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June 13, 2010

「生きている手」の研究 【第一回】

 わが家では映画「アダムス・ファミリー」が人気で(とくに「2」のほうね)、家庭でくりかえし鑑賞してるのですが、この映画に「ハンドくん」という「手」だけのお化けが登場します(→画像)。

 「手」だけなのに五本の指で高速で走り回り、けっこうおちゃめ。うちの子どもたちは喜んで見てますが、おっさんがこれを見て思い浮かべるのは水木しげる『墓場の鬼太郎 手』です。鬼太郎から離れた「手」だけがうにょうにょと動きまわる。当時、わたしのような年少読者にはそうとうに怖かったです。

 ただしこの「生きている手」は、「アダムス・ファミリー」や水木しげるが発明したものではありません。怪談の定番としてけっこう昔から存在するものです。そこで「生きている手」にはどんなお化けがいるのか、いくつかをご紹介しましょう。


*****(古典編)*****

●ジェラール・ド・ネルヴァル『魔法の手 La Main de enchantée 』1832年
○「世界の文学52 フランス名作集」(1966年中央公論社、入沢康夫訳)
○「ネルヴァル全集4 幻視と綺想」(1999年筑摩書房、入沢康夫訳)

ネルヴァル全集〈4〉幻視と綺想

 ネルヴァルは「狂える浪漫主義者」と呼ばれたフランスの詩人/作家。アレクサンドル・デュマやヴィクトル・ユゴーの友人でシュルレアリスムの先駆者として知られていますが、1855年に狂死しました。

 『魔法の手』は最初『栄光の手 La Main de Gloire 』のタイトルで1832年に雑誌に掲載され、のち一部が手直しされ1852年に単行本化されています。

 舞台は17世紀初頭のパリ。主人公の若い商人は、ジプシーの奇術師から、おまえは絞首刑になるだろうといやな予言をされます。

 その後商人はひょんなことから銃士と決闘するはめになってしまいます。彼はジプシーを捜し出して手に魔法をかけてもらいます。代わりに大金を要求されるのですが、そんな金はないので「手」を借金のカタにする約束をします。

 決闘の場で商人の右手は勝手に剣をふるい、銃士を殺してしまう。この時代すでに決闘は禁止されていたので、こわくなった商人は事件をもみ消してくれるように司法官に頼みに行きますと、なんとこの場でも右手が勝手に司法官を殴りだしてしまう。商人がごめんなさいと泣きながら司法官を殴る、というドタバタコメディーみたいな場面です。

 これは金を払わなかった商人に対する呪いでした。かくして商人は広場で絞首刑に処されます。ところが商人が死んだあと、彼の右手がひらひらと動き出します。

 驚いた役人が彼の右手を切り落とすと、すると右手は五本指を使って何度もとびはね、高い塔の小窓から広場をのぞいていたジプシーのもとへ、塔の壁をよじ登っていくのでした。

 「生きている手」の古典にして、恐怖と笑いが混在した傑作です。

 本作のもとのタイトルである「栄光の手」。これは西洋魔術方面ではちょっと有名です。英語では「hand of glory 」、フランス語では「main de gloire マン・ド・グロワール」。絞首刑になった殺人犯の手を切り落とし、ろうそくに加工したもので、画像ではこんな感じですね。
  ○「hand of glory
  ○「main de gloire

 もうこれだけで怖いですが。

 本作でアルベルトゥス・マグヌスの魔術書からの引用として「栄光の手」が解説されています。本来はグーの形が正しいらしい。これを燈台として使いますと「コトゴトク桟ハ落チ錠前ハ開キ、出会ウ者、コトゴトク不動金シバリトナル」のだそうです。


●シェリダン・レ・ファニュ『白い手の怪 Narrative of the Ghost of a Hand 』1863年
○「世界恐怖小説全集1 吸血鬼カーミラ」(1958年東京創元社、平井呈一訳)収録
○レ・ファニュ「吸血鬼カーミラ」(1970年創元推理文庫、平井呈一訳)収録
○シェリダン・レ・ファニュ「墓地に建つ館」(2000年河出書房新社、榊優子訳)

吸血鬼カーミラ 創元推理文庫 506-1 墓地に建つ館

 ゴシック・ロマンの作家といわれるレ・ファニュ。

 本作は『Narrative of the Ghost of a Hand 』というタイトルで知られていますが、じつは長編『墓地に建つ館(墓畔の家) The House by the Churchyard 』の一章として書かれたものです。

 この第12章が独立した短編のように扱われ、いろんな怪談集に収録されてます。第12章の本来のタイトルは「瓦屋根の館にまつわる奇怪な事実-片手となって現れる幽霊についての信憑性のある話 Some odd facts about the Tiled House - being an authentic narrative of the ghost of a hand 」という長々しいもの。

 舞台は18世紀半ばのダブリン。レ・ファニュの作品発表から約100年前の昔話として語られます。

 ある館に「手」の化けものが出没し始めます。最初は窓の外に姿を見せたり、窓やドアをたいたり。館の主人がドアを開けてしまい、「手」は館への侵入に成功します。

 「手」は館の中を徘徊し始めます。室内で物音をたて、テーブルに手の跡をつけ、ついには失神した夫人の隣で発見されます。さらに二歳の息子のベッドにも姿を現し、幼児を恐怖におとしいれる。

