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April 25, 2011

谷口ジローの描く日本の風景『ふらり。』

 NHK「ブラタモリ」の人気もあるのか、古地図ブーム、江戸ブームだそうですね。現代と過去の地図を比較する、というのが流行してるみたいで、わたしも先日それを特集してる雑誌を読みました。みんな江戸時代の「風景」に注目して楽しんでる。

 で、谷口ジローの新作もそっち方面といえるかもしれない。

●谷口ジロー『ふらり。』(2011年講談社、876円+税、amazon

ふらり。 (KCデラックス)

 江戸時代後期、寛政のころ、江戸の街を歩く初老の男性。上品な物腰で脇差しだけを帯刀。武士ではなさそうです。彼はすでに隠居の身で街歩きが趣味と見え、江戸のあちこちに出かけていきます。しかしそれだけじゃなく同じ歩幅で歩く訓練をしているらしい、ちょっと謎の人物。

 作品内では最後まで主人公の名は明かされませんが、もちろん彼は伊能忠敬ですね。

 まだ日本全土の測量を開始する前、家督を譲り隠居してから趣味というか野望というか、江戸で天文学を学んでいたころの彼の日常生活スケッチ。

 主人公はちょっとぼーっとした人物で、夢うつつになっては動植物の視点で江戸をながめてる、という趣向です。鳥になって空から、亀になって水面から、江戸の景色が描かれます。

 谷口ジローが江戸時代の「風景」にいどんだ作品です。ここで描かれるのは、家屋や道、橋などの街並み、神社や桜、そして富士山です。

 もちろん描かれているのは、すでに失われた日本の景色です。現代人でこの風景を見た人は誰もいない。ですからそこに描かれているのは嘘、といえばそのとおり。しかしその嘘でどれだけ読者の郷愁をさそうことができるか。これがねー、すばらしい仕上がり。

 本書で著者は浮世絵などを参考に想像力をめいっぱい使って、かつて存在したかもしれない日本を描いてます。これまで山岳やアメリカ西部の大自然、ご近所の風景を描いてきた著者が、さらに歩を進めて、リアルと様式美を混在させた風景画に挑戦しました。

 すべてのページが美しい。絶品です。

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April 19, 2011

絶望先生の微妙なギャグ

 久米田康治『さよなら絶望先生』25巻(2011年講談社、419円+税、amazon)が発売されてます。

さよなら絶望先生(25) (少年マガジンコミックス)

 この巻の収録作品は「週刊少年マガジン」、今年の8号までのものですから、マンガそのものには震災は登場しません。しかし著者の巻末エッセイには震災当日、そしてその後におこったこと、4月某日までが書かれてます。

 「少年向け雑誌における風刺マンガ」という希有な存在である絶望先生としては、今後いかに震災を描いていくか、むずかしいところでしょう。笑い(しかもある程度は子ども向け)と震災をいかに同居させるか、注目せざるを得ない。

 さて、本書のカバーをめくって表紙イラスト。ここにモノクロで描かれていたのは選挙ポスターでした。

 ポーズをとっているのは登場人物のひとり、マリア。非実在青少年かつ不法入国者である彼女がセーラー服のスカートの裾をめくり、こちらを向いてにっこりしている。

 そして添えられたコピーは、

4月10日(日)
午前7:00から午後8:00まで
東京都知事選挙 
     東京都選挙管理委員会
     小石川区選挙管理委員会

 おおこれは。二重の意味を込めてケンカを売ってる。都知事選に行こう、そして失言知事に反対票を投じよう、というキャンペーンか?

 ところが。

 この本の奥付によると発行日は4月15日。発売予定日も同じで、アマゾンに入荷したのもほぼその日。わたしが書店で見たのが4月16日です(ウチの地方はいつもちょっと遅れます)。

 4月15日発売というのは震災で延期されたものではなく、3月初めには決定されていました。

 つまり本書の発売日にもう都知事選が終わってることは、著者も出版社もわかってたはずなのです。暴言知事が再選されちゃった段階で、この選挙ポスターは誰に向けて何を言いたいんでしょ? 

