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July 29, 2011

タイトルながっ『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ-童貞SOS-』

●すぎむらしんいち『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ -童貞SOS-』1巻(2011年講談社、600円+税、amazon)が発売されてます。

ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ ―童貞SOS―(1) (シリウスコミックス)

 いやもうなんつーかね、ゾンビ世界だからなんでもありね。「女ンビ」ですよ「女(ジョ)ンビ」。

 女のゾンビで女ンビ、って安易みたいですけど、この女ンビたち、ゾンビとはちょっと違う。彼女たち、死んでるわけではありません。半裸の生々しい肉体でちゃんと生存しているのですが、ウイルスか細菌の影響で凶暴化してて、生きた男のちんちんを食べるのが大好きになっちゃてるんですからもう。

 でもって、食われた男たちは死んじゃったあと、ホントのゾンビとしてよみがえり、今度は男ゾンビたちが女ンビを食い物にする。

 とまあ、エロエロの女ンビが男を食い、男ゾンビが女ンビを食う、とむちゃくちゃな世界。そこを逃げ惑うのが、ボンクラ童貞三人組と清純女子高生ひとり、なのです。

 書影を見ていただくとわかりますが、文字ばっかり、惹句がいっぱいでまるきり映画のポスター。造本もVHSテープ(DVDじゃないっ)を模してあって、昭和のジャンクなC級ゾンビ映画のにおいがぷんぷんであります。

 でもって、すばらしいのが主人公。ひきこもりの童貞の、知恵も力もない、なっさけないお兄ちゃんですが、彼が女子高生を守って勇敢に戦う。しかも、ずっと下半身丸出しで(!)。丸出しの彼のちんちんは、女ンビや女子高生につかまれたりかわいがられたりするわけですな。

 「プチ大人シリウス・怒りんぼ別冊 ネメシス」5号にはこの1巻の続きが掲載されてますが、主人公のお兄ちゃん、あいかわらず下半身ほりだしたまま。雄々しいというか、極限の無防備というか。こりゃ映画化は無理だな。

 さてこの作品、連載第二回の終わりで、次回はショッピング・モールにたてこもる(ロメロの「ゾンビ」ですな)展開が予告されました。そしてこういうコピーが。

「特定の連中」にとって、日本を代表するショッピング・モールと言えば… あそこしかない!!

 さらにタイトルを初期の『女ンビの夜 NIGHT OF THE RAGING WOMEN』から『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド』に変更すると。いきあたりばったりだなー。

 この時点では、わたし「日本を代表するショッピング・モール」って何のことかわかりませんでしたが、次号でそれがあきらかに。

 カバーイラストに書かれてますからネタバレしちゃいますけど、ブロードウェイって中野ブロードウェイのことだったのね。いや脱力。

 というわけで、ゾンビ、エロ、ちんちん丸出し、中野ブロードウェイ。これがいかにクライマックスに向けて収斂していくのか、それとも収拾つかなくなるのか。ロメロ作品をレーザーディスクでそろえてるわたしとしては、大期待だっ。

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July 27, 2011

震災とマンガ:2011年7月篇

 しりあがり寿『あの日からのマンガ』(2011年エンターブレイン、650円+税、amazon)が発売されました。

あの日からのマンガ (ビームコミックス)

 しりあがり寿は、誰よりも震災をテーマにしたマンガを描き続けています。その作品を発表順にまとめたもの。

 朝日新聞の四コママンガ『地球防衛家のヒトビト』、そしてコミックビームや小説宝石に掲載された短編が集められています。

 地球防衛家のオトーサン、オカーサンは、震災にただぼう然とし、その後思い立って被災地にボランティアに出かけます。短編作品では、原発や放射性物質が擬人化されたり、震災を経た近未来の日本がファンタジーとして描かれています。

 現代日本のマンガの多くは、娯楽あるいは笑いを提供するためのものです。なおも悲劇が進行中である現在、それをテーマにマンガを描くとはどういうことなのか、そして読者はそれをどういうふうに受けとめるべきなのか。

 それについて深く考えてから描かれたものではありません。そんなことは誰にもわからない。
 
 オビに著者の言葉があります。「『たとえ間違えているとしても、今、描こう』と思いました」

 そこに存在するのは、ひんしゅくを買うかもしれないし、スベりまくるかもしれないけど、自分は描く、という強い意志です。

 読者が感動するのは、この作者の姿勢、創作者としての態度です。しかし作品そのものに対しては感想がじつに書きにくいのも確かです。このマンガに対する感想は、笑ったでもない。泣いたでもない。感動したでもない。

