・アメリカ:ウィンターソルジャー (ShoPro Books)

(それぞれ書影クリックでアマゾンに飛びます)

 これら以外にも、今年は二社からアメコミ邦訳がいっぱい出てます。やっぱりかつての小学館プロダクションとメディアワークスのときみたいに、アメコミ出版を二社が競ってるという状態のほうが活気があってよろしいですな。

 さて、そういう二社寡占のアメコミ邦訳に殴り込みをかける、今年いちばんの珍品をご紹介。

●ジギー・マーリー/ジム・マーフード/ジョー・ケイシー『マリファナマン』(2011年明窓出版、2476円+税、amazon

マリファナマン

 スーパーヒーロー・コミックスで「マリファナマン」ですからね。あちらの人はどうか知りませんが、日本人読者はタイトルでずっこけます。

 主人公は宇宙人セドナ。地球人そっくりの外見ですが、その細胞にはDNAじゃなくて大麻の成分が含まれています。生まれ故郷の星の大麻が枯渇しつつあるため、彼は星よりの使者としてロケットで銀河を越え、大麻が豊富な地球を訪れました。

 ちょうど地球では、ひとびとの精神を骨抜きにしてしまうドラッグを作る悪の製薬会社と、大麻を信奉する正義のコミューンが争っていました。女戦士にひきいられたゲリラたちが製薬工場を襲撃すると、彼らを待ち受けていたのは製薬会社にやとわれた凶悪な用心棒、キャッシュ・マネー(わかりやすいネーミングですねー)。

 あやうし、ゲリラたち。そこへ現れたのが宇宙人セドナ。

 胸に輝くマリファナのマーク! 彼はハッパをキメると、無敵のスーパーヒーロー、緑のコスチュームを着たマリファナマンに変身するのだった! 

 大麻はあらゆる工業製品に加工できるし、食べても栄養豊富、医薬品として使用できる。大麻こそ世界を救う。本書は娯楽作品であり、かつ啓蒙の書です。

 日本でも大麻解禁を主張されるひとがいて、彼らの主張にかなりの理があるのは知ってます。ただしそういうかたたちってスピリチュアル系だったり、トンデモ系だったり、超地球人のかたであったりするので、わたしなどはちょっとひいてしまいます。了見が狭くてすみませんね。

 原案のジギー・マーリーはボブ・マーリーの息子。なるほどー。邦訳も大マジメ。オビには「これは資本主義の象徴たる悪の製薬会社と、自由を求め正義と平和、そして自然への回帰を望む人々の最後の聖戦が生み出す境地と、世界の行方を描く物語である」とあります。

 マリファナのケムリで変身する、というのに笑っちゃいました。戦いを望んでいない、戦いは終わりにしたい、と言いながら敵の腕を引っこ抜いて振り回すマリファナマンがおちゃめ。彼は世界中のナチュラリストのために戦い続けるのです。 

 厚い紙を使って束をかせいでますが、50ページで2600円なのであまりおすすめしません。そっち系がお好きなかただけどうぞ。YouTubeで見られる予告編はこちら→()。

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October 10, 2011

リーニュ・クレールで描かれた『マンガで学ぶナチスの時代』

 クリアライン・スタイル clear line style 、フランス語でリーニュ・クレール ligne cleire とは、エルジェが始めたBDのスタイルと言われています。つまり『タンタン』みたいなマンガのことね。

 人物も背景も似たようなはっきりくっきりした線で描かれ、斜線やカケアミは使用されません。「スタイル」ですから、エルジェの『タンタン』そのものというより、「タンタンおよびそれに影響された一連のBDの作風」を指します。

 「クリアライン・スタイル=リーニュ・クレール」を最初に言い出したのはオランダのデザイナー Joost Swarte です。1977年のことですから、比較的新しい言葉ですね。

 近年この言葉はさまざまなところで使われるようになりました。過去や新作のマンガ作品を再定義、再評価したり、アニメーション評に使ったり。

 たとえばフランク・ミラーがシナリオを担当したジェフ・ダロウ画の『Big Guy and Rusty the Boy Robot』という有名なアメコミがあります。TVアニメーション化もされました。この作品は「リーニュ・クレールによる郷愁的スタイルと日本マンガ的狂騒アクションの融合」と評されたりしてます。

 北斎はリーニュ・クレールである、などとこの言葉をすごく広く使った評を見かけたりもしますが、それ言うなら浮世絵は全部リーニュ・クレールなんですけどね。

 リーニュ・クレールはヨーロッパBDの誇りあるスタイルと評価されています。ところが日本人読者はそのあたりの事情にくわしくないので、ある作品をぱっと見て、エルジェそっくりやん、と驚いたりします。でもそういう作品もエルジェのパチモンではなく、リスペクトの対象なのですね。

 しかしまあ、あちらの『タンタン』のスタイルで描かれたマンガというのは、ほんとエルジェそっくり。どのくらい似てるかというと、手塚治虫と井上智くらい似てる。というたとえは誰にもわかってもらえないでしょうから、『ワンピース』と『フェアリーテイル』くらい似てる。