 さらにところが。

 障子を破るのが好きな知事が出馬表明すると報道されたのが3月11日未明。午後になって都議会で正式表明して、その直後に震災。という流れです。それまで知事は、きっと引退するだろうと思われてました。

 ひとつの例がこの絶望先生25巻のカバー折り返しの文章。ここに「前都知事」として彼が登場します。

 絶望先生25巻のカバーは3月10日以前に書かれたもの。巻末エッセイは3月11日以降のもの。じゃ、表紙の選挙ポスターイラストはいつ描かれたものなのか。

 ここはやっぱ3月10日以前だと考えたいですね。

 前知事は去った。結果はどうだったかな。今度の知事は非実在青少年問題をどう考えてるのかな。マリアはそういう微妙な目線でこっちを眺めてる、のじゃないか。

 それにしても、近未来というか書籍発売日周辺に大きなギャグを仕掛けるとは。その効果、結果はともかく、意気とアイデアはすばらしい。またやってください。

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April 17, 2011

BDの対極が「コミPo!」

 スランプです。

 いや-、マンガについて何か書こうとするのですが、いつものパターンで何かマエフリというかマクラというか、そこを書く段階でもう震災やら原発のことが頭に浮かんできてしまう。半径数メートルのことしか描いてない少女マンガを読んでても、この世界で震災は? とか考えちゃって。

 ダメですね、つくづく自分はアマチュアだなあと感じてしまいます。プロのひとたちはこういう気分をふりきって、さらさらっと文章書いちゃうんでしょうね。

 マンガ出版における今年最大の事件も、もちろん「震災」ということになっちゃいました。

 まず出版・流通の問題。震災をきっかけにジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンがネットで無料配信されましたし、さらに今後予測される紙不足は、マンガの出版形態を変えてしまうかもしれません。

 さらに震災は、マンガのテーマや表現に影響を与える、ことになるだろうと思ってますが、これがはっきりしてくるのはいつのことになるでしょうか。

 じつは震災が起こる以前に、これは新しい驚きの事件だなあと思っていたことがふたつありました。ひとつはオルタナティブ系海外コミックの邦訳ラッシュ。

 ラッシュは大げさかもしれませんが、こんなに一度に読めるようになるとは。これらの作品に接すると、「マンガ」というものがいかに多彩な表現ができるのかを思い知りますねえ。

 もひとつは「コミPo!」の発売です。

 わたしも昨年発売当日にダウンロード購入しました。その後もちゃくちゃくとバージョンアップが進んでて、今や首が傾けられるようになってるし、色相、明度、彩度まで自由に変えられるようになってます。ここまでくると「筆」だけがないフォトショップみたいですね。

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 「コミPo!」関連の書籍もいくつか発売されてますが、そのうちのひとつ。

●『コミPo! マンガ入門』(2011年太田出版、1900円+税、amazon

コミPo! マンガ入門

 出版社からご恵投いただきました。ありがとうございます。

 本書はリファンレンスブックではありません。いやそういう部分も少しはあります。まずはいろんなひとがつくった作例。書影を見ていただければわかりますが、豪華なメンバーが参加してます。なかでも驚愕したのが、いまざきいつきの作品。

 ネットでも作品が見られますけど、本書に掲載されてるのはちょっとすごいよ。夜のクラブで殺戮がおこる、という作品ですが、光と影の演出がすごい。「コミPo!」だけでここまでの表現が可能であるとは。

 そして本書では各氏が「コミPo!」について語ることで、それぞれがマンガ論になってるのですね。この部分は長嶋有のがなかなかおもしろかった。さらに「コミPo!」作者の田中圭一は、あのお下劣な作風からは信じられないくらい、マンガ表現の構造について考えてるひとで(以前に松山で講演を聞いたときにおどろいた)、本書でもその一部を開陳しています。ここも読みどころ。

 「コミPo!」の発売は、マンガが記号の集積であることをあらためて明らかにしました。いっぽうで、BDみたいに絵にこだわったマンガもちゃんと存在します。いっぽうのはしっこが「コミPo!」、その逆のはしっこがエマニュエル・ギベール『アランの戦争』。これが同居しているのが今年。

