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June 23, 2010

『ジミー・コリガン』世界でいちばん不幸な男の冒険

 いやー感慨深い。『ジミー・コリガン 日本語版』がついに完結。

●クリス・ウェア『JIMMY CORRIGAN 日本語版』全三巻(2007年、2010年プレスポップ・ギャラリー、各2300円2800円3700円+税、amazonbk1

JIMMY CORRIGAN日本語版VOL.1 JIMMY CORRIGAN日本語版VOL.2 JIMMY CORRIGAN日本語版VOL.3

  

 えっと、まずは海外での評判から。

 月二回刊の雑誌「pen 」が2007年8/15号で「世界のコミック大研究。」という特集を組んだとき。アメリカのスコット・マクラウド(マンガという形式でマンガを論じた『マンガ学』の作者)、フランスのティエリ・グルンステン(昨年末に来日して話題になりました)、日本の夏目房之介の三氏が登場して、注目のマンガ/BD/コミックを紹介したことがありました。

 そのとき、マクラウドとグルンステンがふたりとも挙げていたのが二作。ひとつがダビッド・ベー『大発作』(→amazon)で、もひとつがこのクリス・ウェア『ジミー・コリガン』でした。

 おー、マクラウドとグルンステンがすすめてるなら、読まないわけにはいかんでしょう。

 また今年の年頭にイギリスのタイムズ紙が「ゼロ年代のベスト・ブック100」を発表しました。対象となる範囲はフィクション、ノンフィクション、自伝、詩、さらに辞書までに及んでて、「ダ・ヴィンチ・コード」とか「ハリー・ポッター」とか「トワイライト」とかもランクインしてますから、質だけじゃなくて売れたり評判になったものも含めたベストです。

 この100作のうちに選ばれたマンガ関連の著作が三作。マルジャン・サトラピ『ペルセポリス』、ショーン・タン『The Arrival 』、そしてこの『ジミー・コリガン』です。

 『ジミー・コリガン』は2000年の単行本出版以来、各国のいろんな賞を受賞しています。つまり、ここ10年間に発売されたコミックスのうち、世界で最重要視されてるもののひとつ、という作品なのです。

 邦訳は2007年に第1巻が出版されたきり、続編刊行については音さたなし。これはもう続巻が出ることもあるまいと、わたしもう英語版を買って読んでしまいました(といっても、眺めただけですが)。

 そこへ今回の2・3巻の刊行で完結。プレスポップ・ギャラリーは、世界のマンガ史に残るようなりっぱな仕事をしましたね。

 さて、内容は。

 本書は親と子、家族の物語であり、連綿としてつながるヒトの遺伝子の物語でもあります。

 主人公となるのは三人のジミー・コリガン。主人公その1は、現代のシカゴに住むジミー・コリガン。

 36歳ですが、すでに腹が出て髪の毛が薄くなった中年男。極端に内気で、他人とふつうの会話ができません。会社員として働いていますが当然独身で、老人ホームに住む母親からの電話に悩まされています。

 その1は作者の分身として描かれています。彼はもちろんわたしたち読者の共感を得る人物であり(←読者としては認めたくないけど)、つまり読者自身でもあるのですね。

 主人公その2は、その1の父親。物語の終盤まで明かされませんが、彼もジミー・コリガンという名前です。その1のコリガン(とその母親)を幼少期に捨てて、別の女性と結婚。

 主人公その3は、その2のさらに父親。彼もジミー・コリガンです。

 その3は、自分の父そして祖母と一緒に19世紀のシカゴに住んでいます。父親からネグレクトされていること、その性格、容姿も含めてその1とそっくり。その1は作者の分身ですが、その3ももちろんそう。

 その3の父親はシカゴ万博の建設のために働いていますが、1893年のシカゴ万博が、この物語の過去パートのクライマックスとなります。

 お話は、ジミー・コリガンその2がその1に手紙を出し、その1と数十年ぶりに再会しようとするところから始まります。現代、ジミー・コリガンその1がその2に会いに行く話、19世紀、ジミー・コリガンその3とシカゴ万博の建設に従事しているその父親の話が交互に語られます。

 本書で絶賛されたのは、そのパースペクティヴ的に正確な絵や暗喩に満ちた情景描写ですが、お話としても先が読めない緊張感がある展開がすばらしい。

 終盤の展開など実際に、読んでいて驚きの連続でした(英語版で読んだときは人間関係がよくわかってなかったのです。いやこれはけっこう複雑)。

 ジミー・コリガンその1は、女性に声をかける度胸もないくせに彼女とのセックスを夢想する。社会性がなく、本来の意味で卑怯者。彼は男性一般といってもいい。これは読者の憎むべき鏡像じゃないか。でも彼はわたしたち読者自身そのものなのです。この世に彼を否定できる者はいない、はず。

 本書はひたすら辛気くさいお話が終盤近くまで続きます。これはがまん強くない日本人読者にはつらいかも。ただし最後の一瞬には救いが待っている、と書いておきましょう。読者の感情を引きずり回されるという意味でも、傑作。

 アマゾンやビーケーワンで買えないときは版元プレスポップ・ギャラリーからの通販があります。

 版元からの通販ならバラ売りより、価格が同じで箱つきのセットがおすすめ(全三巻セットや2・3巻セットがあります)。著者が箱のデザインをするために刊行が遅れたという代物で、たいへんにけっこうなデキです(絵は描き下ろしで本書では語られてない内容をちょっと含みます)。このためだけでも315円の銀行振込手数料は惜しくない。


