わたしの少女マンガ
自分語りを一席。
最初に読んだマンガ、というのはよく覚えてないのですが、横山隆一『フクちゃん』の単行本、薄くて紙も悪いものですが、それが家にあったのは確か。ほかには根本進『クリちゃん』みたいな家庭マンガ、あるいは絵本の最後におまけみたいに載ってた新関健之助『カバ大王さま』なんかが好きだったなあ。
でもすぐに少年向けマンガ月刊誌を読むようになります。当然オトコノコを対象に描かれたマンガですね。小学校に入学する前後には、マンガが男女別に分かれるわけです。ところが男の子がちょっと横を向くと、オンナノコのマンガというのが存在するわけで、これも気になる。
さすがに小学校低学年でオンナノコ向けのマンガを買う度胸はありませんでしたが、親戚の家に遊びに行ったりしますと、そこにはオンナノコ御用達のマンガ雑誌などがあります。手塚治虫『リボンの騎士』などはそこで読みました。「なかよし」版の時代です。
1967年に虫プロから「COM」という雑誌が創刊されました。わたしはすでに小学校高学年になっていて、初期からこの雑誌を愛読してました。「COM」ってマニア誌なので対象読者の性別が未分化で、ここにはけっこう少女マンガ系の作品が掲載されてました。これで女性の描く少女マンガ(しかも今から考えるとけっこうオルタナ系)の洗礼を受けたのじゃないかな。岡田史子や矢代まさこですね。
「COM」の創刊と前後して、各社からいっせいに新書判マンガの発売が始まりました。それまでは、マンガといえば雑誌かカッパコミクスみたいなB5判のものしかなかった(ハードカバーの単行本はあったみたいですが、とうてい買えません、というか田舎では見たことすらなかった)ところへ、怒濤のような出版ラッシュ。
そのくらいの年齢になると、マンガは「親に買ってもらう」ものじゃなくて「自分のこづかいで買う」ものになってましたので、わたしはこづかいの多くをマンガ単行本に費やすようになります。
新書判マンガでは少女マンガも発売されるようになりますが、多くは男性作家の描いたもの。手塚治虫、石森章太郎、ちばてつやらの作品ですね。ただし水野英子や上田としこの作品はこの時期に読んでます。
集英社マーガレットコミックスはもっとも早く刊行が開始された新書判シリーズのひとつですが、さすがに小学生のがきんちょが買うには敷居が高かった。少女マンガ誌も買ったことはなくて、「少女フレンド」「マーガレット」「別冊セブンティーン」なんかは親戚の家に行ったときに読むくらい。
わたしが「一線を越えた」のは中学時代です。ついに自分で少女マンガ誌を買うようになったのですね。最初は「別冊マーガレット」でした。お目当ては、美内すずえ。
1970年代初期、美内すずえは「別冊マーガレット」にほぼ毎号、意欲的な中編を発表してました。どれもこまかい心理描写よりはったりをきかせた劇的な展開を優先させた作品でした。わたしはこれらの作品が大好きで、毎号じゃないですが別マを買うようになります。
これではずみがついたのか丸坊主の中学生は、西谷祥子の作品や、少女のリアルな内面を描いたというので当時評判になってた大和和紀/畠中隆子『真由子の日記』なども買ってますね。でもまだまだ少女マンガを集中して読むことはありませんでした。
高校生になると行動範囲が広がって、貸本屋や古書店に出入りするようになります。貸本屋といってもすでに絶滅寸前の時代です。わたしがよく立ち寄ったのは盛り場のはずれにある貸本屋。そこでは週遅れや月遅れの雑誌を安く売ってたので、それがお目当てでした。
その暗い貸本屋で出会ったのが「りぼん」。いやーそこに載ってた、一条ゆかりと大矢ちきにはやられた。
とくに大矢ちき。
その極限的に華麗な絵にわたしは興奮しました。これこそ少女マンガの革命だ。「劇画」が新しいマンガをめざすムーブメントだったとすると、少女マンガにおける「劇画」とは、大矢ちきのことだ! なんてね。
