「生きている手」の研究 【第三回】
(前回からの続きです)
*****(現代作品)*****
●イジィ・トルンカ「手 Ruka (The Hand )」1965年
○「イジー・トルンカの世界 DVD-BOX 」(コロムビアミュージックエンタテインメント)収録
○「イジー・トルンカの世界1 『手』その他の短篇」(コロムビアミュージックエンタテインメント)収録
さて日本とアメリカでなぜか「手」のお化けが流行していた1965年、ヨーロッパではチェコスロバキアのトルンカが人形アニメーション「手」を発表しました。
イジィ・トルンカは、人形の細やかな動きを得意とし詩情豊かな作品を多く作った人形アニメーションの巨匠です。長編「真夏の夜の夢」が有名。ただし彼の遺作となった「手」は不気味な雰囲気の短編です。
主人公は花を愛するアルルカン。彼が粘土で植木鉢を作っていると、窓の外から巨大な「手」が侵入してきます。
「手」は主人公に「手」の像をつくるように強要する。これを断る主人公ですが、ついには腕や首にひもを結ばれ、あやつり人形のように「手」にあやつられ、巨大な「手」の彫像をつくることになってしまいます。
ラストは主人公の死という陰鬱なもの。
あきらかに芸術と政治の関係を描いた作品で、この先の歴史を知っているわたしたちとしては、1968年のプラハの春とソ連軍侵攻を思い浮かべずにはいられません。ここで「手」はお化けというより、全体主義と国家による暴力の象徴です。
(興味あるかたはYouTubeで「Trnka, hand 」で検索してみてください)
●アルフォンソ・レイエス『アランダ司令官の手 La mano del Comandante Aranda 』1955年ごろ
○「エバは猫の中 ラテン文学アンソロジー」(1987年サンリオ文庫、井尻香代子訳)収録
○「美しい水死人 ラテン文学アンソロジー」(1995年福武文庫、井尻香代子訳)収録
レイエスはメキシコの詩人/作家。ボルヘスの師匠格にあたります。
アランダ司令官は戦争で手を落としてしまうのですが、その手をきれいに化粧して保存、陳列することにしました。
そのうちに「手」は意識を持つようになり、しだいに自分で動けるようになります。ついには空中を飛ぶことも可能になり、ふざけて人の鼻をねじる、殴る。酔っぱらうこともあるし、車の運転もできる。さらに読書したりもするんですね。
最初は「手」をペットのようにかわいがっていた家族ですが、「手」の悪ふざけがすぎるようになり「手」を恐れるようになります。
しかし「手」は、自身の存在に哲学的、根源的な疑問を持つようになり、ついには自殺してしまうのでした。
うーんこうなるともう怪談じゃなくなってる。何かの暗喩のようでもあり、単なる笑い話のようでもあり。
この作品にはしゃべること以外はなんでもできるようになった「手」が登場しますが、日本にはさらにすすんで、しゃべることも宙を飛ぶこともできる「手」がいました。
●古谷三敏『手っちゃん』(「週刊少年チャンピオン」1975年~1977年)
『ドカベン』『がきデカ』『ブラック・ジャック』などが連載されてた全盛期チャンピオンをささえた一作。単行本は少年チャンピオンコミックスから全五巻で出てました。今は「ebook 」で電子書籍化されてます。
パパ、ママ、キヨシの遠山家に居候する「手」のお化け「手っちゃん」。どう見ても子どもの手じゃなくて、静脈はういてるし毛もはえてる。空を飛ぶ、しゃべる、などはアタリマエ。食事はするわ小便はするわ酒飲んで酔っぱらうわタバコはすうわ。風邪をひくことも可能です。
手のひらのシワがどうも口らしい。たまに見せる歯がグロかった。主にお気楽なパパと手っちゃんのかけ合いでお話が進みます。
基本的に『オバケのQ太郎』や『ドラえもん』のような異生物居候モノのマンガなのですが、なんせ「かわいい」の対極にあるようなビジュアル。
でも、この時期の古谷三敏は「週刊少年サンデー」の『ダメおやじ』もまだオニババにいじめられてた時期ですから、むしろ『手っちゃん』のほうがほのぼの系です。
『手っちゃん』のラストはけっこう驚きの展開です。会社に就職してサラリーマンとして働き始めた手っちゃん、取引先の社長令嬢にみそめられ、何と結婚。子どもも生まれてめでたしめでたし。異世界からの居候ですから、てっきり異世界に去ると思ってたんだけどなあ。
●クライヴ・バーカー『手 The Inhuman Condition 』1985年