 この話にオチはありません。化けもの退治も種明かしもない。誰の手であったのかもはっきりしないまま。さらに「手」は人間に対し具体的な危害を与えたのかどうかも読者にはよくわかりません。

 基本的に何もせずただただ這い回る「生きた手」がコワイお話。あと館の主人に招き入れられる形で室内に侵入できる化けもの、というのは吸血鬼にも通じる古典的設定ですね。

 1958年発行の平井呈一訳「白い手の怪」には年代に関する明らかな誤植があるのですが、1970年の文庫化でも訂正されてません。だれか気づいてあげてくださいよー。

 本作は水木しげるのマンガ『手袋の怪』や『幽霊屋敷』のモトネタになりました(後述)。


●ギ・ド・モーパッサン『剥製の手 La Main d'écorché 』1875年

 モーパッサンには有名な『手』という作品がありますが、『剥製の手』はそれに先立って書かれた原型ともいうべき作品で、魔術具「栄光の手」を題材にしています。

 ある飲み会でひとりの学生が、剥製の「栄光の手」を友人たちに披露します。この「手」の持ち主は有名な極悪犯罪人であったとのこと。学生は死亡した魔法使いの遺品のひとつとしてそれを手に入れたんだそうです。

 彼は「手」を玄関ドアの呼び鈴に結びつけるのですが、なぜか夜中にそれが鳴るわ大家からは苦情を言われるわで、寝室の呼び鈴として使用することにします。

 その翌朝、学生の召使いは寝室の呼び鈴が激しく鳴らされるのを聞き、部屋のドアをこじ開けた警官たちは瀕死の状態の学生を発見しました。彼の首には五本の指の跡がありました。

 七か月後、彼は正気に戻ることなく死亡します。彼は故郷の村で埋葬されますが、人夫たちが墓穴を掘っていると、ある棺を掘り当ててしまう。それは手首を切り落とされた死刑囚の棺で、消えたはずの剥製の「手」もそこで発見されたのでした。

 レ・ファニュと違って、ちゃんとオチがあるのがモーパッサンです。少なくとも19世紀のフランスでは、「栄光の手」は比較的ポピュラーな存在だったみたいです。

※参考サイト:「モーパッサン (1850-1893) を巡って


●ギ・ド・モーパッサン『手 La Main 』1883年
○「世界恐怖全集9 列車〇八一」(1960年東京創元社、青柳瑞穂訳)収録
その他に子ども向けも含めていっぱい邦訳があります。

 モーパッサン作のこちらの『手』はそうとうに有名。子ども向けの短編集にも収録されることも多い古典的怪談です。

 コルシカ島の予審判事が、あるイギリス人の別荘で「手」を見せてもらいます。それは肘と手首の中間で切断されたひからびた手で、鉄の鎖と鉄の環で壁にしばりつけられています。

 イギリス人によるとこの「手」の持ち主は彼の仇敵のアメリカ人で、その手は剥製になってもしょっちゅう逃げだそうとするのだと。

 その一年後、イギリス人は殺人の被害者として発見されます。彼の首には五つの穴があき血まみれ。口には切断された指が一本はさまっていました。

 さらにその三か月後、イギリス人の墓の上で、「手」が発見されます。その手には人差し指がありませんでした、というオチ。

 作品内では動く「手」の目撃者は被害者以外にはいない、という点ではモーパッサンの前作『剥製の手』と同じですね。

 語り手の予審判事は、「手の持ち主は死んでいなかった。その男がやってきて手を取り戻したのだ」というなんとも散文的な解決を披露していますが、まあそれを受け入れる読者はいないでしょう。


*****(二十世紀編)*****

●セオドア・ドライサー『復讐の手指 The Hand 』1919年
○「恐怖の一世紀2 悪夢の化身」(1985年ソノラマ文庫、竹生淑子訳)収録

 ドライサーは『シスター・キャリー』や『アメリカの悲劇』などで有名なアメリカ文学を代表するビッグネームです。

 『アメリカの悲劇』は現実にあったスキャンダラスな殺人事件、出世を目的に恋人を殺し死刑になった青年のことを書いた小説です。エリザベス・テーラー主演の映画「陽のあたる場所」の原作としても有名ですね。映画はアカデミー賞の監督賞、脚本賞、その他を受賞してます。

 本作は1919年に発表された短編です。古典的な怪談とは一線を画す現代的な作品。

 不動産投機家の主人公は同僚を殺してしまいます。断末魔の同僚は主人公に向けて右手を伸ばす。これが主人公を苦しめる「手」となります。

 部屋の天井のしみが手の形に見える。同僚が自分を呪う声が聞こえる。雑誌に載ってる心霊術者の記事についてる写真が同僚の顔や手に見える。

 ついにはベッドの上をただよう煙のような「手」がしだいに実体化し、自分の喉をしめるようになる。これらの恐怖がくり返された後、主人公は死亡。遺体の喉には、自分で自分の首をしめたにしては深い指の跡が残っていました。