※かつてわたしが『ジミー・コリガン』について書いた記事。
コリガン家の男たち
ダビッド・ベー『大発作』の難解さと普遍性
タイムズ紙が選ぶコミックス三作

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June 18, 2010

純喫茶「再会」

 毎度「ゲゲゲ」ネタですみません。町山智浩氏がツイートしてたので便乗。

 「ゲゲゲの女房」の舞台である調布市、すずらん商店街にある「純喫茶 再会」。ゲゲゲ周辺のひとたちがよく通ってますね。

Saikai01_2 Saikai02

 室内も明るくてけっこうオシャレ。

 さて下図は東考社版『悪魔くん』に登場する「さびしげな喫茶店 再会」。

Saikai03

 コーヒーを飲んでいるのは悪魔くん十二使徒のひとり、ヤモリビト。

 そして下は東考社版をリメイクした、週刊少年ジャンプ版『悪魔くん千年王国』に登場する、もっと「さびしげな喫茶店 再会」。すごくさびしげ。

Saikai04_2

 内部はこんな感じでかなり広いです。

Saikai05

 わたし、ジャンプで『悪魔くん千年王国』の連載が開始されたとき、少年マガジン版『悪魔くん』とあまりに違う「かわいくない」悪魔くんを見て、何が始まったのかよく理解できませんでした。

 ちなみに水木しげるの自伝マンガに出てくる、つげ義春や池上遼一がよく行ってたご近所の喫茶店の名前は、「再会」じゃなくて「純喫茶 ジンクス」だったりします。

悪魔くん (ちくま文庫) 悪魔くん千年王国 (ちくま文庫)

  

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June 15, 2010

「生きている手」の研究 【第三回】

前回からの続きです)


*****(現代作品)*****

●イジィ・トルンカ「手 Ruka (The Hand )」1965年
○「イジー・トルンカの世界 DVD-BOX 」(コロムビアミュージックエンタテインメント)収録
○「イジー・トルンカの世界1 『手』その他の短篇」(コロムビアミュージックエンタテインメント)収録

イジー・トルンカの世界 DVD-BOX イジー・トルンカの世界I「『手』その他の短篇」 [DVD]

 さて日本とアメリカでなぜか「手」のお化けが流行していた1965年、ヨーロッパではチェコスロバキアのトルンカが人形アニメーション「手」を発表しました。

 イジィ・トルンカは、人形の細やかな動きを得意とし詩情豊かな作品を多く作った人形アニメーションの巨匠です。長編「真夏の夜の夢」が有名。ただし彼の遺作となった「手」は不気味な雰囲気の短編です。

 主人公は花を愛するアルルカン。彼が粘土で植木鉢を作っていると、窓の外から巨大な「手」が侵入してきます。

 「手」は主人公に「手」の像をつくるように強要する。これを断る主人公ですが、ついには腕や首にひもを結ばれ、あやつり人形のように「手」にあやつられ、巨大な「手」の彫像をつくることになってしまいます。

 ラストは主人公の死という陰鬱なもの。

 あきらかに芸術と政治の関係を描いた作品で、この先の歴史を知っているわたしたちとしては、1968年のプラハの春とソ連軍侵攻を思い浮かべずにはいられません。ここで「手」はお化けというより、全体主義と国家による暴力の象徴です。

(興味あるかたはYouTubeで「Trnka, hand 」で検索してみてください)


●アルフォンソ・レイエス『アランダ司令官の手 La mano del Comandante Aranda 』1955年ごろ
○「エバは猫の中 ラテン文学アンソロジー」(1987年サンリオ文庫、井尻香代子訳)収録
○「美しい水死人 ラテン文学アンソロジー」(1995年福武文庫、井尻香代子訳)収録

 レイエスはメキシコの詩人/作家。ボルヘスの師匠格にあたります。

 アランダ司令官は戦争で手を落としてしまうのですが、その手をきれいに化粧して保存、陳列することにしました。

 そのうちに「手」は意識を持つようになり、しだいに自分で動けるようになります。ついには空中を飛ぶことも可能になり、ふざけて人の鼻をねじる、殴る。酔っぱらうこともあるし、車の運転もできる。さらに読書したりもするんですね。

 最初は「手」をペットのようにかわいがっていた家族ですが、「手」の悪ふざけがすぎるようになり「手」を恐れるようになります。

 しかし「手」は、自身の存在に哲学的、根源的な疑問を持つようになり、ついには自殺してしまうのでした。

 うーんこうなるともう怪談じゃなくなってる。何かの暗喩のようでもあり、単なる笑い話のようでもあり。

 この作品にはしゃべること以外はなんでもできるようになった「手」が登場しますが、日本にはさらにすすんで、しゃべることも宙を飛ぶこともできる「手」がいました。


●古谷三敏『手っちゃん』(「週刊少年チャンピオン」1975年~1977年)

 『ドカベン』『がきデカ』『ブラック・ジャック』などが連載されてた全盛期チャンピオンをささえた一作。単行本は少年チャンピオンコミックスから全五巻で出てました。今は「ebook 」で電子書籍化されてます。

 パパ、ママ、キヨシの遠山家に居候する「手」のお化け「手っちゃん」。どう見ても子どもの手じゃなくて、静脈はういてるし毛もはえてる。空を飛ぶ、しゃべる、などはアタリマエ。食事はするわ小便はするわ酒飲んで酔っぱらうわタバコはすうわ。風邪をひくことも可能です。