○「血の本4 ゴースト・モーテル」(1987年集英社文庫、大久保寛訳)収録
クライヴ・バーカー衝撃のデビュー作「血の本」シリーズの一篇。いやこれがもう壮絶なスプラッタ。
手を使う仕事の工員、チャーリーの右手と左手が意識を持ち、反乱を起こします。「手」たちはチャーリーの意思とは無関係に妻を殺し、次はチャーリーを殺そうとします。彼もなんとかそれを阻止しようとするのですが、右手は左手を包丁で切り落とします。
自由になった左手は、街をさまよい、世界を啓蒙する。「手」たちよ、革命だ、自由を得るのだ。そしてYMCAにいた若者たちの「手」は反乱を起こします。自分の主人を殺し、手を切り落とし自由になります。
「手」たちは、革命の指導者、チャーリーの右手を求めて、彼が収容されている病院へ大挙しておしよせてくるのでした。
バーカーお得意の視覚的恐怖。何百という血まみれの「手」がおそってきます。自分の趣味でいいますと、いやー、バーカーのこういう話、好きだわー。
●パトリック・マグラア『オナニストの手 Hand of a Wanker 』(1988年ごろ)
○「血のささやき、水のつぶやき」(1989年河出書房新社、宮脇孝雄訳)収録
○「失われた探検家」(2007年河出書房新社、宮脇孝雄訳)収録
「Wank 」とは「オナニー(をする)」ことですから「Wanker 」は「オナニーをするひと」。ちなみに『チャーリーとチョコレート工場』の主人公ワンカ(Wonka )さんは、「Wanker 」と同じ発音なので、英語圏ではいろいろと冗談になってます。
本作の作者パトリック・マグラアは「ポストモダン・ゴシックの旗手」といわれているそうです。
現代のマンハッタン、ナイトクラブに手のバケモノが出没します。歌手の首を絞めたりするから穏やかではありません。
客の一人がやってきて、手の正体を明かします。
自分は思春期になってからのべつまくなしオナニーをしていた。それが原因で失職するまでになってしまう。罪悪感から自分で右手を切り落とし、靴の空き箱に入れておいたところ、抜け出して自分の股間をねらってきた。驚いた自分が「手」を怒ったところ自分のところから逃げ出してしまった。
ナイトクラブの従業員たちは、色っぽい女の子をおとりにして「手」を待ちかまえます。
何か三家本礼あたりに描かせてみたい冗談みたいなお話。
マグラアには、『黒い手の呪い』という作品もあって、こちらは頭のてっぺんから「手」がはえるという怪談です。
●スティーヴン・キング『動く指 The Moving Finger 』1990年
○スティーヴン・キング「いかしたバンドのいる街で ナイトメアズ&ドリームスケープス1」(2000年文藝春秋、その後文春文庫)
さてどんじりは、ご存じキング。この作品には、厳密にいいますと「手」じゃなくて「指」が登場します。
現代のニューヨーク、ある夫妻のアパート。バスルームにある洗面台の排水孔から、一本の長い指が出ている。その指はどこから続いているのかわかりません。こいつはくねくねと動きカリカリと音をたてますが、とりあえずは何か悪さをするわけではないし、なぜか夫の前にしか出てこない。
夫は恐怖でバスルーム=トイレに行けなくなり、妻に隠れてこっそりとキッチンで排尿したりすることになります。
夫は「指」と戦うことを決心しますが、その理由はがまんできない尿意。「指」がそこにいたら、小便ができないじゃないか。武器は液状配水管クリーナーと電動植木ハサミ。男と「指」の血まみれの戦いが始まる!
教訓:バスルームとトイレは別室にしましょう。
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あらためて考えますと、手というのは毎日見てるから気にしてないけど、うにょうにょ動くし、けっこう気持ち悪い。そして手こそ進化論的にヒトをヒトたらしめているものであるし、暴力とかセックスを象徴するものでもあります。
「手」のお化けは小説よりも、視覚的に訴える映画やマンガの題材にこそ適しているのかな。コメント欄で教えていただいた、つげ義春『窓の手』やヤン・シュヴァンクマイエルの「闇・光・闇」、それから『寄生獣』のミギーなんかもバリエーションのひとつでしょうか。さがせばもっとありそうですね。
Comments
<バカボンの手>作品、そんな背景があったんですね
しかも、長谷邦夫さんからお話を伺えたなんて!