 そういう感想ももちろんあるかもしれませんが、わたしたちはそこでふと立ち止まってしまう。作品に登場するキャラクターは私たち自身です。キャラクターを客観視することができないし、作品を味わうことなどまだまだ無理なのです。

 しかしそれでも、今、この現在、こういうマンガが描かれ、読者の前に提出されている。一年後じゃなくて、今、読むべきマンガがここにあります。


 もひとつ。「月刊フラワーズ」2011年8月号には、萩尾望都が原発事故をテーマにした作品を描いています。

月刊 flowers (フラワーズ) 2011年 08月号 [雑誌]

 「ここではないどこか」という連作シリーズの一篇。タイトルは『なのはな』です。

 舞台となるのは現代、というより今、現在のフクシマ。主人公の少女はマスクをして小学校に通っています。彼女の祖母はツナミで行方不明なったまま。

 主人公の少女は時空を越え、20年前にチェルノブイリに住んでいた少女と、再生の象徴である菜の花畑を幻視することになります。

 萩尾望都は今年の3月29日に山岸凉子と対談しています(「Otome continue」6号に掲載)。ここで山岸凉子『パエトーン』が話題に出ました。

 『パエトーン』は1988年の作品ですが、震災のあと、ネットで無料公開されています。エッセイマンガというか学習マンガというか、反原発の啓蒙マンガ。作品から受ける印象はずいぶんちがいますが、萩尾望都の描いた『パエトーン』へのアンサーソングが『なのはな』なのだと思います。

 この作品も、今、描かなきゃという欲求につきうごかされて描いたマンガです。ですから読者であるわたしたちも、今、読まなきゃ、なのです。

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July 22, 2011

書評と批評の違いは何か『ニッポンの書評』

 上記のエントリタイトルに書いた設問に対して、知識のあるかたはすぐ答えられるのでしょうけど、わたしにとってはちょっとむずかしい問いでした。これに対する解答がさらっと書いてある本。

●豊﨑由美『ニッポンの書評』(2011年光文社新書、740円+税、amazon

ニッポンの書評 (光文社新書)

 えっとですね、豊﨑由美+大森望による書籍『文学賞メッタ斬り!』シリーズは四冊刊行されて終了したみたいですが、芥川賞/直木賞に関しては、このおふたり、「予想」と「感想戦」をネットやラジオで継続してらっしゃる。今回の芥川賞/直木賞予想と敗戦の弁もポッドキャストでけらけら笑いながら聞きました。その流れで本書も読んでみたわけですね。

 書評論、というより現代日本における書評の立ち位置を述べ、いい書評とは何なのか、を自問自答しながら書いたエッセイ、です。その中でいろんな設問が出てきます。「書評と批評の違いは」「書評の文字数はどのくらいであるべきか」「書評でネタバレは許されるか」「日本と海外の書評の違いは」「評者の自慢になるかもしれない援用はどの程度であるべきか」などなど。

 そのなかでネット書評、とくにアマゾンのカスタマー・レビューのひとつを例に挙げて罵倒しちゃってる(文章自体がめちゃくちゃ。論理性のかけらもない。取り上げた本に対する愛情もリスペクト精神もない。頭と感性が鈍いだけ)ものですから、本書はアマゾンでネット書評人からあーのこーのと逆襲をくらっちゃってますけど。でもわたしにはいろいろ勉強になりました。

 トヨザキ社長はマンガを読まないかたみたいですので、本書にはマンガのことは一行も出てきません。しかし当然、対象がマンガや映画になっても参考になりまくりです。

 著者のいうところの「匿名の」「アマチュアの書評ブロガー」であるわたしは、いつも自分の文章を迷いながら書いています。

 あらすじはどのあたりまでネタバレしていいか。ネタバレしないと書けないような複雑な仕掛けをほどこした作品を、どのように紹介すべきなのか。

 自分の周囲のこと、エッセイ的なことを書くべきか否か。

 大傑作とは思わないけど読んでみていいと思う本を、どのあたりまで誉めるべきか。くだらないと思う作品をブログで取り上げて欠点を書いていいのか。

 本書を読むと、こういう疑問がたちどころに氷解する、わけではありません(なんせ著者自身も迷っている)。しかしアマチュアであるわたしたちが目指すべき場所についてのヒントを与えてくれる本だと思います。そういう意味では「ハウツー・書評」として読むのも可能。

 ネット時代になり、アマチュア書評ブロガーはプロ書評家の足もとをおびやかしているのだそうです。たしかにその即時性はすごい武器で、発売日その日に書評をあげるのも可能です。じつはわたしも、早い者勝ち、と考えてた時期もありました。