 手のひらのシワがどうも口らしい。たまに見せる歯がグロかった。主にお気楽なパパと手っちゃんのかけ合いでお話が進みます。

 基本的に『オバケのQ太郎』や『ドラえもん』のような異生物居候モノのマンガなのですが、なんせ「かわいい」の対極にあるようなビジュアル。

 でも、この時期の古谷三敏は「週刊少年サンデー」の『ダメおやじ』もまだオニババにいじめられてた時期ですから、むしろ『手っちゃん』のほうがほのぼの系です。

 『手っちゃん』のラストはけっこう驚きの展開です。会社に就職してサラリーマンとして働き始めた手っちゃん、取引先の社長令嬢にみそめられ、何と結婚。子どもも生まれてめでたしめでたし。異世界からの居候ですから、てっきり異世界に去ると思ってたんだけどなあ。


●クライヴ・バーカー『手 The Inhuman Condition 』1985年
○「血の本4 ゴースト・モーテル」(1987年集英社文庫、大久保寛訳)収録

ゴースト・モーテル 血の本(4) (集英社文庫―血の本)

 クライヴ・バーカー衝撃のデビュー作「血の本」シリーズの一篇。いやこれがもう壮絶なスプラッタ。

 手を使う仕事の工員、チャーリーの右手と左手が意識を持ち、反乱を起こします。「手」たちはチャーリーの意思とは無関係に妻を殺し、次はチャーリーを殺そうとします。彼もなんとかそれを阻止しようとするのですが、右手は左手を包丁で切り落とします。

 自由になった左手は、街をさまよい、世界を啓蒙する。「手」たちよ、革命だ、自由を得るのだ。そしてYMCAにいた若者たちの「手」は反乱を起こします。自分の主人を殺し、手を切り落とし自由になります。

 「手」たちは、革命の指導者、チャーリーの右手を求めて、彼が収容されている病院へ大挙しておしよせてくるのでした。

 バーカーお得意の視覚的恐怖。何百という血まみれの「手」がおそってきます。自分の趣味でいいますと、いやー、バーカーのこういう話、好きだわー。


●パトリック・マグラア『オナニストの手 Hand of a Wanker 』(1988年ごろ)
○「血のささやき、水のつぶやき」(1989年河出書房新社、宮脇孝雄訳)収録
○「失われた探検家」(2007年河出書房新社、宮脇孝雄訳)収録

失われた探険家 (奇想コレクション)

 「Wank 」とは「オナニー(をする)」ことですから「Wanker 」は「オナニーをするひと」。ちなみに『チャーリーとチョコレート工場』の主人公ワンカ(Wonka )さんは、「Wanker 」と同じ発音なので、英語圏ではいろいろと冗談になってます。

 本作の作者パトリック・マグラアは「ポストモダン・ゴシックの旗手」といわれているそうです。

 現代のマンハッタン、ナイトクラブに手のバケモノが出没します。歌手の首を絞めたりするから穏やかではありません。

 客の一人がやってきて、手の正体を明かします。

 自分は思春期になってからのべつまくなしオナニーをしていた。それが原因で失職するまでになってしまう。罪悪感から自分で右手を切り落とし、靴の空き箱に入れておいたところ、抜け出して自分の股間をねらってきた。驚いた自分が「手」を怒ったところ自分のところから逃げ出してしまった。

 ナイトクラブの従業員たちは、色っぽい女の子をおとりにして「手」を待ちかまえます。

 何か三家本礼あたりに描かせてみたい冗談みたいなお話。

 マグラアには、『黒い手の呪い』という作品もあって、こちらは頭のてっぺんから「手」がはえるという怪談です。


●スティーヴン・キング『動く指 The Moving Finger 』1990年
○スティーヴン・キング「いかしたバンドのいる街で ナイトメアズ&ドリームスケープス1」(2000年文藝春秋、その後文春文庫)

いかしたバンドのいる街で (文春文庫)

 さてどんじりは、ご存じキング。この作品には、厳密にいいますと「手」じゃなくて「指」が登場します。

 現代のニューヨーク、ある夫妻のアパート。バスルームにある洗面台の排水孔から、一本の長い指が出ている。その指はどこから続いているのかわかりません。こいつはくねくねと動きカリカリと音をたてますが、とりあえずは何か悪さをするわけではないし、なぜか夫の前にしか出てこない。

 夫は恐怖でバスルーム=トイレに行けなくなり、妻に隠れてこっそりとキッチンで排尿したりすることになります。

 夫は「指」と戦うことを決心しますが、その理由はがまんできない尿意。「指」がそこにいたら、小便ができないじゃないか。武器は液状配水管クリーナーと電動植木ハサミ。男と「指」の血まみれの戦いが始まる!

 教訓:バスルームとトイレは別室にしましょう。


**********

 あらためて考えますと、手というのは毎日見てるから気にしてないけど、うにょうにょ動くし、けっこう気持ち悪い。そして手こそ進化論的にヒトをヒトたらしめているものであるし、暴力とかセックスを象徴するものでもあります。

 「手」のお化けは小説よりも、視覚的に訴える映画やマンガの題材にこそ適しているのかな。コメント欄で教えていただいた、つげ義春『窓の手』やヤン・シュヴァンクマイエルの「闇・光・闇」、それから『寄生獣』のミギーなんかもバリエーションのひとつでしょうか。さがせばもっとありそうですね。

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June 14, 2010

「生きている手」の研究 【第二回】

前回からの続きです)


*****(チャールズ・アダムスの「Thing 」)*****

 チャールズ・アダムスはアメリカの有名なカートゥーニスト。お化けをテーマにヒトコママンガを描き続けました。ブラック・ユーモアというやつね。

 彼がシリーズとして描いた不気味な家族は、1964年に「The Addams Family 」のタイトルでTV化され有名になりました。日本で放映されたのは1968年になってからで、邦題は「アダムスのお化け一家」。

