静かな静かな傑作『アランの戦争』
国書刊行会から刊行されてるモノクロBDのシリーズもすでに三冊目。
●エマニュエル・ギベール『アランの戦争 アラン・イングラム・コープの回想録』(2011年国書刊行会、2500円+税、amazon、
bk1)
出版社よりご恵投いただきました。ありがとうございます。
著者エマニュエル・ギベールと親交のあったアラン・イングラム・コープという実在の人物、彼の回想録をマンガ化したものです。アラン・コープは本書が描かれつつある途中、1999年に亡くなっています。
本書は、おそらく日本人が初めて出会うタイプの作品。びっくりした驚いた。マンガでこのような内容が描けるとは。いつも言ってますが、すぐれた海外マンガってわたしたちにとってつくづく“黒船”ですねえ。
アラン・コープはアメリカ人。1943年に徴兵され、2年間の訓練の後、1945年第二次大戦末期のヨーロッパ戦線に向かいます。
本書は三部構成で、第一部はアランが徴兵され、アメリカ国内での訓練を経てフランスに着くまで。第二部は戦争中、そして終戦直後のヨーロッパの話。
本書のすばらしさはまず、アランのキャラクターに依っています。
アラン・コープは人生の成功者ではなく、一介の市井のひとです。有名人と知り合いであったとしても自身は有名でもなんでもない。
内省的で音楽と文学を愛する若者である彼が見た戦争は、滑稽でばかばかしく限りなく愚かしいものでした。当事者であるアラン・コープがどのように考えていたのかほんとうは不明ですが、エマニュエル・ギベールによるきわめて押さえた筆致、そして静かな静かな描写でも、それは伝わってきます。
悲壮でヒロイックな戦争と対極にある本書の物語は、水木しげるが描く愚かな太平洋戦争と、じつは表裏一体のものなのです。
第三部はアランのその後の人生が語られます。ヨーロッパからアメリカに帰ったアランは、青春彷徨ともいうべき時間を過ごし、ヨーロッパに魅せられた自分を再発見します。愚かしい「戦争」が彼をヨーロッパに導いたという皮肉。
本書はヨーロッパと出会ったアメリカ人の物語であり、かつ、アメリカと出会ったヨーロッパ人(有名無名を含めて多数のヨーロッパ人が登場します)の物語という構造を持ってます。そして本書の成立そのものがアメリカ人であるアランの物語をヨーロッパ人であるエマニュエル・ギベールが描く、という形で結実しているのですね。
しかしそれは日本人読者にとって遠いものではありません。
人生には喜びもあれば悩み、苦しみもいっぱいつまっている。人生は迷いばかり。本書は普遍的な「人間」を描いた物語なのです。
さらに本書を驚嘆すべきものにしているのが、エマニュエル・ギベールの超絶的な絵。「風景に語らせる」タイプのマンガ家は、日本にも大友克洋、谷口ジローなどがいますが、本書ではこれが徹底している。
本書の背景、風景は細かく描き込まれたものではなく、空白部分も多いのに、いかに多くのことを語っているか。
薄墨を多用して描かれた風景は、これまでにわたしたちが見たことがないような奥行きを持っています。モノクロですがセピア色で統一された印刷もすばらしい。
さらにさらに。なんと、この絵はペンとインクで描かれてるのではないらしいのです。本書は「水」で描かれてるらしい。いやもう「マンガ」の描き方じゃないですね。
何のこっちゃわからんと思いますので、「エマニュエル・ギベールの水で描く」動画をはっておきます。下描きなしの一発描き(!?)。さあ驚いてください。
Comments
技法の話をされている所申し訳在りません、
プライベートライアンのアパム伍長のモデルだともいうJ.D.サリンジャーのヨーロッパでの体験について興味深い記事が在ります。オートギスにうってつけの日
http://www.shootingtips.com/NewFiles/article/Perfect%20day%20for%20Ortgies/Ortgies.html
御存知でしたらご容赦
Posted by: 赤木颱輔 | January 29, 2011 12:13 AM
厚手の真っ白な上質紙に大判印刷される事が前提のBDだからこそ、美術の水彩の技法で描いてみようという発想が浮かぶのでしょうね。
再生紙の下質紙に印刷される現代日本の連載漫画は、くっきり印刷する為に、鉛筆の下書き>モノクロで筆入れ>トーンなどの効果という工程が、どうしても必要になるのでしょう(PC作画を除く)。
こうしてみると、電子書籍時代に生き残る漫画書物といいうのは、こういう大判で上質な紙に美麗な絵画的描法を用いたJ-BDという事になるのでしょうか?
Posted by: トロ~ロ | January 24, 2011 03:10 AM
手法の理屈はわかるのですが、これをマンガのオモ線に利用しようとするひとがいる、というのがびっくりですね。この手法で描かれた(と思われる)背景がこれまたびっくり。
Posted by: 漫棚通信 | January 22, 2011 10:30 PM
描線などの目的のエリアに先ず水を置き、そこへインクなどの画材を注す
注された画材が置かれた水に溶け込み、水で描かれた絵が、任意の色に染まる
描線や着彩に意図せざる滲みなどが生まれ、味わい深く面白い表現を狙うことが出来る
映像を拝見する限りでは、そういうことだと思いますが、実は水彩画、特に透明水彩などでは普通のテクニックです
海外の場合は作家さんのアート知識みたいなものが比較的広く、その差が出ているなとは思います
前に亡くなられた いわさきちひろ さんも多用していますよ
Posted by: ちんぽぽ | January 22, 2011 04:21 PM
漫棚さま
「アランの戦争」、僕も今少しずつ読んでいるところで、読了したらブログに書こうと思ってました。おっしゃるとおり、すばらしいです。僕も水木戦争マンガを想起しました。あと、語り口の淡々とした客観性がアメリカの小説の翻訳を読んでいるような。
それにしても描法は、どうやってるんでしょう?
(あと、たまたま「ほかの映像」にあった黄さんという中国の方の水影法という絵、流し絵ですが、これもびっくりした。蛇足ですが)
Posted by: 夏目 | January 22, 2011 11:35 AM