手塚伝説の証言者たち『神様の伴走者』
佐藤敏章『神様の伴走者 手塚番13+2』(2010年小学館、1300円+税、amazon)読みました。
かつて小学館「ビッグコミック」編集長をされていた著者が、手塚治虫を担当した各社の編集者たちにインタビューした記録。著者がほとんどひとりで編集していた不定期刊雑誌「ビッグコミック1(ONE)」に連載されていたものです。
本書でインタビューされてるのは「手塚番」と呼ばれていたマンガ編集者13人と、手塚のマネージャーとなった松谷孝征、非職業的臨時アシスタントだった藤子不二雄A。
雑誌連載中にわたしも一部を読んでいましたが、書籍にまとまるにあたって雑誌掲載より文章量が多くなってて、いやー、すばらしい本になりました。
すばらしいというのは(1)マンガ史的に貴重な記録であるのと同時に、(2)手塚マンガをめぐるひとびとの一種「感動的」なエピソードになってるからです。
手塚先生、わたしなどのように外側から見てると、すごく人格者でいいひとみたいですが、そのじつ、編集者にとってはすっごく面倒なひとだったのは有名な話。しかしそれも、天才のなせるわざであったといいます。これが当事者から語られるという貴重な記録が本書。
編集者、みんながみんな手塚から迷惑をかけられ続けていた、けどその才能を認めていたという複雑な関係。みなさんそのアンビバレントな感情が抑えきれず、おもしろいインタビューになってます。
なかには、手塚のせいで会社を辞めるはめになった(はず)なのに、それを否定し続けるかたもいます。
個人的には小学館の編集者だった豊田亀市、鈴木俊彦、志波秀宇の話が興味深かったです。
なぜかこれまで小学館の編集者からの証言は少なかったのですよ。豊田亀市の話は大野茂『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』(2009年光文社新書)にも採られているのですが、本全体の記述そのものにまちがいが多すぎて、引用するのにちょっと躊躇するところでした。今回、やっと信用できる証言が出てきたわけですね。
日本マンガ制作のシステムがまだ完成されていなかった時代、マンガ家と編集者がどのような関係であったのか、貴重な記録です。
あと、やっぱ秋田書店の編集者、壁村さんがおもしろい。
あの名物編集長は必ず酔っ払ってくるわけです。酔っ払わないうちはこない。もちろん、一番最初に決めごとをする時にはくるけども。それ以外はもう、酔っ払ってからくる。(松谷孝征)
いや、僕もあとで壁村さんが担当になってね。原稿がやっぱり遅れちゃって。(略)9時にまた電話がかかってきて、「できてる?」っていうから、「あともう1時間」っていったら、「わかった。これから火つけにいく」って。(藤子不二雄A)
いやもう壮絶ですなあ。(以前にわたしが書いた記事もどうぞ。『壁村耐三伝説の「藪の中」』)
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