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June 26, 2011

トキワ荘二軍選手による『トキワ荘最後の住人の記録』

 書影は「少年画報」1966年8月号の別冊フロク『しびれのスカタン』です。判型は雑誌の半分のB6判。表4に少年画報社が新しく創刊した雑誌「バットマン創刊号」(70円)の広告が載ってるのもなかなか楽しいでしょ。

Sibirenosukatan_2 Batman

 ぱっと見て赤塚不二夫の絵のように思われるかもしれませんが、じつは書影にもあるように、本作は「赤塚不二夫・作、長谷邦夫・え、フジオプロ」とクレジットされています

 長谷先生の『漫画に愛を叫んだ男たち』(2004年清流出版)によりますと、キャラクターデザインは赤塚不二夫ですが、その他はすべて長谷先生によるものだそうです。

 ストーリーやギャグはまさにフジオプロ作品、という感じ。この時代、出版社側も赤塚タッチのマンガをほしがっていたということでしょう。

 同時期に赤塚タッチのギャグマンガを描くひとに、太宰勉(だざいつとむ)がいました。Wikipediaによると、高井研一郎と山内ジョージによる合作ペンネームだったそうです。

 で、山内ジョージによる若き日を回想した文章がこれ。

●山内ジョージ『トキワ荘最後の住人の記録』(2011年東京書籍、1600円+税、amazon

トキワ荘最後の住人の記録: 若きマンガ家たちの青春物語

 著者は石森章太郎と同郷で1960年に上京。当時石森章太郎はトキワ荘の二部屋を借りていて、一方が仕事部屋。そこに住み込んで石森のアシスタントとなります。職業的アシスタントの嚆矢なのでしょうけど、ほんと職住一致ですなあ。

 自称トキワ荘二軍選手、の著者によるいろんな証言を楽しく読みました。知らないことも多かった。著者は最近も「動物絵文字」というデザイン的分野で本を出されてます。

 で、本書で著者が太宰勉の半身であったと知ったわけですが、わたし月刊マンガ誌「少年」で太宰勉のマンガをよく読んでたのですね。本書でひっさしぶりにその絵に再会しました。いやなつかしい。

Dazaitutomu

 乱暴で大仰な身ぶりの子どもたちが、泥棒ヒゲで怪しい身なりの自称教師と出会ってドタバタ、というお話のようです。よい子じゃなくてけっこう乱暴な子どもたち、というのがすでに赤塚マンガっぽい。

 「少年」では赤塚不二夫『まかせて長太』が1965年9月号で連載終了。それに代わる形で1965年10月号から太宰勉『ジンクス1ちゃん』(のちに単行本化されるときに『ジンクスちゃん』にタイトル変更)の連載が開始されてます。これもきっと出版社側が赤塚タッチのマンガを望んだのですね。

 合作の方法は、キャラクターごとにふたりで描きわけていたそうですが、このページでは全部高井研一郎の絵に見えちゃうなあ。「にいちゃん」のほうが山内ジョージの絵なのかな。

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June 18, 2011

監獄マンガというジャンル『囚人リク』

 おー、監獄マンガだ。

●瀬口忍『囚人リク』1巻(2011年秋田書店、419円+税、amazon

囚人リク 1 (少年チャンピオン・コミックス)

 タイトルが「囚人」ですからもちろん刑務所が舞台ですね。秋田書店のチャンピオンで監獄マンガ、と聞いて、どおくまん『暴力大将』を思いうかべるひとはそうとうに古い。

 刑務所などの監獄を舞台にしたマンガもけっこうあります。すでに監獄マンガというジャンルが形成されてるのかもしれません。郷田マモラ『モリのアサガオ』のようなマジメなアプローチもあれば、土山しげる『極道めし』みたいな変化球もあります。そうだジョジョの『ストーンオーシャン』だって刑務所だ。

 歴史的にいうと日本で監獄マンガのハシリといえば、もちろん梶原一騎なわけです。もっとも有名なのは『あしたのジョー』での鑑別所から少年院にかけてのパート。

 この古典作品で、すでに監獄は二つの側面を持っていることが示されています。警察に捕まったジョーはまず鑑別所にはいり、そこで同室の西や仲間からリンチを受けることになります。つまりこれは監獄の怖い一面。閉鎖空間で逃げ場がなく、暴力が支配する恐ろしい場所です。

 ジョーは、ここでもチカラでのしあがっていく。ここが読者にとって快感となります。

 ところが次に少年院に舞台が移りますと、ジョーは力石というライバルと出会い、ボクシングに目覚めることになります。ここで監獄は、世俗から離れた自己発見と修行の場、に変化するわけですね。

