梶原一騎の「小説」は「原作原稿」そのものだ!
2008年、すべて消失したと思われていた『あしたのジョー』の梶原一騎による自筆原作原稿が、連載一回分だけですが発見されました。これはNHKニュースで放送されたから、おぼえてるひとも多いかも。
「文藝別冊 総特集ちばてつや」(2011年河出書房新社、1200円+税、amazon)に、夏目房之介「『あしたのジョー』原作に見る作家ちばてつや」という文章が寄稿されています。
マンガの原作原稿は後世に残らない。(略)例外的に残ったものの一つが梶原一騎・ながやす巧『愛と誠』(1973~1976年)で、ながやすがそのすべてを保存し、梶原夫人・高森篤子さんのもとに返却されたと聞く。(略)
実は、ちばてつやも『あしたのジョー』(1968~1973年)原作を保存していた。ちば本人から聞いた話だが、あるとき雨漏りで水濡れしてしまい、捨ててしまったと話していた。が、一話だけの原稿が残っている。戦後マンガ史に残る『ジョー』という作品の原作が、一話でも残っているというのは、ほぼ奇跡といっていいだろう。
『愛と誠』の原作原稿は、「梶原一騎直筆原稿集『愛と誠』」(1997年風塵社)という豪華本にまとめられています。かつてわたしがこの本を通読して書いたエントリがこちら。
そして2008年に発見された『あしたのジョー』原作原稿が、「週刊現代」に掲載されたときに書いたエントリがこれ。
このときは原稿の一部だけしか読めませんでしたが、「文藝別冊」および、このたび復刊された梶原一騎『劇画一代 梶原一騎自伝』(2011年小学館クリエイティブ、1600円+税、amazon)には、『あしたのジョー』連載一回分の原作原稿がまるまる掲載されてます。いやー、ありがたやありがたや。
梶原一騎作品のうち、現存している原作原稿はこの二作ぐらいしかないだろうと思われています。じつはわたしもそう考えていたのですよ。
ところが。
最近、梶原一騎の書いた「小説」なるものを読む機会がありました。おおっ? これって「小説」じゃなくて「原作原稿」そのものじゃないのか?
梶原一騎の書いた「小説」のうち、マンガをノベライズした、という形のものは以下の五作品があります。
●『小説巨人の星』全五巻(1968年から講談社)
●『小説夕やけ番長』(1969年秋田書店)
●『小説男の条件』(1970年集英社)
●『小説柔道一直線』(1970年朝日ソノラマ)
●『小説空手バカ一代』全四巻(1974年から日刊スポーツ出版社)
このうちまだ一部だけしか読んでないのですが、これって、どう考えても「小説」ではない。「マンガ原作原稿」そのまんまとしか思えないのです。
◆
根拠その一。文体がまるきり同じ。以下は『小説空手バカ一代』から引用。
(ゆ、ゆるせ、遠藤さん……
もはや柔道家のスピードでは、残忍な銃弾のねらいうちを、かわしきれん)
心にわびつつ、つぎの倍達のうごき──
サッ!! と、両手、両足をX状に、おっぴろげた!
パッ!! と、すぐさま、その手足をカメが甲羅にもぐるように、胴の内側へとちぢめざま、とびあがった!
ドギュン、バギュン、バギュン!! 間髪をいれず倍達の手足の広げられていた空間に銃火の嵐が殺到!
「ギャッ!」
「グエ~~ッ!」
反対位置のギャングどもが、それぞれ味方の銃弾にやられ、もんどりうつ!
(手足をねらえとの命令なら、やつらの射撃が正確であるほど、手足いがいは安全が保証される!)
と、すでに倍達の空中からの頭突きが、手足ちぢめたまま一回転、
「トオーッ!!」
ガガーッ!! 敵のひとりの鼻面へとしたたかに突入、激突!
「ブギャア~~ッ!!」
血煙あげさせる!
「ガッデーム、ち、ちくしょう!!」
さっきの命令者が歯がみ、
「も、もう頭だろうが胴だろうが、かまうこたあねえ、殺っちまえ~~!」
(……と、そうきたところで、どうやら一味のボスらしい、おまえに用がある!)
と、倍達は──ゴロゴロゴロ!
めまぐるしく地面を転がって、そいつの足もとへ!
ビ、シューン!! 銃声が、その土煙を追うが、すでにボス格の体とクロス!
アクションシーンを抜き出してますが、『小説空手バカ一代』の文体が「小説」として、いかに特異かわかっていただけると思います。
一読、小説というより講談の速記みたいな感じの「語り」の芸です。その意味では名調子といってもいいでしょう。
いっぽう以下は『愛と誠』の原作原稿です。
と、茫然自失の火野めがけて、
「たとえば、こんなぐあいに――よ!」
ドバッ!! うしろげりの奇襲!
もろに、みぞおち蹴りこまれ、
「ア……ウッ!」
のけぞり、よろめく火野!