 モノクロTV版アダムス・ファミリーのオープニングがこれ。

 このオープニングの43秒あたりで登場する、箱から出た「手」こそ、「ハンドくん」ならぬ「Thing 」です(→画像)。

 この「手」、髪をすいてくれたり料理をしてくれたり、家事全般を手伝ってくれます。TVでは箱からはえた「手」として登場することがほとんどでしたが、まれに箱から出て歩いたりもしてたらしい。

 ただし「Thing 」はTVで有名になったキャラクターで、原作のマンガにはちらっと登場するだけです。

 このサイトの下から二番目のマンガは、雑誌「ニューヨーカー」1954年3/20号に掲載されたもの。これが「Thing 」の初登場。

Thing_new_2

 まあ「手」というより「腕」のお化けですね。本来ひとを怖がらせるはずのお化けが、お手伝いさんみたいな感じで働いている、という笑い。

 「Thing 」は1964年のTVで有名になり、1991年の映画版ではついに箱から離れ、猛スピードで走り回ることになりました。


*****(水木しげるの「手」)*****

 水木しげるは「手」のお化けをけっこう描いてます。

●『怪奇一番勝負』(1962年兎月書房「墓場鬼太郎読切長編シリーズ1」)
○水木しげる「貸本まんが復刻版墓場鬼太郎4」(1997年角川文庫)収録

墓場鬼太郎 (4) (角川文庫―貸本まんが復刻版 (み18-10))

 兎月書房末期に出版された鬼太郎シリーズの一篇。

 失業マンガ家の村田と殺し屋の金田。このふたりが金田の家に住みついた鬼太郎を追い出そうとしますが、いろいろと恐ろしいめにあう話。この途中で鬼太郎の「手」のエピソードが出てきます。

 鬼太郎が冷蔵庫をのぞいているときにふたりがドアを閉め、鬼太郎を冷蔵庫に閉じこめてしまいます。そのとき、鬼太郎の「手」だけがちぎれて外に残される。

 この「手」がごそごそと動きだし、つかまえてもつかまえても逃げ出してしまいます。村田の妻に手紙を書いてドアを開けさせたり、まな板に釘づけにされても抜け出したり。こういうアイデアはW・F・ハーヴィー『五本指の怪物』がモトネタ。それにおっさん二人組対「手」という構図自体が同じですね。

 この『怪奇一番勝負』がリメイクされたのが、有名なこれ↓です。


●『墓場の鬼太郎 手』(「週刊少年マガジン」1965年8/1号)
○水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎3 妖怪大戦争」(1994年ちくま文庫)収録
○水木しげる「少年マガジンオリジナル版ゲゲゲの鬼太郎1」(2007年講談社漫画文庫)収録

ゲゲゲの鬼太郎 (3) (ちくま文庫) 少年マガジン/オリジナル版 ゲゲゲの鬼太郎(1) (講談社漫画文庫 み 3-5)

 水木しげると鬼太郎が「週刊少年マガジン」に進出した、記念すべき第一作。

 フランスから日本にやってきた吸血鬼ラ=セーヌとその子分マンモスは鬼太郎を呼び出し、機関銃で殺害してしまいます。残ったのはラ=セーヌと握手していた鬼太郎の右手だけ。この手が動き出し、ラ=セーヌを追いつめてゆきます。

 本棚から本を落としラ=セーヌの頭に当てる。電源スイッチを切る。天井から転落してきてラ=セーヌの鼻と口を覆う。釘で板に打ち付けたはずなのに抜け出して、ホテルの従業員に手紙を書いて引き出しを開けさせる。そしてついには窓の外にナイフを持った「手」が現れます。

 最終的には火事の室内から逃げようとするラ=セーヌと。しかし「手」が外からドアのノブを握りしめている。ふたりは焼け死んでしまいます。

 手が逃げ回るだけじゃなくて積極的に攻撃してきます。『怪奇一番勝負』の「手」の部分を発展させリメイクした作品ですが、そのぶん、W・F・ハーヴィー『五本指の怪物』から取り入れたところが増えてます。たとえば風呂に落ちた「手」がタイルにすべってのぼれないとか、ラストの火事のシーンとか。

 ただし部屋の外からドアノブを握りしめる「手」というのは水木しげるのオリジナルアイデアで、こっちのほうがよくできてる。

 鬼太郎が正義の妖怪で、悪の妖怪と闘うというフォーマットが明らかにされた作品でもあります。鬼太郎は不気味な妖怪の子どもであるのですが、正義の味方でもあるからこそ現代まで生き残ったのです。


●『手袋の怪』(1963年東考社「劇画No. 1」2号)
○水木しげる「恐怖 貸本名作選 墓を掘る男・手袋の怪」(2008年ホーム社漫画文庫)収録

水木しげる恐怖貸本名作選 墓をほる男・手袋の怪 (ホーム社漫画文庫) (HMB M 6-2)

 「手」が登場するもうひとつのパターン。

 怪奇作家五味氏が一家といっしょに出版社社長に紹介された武蔵野の家に転居したところ、家族の目前でつぎつぎと怪異が起こります。窓の外に「手」が見える。ほしてあった長靴の中に「手」がいる。外から「手」がドアをノックする。

 そして家族の手をすり抜けて家のなかに入ってきた「手」は、生きている「手袋」として五味氏を脅し、幽霊に関する文章を書かせます。

 オチでは、出版社社長の祖先が幽霊と親しくなり幽霊に手袋をはめたこと、一連の事件は「幽霊が自分の実在性を主張しようとしたもの」であることが明かされます。

 厳密には生きた「手袋」であって生きた「手」じゃないんですが、手袋の中には見えない幽霊の手がはいってるという設定なので、まあ「手」ということでひとつ。

 この作品も、のちにリメイクされてます↓。


●『幽霊屋敷』(「週刊漫画アクション」1967年1/11号)
○「水木しげるのニッポン幸福哀歌」(2006年角川文庫)収録

水木しげるのニッポン幸福哀歌(エレジー) (角川文庫)

