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November 07, 2010

激動の時代の小悪党『イビクス』

 国書刊行会がバンド・デシネ出版に乗り出しました。第一弾はこれです。

●パスカル・ラバテ『イビクス:ネヴローゾフの数奇な運命』(2010年国書刊行会、2500円+税、amazon

イビクス――ネヴローゾフの数奇な運命 (BDコレクション)

 出版社よりご恵投いただきました。ありがとうございます。

 バンドデシネも最近はモノクロ作品が増えてきたらしく、マルジャン・サトラピ『ペルセポリス』やダビッド・ベー『大発作』もそうでしたが、これもそう。500ページ超のモノクロ長編でB5判よりやや小さい判型のソフトカバーですが、(物理的に)重い本。絵も線でドローしたんじゃなくて、薄墨をペイントしたものなので、けっこう重い感じ。でも内容はある種、喜劇であります。

 本書の主人公、ネヴローゾフは『マクベス』よろしく、ジプシーの女占い師から「世界が破滅するときおまえは金持ちになる」と予言されます。「イビクス」というのは占いカードのうち、骸骨を描いたカードのことらしいです。

 以後、ロシア革命を舞台に小悪党である主人公がいかに激動の時代を生き抜いてゆくか、という波瀾万丈の物語が展開します。アレクセイ・トルストイの中編小説をパスカル・ラパテがBD化しました。

 絵に関しては、マンガ的というより絵画的にうまい。デフォルメを強くきかせた絵柄ですが、きっとこういうひとはどういうタッチでも描けるんだろうなあ。

 原作小説を読んでない(邦訳がない)から勝手なこと書きますが、きっとこの作品、原作をおもいっきり脚色してる、と思う。

 アレクセイ・トルストイは、『戦争と平和』を書いたレフ・トルストイとは別人。すごく遠い親戚ではあるらしいです。

 アレクセイ・トルストイの邦訳作品としてはロシア革命から内戦の時代を書いた大長編『苦悩の中を行く』という作品があります。読書家でも何でもなくて『戦争と平和』すら読んでないわたしですが、なぜかこの『苦悩の中を行く』は大学浪人時代に読んでます。なぜこんなものを。やっぱ浪人中は頭がちょっとヘンになってるのですな。

 『イビクス』は、ロシア革命とアレクセイ・トルストイについてまったく知らないと少し理解しにくいお話ではあります。1914年に第一次大戦が始まりロシアも参戦。戦争に疲弊したロシアは1917年、首都ペトログラードでおこったデモとストで大混乱のなか、軍の反乱も起きて皇帝が退位。これが二月革命です。

 ペトログラードで二月革命に遭遇した会計士の主人公は、その混乱に乗じてイギリス人骨董商から金を盗み、モスクワへ逃げます。続く十月革命のさらなる混乱のなか、モスクワで主人公は伯爵を名のり麻薬と女におぼれる放蕩生活ののち闇の賭博場を経営。

 その後も軍に追われて南の街へ逃げ、豪華な館を買ったと思ったらそこも追われて戦場で盗みを働いたり、黒海沿岸のオデッサでスパイとなったり。まさにジェットコースター人生。ついには黒海をこえてコンスタンチノープルまで逃げのびます。

 じつは『イビクス』の主人公は、アレクセイ・トルストイ自身と重なるコースをたどっています。二月革命を喜んだトルストイでしたが、その後の十月革命を肯定できず、1918年には家族とともにオデッサに向かい白軍陣営に参加、1919年にコンスタンチノープルに脱出しパリに亡命します。

 ただし小悪党のネヴゾーロフと違いアレクセイ・トルストイは亡命後も悩み続け、1923年にペトログラードに戻ることになります。以後アレクセイ・トルストイはソビエト連邦の国民的作家となり、没後にはモスクワにアレクセイ・トルストイ通りができたほどです。ソビエトが崩壊した今はどうなってんのかな。

 『イビクス』はトルストイが亡命生活から帰国してのち書かれました。『苦悩の中を行く』の訳者金子幸彦によると「ヨーロッパ資本主義の腐敗、堕落、亡命者生活の荒廃をテーマにした作品」だそうです。

 ところがBDのほうは、そういう印象とはちょっと違う。腐敗、堕落、荒廃は確かにそのとおりですが、社会の大混乱に巻き込まれた普通の人間、じゃないな、小悪党の生き方がリアル。

 エロいシーンを含めて、あまりに人間くさい描写。こういうのはアレクセイ・トルストイ『苦悩の中を行く』にはあんまりなかったんだよね。あっちはけっこう優等生的なキャラクターが多いという印象でした。

 きっとラスカル・ラパテによってここまで読ませる作品になったのだと思います。アングレームで賞をもらったそうです。特殊な時代の特殊なひとの物語じゃなくて、普遍性を持って現代人に迫ってくるものになってます。ある種ハッピーエンドのラストにもあ然としました。

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Comments

アレクセイ・トルストイはむしろ日本では「アリエータ」(「火星に行った地球人」として講談社の少年少女科学冒険全集で邦訳(抄訳?))や「技師ガーリンの双曲線」(戦前に邦訳あり)や「五人同盟」などのSF作品で知られているのではないでしょうか?
「アリエータ」は1920年代にソビエットで映画化され、日本でも何度か上映され今日泊亜蘭先生がお気に入りであった、との話も漏れ聞いております

Posted by: 流転 | November 09, 2010 07:48 PM

「アエリータ」はトルストイがパリの亡命生活に失望し、ベルリンに移住して帰国の決心をしたころに書かれたそうです。映画化はトルストイ自身が脚本に参加してるようですが、あらすじを読むとけっこう通俗的なお話ですね。

Posted by: 漫棚通信 | November 09, 2010 09:49 PM

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