 この閉鎖された監獄がじつは修行の場になる、という設定をそっくりいただいた作品としては、池上遼一/雁屋哲『男組』の軍艦島編や、たなか亜希/橋本以蔵『軍鶏』などがあります。梶原一騎おそるべし。

 とまあ、古典的「ジョー」世界においても監獄という舞台は多面性を持っているのですが、さらにここに「女囚」という要素が加わったりしますともうたいへん。

 お話の方向性が下半身方面に向かい、映画「ナチ女収容所」みたいなエログロ要素がはいってきます。日本作品なら篠原とおる『さそり』があります。

 『さそり』のマンガ版ではけっこう人情話系の回も多かったのですが、映画版のほうはエログロ路線一直線でしたね。梶芽衣子かっこいー。
 
 さて娯楽作品としての監獄モノは、もちろん小説や映画に先行作品がいっぱいあります。監獄モノは捕虜収容所モノのお隣にあって、魅力的な脱獄を描いてきました。

 監獄を舞台にした作品がたくさん存在するのは、「監獄」にいろんな寓意が込められるからです。監獄とはわたしたちを抑圧するシステムそのものであり、社会的正義かどうかは別にして、個人の自由にたいする敵、であることはマチガイありません。つまり監獄とは、家庭であり学校であり会社であり、さらには現代社会そのものをさしているのです。

 でね、わたし以前から思ってたのですが、娯楽作品としての監獄マンガにはふたつの方向性があるのじゃないか。

 監獄マンガの主人公は、だれかと戦う必要があります。戦わないで観察ばかりしてると、花輪和一『刑務所の中』になっちゃいます(それはそれで傑作が生まれるわけですが)。

 ひとつは、監獄内での戦い。具体的にいうと、囚人同士の戦いです。代表的なのが、どおくまん『暴力大将』(の前半)ね。

 『暴力大将』(の前半)は河内矯正院という少年施設に入った主人公が、男気と暴力でのし上がっていくお話。

 同房の室長と戦い、その上の組頭と戦い。勝利を重ねて彼らを仲間としながら、最終的に矯正院を支配するラスボスとの戦い。少年マンガであるのにその抗争には銃まで出てきて、読者を驚かせました。日本監獄マンガ史上の傑作ですねー。

 監獄マンガのもう一つの方向性は、監獄の管理者=所長とか看守に代表される権力と戦うお話です。

 この場合、主人公の最終目標は必然的に脱獄ということになります。こちらのほうがお話の世界は大きくなりますし、「個人」対「個人を抑圧するシステム」という寓意もはっきりしてきます。

 映画ならポール・ニューマン主演の「暴力脱獄」などが有名。マンガだったら不完全燃焼でしたが福本伸行『無頼伝 涯』なんかがそのタイプだった。

 さて『囚人リク』の紹介に戻りますと、大隕石の落下で東京が壊滅した別次元の日本。無実の罪で入獄した主人公のお話です。主人公自身は(1)最終目標は脱獄だ、と宣言してますが、(2)今はまだ同室のボスと戦ってるだけです。

 主人公がスーパーマンじゃなくて、意志が強い「だけ」の少年、というのがなかなかの読ませどころね。

 今のところ『暴力大将』路線を踏襲してるように見えますが、個人的には今後(1)のほうに向かってくれるといいなあと思ってます。

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June 12, 2011

「ユーロマンガ」最終号!

 フランスBDをフルカラーで邦訳紹介してきた雑誌「ユーロマンガ」が、今回発売の6号で最終号となりました。

●「ユーロマンガ」6号(2011年Euromanga合同会社/飛鳥新社、1500円+税、amazon

ユーロマンガvol.6

 編集のかたからご恵投いただきました。ありがとうございます。

 いやー、感慨深い。2008年秋「ユーロマンガ」が創刊されたとき、わたしこう書きました。

アメコミですら日本に定着しないのに、これを創刊するとは思いきったことをするなあ。

 はっきりいいまして、ちょっと無謀?な試みと思ったのですね。

 ところがユーロマンガが着実に巻を重ねるうちに、昨年から今年にかけてのBD邦訳ブームですよ。すばらしい作品が次々と邦訳されるようになりました。その先陣を切り、かつ牽引してきたのがユーロマンガ。功績は大きい。

 「ユーロマンガ」最終6号では、わたしが大好きだった『赤いベレー帽の女』が完結しました。ハードボイルド探偵モノの『ブラックサッド』はあいかわらずかっこいい。早川書房版の『ブラックサッド』は、発売後6年たつのに最近増刷されたそうですね。長く売れてるなあ。
 
