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August 18, 2010

マンガ内の「すごい」

●小畑健/大場つぐみ『バクマン。』9巻(2010年集英社、400円+税、amazon

バクマン。 9 (ジャンプコミックス)

 『バクマン。』にひっかかるところはいろいろあるのですが、まあいちばんの問題は、そこに描かれてる「マンガ内マンガ」、ほんとにおもしろいのか? という点じゃないでしょうか。

 「マンガ内マンガ」の絵柄とかストーリーとか全体の雰囲気はいろいろと説明されているものの、結局読者に提示される評価基準は、(1)読者アンケートで何位だったか、(2)登場人物であるマンガ家や編集者たちによる「すごい」とか「おもしろくない」とかの感想、だけなんですよね。

 ここが現実のマンガ史を下敷きにした藤子A先生の『まんが道』と大きく違うところ。

 『まんが道』では実際に描かれた初期藤子作品がそのままのかたちで読めますから、読者は「マンガ内マンガ」がどのようなものか直接知ることができます。

 さらに『まんが道』の読者は手塚治虫作品や藤子不二雄作品がどのようなものかすでに知っている。かりに読んでなくても世間でどのような評価を得ているかを知っている。つまり読者の理解の助けになるような情報が、マンガ外にも存在しているのです。

 ところが純フィクションである『バクマン。』では「マンガ内マンガ」がどのようなものであるのか、読者に「想像」させているだけ、というか「錯覚」させているだけなのです。

 この錯覚の成立に欠かせないものが、(1)ライバルとの相対的関係と、(2)マンガ内での他者からの評価ですね。いかにも強そうなライバルを倒せば「すごい」。マンガ内の評論家や観客、あるいは対決している敵から賞賛されれば「すごい」。

 これは運動部系「すごい」より文化部系「すごい」の場合、さらに顕著になります。

 五感のうち視覚だけにたよっているマンガでは、味覚、嗅覚、聴覚、触覚の「すごい」なんてものは本来描けないはずですが、そこをムリヤリ描いてしまうのもマンガなのです。

 おいしい料理、見事な演奏、さらにとても柔らかいオッパイを、マンガでどのように表現するか。いかにして読者に「すごい」と思わせるか。

 そこに登場するテクニックが(1)対決と(2)登場人物による賞賛です。「味」を扱う『美味しんぼ』や、「演技」を題材にしてる『ガラスの仮面』なんか、全編こればっかですものね。青年誌系のセックス対決→「ああっ、すごい」というのもこのうちか。

 ただし、視覚にうったえて表現するものを題材にするなら、ほんとに「すごい」ものを見せてくれるほうがいいに決まってます。

 河合克敏『とめはねっ!』は、実際に「すごい」と思わせる書道作品を作中に登場させることで説得力あるマンガになってます。片山ユキヲ『空色動画』も作品内アニメのアイデアがなかなか健闘してました。

 「マンガ」を題材にしてる『バクマン。』は、「料理」や「音楽」を扱ってるマンガとは違います。「マンガ内マンガ」を読者に見せることが可能、なはず。対決と賞賛のテクニックだけじゃね。

 マンガ内で登場人物が大絶賛するような「マンガ内マンガ」をほんとに描いて読者に見せてしまうと、ある比率で必ず、おもしろくない、という層が存在するのは避けられません。そういうひとたちにとっては、マンガの展開そのものが納得できなくなってしまうかもしれません。それにほんとに大傑作なら、「マンガ内マンガ」としてより本格的に連載しちゃったほうがいい、という考えかたもあるし。

 しかしそれらを承知の上で、今後『バクマン。』が読者が納得できるような「すごい」「マンガ内マンガ」を読者に提示できるかどうか。注目してます。

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Comments

>>視覚にうったえて表現するものを題材にするなら、ほんとに「すごい」ものを見せてくれる…
フィギュア(人形)を題材にした『ドールマスター』(井原裕士)が印象的でした。すごくない人形の具体的なすごくなさ、人形と題材になったアニメキャラだけでなく資料写真のためにコスプレした登場人物も、など微妙かつ的確な描き分けのつみかさねに支えられ、後々でてくる幻想的な場面でもいちいち意識的に解読しなくても何が起きているかそのまま受け取れた気がしました。
 つい、久々に読み返してしまいました。

Posted by: しらせひびき | September 11, 2010 04:08 PM

バクマン内に出てくる漫画は純フィクションではなくて
ある程度まで実在のジャンプ漫画がモデルでは?