 たとえば「The Rainbow Orchid」シリーズが人気の Garen Ewing。→ご本人のサイト

 こちらはエリック・ヒューフェル Eric Heuvel というオランダのマンガ家。→ご本人のサイト

 それぞれのサイト内部を見ていただくと、いかにエルジェに似てるかわかるでしょ。こういう作品は過去のものではなく、今も現役で作られ続けています。

 さてここまでは前フリ。そのエリック・ヒューフェルの邦訳をご紹介。

●エリック・ヒューフェル/リュート・ファン・デア・ロール、リース・スキバース『マンガで学ぶナチスの時代(1)ある家族の秘密』『マンガで学ぶナチスの時代(2)真実をさがして』(早川敦子監訳、2009年汐文社、各2500円+税、amazon

マンガで学ぶナチスの時代〈1〉ある家族の秘密 マンガで学ぶナチスの時代〈2〉真実をさがして

 じつは買ったまま積ん読になってました。今回リーニュ・クレールを調べてて引っぱり出してきたものです。

 エリック・ヒューフェルは1960年生まれのオランダ人。税関職員、歴史教師として働いたあと、マンガ家に転身したという経歴を持っています。最初のマンガ作品の出版が1986年。lanmbiek.netの紹介文がこちら

 本書はオランダ、アムステルダムのアンネ・フランク・ハウスが2003年に企画出版した作品。オランダでは学校の副読本として採用されているそうです。

 1938年、オランダ、アムステルダムに住む少女ヘレナのとなりにドイツからユダヤ人少女エスターが引っ越してきます。ふたりは親友になりますが、1940年オランダはドイツに占領されてしまいます。

 ユダヤ人をめぐるドイツ占領下のオランダが、いかに同胞相食む過酷な状況であったかは、最近ポール・ヴァーホーベン監督の「ブラックブック」という映画もありましたね。

 ヘレナとエスターは1942年に別れ別れになってしまいます。本書は1巻でオランダ人ヘレナのその後を描き、2巻でユダヤ人エスターがどのようにしてオランダで生き抜いたか、オランダからアウシュヴィッツに送られたエスターの父がどうなったかが描かれます。

 ドイツからオランダに移住したアンネ・フランクは今でもオランダで尊敬されてるそうです。オランダ国鉄がユダヤ人輸送でホロコーストに協力したことを謝罪したのが2005年のこと。オランダは第二次大戦中にもナチス協力者が多く、じつは今もネオナチ運動があります。

 そういう背景のもとで出版されたマンガです。子ども向けにリーニュ・クレールで描かれていますが、それだからこそ描写は正確かつ精密。学習マンガのようでもありストーリーマンガのようでもあり。表現として劇的なものはありませんが、リーニュ・クレールというだけで、事実の重みは胸を打ちます。

 ナチスはかつてユダヤ人を排斥しましたが、今オランダのネオナチはアラブからの移民を排斥している。そしてパレスチナではユダヤ人とパレスチナ人が戦っている。

 本書を読んだあとはジョー・サッコ『パレスチナ』(小野耕世訳、2007年いそっぷ社、amazon、1800円+税)などを読んでみてほしい。世界は、歴史は、いかに複雑で混乱しているか。それを思い知らされます。

パレスチナ


参考:
Dafna Pleban: Investigating the Clear Line Style(
Paul Gravett: Hergé & The Clear Line Part 1(
Paul Gravett: In Search of the Atom Style Part 1(

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October 03, 2011

メビウスとエルジェ『エデナの世界』

 秋のBDまつり、第三弾のご紹介は大御所メビウス。

●メビウス『エデナの世界』(原正人訳、2011年TOブックス/ティー・オーエンタテインメント、4800円+税、amazon

エデナの世界

 出版社よりご恵投いただきました。ありがとうございます。

 本国ならメビウス作品は再版をくり返していますから、ちょっと待てば欲しい本が入手できます。しかしそれはもちろんフランス語版だから日本の読者には敷居が高いっす。英語で、と思ってもアメリカアマゾン見ると最近はメビウスの英訳本も中古価格が高騰してるなあ。

 ところが今この現在、日本でメビウスの邦訳が新刊書店で三冊も手にはいるという、この事実にまあびっくりするやらありがたいやら。他の二冊はこれね。

●メビウス『B砂漠の40日間』(2009年飛鳥新社、5000円+税、amazon
●メビウス/アレハンドロ・ホドロフスキー『アンカル』(2010年小学館集英社プロダクション、3800円+税、amazon

B砂漠の40日間 L'INCAL アンカル (ShoPro Books)

 あと『アルザック』が邦訳されれば完璧。

 さて『エデナの世界』。全五巻の長編+番外編一巻を一冊にまとめたものです。巻末に浦沢直樹×夏目房之介の対談つき。

 第1巻が描かれたのが1983年。これはシトロエン社の販促物として描かれたそうです。その後お話のイメージはどんどんふくらんでエデナ=エデンの園を思わせる星の物語となり、最終5巻が発行されたのが2001年。いやこれは長い。『アンカル』も完結するまでに8年かかってますが、それの比じゃありません。