わたしは毎月、月遅れの「りぼん」を買い続けました。しかし大矢ちきは少女マンガの第一線から、早々に身を引いてしまいます。彼女の「りぼん」での最終作は1975年の『回転木馬』。最近、初単行本化されました。
●大矢ちき『回転木馬』(2011年小学館クリエイティブ、1300円+税、amazon)
点描、カケアミ、斜線。少女マンガが到達した最高のテクニックはこれだ。さらに仰々しいストーリーとのアンバランス。この危うさを見よ。
大矢ちきは少女マンガから去ってイラスト方面に行ってしまいましたが、すでに新しい時代が始まっていました。
1972年には萩尾望都『ポーの一族』シリーズ開始。1974年の単行本化で初めてこの作品に接したニキビ面の男子高校生はひっくり返った。
1975年からの第二期『ポーの一族』を追っかけて、「別冊少女コミック」を、今度は古本じゃなくて新刊書店で毎月買うことになるのでありました。
Comments
普通のマンガ読みの私は恥ずかしくて少女マンガを遠ざけていましたが、大学の頃の行きつけの喫茶店であらかた青少年マンガを読み終えて、少女マンガへと手を伸ばしました。
そのときのマンガが内田善美でした。圧倒的に緻密な画力に内面を抉るような幻想的な話(難解な話かな)に衝撃を受けました。一気に喫茶店の蔵書を読み切った覚えがあります。
「空の色ににている」とか内容は忘れいますが、タイトルはおぼえています。内容をおぼえていないのかと怒られそうですが、そのときは、少女マンガのベスト作家と思ったくらい衝撃を受けまして、その衝撃だけがいまだに記憶に残っているくらいです。
もう一度読みたいけど、作家が絶筆して再販もしていなので、高値のオークションしか手がないのは残念です。
Posted by: ラッキーゲラン | May 17, 2011 02:54 PM
面白いですね、漫棚さんのこうゆう漫画経歴。
健全に尖った高校生の辿る少女マンガ遍歴は、同じマンガオタクとしては、だいたいの予想はつきますが、ゼヒ、また続きをやってくださいませ。
こっそり楽しみにしております。
Posted by: こじこじ | May 11, 2011 10:20 AM
個人事ですが自分が最初にマンガを意識して好んで読むように成ったのはどうも、みなもと太郎先生の「ホモホモ7」辺りだったみたいですね。で直後の名作シリーズ(「モンテクリスト伯」など)。マンガへの趣味の目覚めとしてはちょっと多様な刺激的作品、おませなものだったかも。
で少女マンガは、3歳下の妹が買って居た『なかよし』『りぼん』のうちで、『なかよし』の「キャンディ♡キャンディ」の、学生寮でテリュースがキャンディをかばって離れ、アメリカに渡って行く別れのシーンが印象に残って、其れからです。一方『りぼん』で目覚めたのは、清原なつのさんの「花岡ちゃんの夏休み」が載せられてから以来ですね。
おおやちきって方は、直接には存じ上げないのですけど、其処は1970年代後半からはマンガ情報誌が普及して来まして、いわゆる『だっくす』直後の改称『ぱふ』から分裂後新『ぱふ』迄の1980年代前半迄の諸雑誌がいろいろマンガ家を特集する事が有りまして、其れで存じ上げてます。
この新『ぱふ』のアルバイトスタッフからかしら、始まって、今度は徳間書店の『ファミリーコンピュータMagazine』だったかに関わり移られて、のちに編集長に成られた方が、さあにんsarninさんで、今当時を振り返る「ファミコン雑誌業界昔話」というのをブログで始められてますよね。
この徳間が作った「スーパーマリオブラザーズ」の攻略本がいわゆるゲームの「攻略本」の走りなんだそうです。なんと1985年・1986年のトップベストセラーだったとか。
漫棚通信さんの1960年代の「COM」前後から1980年代のファミコン迄、約20年間も、やはり激動の文化の時代だったのですね。
Posted by: woody-aware | May 11, 2011 04:21 AM