 リメイクといっても、貸本版の1ページ2×3コマを、週刊誌用に1ページ3×4コマに描き直したもの。コマ構成も構図もセリフもほとんど同じです。

 わずかに「怪奇作家五味氏」が「怪奇劇画家三木氏」に変更されてますが、三木氏が書いてるのはマンガ原稿じゃなくて文章の原稿です。

 『手袋の怪』と『幽霊屋敷』は、「手」がなんとか家の中にはいろうとするところや、最終的に「手」がそれほど悪さをしていないところなど、レ・ファニュ『白い手の怪』そのまま。ずいぶんあっけらかんとした味わいの作品になってます。


●『ぬっぺふほふ』(「週刊漫画アクション」1969年3/13号)
○「水木しげるのニッポン幸福哀歌」(2006年角川文庫)収録

 これは前の2パターンとはちょっとちがう「手」です。

 貧乏マンガ家の鬼木は交通事故で頭を打ち、以後人間の姿が見えなくなってしまう。そのかわりに見えるようになったのが「ぬっぺふほふ」という妖怪たち。こいつらは人間の手そっくりの形をしていて五本指で歩けるし、しゃべることも可能。

 彼らに手袋の贈り物をすると、鬼木は人間が見えるようになり、原稿料は値上がり、アイデアもつぎつぎにわいてくる。金持ちになったのはいいけれどあまりに忙しく、鬼木は過労死してしまう。

 これは手袋の贈り物を忘れた鬼木に対する、ぬっぺふほふたちの「成功死」という呪いでした、というオチ。

 本作では妖怪が「手」である必要性はなく、当時あまりに忙しすぎた水木先生が「成功死」というものを実感してできた作品なのでしょう。


*****(映画に登場した「手」)*****

●「フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)」1965年

フランケンシュタイン 対 地底怪獣 [DVD]

 これは東宝の怪獣映画。監督は本多猪四郎、特撮監督が円谷英二の黄金コンビ。

 品ぞろえのよいレンタルDVD屋さんなら置いてるでしょうし、最近デアゴスティーニから廉価版DVDが発売されたばかりですから、書店で見つかるのじゃないかな。

 第二次大戦末期、ドイツから広島に秘密裏に運ばれてきたフランケンシュタイン(の怪物)の心臓。そこへ原爆が落ちてこの心臓は行方不明になります。そして1964年になって近隣の家畜を食べる浮浪児が発見されます。

 保護された彼はどんどん大きくなり、あっというまに数メートルの巨人になる。左手を鎖でつながれていたのですが、TVカメラとライトに驚き、自分の手を引きちぎって脱走します。

 翌日、残されたフランケンシュタインの左手がもそもそ床を這っているのが発見されます。しかしこの場面、たいへんしょぼい特撮で、かなり情けない「手」となってます。

 この左手は培養液の中で飼われることになりますが、ある日、研究室の排水溝で死んでいるのが見つかります。培養液の栄養が足らなかったのですね。

 もちろんこっちの話は本筋じゃありません。フランケンシュタインがどんどん巨大になり、富士の裾野で怪獣と戦うのがクライマックス。

 公開が1965年8月8日ですから、奇しくも『墓場の鬼太郎 手』とほぼ同時。この時期、海のむこうでは「アダムス・ファミリー」のTV版を放映中だったし、何か「手」のお化けのブームでもあったのかと感じてしまいます。


(以下次回)

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June 13, 2010

「生きている手」の研究 【第一回】

 わが家では映画「アダムス・ファミリー」が人気で(とくに「2」のほうね)、家庭でくりかえし鑑賞してるのですが、この映画に「ハンドくん」という「手」だけのお化けが登場します(→画像)。

 「手」だけなのに五本の指で高速で走り回り、けっこうおちゃめ。うちの子どもたちは喜んで見てますが、おっさんがこれを見て思い浮かべるのは水木しげる『墓場の鬼太郎 手』です。鬼太郎から離れた「手」だけがうにょうにょと動きまわる。当時、わたしのような年少読者にはそうとうに怖かったです。

 ただしこの「生きている手」は、「アダムス・ファミリー」や水木しげるが発明したものではありません。怪談の定番としてけっこう昔から存在するものです。そこで「生きている手」にはどんなお化けがいるのか、いくつかをご紹介しましょう。


*****(古典編)*****

●ジェラール・ド・ネルヴァル『魔法の手 La Main de enchantée 』1832年
○「世界の文学52 フランス名作集」(1966年中央公論社、入沢康夫訳)
○「ネルヴァル全集4 幻視と綺想」(1999年筑摩書房、入沢康夫訳)

ネルヴァル全集〈4〉幻視と綺想

 ネルヴァルは「狂える浪漫主義者」と呼ばれたフランスの詩人/作家。アレクサンドル・デュマやヴィクトル・ユゴーの友人でシュルレアリスムの先駆者として知られていますが、1855年に狂死しました。

 『魔法の手』は最初『栄光の手 La Main de Gloire 』のタイトルで1832年に雑誌に掲載され、のち一部が手直しされ1852年に単行本化されています。

