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October 07, 2010

『街場のマンガ論』をつっこみながら読む

 内田樹『街場のマンガ論』(2010年小学館クリエイティブ、1400円+税、amazon)読みました。

街場のマンガ論

 思想家にして名エッセイスト、ファンの多いウチダ先生の著書について、わたしが何か書くのもおこがましいのですが、「内田樹の研究室」に「マンガ好きのみなさん、買ってね」とありましたのでマンガ好きとしてちょっとひとこと。

 タイトルは「マンガ論」ですが、多くの部分は軽いエッセイ。軽いというのはその文章の書きようで、まさに風に舞う羽根のごとし。そこにキモとなる自説をちょいちょいと挟み込むから、読みやすくてためになるのがウチダ先生のエッセイですね。

 でも軽エッセイだから、細かい論証はされてない。

 たとえばこういう文章。

日本の戦後マンガのヒーローものの説話的定型は「生来ひ弱な少年」が、もののはずみで「恐るべき破壊力をもったモビルスーツ状のメカ」の「操縦」を委ねられ、「無垢な魂を持った少年」だけが操作できるこの破壊装置の「善用」によって、とりあえず極東の一部に地域限定的な平和をもたらしている、というものである。

 そして著者、『鉄人28号』『魔神ガロン』『ガンダム』『マジンガーZ』『エヴァンゲリオン』を挙げて、戦後日本の自衛隊イメージの投影をそこに見ます。

 いやたいへんおもしろいのですが、これって定型か? そういう傾向の一連の作品を恣意的に取り上げただけじゃん、とも言えるわけで、『アトム』や『巨人の星』や『あしたのジョー』や『北斗の拳』や『ドラゴンボール』はどこへ行ったんだ、というツッコミも可能です。もうちょっと慎重な文章にしたほうがいいんじゃないかしら。

 日本語の特殊性(漢字仮名まじりの表記や擬態語の豊富さ)が日本マンガを進歩させた、という説は『日本辺境論』で語られたことの焼き直しですが、これも楽しい説ですね。ただしこれもあまりにざっくり語りすぎ。多数の海外マンガを細かく検証してはじめて論として成立すると思います。まあもとがブログ記事なので、わたしが無理言ってるのは承知してます。

 いちばんアレなのは、「反米ナショナリズムとしての少年愛マンガ」の項です。

 70年代少女マンガでボーイズラブジャンルが成立するにあたっては、全共闘運動の挫折とアメリカ男性文化への批判があったはずだと。その根拠として著者が挙げるのが「少女マンガはアメリカを描かない」。

 著者によると、『BANANA FISH』と『キャンディ・キャンディ』を例外として、アメリカを舞台にした少女マンガはほとんど存在しないと。

まるで、アメリカのハイスクールが舞台の学園ラブコメを描くことには、何か「呪い」がかかっているかのように。少女マンガ家たちはその主題を忌避し続けているのです。

 いやいやいやいやいや。これはムチャ、というか著者自身も暴論とわかって書いてるのかも。

 もちろん昔からアメリカのハイスクールが舞台のラブコメは山のようにあります。ボーイズラブ成立前後、1970年代の「りぼん」や「別マ」や「少コミ」を一冊持ってくればたちまち論破されてしまう説をこれほどまあ堂々と。

 とまあ、展開される説はおもしろいけど、思いつきだけのところが多くてかなり乱暴、という本でした。つっこみながら読んであげてください。

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Comments

 つい最近だけど、日本では“独自”に「少女マンガ」や、其の作家の延長としての「レディースコミック」を発達させたのかも知れないけど、アメリカでは“ハーレクイン”的小説・ロマンス・女性向けを発達させたのではないか?と、ふと思い当りまして、ありゃぁ、と思った事が有りました…。
 日本ではマンガで、北米では小説なんすかね、女性向けというのは…。カナダの『赤毛のアン』、アメリカの『若草物語』や『風と共に去りぬ』、でハーレクインと、女性消費の物語の発達の比較を考えなきゃならんかも…と思いましたです。