 すでに20世紀の作品なので、明らかに神経症による幻覚妄想状態の描写です。作者もそのつもりで書いている……はずなのですが、最後になって、もしかするとスーパーナチュラル? と思わせています。

 20世紀になりますと怪談もすなおに語るわけにはいかなくなるのですね。


●W・F・ハーヴィー『五本指の怪物 The Beast With Five Fingers 』(1928年)
○「世界恐怖小説全集4 消えた心臓」(1959年東京創元社、大西尹明訳)収録
○「アンソロジー・恐怖と幻想3」(1971年月刊ペン社、鹿谷俊夫訳)収録、タイトルは『五本指のけだもの』

 この作品を読んだときはちょっとびっくりしました。水木しげる『墓場の鬼太郎 手』(1965年)とそっくり。巷間いわれているように、本作が『墓場の鬼太郎 手』のモトネタです(後述)。

 まず叔父と甥が登場します。叔父はすでに年老いており、彼が眠りこんだとき、甥はその右手が動いて鉛筆を持ち文字を書き始めるのを目撃する。なんと右手は叔父とは別の意識と知性を持っているらしく、筆談で甥と会話できるのです。

 叔父の死後、甥には遺産として図書室の蔵書と小さな木箱が残されます。箱のふたを開けると「手」が生き物のように走り出し、図書室のどこかに隠れる。どうも「手」自身が葬儀屋に手紙を書いて、遺体から手を切り離すように命じたらしい。

 このあと、逃げる「手」と、これをつかまえようとする甥とその秘書のドタバタがくりかえされます。やっと「手」をつかまえて机の引き出しに閉じこめておいても、召使いあての手紙を書いて鍵を開けさせてしまう。「手」を板に釘で打ちつけて金庫に入れておいたら、しのびこんだ泥棒が金庫を開けてしまう。浴槽に追いこんで「手」をつかまえようとするシーンもあります。

 ついにある日、「手」から手紙が届きます。「今夜お伺いしたい」

 甥と秘書はしっかりと戸締まりをして「手」が来るのを待ちますが、暖炉の煙突という進入路があることに気づく。彼らはあわてて暖炉に火をつけようとしましたが、まちがって火事になってしまいます。

 彼らはドアの差しこみ錠を抜こうとしますが、どうしても抜けない。そのとき、炎の中から真っ黒に焼けた何かがゆっくりと近づいてくるのでした。

 いやもう何というか、じつによくできた怪談で、適度なユーモアもあります。水木しげるがこの作品にひかれるのも納得できます。

 『五本指の怪物』と『五本指のけだもの』の元版となったものは異なるバージョンですが、エピローグ(←はっきりいって蛇足)の有無ぐらいで大きな違いはありません。


(以下次回

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Comments

古谷三敏の「手っちゃん」は次回に出てきますでしょうか。
あっ、電子書籍になってる。
http://www.ebookjapan.jp/ebj/book/60008793.html

Posted by: きむらかずし | June 13, 2010 09:46 AM

「手っちゃん」は第三回に書く予定でした。連載がチャンピオンの全盛期だったから覚えてるひとが多いのじゃないかと。

Posted by: 漫棚通信 | June 13, 2010 02:41 PM

手だけでもこんなにあるものですね。

マンガでは、つげ義春の「窓の手」(新潮文庫『義男の青春・別離』所収)をとっさに思い出しました。窓に手がはえているが、それはイギリス人スパイのグロリアの手ではないか、という話です。

関係ないですが、漫棚通信さんに教えてもらったドラマーの映像をずいぶん見ました。これがどれくらいうまいのか・ヘタなのかを見分ける力がないので、ただただ見続けてしまった次第です。

Posted by: 紙屋研究所 | June 13, 2010 03:48 PM

初夏なので怪談なのでしょうかしらん・・・・・趣味が広いな~~

Posted by: トロ~ロ | June 14, 2010 12:01 AM

手といえば私は漫画では「ジョジョの奇妙な冒険」第四部の吉良吉影が持ち歩いている手のインパクトが強いです。これは「死んでいる手」ですが、生き物のように話しかけられている分存在感が強いです(^^;

「生きている手」といえば映像ではトルンカの「手」のイメージもあるのですが、やはりヤンシュヴァンクマイエルの「闇・光・闇」(1989年)のイメージは強烈でしたね。

http://www.youtube.com/watch?v=LuBwXfg3Mr4

Posted by: くもり | June 14, 2010 01:24 AM

トルンカの「手」は第三回のネタです。どうも先回りされちゃうなあ。「闇・光・闇」は初めて見ました。これはたしかに強烈。

Posted by: 漫棚通信 | June 14, 2010 06:10 PM

自分も手のお化けというち、てっちゃんがまず浮かんできました。

小説だとDの左手とか、いつも離れているわけではないですが

Posted by: とりとり | June 14, 2010 11:18 PM

 手と言えば。
 渡辺多恵子さんにも、何か短いエッセイ風のマンガに、両手首だけのお化けが出て来る話があったような気がしました。

Posted by: woody-aware | June 18, 2010 06:46 AM

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