 舞台は17世紀初頭のパリ。主人公の若い商人は、ジプシーの奇術師から、おまえは絞首刑になるだろうといやな予言をされます。

 その後商人はひょんなことから銃士と決闘するはめになってしまいます。彼はジプシーを捜し出して手に魔法をかけてもらいます。代わりに大金を要求されるのですが、そんな金はないので「手」を借金のカタにする約束をします。

 決闘の場で商人の右手は勝手に剣をふるい、銃士を殺してしまう。この時代すでに決闘は禁止されていたので、こわくなった商人は事件をもみ消してくれるように司法官に頼みに行きますと、なんとこの場でも右手が勝手に司法官を殴りだしてしまう。商人がごめんなさいと泣きながら司法官を殴る、というドタバタコメディーみたいな場面です。

 これは金を払わなかった商人に対する呪いでした。かくして商人は広場で絞首刑に処されます。ところが商人が死んだあと、彼の右手がひらひらと動き出します。

 驚いた役人が彼の右手を切り落とすと、すると右手は五本指を使って何度もとびはね、高い塔の小窓から広場をのぞいていたジプシーのもとへ、塔の壁をよじ登っていくのでした。

 「生きている手」の古典にして、恐怖と笑いが混在した傑作です。

 本作のもとのタイトルである「栄光の手」。これは西洋魔術方面ではちょっと有名です。英語では「hand of glory 」、フランス語では「main de gloire マン・ド・グロワール」。絞首刑になった殺人犯の手を切り落とし、ろうそくに加工したもので、画像ではこんな感じですね。
  ○「hand of glory
  ○「main de gloire

 もうこれだけで怖いですが。

 本作でアルベルトゥス・マグヌスの魔術書からの引用として「栄光の手」が解説されています。本来はグーの形が正しいらしい。これを燈台として使いますと「コトゴトク桟ハ落チ錠前ハ開キ、出会ウ者、コトゴトク不動金シバリトナル」のだそうです。


●シェリダン・レ・ファニュ『白い手の怪 Narrative of the Ghost of a Hand 』1863年
○「世界恐怖小説全集1 吸血鬼カーミラ」(1958年東京創元社、平井呈一訳)収録
○レ・ファニュ「吸血鬼カーミラ」(1970年創元推理文庫、平井呈一訳)収録
○シェリダン・レ・ファニュ「墓地に建つ館」(2000年河出書房新社、榊優子訳)

吸血鬼カーミラ 創元推理文庫 506-1 墓地に建つ館

 ゴシック・ロマンの作家といわれるレ・ファニュ。

 本作は『Narrative of the Ghost of a Hand 』というタイトルで知られていますが、じつは長編『墓地に建つ館(墓畔の家) The House by the Churchyard 』の一章として書かれたものです。

 この第12章が独立した短編のように扱われ、いろんな怪談集に収録されてます。第12章の本来のタイトルは「瓦屋根の館にまつわる奇怪な事実-片手となって現れる幽霊についての信憑性のある話 Some odd facts about the Tiled House - being an authentic narrative of the ghost of a hand 」という長々しいもの。

 舞台は18世紀半ばのダブリン。レ・ファニュの作品発表から約100年前の昔話として語られます。

 ある館に「手」の化けものが出没し始めます。最初は窓の外に姿を見せたり、窓やドアをたいたり。館の主人がドアを開けてしまい、「手」は館への侵入に成功します。

 「手」は館の中を徘徊し始めます。室内で物音をたて、テーブルに手の跡をつけ、ついには失神した夫人の隣で発見されます。さらに二歳の息子のベッドにも姿を現し、幼児を恐怖におとしいれる。

 この話にオチはありません。化けもの退治も種明かしもない。誰の手であったのかもはっきりしないまま。さらに「手」は人間に対し具体的な危害を与えたのかどうかも読者にはよくわかりません。

 基本的に何もせずただただ這い回る「生きた手」がコワイお話。あと館の主人に招き入れられる形で室内に侵入できる化けもの、というのは吸血鬼にも通じる古典的設定ですね。

 1958年発行の平井呈一訳「白い手の怪」には年代に関する明らかな誤植があるのですが、1970年の文庫化でも訂正されてません。だれか気づいてあげてくださいよー。

 本作は水木しげるのマンガ『手袋の怪』や『幽霊屋敷』のモトネタになりました(後述)。


●ギ・ド・モーパッサン『剥製の手 La Main d'écorché 』1875年

 モーパッサンには有名な『手』という作品がありますが、『剥製の手』はそれに先立って書かれた原型ともいうべき作品で、魔術具「栄光の手」を題材にしています。

 ある飲み会でひとりの学生が、剥製の「栄光の手」を友人たちに披露します。この「手」の持ち主は有名な極悪犯罪人であったとのこと。学生は死亡した魔法使いの遺品のひとつとしてそれを手に入れたんだそうです。

 彼は「手」を玄関ドアの呼び鈴に結びつけるのですが、なぜか夜中にそれが鳴るわ大家からは苦情を言われるわで、寝室の呼び鈴として使用することにします。

 その翌朝、学生の召使いは寝室の呼び鈴が激しく鳴らされるのを聞き、部屋のドアをこじ開けた警官たちは瀕死の状態の学生を発見しました。彼の首には五本の指の跡がありました。

 七か月後、彼は正気に戻ることなく死亡します。彼は故郷の村で埋葬されますが、人夫たちが墓穴を掘っていると、ある棺を掘り当ててしまう。それは手首を切り落とされた死刑囚の棺で、消えたはずの剥製の「手」もそこで発見されたのでした。