 「コミPo!」で描かれたマンガを是とするかどうか、各人で意見が異なるでしょうが、それも含めてマンガというのは大きな世界を持っているのです。

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April 04, 2011

文学とマンガ『ファン・ホーム』

 うーむ、世界は広い。マンガも深い。

●アリソン・ベクダル『ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』(椎名ゆかり訳、2011年小学館集英社プロダクション、2500円+税、amazon

ファン・ホーム ~ある家族の悲喜劇~

 出版社からご恵投いただきました。ありがとうございます。

 著者は1960年アメリカ生まれの女性。彼女が自身の少女時代を回想した自伝的マンガです。描かれているのは1960年代末から1980年代初めまで。

 原題は「Fun Home: A Family Tragicomic」。タイトルの「ファン・ホーム Fun Home」からは「楽しいわが家」みたいな感じを受けますが、これは「funeral home」=「葬儀場」を略したもの。彼女とその兄弟たちは、実家である葬儀屋をこのように呼んでいたのですね。

 さらに「tragicomic」なんていう言葉はありません。「tragicomedy」=「悲喜劇」ですから「tragicomic」=「マンガで描かれた悲喜劇」という意味の著者による造語です。とまあ、タイトルだけでもいろんな仕掛けを施した作品。

 本書で主に描かれているのは、著者とその父親との関係と、父親の死です。ただし世間の家庭と違うところは、著者がレズビアンであり、父親がついにカミングアウトしなかったゲイであるところ。

 ここがもう二重にひねくれてしまった父と娘の関係なのですが、彼らの間の愛憎、そして回想の中での和解にいたるまでが、静かに静かに描かれます。小さなエピソードの積み重ねで登場人物の内面を描くタイプの作品ですね。

 その目的のために本書で使用された手法にはびっくりしました。字義どおりの意味で本書は「文学的マンガ」となっているのです。

 本書の各章はすべて、著者や彼女の父が読んできた文学作品を下敷きにして描かれています。たとえば第一章はジェイムズ・ジョイス『若い芸術家の肖像』。その下敷きになったイカロスとダイダロスの関係が著者と父の関係に模されます。第二章は「死」の章。カミュ『幸福な死』。著者の子ども時代、葬儀場での生活が描かれ、カミュの書く不条理な死とカミュ自身の死が、父の死とダブります。

 第三章はフィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』で「父母」の章。第四章がプルースト『失われた時を求めて』、ここでは「父の性」が語られます(プルースト自身が同性愛者でした)。

 第五章は児童文学の『たのしい川べ』、圧巻の第六章には少年との男色で告発されたオスカー・ワイルドが登場します。そして最終章がジョイスの『ユリシーズ』。ジョイスで始まり、ジョイスで終わる構成です。

 わたしは単純化して説明してますが、実際には多数のエピソードや書名が入り乱れ、じつに複雑な作品となってます。

 著者および周辺のひとがみんな、文学作品の登場人物や作者と二重写しになって読者に迫ってくる。相当に難度の高いことをやってるわけでして、これはもう「趣向」の域をこえています。文学とマンガが真正面から組み合っている。

 驚くべきは父親や母親だけでなく、過去の自分に対しても鋭い自己分析をおこなってるところ。幼少期の日記をもとに自分の心理をこれほど深く考察できるとは。

 絵に関しては写実を廃した、いわゆるマンガっぽい絵柄です。こういう絵であればこそ、登場人物が読んでる本のタイトル(膨大な量!)をさらさらっとコマ内に描けてしまう。そしてそれが物語にすっごい厚みを与えることになってます。

 この絵によるもうひとつの魅力は、1970年代アメリカの「時代」のにおい。極私的な物語でありながら、その時代をまるごと切り取ることに成功しています。

 写実的じゃない絵のほうが、物語のリアルに寄与しているという不思議。

 物語は現実の時間の流れではなく、著者の思考の流れに沿って展開します。そしてラストシーンで描かれるのは、著者がまだ幼いころ、父と娘の夏の日のプールでの思い出です。ゲイの問題を抜きにしても、普遍的な親子、家族の物語として傑作です。

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