真白の叔父はガモウひろしで、描いていたのはラッキーマン。
主人公達が原作・絵に分かれて描こうとしていた邪道漫画はデスノート。
小説家が漫画原作をやる展開はめだかボックスだけど
出来た漫画は原作小説を自由にアレンジしている封神演義みたいなマンガ。
新妻エイジが描いている王道漫画はワンピースでありNARUTO
でも、今週はスラムダンク(の31巻のセリフ無しの回)を描いてる!
みたいな読み方をしてます。

PCPのモデルが、小畑・大場両氏の温めている連載されていない新作なら是非読んでみたいですが
PCP以外は、一つの架空のマンガ内マンガの中に
ジャンプの複数の人気マンガのエピソードが詰め込まれているのであれば
やはり通して読めるマンガとして「見る」のは難しいのでは。

Posted by: うめ | August 20, 2010 03:10 AM

こんにちは。初めてブログを読まさせていただきました

反論というわけではないのですが
主人公たちがフィクションとして書かれている「バクマン」とドキュメント・自伝的要素の強い「まんが道」と比べるのはどうでしょうか
「まんが道」の場合、読者が“マンガ内マンガ”と読んでつまらないと思っても、実際に成功しているわけですから関係ない
「バクマン」の主人公が作者の似姿としても、設定は完全なフィクションですから、「デスノート」なんかに似た作品を持ってきても読者が嘘臭く感じてしまうでしょう
「まんが道」のほうが自分も面白いとは思いますが、作品の成立から違うのですから比べる意味が無いと思います
具体的な作品を提示するよりも、読者の想像に任せたほうが“説得力がある”場合もあるのではないでしょうか
作品内の「PCP」のヒトコマが原作に描かれていました(学校のトイレをウォシュレットにする)が、正直面白くなかった(まあ、いまいちな展開だと主人公たちが覚るわけ流れですからしょうがないですが)
それなら作品内のマンガの具体的な描写を少なくしたほうが逆に説得力が増す
「とめはね!」も例に挙げられていましたが、あの中で大分の強豪校がでてきます
実際にある高校がモデルで、それが読者へのリアリティを補強していますが、先日のニュースで不祥事が報道され、読者でもがっかりした方がいたのではないでしょうか

目に見える形・現実と結びつけることが一番とは言えない、むしろ危険性が大きいのでは?と私は思います
他のコメントでも言われていますがそちらに注力せず、他のドラマを盛り上げていってほしい
もちろん、それらのリスクを超えてPCPを読み切りみたいな形で提示してくれれば面白いとは思いますが

Posted by: 始めまいして | August 19, 2010 12:33 PM

そういえば、藤子不二雄は漫画に図像を引用するというのをよくやってましたね。

Posted by: lucia | August 18, 2010 08:56 PM

みなさまコメントありがとうございます。『ラッコ』はあくまでシャレだと思います。あれはさすがに「その他のマンガ」だから成立するのであって、新妻エイジや主人公たちのマンガをほんとにジャンプに掲載するかどうか。
このマンガ内での評価は一般のそれじゃなくて、あくまで「ジャンプシステム」のものである、というのは納得できるご指摘です。でもそうなら「バクマン。」が描いてるのは「マンガ」じゃなくて「ジャンプ」の話ということになって普遍性から遠くなっちゃいますねえ。

Posted by: 漫棚通信 | August 18, 2010 08:21 PM

『サルまん』のとんち番長は、面白かったですね。

Posted by: 通りすがり | August 18, 2010 07:11 PM

失礼しました!
× マクバガン
○ マクガフィン

いかんなあ・・・・

Posted by: トロ~ロ | August 18, 2010 06:52 PM

バクマンを読んではいないので、的外れになっているかもしれませんが、ここに書いてあるエピソードで解釈すると「作品内で連載されているマンガ」は、いわゆる典型的な「マクガバン」ではないでしょうか?
そうと割り切って、登場人物の人間ドラマに絞った方が楽しい作品になるような気がします。

Posted by: トロ~ロ | August 18, 2010 06:46 PM

はじめまして。いつもブログ読ませて頂いています。
もしご存知だったら申し訳ありませんが、『バクマン。』の「マンガ内マンガ」の一つ、『ラッコ11号』が実際の「ジャンプ」に掲載されるとのニュースがありました。
http://natalie.mu/comic/news/35547
ということはある意味「マンガ内マンガ」を読者に見せたことになるのでは…とも思いますが。どうでしょう。

Posted by: mrg | August 18, 2010 01:25 PM

バクマンがほかの作品と少し違うのは、その「すごい」が作品内のキャラクターを感動させる「すごい」ではなく、ランキングで勝てる「すごい」だということですね。編集者やライバル作家もランキングで勝ったことや勝つためのアイデアに「すごい」という。
純粋な「作品への感動」を捨象し、ランキングという「現在の読者」からの評価によって作品は完成するという「すごい」の表し方がバクマンの核の一つだと思いますが、これから吹き出しでのアイデアや演出、設定の説明以外の方法でどのように作品内作品の魅力を表現していくことができるか楽しみに読んでいます。
例えば、編集王の「王女アンナ」だとカンパチが作品内ですごく感動しており、ある作家の過去の作品という設定もあり、すごい読みたい!!と思う。
バクマンには、作品内作品への登場人物の感動が読者に感染する、しかし作品自体は読者は読めないという作品と読者の関係にはなりませんね(いい悪いではなく)。
過労死したおじさんが描いていた作品も、あくまで漫画家という職業を選ぶ主人公の動機づけで、作品自体が時間性・歴史性を持って存在はしていない。
それはこの作品の商業作家であることの一つの表し方なのかもしれません。


Posted by: mdoym | August 18, 2010 12:56 PM

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