ののちゃんと震災
現在、朝日新聞『地球防衛家のヒトビト』では、防衛家のオトーサンオカーサンが被災地を訪れ、夫婦漫才をくり広げている最中ですが、いやー、しりあがり寿の「マンガにおける」腰の軽さはすばらしい。考える前に描く、という感じ?
本来ならこういう大災害は、フィクションに昇華するまで数年かかるかもしれないという題材なわけです。しかし即時性を標榜すべき新聞に掲載されるマンガでそれは許されないと考える作者は、実際に被災地を訪問して「ルポルタージュふう新聞四コママンガ」を描いています。こういうのって過去に存在しなかったものじゃないのか。
さて、朝日新聞のもうひとつの新聞マンガ、いしいひさいち『ののちゃん』。
これまで震災にノータッチだったののちゃんですが、2011年5月11日掲載の4908回で初めて震災を題材にしました。しかもむちゃ高度なフィクション化の手法で。もしかすると読者に伝わってないかもしれない、という不安もあって記録しておきます。
舞台は晴天の日、海の見える公園。「紫雲出山丸沈没事故10周年慰霊祭」が開催されています。高校生の柴島姉が黒い喪服を着て参加しています。そこには『ののちゃん』の他の登場人物の顔も見えます。そこへ同級生でありバンド歌手でもある吉川ロカがやってくる。
「お、来たのか」
「うん、10年だから」
柴島姉の回想によると、彼女が吉川ロカと初めてあったのは10年前の慰霊祭でありました。そこで幼少時のロカが「ママー」と泣いていたのを柴崎姉は記憶している。
「あれから10年たつのに現場の風景とかぜんぜんかわらんな」
「うん……」
そして「ママー」と泣き出すロカに対して「かわらんのう」とつぶやく柴島姉。
四コママンガとしてオチてません。ある種のスケッチです。『ののちゃん』世界の10年前には大きな船の事故があったらしい。しかも『ののちゃん』関係者の多くが被災者の遺族らしい。吉川ロカの母も柴島姉の親族も亡くなっている。
いしいひさいちは東日本大震災を直接描くことをしませんでした。その代わり「10年前の大きな事故」を描いたのです。10年たてば関係者はみんな元気でやってるよ。みんなあなたたちのことを忘れてないよ。
これは作者による鎮魂の歌です。掲載されたのは2011年5月11日。震災から二か月めの日でした。
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Comments
(下の絶望先生の記事にコメントすべきかもですが)
先週、今週と、絶望先生での原発イジリが深化していて、
溜飲を下げるものがあります。
Posted by: keora | May 18, 2011 09:48 PM
コミックビーム今月号のしりあがり寿もえらいことになってますが。
Posted by: かくた | May 13, 2011 07:01 PM
以前はときどき見ましたけど最近は
「いしい被災地」
名義はつかわなくなりましたかね
Posted by: 匿名 | May 13, 2011 05:57 PM
なるほどー、紫雲丸は二度も沈没してて二回目が1955年5月11日なのですね。これはじつに重層的で象徴的な日。
Posted by: 漫棚通信 | May 12, 2011 10:30 PM
いしいひさいち氏の出身地である玉野市の宇野港と、四国の高松港を結ぶ宇高連絡船で、1955年のまさに5月11日に大事故があり、修学旅行の小中学生100人以上を含む168人が犠牲になったそうです。
今回の漫画は、直接はこの事故を想起させるものですが、おっしゃる通り、2ヶ月前の震災の犠牲者への鎮魂の意味も込められているのでしょうね。
Posted by: seigneur | May 12, 2011 10:10 PM