 いやあ、若かったのう、ほっほっほ。しかしそれは、質がともなっていたかどうか。自戒するばかりであります。

 冒頭の問いに対する答えは、「批評は作家のために書かれるが、書評は読者のために書かれる」です。この場合の読者とは、「まだその本を読んでいない未来の読者」のことですね。

 さて、今回のわたしの文章、批評か書評か。いえいえ今回はたんなる感想文です。

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July 15, 2011

ダブリのはなし

 以前、古書コレクターのかたがたの本を読んだとき驚いたのは、みなさん、いわゆる「ダブリ買い」をまったく気にされてないこと。

 店頭での古書との出会いは一期一会なんだから、持ってようが持ってまいが気にせず、見たら買う。安ければ買う。おそらく持ってるはずだと確信してても買う。

 いやもう、いさぎよいというか何というか、マネできません。

 わたしもたまに古書を買ったりしますが、雑誌や全集のそろいが出てるとき、すでにその一部だけ持ってると、落札するかどうか迷いに迷っちゃいます。でも、一冊ずつ集めていくよりイッキ買いのほうが楽じゃないですか。結局、ダブリの雑誌とかが書庫に増えていくのですけどね。

 さて古書ならともかく、新刊のダブリというのはどうか。

 これ、意図的に買うなら何の問題もありません。わたしかつて、『風の谷のナウシカ』全巻を買い直したことがあります。持ってたのだけど、すべてトランクルームに放り込んでたものだから、読みたくなったら探すより買ったほうが早い。

 小説の文庫本でも、ウチにはホーガン『星を継ぐもの』や筒井康隆の七瀬シリーズなんかが二冊ずつあったりします。

 いわゆる再版モノもオッケーです。ほとんど同じものだけど、表紙が違えば違う本だっ。ぜんぜんくやしくないぞっ。しかしあのボーナストラック追加商法というのは何とかならんか。

 しかし、意図せぬダブリというのはつらい。

 歳をとってくると記憶力が落ちてしまって、持ってるのかどうか、わかんなくなることがあるのですよ。世間的によくある話なのかどうか知りませんけど。

 買ってきて読み始めて、あれ、これ持ってないか? で、探してみると、やっぱ持ってるやんかー。これぐらいならともかく、読み終わって片付けるときに、あれれれ、持ってるじゃなイカ。

 いやもう脱力。読んだことすら忘れてるとは。

 こういうのは年に一回ペースで刊行される長編に多いですね。あるいは似たような話が延々とくり返される短編連作とか(『パ○リロ』なんかですな)。

 さらに、ネット書店で買うときに注意が必要なのが、あの「数量」という欄です。書籍なんか一冊しか買わないのわかってるはずだろうに、ああいうボタンがあるのはなぜなのか。しかもあの欄の数量が「2」になっているのはなぜなのか。わたしがそんなことをしたはずはないっ。もうアマゾンが裏で何か操作しているとしか思えません。

 アマゾンの箱を開けて、同じ本が二冊入っているのを発見したときの、さーっと血の気がひくあのいやーな感じ。わたしすでに数回体験してます。

 しかもそれに続く妻からの罵倒。一回などあまりに高額な書籍だったので、返品のための送料が必要なのは覚悟でアマゾンに返品しちゃいましたよ。

 先日はさらに新しいパターンを経験。買おうかどうしようか迷ってたちょっと値段の高い本を、書店で思いきって買ってきたわけです。で、家に帰るとアマゾンから箱が来ている。あれ、何か注文してたっけ、と開けてみると。あわわわ、今買ってきた本と同じものが。

 どうもわたし、その数日前に酔っぱらったイキオイで、アマゾンに同じ本を注文していたらしい。あわてて、今買ってきた本を妻に見つからないようにそっと隠した。

 翌日、朝イチで、書店に返品しに行きました。店員さんが、別の本とお取り替えしていただいてるんですけどー、と言うのを拝み倒して現金と交換してもらいました。すみませんすみません。恥ずかしいったら。

 あとちょっと変わったパターンでは、わたし、たまに出版社から献本をいただくのですが、すでに買って持ってる、ということがあります。でもこういうときはなぜか残念とは感じませんのですね。これ不思議。買うのともらうのは大きく違う、ということでしょうか。

 ありがたくいただいてますのでこれからもよろしくお願いします。

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July 08, 2011

白土三平の人物像『白土三平伝』

 毛利甚八『白土三平伝 カムイ伝の真実』(2011年小学館、1500円+税、amazon)読みました。

白土三平伝-カムイ伝の真実

 書影デザインがちょっと……なのですが、内容はすごくいい。

 著者は『家裁の人』『裁判員の女神』などのシナリオで有名なマンガ原作者。古いところでは谷口ジローと組んだ『ニューヨークの弁慶』がありますし、ノンフィクションの著書も多いかたです。