 しかしあれですな、最近オールカラーの日本マンガも登場するようになりましたが、はっきりいいましてカラリングの面では、日本マンガはBDより10年以上は遅れてると感じてしまいます。

 えっとですね、日本マンガはモノクロで発達してきました。その結果、心理描写や劇的効果のため、空間を斜線や集中線で満たす工夫をしてきました。あるいは完全に空白にしたりベタにしたりして「間」をいれたりする。

 ところがオールカラーになるとそこに色を置くわけで、そうなると空間処理はまったく別のものになります。いろんなカラーの日本マンガを読むと、人物の背景空間にどんな色を置いていいのか迷い、四苦八苦してるのがよくわかります。「ユーロマンガ」に掲載されてるようなBDはそこを軽々と乗り越えてて、感心するばかり。これが歴史のチカラか。

 「ユーロマンガ」は雑誌形式としては最終号となりましたが、本年秋からは単行本出版にシフトして、まずはエンキ・ビラル『MONSTER』完訳版が刊行されるそうです。1998年に河出書房新社から第一巻だけ刊行されたシリーズです(ま、そのときは二巻以降は本国でもまだ刊行されてなかったのですが)。今後も楽しみにしてます。

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June 08, 2011

閉じた世界の楽園『げんしけん』

 木尾士目『げんしけん 二代目の壱』(2011年講談社、amazon)が発売されてますねー。

げんしけん 二代目の壱(10) (アフタヌーンKC)

 前シリーズは2002年春から2006年春までを描いてましたから、その直後である「二代目」世界は2006年春ね。それにしては『化物語』のセリフとか出てきてるからアレですけど。

 これがきっかけになって、旧『げんしけん』全九巻をひっぱりだしてきて再読してました。とまらなくなって、結局ぜんぶ読んじゃった。こういう旧作を取り上げるのも今さらながらですが、感想を少し。

 旧『げんしけん』3巻、第14話「インナースペース」てのは、ほんとたいした作品ですねー。

 この回、出会って一年にして、斑目(♂、オタク)が春日部さん(♀、notオタク)に対する恋心を自覚してしまう。しかもそれが自分でもよくわかってない、という複雑かつ微妙な感情が描かれます。

 この回24ページありますが、場面はせまい部室、登場人物はふたりだけ。しかもほとんどが斑目のモノローグで展開してて、ふたりの会話はすこしだけ。もちろんコメディで娯楽作なんだけど、そのじつはほとんどもう実験作やん。

 ラスト近く、同じ場面が9巻、第53話「告白」でくりかえされます。斑目と春日部さんが、もういちどふたりだけで部室で会話しているのです。全体の構成としてもきれいにまとまった作品だなー、と感じます。いやお見事。

 ただ今回再読しての感想は、きれいにまとまったけど、閉じてるよなー、というもの。

 コメディとして、そして成長物語としてよくできているのは万人が認めるところ。笑いながら、感動しながら、読みましたよ。でも閉じた世界だ。

 だいたい学園モノですから、ストーリーの単位は一年です。同じ季節がめぐってきて、学園内では同じ行事がくりかえしあって、世間でも同じイベント、本作の場合「コミフェス」ですが、それがくりかえされる。まずこれが閉じてます。学園を舞台に数年が経過する作品の宿命ですね。

 本作は主人公が入学して、まる四年たって卒業するまでのお話で、きれいに完結しました。でもこれも大学生という、モラトリアムの時期における閉じた世界。

 しかも彼らの興味はマンガ、アニメ、ゲームという、いわゆるオタク趣味です。オタク趣味に限ったことではありませんが、趣味に淫したひとたちって、自分たちの周辺だけで完結してしまってる印象があります。

 というわけで、閉じた世界の3乗なわけです。外部世界からの使者として、パンピーの春日部さんとか笹原妹などが登場しますが、彼女たちも結局このオタク世界にとりこまれてしまいます。

 『げんしけん』は閉じた世界における楽園を描きました。登場人物たちが卒業して去っても、「げんしけん」が中央にある限り、そこには永遠の楽園が存在します。読者にとっても、すでにそこから去った者にとっては郷愁で、そこにいたらない者にとってはあこがれ。

 でね、そこがすでに明らかになっているのに、続編の存在意義はどうよ、って話なんですが。こんなにまた閉じちゃってていいのかしら。

 ファンとしてはキャラクターのその後も知りたかったし、おもしろいからいいじゃん、というものではありますが。

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