 ですからストーリーは、悪く言えばいきあたりばったり。一巻単位ではよく考えられてると思うのですが、全五巻の統一感はありません。むしろよくもまあ最終の5巻でこの物語をきちんとおさめられたものだと、そっちに感心しました。

 ただし基本的には絵を楽しむタイプの作品でしょう。18年の間にメビウスの絵もどんどん変化しています。稀代の絵師の頭の中にあるイメージが、いかにしてマンガ作品として結実しているか。これを楽しみに読みました。

     *****

 さて本書を読んでますと、とくに冒頭のほう、登場人物の目が点で表現されてることもあって、エルジェのタンタンと似てるところがあるなあ、と感じてしまいます。

 メビウスがジャン・ジロー名義で描いた西部劇マンガ『ブルーベリー』シリーズは、鉛筆で下描きしたうえでペンと筆でオモセンを描いてたみたいです()。

 このあたりの作品は日本の「劇画」っぽい感じでした。日本ではバロン吉元がこういうスタイルで筆で描いてました。バロン吉元はジャン・ジローを参考にしてたそうですから、筆を使ってたのも知ってたのかな。

 しかしメビウス名義の『アルザック』以降になると、線はどんどん整理されていきます。『アンカル』あたりではまだ線に強弱がついていますが、『エデナの世界』になると、きわめて単調な線で描かれるようになります。

 今ではメビウスの絵といえば、こちらを思い浮かべるかたがほとんどでしょう。

 こういうタイプの絵をクリアライン・スタイルと呼びます。「クリア・ライン・スタイル the clear line style」、フランス語では「リーニュ・クレール ligne claire」。

 クリアライン・スタイル「リーニュ・クレール」は、エルジェの『タンタン』がその祖であると言われています。人物も背景も、同じようなくっきりとした線で描かれ、斜線やカケアミは使用されない。基本的にこれはカラリングを前提とした描きかたです。

 日本ならわたせせいぞうがこれにあたります。最近のアメリカ作家なら『ジミー・コリガン』の作者クリス・ウェアがそう。アラレちゃん時代の鳥山明も含まれるかな。

 「ligne claire」で画像検索したのがこちら

 歴史的に狭義では、エルジェのタンタンとそれに影響を受けたひとたちのマンガをリーニュ・クレールと呼ぶようです。ですから後期メビウスをそうだと言いきってしまうのはちょっと問題がありますが、やっぱメビウスもタンタンとリーニュ・クレールには影響受けてるよなあ。

 多くの日本人マンガ家が影響を受けたメビウス。彼の源流には、エルジェがいた、というお話。

 以前わたしは、エルジェと日本マンガには何の関係もない、と書いたことがありました()が、それを撤回させていただきます。

 エルジェのタンタンは、メビウスを介して、あるいはリーニュ・クレールというスタイルを介して、日本マンガに影響を与えた、のじゃないでしょうか。

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October 02, 2011

「ネーム」の話

 日本のマンガ用語と海外のそれがずいぶん違ってることがよくあります。

 たとえば「ネーム」。ネーム=名前、って何のこと?

 日本マンガにおいて「ネーム」とは、かつては「フキダシ内のセリフを文字として書き起こしたもの」ぐらいの意味だったと思います。少なくとも、手塚、石森の時代はそう説明されてました。

 なぜネームが重要視されたかというと、フキダシ内のセリフさえ決定していれば写植として早めに仕上げておき、マンガ原稿の完成とともにそれをフキダシ内にはりこんですぐに印刷所に届けることができたから。

 つまりマンガ家が遅らせてしまう原稿に対して、編集者サイドから見ていかにすみやかに雑誌を印刷できるか。それを決定するのが「ネームの完成」だったのです。

 しかしあたりまえのことですが、ネームが完成するにはフキダシの形が決まってなければならない。フキダシの形が決定するにはコマ構成と人物配置が決まってなければならない。

 というわけでその後、ネームの意味は変化しました。現代日本でネームといえば、「マンガのコマ構成、コマ内の人物配置や構図、フキダシ内のセリフを簡易的に表現したもの」という定義が妥当でしょうか。

 今やネームはマンガの骨格。ネームさえあればマンガが成立してしまう、というぐらいに重要視されています。つまりネームこそマンガの設計図である。この言葉、ずいぶん出世しましたねえ。

 ところがひるがえって海外では。マンガの設計図に「ネーム name」などという言葉が存在するわけもなく。なんでまた、ネーム=名前=マンガの設計図、なんだよ、ってなもんです。

 わたしが見聞したところでは、現代日本でいうとことろの「ネーム」の意味で「サムネイル・レイアウト thumbnail layout」の用語を使ってるところが多いみたいです。

 そうか、マンガの設計図とは、簡略した絵=サムネイルをレイアウトしたもの。なるほど、わけわからん「ネーム」よりは、ずいぶん納得できる用語のように思います。さて「ネーム」という言葉は、将来も生き残ってるでしょうか。

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