わたしの「COM」
手塚治虫の虫プロが月刊マンガ誌「COM」を刊行したのが1966年12月のこと。わたしが初めて買った「COM」は創刊三号めの1967年3月号です。
表紙には「まんがエリートのためのまんが専門誌」というコピー。表紙イラストは石森章太郎の描く『ジュン』でした。買ったわたしはまだ小学生。
今「エリート」なんて言葉を使いますと、エリート=エリートサラリーマン=スノッブ、みたいな感じでちょっとキザでやーな語感がありますが、当時はそうでもありませんでした。桑田次郎/平井和正のSFマンガ『エリート』が1965年です。SFヒーローをエリートと名づけたのは、この言葉がそれほど世間に出回ってなかったから。そして本来の意味であるところの「選良」という意味が優位だったからです。当時の日本では「エリート」はまだ「いい言葉」だったのですよ。
でも小学生の自分には、エリートという言葉の意味すらよくわかってなかったと思います。
マンガは手塚治虫『火の鳥』、石森章太郎『ジュン』、永島慎二『青春裁判』、ゲスト作家がみやわき心太郎で、アニメ『悟空の大冒険』のコミカライズを出崎統が描いてました。
こう書き出してみると、うわあ、全員が故人になってる。あと、手塚の名作『フィルムは生きている』の総集編が載ってました。
マンガのラインナップからわかるように、初期の「COM」は想定する読者対象として小学生も含めていました。ただそれにしてはマンガおよび雑誌そのものが実験的、先鋭的でした。
子どものわたしに衝撃だったのは永島慎二『青春裁判』でしたね。永島慎二はすでに少年画報で梶原一騎と組んだ『挑戦者AAA(トリプルエース)』を読んでましたが、それとはぜんぜん違う絵とストーリー。
またそれまでのマンガ雑誌の文章記事といえば、探偵小説や戦記物語、科学記事、オカルト記事などが定番でしたが、「COM」では「まんがブームの正体!?」という各マンガ雑誌編集者による座談会とか、「マンガ界ルポ」みたいな情報ページがある。草森紳一による赤塚不二夫研究や、手塚治虫や藤子不二雄によるマンガについてのエッセイあり、同人誌の紹介まで。
情報があふれた現代とは違います。なにこれ、こんな雑誌、読んだことがない。つまり「COM」は創作・評論・研究・情報誌を兼ねた、まさにマンガ総合誌として創刊されたのです。
さらに「COM」の大きな柱として、読者の投稿マンガを添削批評する「ぐら・こん まんが予備校」がありました。
当時これに類する企画はありませんでした。多くのマンガ家が「ぐら・こん」出身、あるいは投稿の経験があるというのは、有名な話。多数の少女マンガ家を育てることになる「別冊マーガレット」の「別マまんがスクール」も「ぐら・こん」をまねて始まったものです。
小学生だったわたしは「COM」を断続的ですが定期的に買い始めます。「COM」は1971年末に一応の終末を迎えますが、最後のころはわたしも中学生。そのころは意識的に毎月買い続けてました。その後、欠落してる号をひとからゆずってもらったり古書として購入したりして、全冊をそろえることになります。のちになってミニコミ誌「漫画の手帖トクマル」3号(2009年)に『みーんな「COM」に投稿していた』という記事を寄稿させていただいたこともあります。
さて、こういう本が刊行されました。
●霜月たかなか・編『COM 40年目の終刊号』(2011年朝日新聞出版、amazon)
米澤嘉博が2006年に亡くなり、それがきっかけに出版された霜月たかなか『コミックマーケット創世記』(2008年朝日新書、amazon)で、「COM」の休刊と「ぐら・こん」の終了が、コミック・マーケットの開催につながった、という当時の事情が明らかにされました。
その後2009年に京都国際マンガミュージアムで、2010年には東京ビッグサイトのコミティア93で、COM関係者座談会が公開開催されました。
本書はその座談会の採録を中心に、当時掲載されたマンガの再録、マンガ家のコミックエッセイ、編集者の回想録などからなるものです。
全冊のインデックス、登場したマンガ家の記録、「ぐら・こん」投稿者一覧などは資料性が高いですし、霜月たかなかによるCOM史の総括、関係者による「ぐら・こん」の軌跡については読み応えがあります。