 あと女性向けハーレクイン等が有ると、アメリカには男性向け西部劇(ウェスタン)市場・作劇が有ったりするのかなー、と思い、日本の性別マンガ(少年マンガ・少女マンガと其の発展形escalationとしての大人性別マンガ)と、「総合的比較をする」というのも面白そうでして、考えて居ます。

 後はマンガでフランス語圏のBDの問題も有る事から、欧州・日本・北米のマンガ・大衆文芸(商業文芸)の総合比較なんてのも、此れをヒントに視野に入って来そうです──。
 て事なんですけどね。orz
 「対置」すると、面白い比較に成るかも、ですね。

Posted by: woody-aware | October 08, 2010 06:43 AM

買わなかくてよかった。

Posted by: misao | October 08, 2010 09:57 AM

読み出したばかりなんですが……、
ぼくは「少女」だった論に、納得しました。
全面的ではありませんが、小生は
大島弓子作品を読むときは「少女になってしまう」
からです。
萩尾先生ですと「男でいられる」かな。(笑)

少女物を深く深く読みとるには
少女にならないとダメなのかも知れませんね。

Posted by: 長谷邦夫 | October 10, 2010 09:55 AM

「反米ナショナリズムとしての少年愛マンガ」の項は、数年前に私が某マンガ家さんのサイトで主張したこととほぼ同じ内容だったので凄く面白かったです。

私は「全共闘」ではなく「第2次ブント」と「24年組」の問題意識の根底に通じ合うものがある、と書いたのですが。

内田さんのこの項はスピーチの書き起こしらしいですし、事実の提出は突っ込みどころ満載ですが、問題意識としては非常に興味深いと思いました。

もっときちんとこの問題について論を展開してくれると面白い、と思いました。

Posted by: natunohi69 | October 11, 2010 07:21 AM

アメリカを舞台とした少女マンガと言うと、成田美名子さんの『エイリアン通り(ストリート)』とか『ALEXANDRITE(アレクサンドライト)』も思い出しちゃうのですけど、どうなのかなぁ…。成田先生も確か「ユーティ・シリーズ」で男の子だけの寮生活を描いた少女マンガ家でも有りますけれども…。

 一方で三原順先生の『はみだしっ子』は、舞台は英国的雰囲気なのかな?考えますね。

Posted by: woody-aware | October 11, 2010 07:43 AM

純粋に、割とリアルに「アメリカ万歳!」という感じの少女(?)マンガとしては吉田まゆみの『ハッピーデイズ』が好きでした。

そういう「戦後民主主義的アメリカ万歳!」から「それは違うんじゃない?」と疑問符がつきだしたのが「24年組」ではないかと・・・・

内田さんの読んだ「少女マンガ」は『LaLa』と『花とゆめ』が中心らしいですから。

Posted by: natunohi69 | October 11, 2010 09:45 AM

内田さん、「花とゆめ」や「LaLa」が中心て事は『エイリアン通り』や『はみだしっ子』も読んでるという事なのでは・・・^^;
やっぱり突っ込まれる事前提なんでしょうか。

Posted by: KAGE | October 11, 2010 03:24 PM

吉田まゆみは1954(昭和29)年生まれですから、「花の24年組」より後の世代ですよ。

Posted by: かくた | October 11, 2010 04:01 PM

ウチダ先生の説はいろいろと興味深いものばかりなのですが、せっかくいい命題を設定してるのに論の展開の仕方が雑、というのがつっこみどころですね。マンガについて何か語ろうとするひとが「私はアメコミというものにぜんぜん関心がないが」と書くのはいかんでしょ。

Posted by: 漫棚通信 | October 11, 2010 08:01 PM

雑なことばかり書きこんですみません。

Posted by: natunohi69 | October 12, 2010 06:29 AM

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Tracked on October 11, 2010 01:08 AM

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