Posted by: お~ぐろ | June 20, 2010 03:35 PM
「発明ソン太」は'81年にサン出版ペットコミックスから「異色名作シリーズ」として2巻まで発売されてます。
同じシリーズで大友朗「日の丸くん」なども出てましたが、売れ行きが芳しくなく、ほどなく刊行打ち切りになってしまいました。
残念ながらamazonマーケットプレイスには出品がありませんが、古本屋でこまめに探せば見つかるのではないかなあ。
「復刊ドットコム」の復刊リクエストはこちら。
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=40521
現在3票しか入ってません(涙)。
浅野りじといえば、集英社のまんが入門百科「まんが教室」は愛読書でした。
全編マンガで描かれたマンガ入門書は他に類を見ません。
Posted by: かくた | June 19, 2010 01:33 PM
「ドウエル博士の首」にグレートマジンガーだったかなぁ、ブロッケン伯爵、「手っちゃん」に足だけの存在…、体の部分だけ、っていう存在は結構多いし歴史も古いんですね…。あそうか、「目玉おやじ」自身が身体の一部分だもんなぁ。“そのヴァリエーション”の1つなんだ。orz
猿の手…、とか魔術的なものも有り、この話って結構深いんですね。
Posted by: woody-aware | June 18, 2010 06:58 AM
日本映画で「生きている手」の出て来る作品というと、
69年の萩本欽一監督の短編映画、タイトルもそのままの
「手」がありましたね。
売れないデザイナーのもとに、ある日1本の手が現れ
て…という。
奇妙な作品で、けっこう面白かったです。
Posted by: 黒豆 | June 17, 2010 02:53 PM
浅野りじ!久しぶりに懐かしい名前を目にいたしました
これまた懐かしき光文社の月刊「少年」に連載された「発明ソン太」(ファンでした!)や松本零士以前の「光速エスパー」で世に知られておられますが、
私には読み切りのSF短編が記憶に残っております
「少年」の増刊に掲載された萩尾望都の「11人いる!」の先駆けのような内容の「ハッスル三宙士」や、「少年サンデー」に掲載されたミステリ・ゾーン調の
読み切りシリーズ(霧の中タイムスリップして来るゼロ戦や外国の諜報機関から脱走してくる双子の少年エスパーのエピソードが記憶に残っております)
ナツ漫の出版が盛んな昨今、「発明ソン太」の全編(私が知らないだけで、もしかするとすでに出版されてるかも?)やSF短編集成などが出版されないかと期待しているのですが・・・
Posted by: 流転 | June 17, 2010 12:20 AM
<バカボンの手>作品。
これは、ある実話にもとずいているんです!!
某編集者の「体験」なんです。
彼が、浅野りじ先生のお宅へ、原稿取りに行った…。
座敷で、待っていますと、ふすまが少し空いて、
そこからスッとお茶が差し出されました。
先生は机に向かっています。
(きっと、奥さんだな…)
そう、思ったんですが、
絶対挨拶に姿を見せない<人物>!
すごく、恥ずかしいということなんでしょうか?
先生に聞くわけにもいかず、なんかオソロシイ
感じがした~というんです。
これを、極端にギャグに構成したというわけです。
Posted by: 長谷邦夫 | June 16, 2010 05:41 PM
大変勉強になりました。
こうなると実践マンガ家コースとか、創作教室などで「手」を主人公にして短編を書きなさい、という課題など、なかなか良いのではと感じました。
Posted by: トロ~ロ | June 16, 2010 10:38 AM
はじめまして、初めて書き込ませてもらいます。
手っちゃん、懐かしいなぁ。
子供のころ、古本屋で一冊だけ立ち読みしたことがw
焼酎飲んで暴れたり、ゴミ捨て場で長靴かぶって全身水虫になったり、なにかシュールな話ばっかりだったように記憶しています。
というか、一回読んだだけなのにこれだけはっきり覚えているとは自分でもびっくりです。
最終回は知らなかったのでびっくりしました。
ある意味すごいラストですね~
Posted by: 冬寂堂 | June 16, 2010 09:09 AM
バカボンでも手だけしか見せない家族の話がありました
パパが訪ねて行っても手だけしか見せないので
躍起になって姿を見ようといろいろするんだけど見れず
その後はパパが怒って火を付けたか失火かは忘れましたが
焼け跡には手の骨しか無かったという・・・
ひょっとしたらアニメのオリジナルだったかも・・・
Posted by: お~ぐろ | June 16, 2010 02:55 AM
吾妻ひでお『ラナちゃんいっぱい泣いちゃう』には「足」が出てきますが、ご紹介のようなバックグラウンドがあってのキャラなんですね。
Posted by: かくた | June 15, 2010 10:14 PM