クルリ! それへ向きなおりざま、火野に立ちなおるいとまもあたえず、
「あーらよっと!」
ガシーッ!! まわしげりで肩口を強襲し、さらに、ふみこみざま――
グワン!! ストレート・パンチ胸板へ!
ズズン!! ついに火野は尻餅!
野球部グラウンドのホーム・ベース付近で、うしろげりの火ぶたが切られ、のけぞりよろめく火野を追ってマウンドに近い土の盛り上りの地点で、ついにダウンにもちこんだ誠の速攻、猛攻!
「やっ、やったあ!!」
タイガー・グループの歓声!
「ケンカは先手――これぞ極意!」
声なく息のみ、瞳みはる愛……(中略)
「ますますもってウジムシめ!」
平然、きめつけて火野、
「目つぶしごときボクシングの堅固なブロックには通用せず、さらにきたないキンケリもまた、どうせこんなことだろうと予想して試合で反則パンチ防止用につかうファール・カップをつけてきたわい!」
「ウ……ウ……」
血みどろの歯がみ、四つんばいの誠を、
「立てい!」
ムンズ!! これまた血ぞめのシャツの胸倉つかみ、ひきずりおこす!
「や……やめてえ〜っ!!」
愛は絶叫し、ころげるようにホーム・ベース位置からマウンドへとはしりつつ、
(た、たとえ火野さんに土下座してでも、やめてもらわなければ……
こ……殺されてしまう!)
思いつめる、その愛めがけ――
バキーッ!! 胸倉つかまれ、またも横面をはりとばされた誠が血ヘドの尾をウズまかせつつ、ケシとんできた!
ズズーン!! もろに愛と激突!
もんどりうって転倒の愛!
誠のほうは、さらに一直線にケシとんでいき、なんとホーム・ベース真上へとホーム・スチールのごとく――ズザーッ!!
土煙あげ、あおむけ地すべりすて昏倒!
あたり一面、まるで赤ペンキをぶちまいたごとき血、血、血、血の海!
かたや「小説」、かたや「マンガ原作原稿」ですが、まるきり同じでしょ。
『小説空手バカ一代』は小説とは名のりながら、改行の多用、体言止めの多用、セリフや擬音の多用。アクションの途中に長いセリフだけじゃなくて「心の声」がはいってくる。エクスクラメーションマークや三点リーダー、さらに「──」や「~~」までが多用されてます。わたしたちが一般的に考える「小説」の文体とは別のものです。
これは絶対に「小説」として書かれたものではない。「マンガ」の完成形をイメージして、マンガ家に対して原作者の意図を伝えるために書かれた文章です。
梶原一騎はもともと小説家を志望していました。この文体が梶原一騎がめざした「小説」のそれであったとは考えにくい。ならば、梶原一騎は「小説」としてどんな文体をめざしていたのでしょうか。
◆
梶原一騎はまだ無名時代の1961年、「東京中日新聞」にスポーツ実録読み物として『力道山光浩』を連載しています。この作品は梶原が有名になったのち、1971年に『力道山と日本プロレス史』というタイトルで曙出版から単行本化されました(1996年に弓立社から復刊)。
一応はノンフィクションと分類されていますが、まあ小説、みたいなものです。『空手バカ一代』や『愛と誠』よりは十年前の文章になりますが、梶原一騎が書くべき「小説」とは、こういうものではなかったか。
こわいものしらずの向こう見ずで自他ともに許した力道山光浩が、とにかく、生まれてはじめてのように恐怖というにちかい感覚をおぼえたのは、この対ルー・テーズ、世界タイトル・マッチのマット上であったとか……。
開始、いきなり、テーズ二三〇ポンドの重量そっくりを宙空から急降下にあびせられてのカンガルー・キックにけりつぶされ、
「ぐ、あうっ……」
鼻っ柱からひしゃげて光浩、われにもなく、よその意気地なしがもらしたようなととてつもないうめきが、じつは自分の腹からとびだしていた。
過去、三百余試合とつんだキャリアから、この空中からの蹴りというやつ、なかば光浩は軽蔑していた。ショーマン派むきのテクニックだ。見かけの派手なわりに、やられたほうは痛まない。何よりの証拠、しょっ鼻からカラテ・チョップでぶちのめす即決主義の光浩に対しては、ほとんど相手はフライング・キックを用いてこなかったものだが……、しかし、ルー・テーズのそれはしみじみとよく効いたのだ。
自分の背骨のきしむ音を光浩は聞いたと思った。この連発を食ったら、それっきり、たたみこまれてフォールの危険をさとった。すぐ立たず、テーズの出方を見上げた。
だがテーズは見下して待っている。誘いか? ……が、待たれては出るよりなく、はねおきて踏み込んだ光浩の腕の中に、あっけなくテーズは捕まっていた。
ぎょっ、と光浩は息をのむ。あまりに柔らかなものを捕まえたのだ。剛毛にくるまれ、テーズの上体の筋肉は、ちょうどスポンジをだきこんだ手応えで、光浩には意外にもきわまった。
後年のマンガ原作原稿に見られる文体の萌芽が、ここにあります。同一人物が書いてるんですからあたりまえですが、似てます。
ただしもちろん、『愛と誠』や『空手バカ一代』よりよほど「小説」らしい。後年に見られるような、擬音と体言止めにいろどられた「語り」の文とはちがいます。