 レ・ファニュと違って、ちゃんとオチがあるのがモーパッサンです。少なくとも19世紀のフランスでは、「栄光の手」は比較的ポピュラーな存在だったみたいです。

※参考サイト:「モーパッサン (1850-1893) を巡って


●ギ・ド・モーパッサン『手 La Main 』1883年
○「世界恐怖全集9 列車〇八一」(1960年東京創元社、青柳瑞穂訳)収録
その他に子ども向けも含めていっぱい邦訳があります。

 モーパッサン作のこちらの『手』はそうとうに有名。子ども向けの短編集にも収録されることも多い古典的怪談です。

 コルシカ島の予審判事が、あるイギリス人の別荘で「手」を見せてもらいます。それは肘と手首の中間で切断されたひからびた手で、鉄の鎖と鉄の環で壁にしばりつけられています。

 イギリス人によるとこの「手」の持ち主は彼の仇敵のアメリカ人で、その手は剥製になってもしょっちゅう逃げだそうとするのだと。

 その一年後、イギリス人は殺人の被害者として発見されます。彼の首には五つの穴があき血まみれ。口には切断された指が一本はさまっていました。

 さらにその三か月後、イギリス人の墓の上で、「手」が発見されます。その手には人差し指がありませんでした、というオチ。

 作品内では動く「手」の目撃者は被害者以外にはいない、という点ではモーパッサンの前作『剥製の手』と同じですね。

 語り手の予審判事は、「手の持ち主は死んでいなかった。その男がやってきて手を取り戻したのだ」というなんとも散文的な解決を披露していますが、まあそれを受け入れる読者はいないでしょう。


*****(二十世紀編)*****

●セオドア・ドライサー『復讐の手指 The Hand 』1919年
○「恐怖の一世紀2 悪夢の化身」(1985年ソノラマ文庫、竹生淑子訳)収録

 ドライサーは『シスター・キャリー』や『アメリカの悲劇』などで有名なアメリカ文学を代表するビッグネームです。

 『アメリカの悲劇』は現実にあったスキャンダラスな殺人事件、出世を目的に恋人を殺し死刑になった青年のことを書いた小説です。エリザベス・テーラー主演の映画「陽のあたる場所」の原作としても有名ですね。映画はアカデミー賞の監督賞、脚本賞、その他を受賞してます。

 本作は1919年に発表された短編です。古典的な怪談とは一線を画す現代的な作品。

 不動産投機家の主人公は同僚を殺してしまいます。断末魔の同僚は主人公に向けて右手を伸ばす。これが主人公を苦しめる「手」となります。

 部屋の天井のしみが手の形に見える。同僚が自分を呪う声が聞こえる。雑誌に載ってる心霊術者の記事についてる写真が同僚の顔や手に見える。

 ついにはベッドの上をただよう煙のような「手」がしだいに実体化し、自分の喉をしめるようになる。これらの恐怖がくり返された後、主人公は死亡。遺体の喉には、自分で自分の首をしめたにしては深い指の跡が残っていました。

 すでに20世紀の作品なので、明らかに神経症による幻覚妄想状態の描写です。作者もそのつもりで書いている……はずなのですが、最後になって、もしかするとスーパーナチュラル? と思わせています。

 20世紀になりますと怪談もすなおに語るわけにはいかなくなるのですね。


●W・F・ハーヴィー『五本指の怪物 The Beast With Five Fingers 』(1928年)
○「世界恐怖小説全集4 消えた心臓」(1959年東京創元社、大西尹明訳)収録
○「アンソロジー・恐怖と幻想3」(1971年月刊ペン社、鹿谷俊夫訳)収録、タイトルは『五本指のけだもの』

 この作品を読んだときはちょっとびっくりしました。水木しげる『墓場の鬼太郎 手』(1965年)とそっくり。巷間いわれているように、本作が『墓場の鬼太郎 手』のモトネタです(後述)。

 まず叔父と甥が登場します。叔父はすでに年老いており、彼が眠りこんだとき、甥はその右手が動いて鉛筆を持ち文字を書き始めるのを目撃する。なんと右手は叔父とは別の意識と知性を持っているらしく、筆談で甥と会話できるのです。

 叔父の死後、甥には遺産として図書室の蔵書と小さな木箱が残されます。箱のふたを開けると「手」が生き物のように走り出し、図書室のどこかに隠れる。どうも「手」自身が葬儀屋に手紙を書いて、遺体から手を切り離すように命じたらしい。

 このあと、逃げる「手」と、これをつかまえようとする甥とその秘書のドタバタがくりかえされます。やっと「手」をつかまえて机の引き出しに閉じこめておいても、召使いあての手紙を書いて鍵を開けさせてしまう。「手」を板に釘で打ちつけて金庫に入れておいたら、しのびこんだ泥棒が金庫を開けてしまう。浴槽に追いこんで「手」をつかまえようとするシーンもあります。

 ついにある日、「手」から手紙が届きます。「今夜お伺いしたい」

 甥と秘書はしっかりと戸締まりをして「手」が来るのを待ちますが、暖炉の煙突という進入路があることに気づく。彼らはあわてて暖炉に火をつけようとしましたが、まちがって火事になってしまいます。

 彼らはドアの差しこみ錠を抜こうとしますが、どうしても抜けない。そのとき、炎の中から真っ黒に焼けた何かがゆっくりと近づいてくるのでした。

 いやもう何というか、じつによくできた怪談で、適度なユーモアもあります。水木しげるがこの作品にひかれるのも納得できます。

 『五本指の怪物』と『五本指のけだもの』の元版となったものは異なるバージョンですが、エピローグ(←はっきりいって蛇足)の有無ぐらいで大きな違いはありません。


(以下次回

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June 10, 2010

iPad でマンガを読む(手塚全集編)

