「見えない道場本舗」で紹介されてたので、わたしも買ってきました。
●古谷三敏『ボクの手塚治虫せんせい』(2010年双葉社、1000円+税、amazon
)

作品ごとのイレギュラーな「お手伝い」から、職業としてのアシスタントが成立する移行期。古谷三敏が手塚治虫のアシスタントだったころの思い出を描いたエッセイマンガです。
知られざるエピソードがいろいろあって楽しい本。内容についてはリンク先の「見えない道場本舗」がくわしいのでそちらにおまかせしますが、興味深かったのが、壁村耐三伝説について。
秋田書店の壁村耐三は、「週刊少年チャンピオン」黄金時代をつくりあげた編集長として知られています。彼の功績などはこちらの記事をどうぞ。
●【マンガ50年】「王者」の伝説(2)怒れる編集長「弱小」返上
●【マンガ50年】「王者」の伝説(3)部数「あり得ない」急伸
壁村はかずかずの豪快な伝説の持ち主でもあります。いちばん有名なのが、手塚治虫の原稿をほうり投げたとか破ったとかいうもの。
これについて本書で古谷三敏が描いています。
手塚治虫がまだ独身で初台に住んでいたころの話。1959年ごろですね。
「冒険王」で新連載の「魔神ガロン」が始まったときのことをボクは忘れない
担当は秋田書店のカベムラさん
後にこの人は「週刊少年チャンピオン」の編集長になり名編集者として有名なのですが…
大酒豪でけんかが強く体も大きくてみんな一目おいていました
その日は先生とボクとカベムラさんの3人しかいない夜でした
どうしても眠りたい手塚は、壁村編集者にウイスキーをさしいれ。壁村もこれを一本あけてしまい寝てしまう。
これを見た手塚と古谷も寝てしまい、結局朝一番でできあがるはずの原稿の完成が午後になってしまいます。
原稿を受け取った壁村は、「先生 今ごろもらっても間に合わないですよ」といって原稿をほうり投げます。
これに対して手塚は、「たしかにおそくなったけど」「一所懸命描いた原稿だ!! ほうり投げることないだろう!!」と怒った、という話。
古谷三敏によると、これこそが壁村-手塚伝説の真相だそうです。「実際はポンと足もとに投げただけなんです」
ところがこのエピソード、別の証言もあるのですね。
かつて「ビッグコミック1」という不定期刊の雑誌がありました。そこに「神様の伴走者-手塚番-」という連載があって、手塚治虫を担当した多くの編集者たちへのインタビューが掲載されていました。
「ビッグコミック1」2008年4月3日号に掲載された第15回のインタビュイーは藤子A先生こと安孫子素雄。彼の話の中に壁村編集者が登場します。
こちらは1955年という設定。まだ職業的アシスタントはおらず、安孫子素雄たちが臨時の手伝いにはいっていた時代です。
並木ハウスで、「冒険王」の『前世紀星 LOST WORLD 』だと思うんだけど、締め切りがギリギリになっててね。午後の6時に渡すはずの原稿を受け取りに壁村さんが来たわけです。その時はまだシラフだった。そしたら先生が、「いや、ごめん、ちょっと悪いけど、あと、2~3時間。午後9時かな」とかってね、言ったんですよ。そしたら、「9時ですね。分かりました」って言って、いなくなったんです。で、9時に来たんですよ。もう、結構お酒入ってるわけ。ところがまだね、3ページ残ってたのかな。先生、「12時までになんとか」って。
結局原稿は12時にも完成せず、「2時にはなんとか」と、なしくずし的に締め切りが延ばされていきます。1時半ごろ原稿はやっと完成。
「安孫子氏も、ちょっと寝なさいよ」って言われて、僕はベッドに入ったわけです。2時になって、壁村さんが部屋に入ってきた。入ってきて戸口につっ立ってるの、薄目をあけて見たんです。壁村さんはつっ立って、「原稿は?」って。先生は「悪い悪い、やっと出来たよ」って言ってね、8ページだったと思うんだけど、こう両手で差し出したんです。そしたら、壁村さんはね、受け取って、しばらく見てから、「もう間に合わない!」って叫んで、パァーッと原稿を部屋中にまき散らかしたんですよ。