◆
根拠その二。マンガ原作者として超売れっ子になった梶原一騎に、「小説」を書く時間はなかったはず。
原作原稿をリライト、あるいはマンガをノベライズするにしても、新たな文章を書きおろすのは大変です。
もともと梶原一騎の原作原稿はいわゆる小説形式で書かれています。「小説」の文体としてはそうとうに奇妙ですが、それでもそれなりに読めますし、それなりにおもしろい。読めてしまう「原作原稿」を、忙しい梶原が「小説」としてリライトしたとは考えられません。
ならば他人=ゴーストライターがリライトしたかというと、これもありえません。梶原一騎の「小説」の文体は特殊すぎて、他人がマネできるようなものではありません。
のちに梶原一騎は実弟の真樹日佐夫と組んで「正木亜都」というペンネームでいくつかの小説を書いていますが、あれは完全に真樹日佐夫の文体で書かれていましたね。
◆
以上よりわたしは、梶原一騎が書いた一連の『小説○○○』は、原作原稿をそのまま出版したものである、と考えます。自分としてはまちがいない説だと思ってますが、いかがでしょうか。
コピー機などない時代ですから、おそらくマンガ家に渡した原作原稿を返却してもらい、本として刊行したのじゃないかと。じゃあその自筆原稿はどこへ行ったか。これらは本来梶原一騎の手もとにあるはずなので、将来発見される可能性もあるのじゃないでしょうか。
さて次になすべきは、小説=原作原稿と完成したマンガの間に異同はあるのか、という検証です。
新たに発見された『あしたのジョー』原作原稿を見ますと、ちばてつやは、原作を自由に脚色してます。ここまで変えるか、というくらいにいじってる。
いっぽうながやす巧『愛と誠』は、擬音やセリフの語尾を除いて、原作原稿にかなり忠実です。
梶原一騎の『小説○○○』についてはまだ一部しかチェックしてませんが、つのだじろうあたりは、原作をけっこう変更してます。
キャプションとセリフの順番をいれかえたり、原作では室内の会話だったものを屋外、路上の会話に変更したり。
こういうのを調べ始めるときりがありません。現在もさらに梶原一騎の「小説」をいろいろと読むべく、鋭意努力中なのであります。
Comments
講談速記本と大衆小説の距離は近かったのですね。それにしても梶原一騎の文体は、限りなく「語り」に近いようですね。マンガ家に画像としてのイメージを伝える、という意味では小池一夫が使用するシナリオ形式が確実だとは思いますが、読んでて楽しいのは梶原一騎のほうです。
Posted by: 漫棚通信 | February 19, 2011 05:50 PM
>『小説空手バカ一代』は小説とは名のりながら、改行の多用、体言止めの多用、セリフや擬音の多用。アクションの途中に長いセリフだけじゃなくて「心の声」がはいってくる。エクスクラメーションマークや三点リーダー、さらに「──」や「~~」までが多用されてます。わたしたちが一般的に考える「小説」の文体とは別のものです。
この文体ですが、昭和30年代前半くらいまでの大衆娯楽小説(主として講談本を発祥とする「倶楽部雑誌」と呼ばれた娯楽小説雑誌に掲載された作品)では、けっこう当たり前のものだったように思います。
牛次郎、小池一夫といった方々の原作の文体も、やはり近いものがありました。
特徴的なのは、セリフの最後の断定に「~だっ!」「~だッ!」といった「つ」や「ツ」の小文字を使うところ。いまもマンガでは当たり前ですが、現代の小説でこのようなセリフを使うと、「品がない」と言われたりします。たぶん知性的なキャラクターが増え、叫ぶようなキャラクターが減っているせいなのでしょうが。
吉川英治、野村胡堂、山岡荘八、檀一雄(『石川五右衛門』)、柴田錬三郎、司馬遼太郎(初期)といった方々の作品をご覧になると、とりわけマンガ原作の(文体の)ルーツが、このあたりにあるのがわかるのではないかと思います。
現代の小説の文章は、「語るな、描写せよ」と指導されるのですが、このような「ビジュアルな文章」は、映画やテレビといったメディアが広まった後に普及したものかもしれません。それ以前の、とりわけ時代歴史小説は、やはり、立川文庫や講談社の講談速記本あたりを源流とする「語りの文学」であり、文章も講釈師や弁士の口調に似たものであったように思われます。
梶原一騎先生は、佐藤紅緑の信奉者でもあったようなので、その影響も大きかったかもしれません。
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person575.html
マンガ原作創世記を支えた原作者の方々は、世代的にも、ある意味「少年倶楽部」的な文章、文体が、身体に馴染んでいたのかもしれません。昭和30年代はじめまで残っていた少年誌の読物の文章も、こんな感じのものがほとんどでした。
Posted by: すがやみつる | February 19, 2011 11:37 AM