座談会に出席した真崎守によりますと、「ぐら・こん」の参考にしたのはまず「漫画少年」の「漫画つうしんぼ」。これは寺田ヒロオが選者と評を担当していました。そしてもうひとつ、貸本短編誌「街」の投稿欄。ここでは辰巳ヨシヒロが選者をしていたと。
「漫画少年」から「COM」への流れは有名ですが、そこに「街」もはさまっていたとは。これはおどろき。辰巳ヨシヒロが後世に与えた影響はこんなところにも。
書影イラストは和田誠。和田誠はCOMの表紙をもっとも多く描いたひとで、当時のCOMはまさにこういう感じの本でした。背表紙も当時と同じデザイン。
矢代まさこ「COMな頃」と樹村みのり「COMの頃」という、タイトルも似たコミックエッセイが掲載されてます。
矢代まさこが岡田史子・やまだ紫・樹村みのりのマンガの模写をして、樹村みのりが岡田史子・やまだ紫・矢代まさこのマンガの模写をしている。お互い申し合わせたかのようにそっくり。つまり当時の少女マンガの最前線はこの時期、この雑誌にあった。その認識を当時の作家たちが共有していた、ということなのです。
「COM」は漫棚通信にとって原点といえる雑誌です。マンガ評論に出会ったのも「COM」が最初ですし、自分が読んだことのない昔のマンガも「COM」で知りました。
「COM」がなければこのブログもなかったかもしれません。という意味でもいろいろ感慨深い一冊。
さて、もひとつ。
読みものとしては、じつはこちらのほうがおもしろい。不定期刊の雑誌「スペクテイター」では、2009年に発行された20号から「証言構成『COM』の時代 あるマンガ雑誌の回想」という記事を連載しています。現在第四回、まだ終了していません。
●「spectator」20~23号(2009年~2011年エディトリアル・デパートメント、各952円+税、20号21号22号23号)
過去の記事の再録やインタビューから構成されていて、インタビュアーは赤田祐一。22号では矢代まさこ、樹村みのり、芥真木、たむろ未知、末永史らのインタビュー。最近の23号ではガンケ・オンム、吾妻ひでお、ふくしま政美、鈴木漁生、間宮聖士、辰巳ヨシヒロらが登場していて、いやもうこれは人選からして読みたくなるでしょ。
将来、単行本にまとまるかもしれませんが、雑誌記事のレイアウトで今読んで楽しい。興味あるかたはこちらもどうぞ。
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Comments
記事が出るのを楽しみにしてます。でも「spectator」ってほんといつ出るかわからない雑誌ですから。ふと気づくと出版されてるんですよ。
Posted by: 漫棚通信 | September 29, 2011 06:36 PM
赤田さんは、栃木のぼくのところまでインタビューに
来られました。でも、ぼくのそのデータは先日ゲラに
なったばかりですよ。
短く、たいしたことが喋れておりません。(汗)。
これのテープは3年くらい前に取ったかな?と
いうくらい、古く、日にちを記憶していません。
赤田さんは、ゆうゆうと、記録をとっておられる
ようです。なにしろ、この雑誌、かなり特殊で
いつ刊行かも不明ですよね。
たしかに、いずれ単行本にはなると思うのですが、
並みのライターではやれない「COM」とその
周辺の作家の証言ですね。
Posted by: 長谷邦夫 | September 28, 2011 05:23 PM
ちょっと前から手塚治虫「火の鳥」完全版、今月からは石森章太郎「ジュン」の完全版全5巻が発行され始めたりして、評論以外でもCOM総決算の様相ですね。
そういえば「ガロ」も尻切れトンボだったんですよね。「アックス」があるけどなんだかグニャグニャしてて自分的にいまいちだし、シャブテの「ひとりぼっち」的なものがもっと出てきてほしいなあと勝手に思っているところです。最近は鳩山郁子が掲載されているので読んではいるのだけれど。
Posted by: くもり | September 23, 2011 08:56 PM