こちらでは原稿が宙を舞うハデな展開になってます。
壁村さんは、その後ビューッと帰っちゃった。先生、呆然としてね。原稿が部屋中に舞ってるわけ。僕も、起きていいもんかね、薄目あけて肩越しに見てたら、先生が原稿を拾ってね、集めて、なんか唸ってて。いやあ、あれはすごかったですよ。
うーん、同席した人間が証言しているはずなのに、細部がずいぶん違います。
時代と場所が違う(初台時代と並木ハウス時代)、作品が違う(『魔神ガロン』と『前世紀星 LOST WORLD 』)、壁村が飲酒する経緯が違う。
手塚治虫の反応も違ってて、古谷説では手塚も怒ってますが、安孫子説では手塚先生かなり情けない感じに描写されてます。だいたい立ち会ってたはずの目撃者が違いますからね。
さて、伝説はさらにハデになります。
「たけくまメモ」のコメント欄に書かれた長谷邦夫の証言によると。
秋田書店の壁村さん自身から聞いた話ですが、
彼は、カラー扉原稿を待っていたのだが、
ついに間に合わなくなってしまった…。
でも、彼は黙って待ち続け、先生が出来上がりを
持ってくると、
「こんなもの要らねえよ」と言って、目の前で
ビリビリと破ったそうです。
どんな代原を入稿したのか、聞いとけばよかった
んですが…。酒飲んでるときでしたので。
「オレが編集やめるときは、アイツの右腕折って
やる…」と、つぶやいてました。
長谷先生はこのエピソードを小説にして、壁村耐三自身に語らせています(『マンガ編集者狂笑録』収録の「酔わせてみせろよウソ虫 壁村耐三の巻」)。
壁村が原稿をポンと投げただけという古谷説より、部屋じゅうにまき散らかした安孫子説のほうが見栄えがしますし、さらにビリビリと破ったという壁村-長谷説が、お話としてはもっともおもしろい。
事件の当事者の証言がまったく一致せず、ついに故人である本人も登場して証言するのですが、謎は深まるばかり。まさに「藪の中」ですね。
事件を当事者や周辺のひとがくりかえし語るうちに、「すべらない話」として持ちネタ化し、伝説がどんどんハデになっていった、というのが妥当な考えかたでしょう。ただし複数の人間がみんな思い違いをしていないのなら、手塚-壁村間で同じようなことが何度もくりかえされた、という推理もなりたつのじゃないか。
つまり、手塚治虫は何度も何度も秋田書店の原稿を落とし、そのたびに壁村は原稿をほうり投げたりビリビリに破ったりしていた、と。
いくらなんでもそんなに何回もは、と思いますが、下記のような別の手塚-壁村伝説を読みますと、そういうこともあったかもしんない、なんてね。
時代はずっと下って日本テレビの24時間テレビが始まったころ、1980年前後ですね。当時は24時間テレビにあわせて年一回、手塚プロがスペシャルアニメを制作していました。
証言しているのは朝日ソノラマの編集者だった松岡博治。「ビッグコミック1」2007年12月1日号掲載「神様の伴走者」第13回より。
毎年、この季節になると、各誌とも、進行がおされるわけです。もう、原稿が入らなくて、減ページをしたりとか。秋田書店に、壁村耐三さんっていう名物編集長がいらっしゃいまして、私が手塚プロで原稿を待ってると、夕方、まだ夕方なんですが、酔っ払って、リンゴなんかかじりながら、手塚プロのドアを蹴って入ってきて、「先生はどこにいるんだ! 進行がめちゃめちゃじゃないか」ってどなったんですね。その時、先生が仕事場のドアを開けて、ちらっと顔のぞかせたんです。その先生に向かって、リンゴを投げたんです、バシャーッて。先生、隠れちゃって、全然出てこなかった(笑)。
わたし実生活でリンゴを投げたこともないし、投げられたこともないです。これもそうとうにすごい話であります。
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