 著者は1980年代なかばより千葉の白土邸に出入りしており、白土の「野外生活科目の弟子」。本書は白土三平へのインタビューなどをもとにして書かれた評伝です。『決定版カムイ伝全集』の巻末に収録された「白土伝」や、雑誌掲載記事を加筆修正したもの。一部はわたしも読んだことがありました。

 著者と白土の関係や本書の成立経緯からもわかるように、著者が出会った白土三平という「人物」から、白土作品群にアプローチする、という形のものになっています。

 そのために著者は白土が住んだ大阪や長野の土地を実際に訪れ、街や風景をレポートします。そして白土の房総での「漁師」生活を活写する。白土三平を読んで理解するには、まずその人となりを知るべし、という正しい方法論ですね。

 著者の見た白土三平は驚嘆すべき人物で一種の超人。その人物に傾倒する著者と白土の関係は、読んでいて感動的ですらあります。

 しかも本書は白土自身によって校正されてるので、ある種「公式」の伝記です。ただしそこが長所でもあり、欠点でもあり。

 本書は「伝」ではありますが、白土の膨大な作品群に比べて総分量はかなり少ない。白土三平自身や著者があまり興味を持ってなさそうな、子ども向けの『サスケ』や『ワタリ』への言及はちょっとだけ。両者の熱心な読者だったわたしなどには残念。それに白土作品の「絵」についても、もっと知りたかった。

 すでに四方田犬彦『白土三平論』という長編の論考がありますから、それに対してあくまで副読本という位置づけになるでしょうか。

 しかし貴重な証言や指摘が多数詰まった本。今後白土三平作品を読むには必携の参考書であります。

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July 01, 2011

南條範夫作品に挑戦『腕 KAINA』

 南條範夫『駿河城御前試合』といえば、ご存じ山口貴由『シグルイ』の原作小説。マンガの人気にあやかって、だと思いますが『シグルイ』連載途中の2005年に新装版文庫が刊行されました。

●南條範夫『駿河城御前試合<新装版>』(2005年徳間文庫、876円+税、amazon

駿河城御前試合 (徳間文庫) シグルイ 15 (チャンピオンREDコミックス)

 表紙イラストは赤くてちょっとわかりにくいですが、山口貴由です。

 『シグルイ』のメインストーリーの原作になったのが『無明逆流れ』です。これって文庫本で30ページちょっとの短編。

 ところがこの作品、短編にもかかわらず、人間関係、時の流れ、奇想の剣法による試合をいっぱいつめこんである作品なのです。山口貴由はこの作品をベースに、原作にない多数の登場人物や彼らの因縁を描き込んで、鬼気迫る大長編にしあげました。本来『駿河城御前試合』シリーズの別の短編に登場するはずの人物も出てきたりします。

 『シグルイ』は原作のある部分を削るのじゃなくて、原作のすべてを取り入れたうえに、妄想をどんどん過剰にふくらませてできた作品です。男同士のアレな表紙イラストのせいもあって、脚色、というより二次創作といったほうがしっくりくる感じですね。

 『駿河城御前試合』は奇想の剣法がたくさん登場するだけじゃなく、登場人物たちの情念と妄執がすごい。ここが魅力なので過去にも平田弘史やとみ新蔵がマンガ化しています。そして今回新しく南條範夫作品に挑戦したのがこの作品。

●森秀樹/南條範夫『腕 KAINA 駿河城御前試合』1巻(2011年リイド社、619円+税、amazon

腕~駿河城御前試合~ 1 (SPコミックス)

 編集のかたからご恵投いただきました。ありがとうございます。

 森秀樹は『子連れ狼』の続編を経て、ますます小島剛夕タッチになってきましたね。

 第一巻に収録されてるのは三作。『無明逆流れ』『がま剣法』『疾風陣幕突き』。どれも原作や先行するマンガ化作品と違う脚色をしてあるのが楽しい。

 『無明逆流れ』はちょっと残念なデキ。原作は短編とはいえ、いくらでも長くできてしまう作品なので、『シグルイ』は大長編ですし、とみ新蔵作品も相当に長い。森秀樹作品はページ数制限があって魅力的なチャンバラ(伊良子清玄と牛股権左衛門のアレですな)が省略されてしまいました。でも残りの二作品は健闘してます。

 『がま剣法』は被虐の主人公の造形と怒りが読ませどころ。原作小説とも平田弘史作品とも違って、救いのあるラストになってます。『疾風陣幕突き』は主人公を、腕は立つけれど愛嬌のある武士にしちゃった。こういうのが作家の個性というものなのでしょう。

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