 というわけでiPad に講談社版手塚治虫全集400巻を格納して持ち歩き、ひまなときに読んでいるわけですが。これがなかなかに快適。

 電子書籍リーダーはCloudReaders を使ってます。PDF ファイルのマンガを読むにはこのソフトで必要十分ですな。

 2001年に発売された「手塚治虫大全集DVD-ROM 」のPDF ファイルをPC にコピーしたうえで、iPad とUSB ケーブルで同期させ、iPad 内にデータを転送します。400巻ぶんのデータ量は約24GB になりました。わたしのiPad は64GB タイプですから、ほぼ半分が手塚全集で占められてます。

 CloudReaders を立ち上げるとまず、本のタイトルがずらっと並んでいます。書影はなくてタイトルだけ。ただし手塚全集のPDF ファイルには番号だけしかついてませんので、書名はPC 上でわたしが打ち込んだものです。

 一画面に表示できるのタイトルは16冊ぐらいですから、これを指でスクロールさせて読みたい本をさがします。しかしこれは400冊となるとちょっとたいへん。

 CloudReaders には、タグで分類できる機能がついてます。これを利用して400冊を分類してますが、とりあえず「青年向け作品」「少女向け作品」「初期作品」、あとは雑誌で「サンデー」「マガジン」「チャンピオン」「キング」などと分けてみました。

 実際に作品を読むときは、基本iPad を縦に向けて1ページを一画面に表示させて読んでます。iPad の画面はB6判単行本より少し大きい。すこしでも大きい絵で読みたいので、内枠(基準枠)が画面ぎりぎりになるよう拡大します。

 CloudReaders でPDF ファイルを読むとき、ページ間を移動しても拡大率が変化しないのでこのままの大きさで読み進めます。

 画面の左端をタップしてページめくり。拡大して見たいコマがあればそこをダブルタップ。見開きのときだけiPad を横向きにします。

 これでさくさく読めます。ページめくりを急ぎますと、画面がブラックアウトしますが、まあふつうのスピードで読んでるなら大丈夫。

 わたしこれで『シュマリ』読んで『ばるぼら』読んで『MW(ムウ)』読んで、今は『陽だまりの樹』を読んでます。最初は液晶画面に目が疲れる感じがしたけど、もう慣れちゃったかな。

 とりあえずこれで、紙の本で持ってる講談社全集については処分する決心を固めました。さてほんとに今後、蔵書が減っていくのか!?

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June 06, 2010

水木しげるの少女マンガ

 NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」見てますか? わたし皆勤賞です。けっこう楽しんで見てますよ。

 先週は富田書房(=兎月書房)がついに倒産。えらいこっちゃの最中に長女誕生。というお話でした。あくまでもフィクションなので時空がゆがみまくってる「ゲゲゲ」ですが、これはほぼ史実どおりですね。1962年末のことです。

 1964年に「ガロ」創刊、1965年には「少年マガジン」デビューですから、極貧生活もあと少しだ。がんばれ、ゲゲゲ。

 さて、テレビでは水木しげるが「水木洋子」名義で少女マンガを描き、奥さんがそれを知って衝撃を受ける、というエピソードがありましたが、水木しげるが少女マンガを描いてたのはホントです。ただしテレビとは年代がずれてます。

 山口信二『水木しげる貸本漫画のすべて』(2007年YMブックス/やのまん、2000円+税、amazonbk1)というたいへんすばらしい本がありまして。amazonでは品切れですが、もしかしたらbk1では手にはいるかもしんない。

水木しげる貸本漫画のすべて

 これによりますと、水木しげるが描いた少女マンガは三作。

●『雪のワルツ』24ページ、東眞一郎名義
○中村書店「バレエ4」(1959年)に収録

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 ゲゲゲの奥さんが見てびっくりしたのはこの原稿ですね。ただし、描かれたのは1959年ですから結婚より前です。あとペンネームも「水木洋子」じゃなくて「東眞一郎」。

 ストーリー紹介によりますと、母が生き別れの娘をさがして全国を歩く、という母娘もの。しかも娘が花形バレリーナなので、バレエものであります。娘にはつぎつぎと不幸が訪れ、結局母は娘に会うことができずに終わります。

 母娘もの+バレエもの+おそいかかる不幸、という典型的貸本マンガ作品のストーリー。およそ水木カラーとはほど遠い感じ。

 このとき水木しげるは貸本業界に参入して二年目。前年には、スーパーマンそっくりの『ロケットマン』を描いたり、プラスチックマンそっくりの『プラスチックマン』(←そのままですが)を描いたり、トムとジェリーやバックス・バニーそっくりのギャグマンガを描いたりしてたころ。二年目になってやっと「戦記もの」という方向性が定まりつつありました。

 ちなみに単行本の表紙を描いてるのは高橋真琴。

●『かなしみの道』24ページ、東眞一郎名義
○中村書店「バレエ6」(1959年4月30日発行)に収録

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 中村書店でもうひとつ。これも東眞一郎名義の作品で、単行本表紙を描いてるのは高橋真琴です。

 こちらは終戦直後、満州から六人家族が引き揚げてくるときの不幸を描いた作品。家族がつぎつぎと亡くなり、日本にたどりついたのはひとりだけ。バレエとは関係ないお話のようです。

●『二人』25ページ、水木洋子名義
○兎月書房「夕やけ人形」(1962年)に収録

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 金持ちの家庭のお話。ガンを宣告された母は、わがままな娘・のり子を一人残すのが心配で、養子として素直なけい子をひきとります。母の死後、わがままなのり子はけい子をいじめますが、いろいろあって仲直り。

 水木先生、数年で少女マンガ能力がアップしてる、ような気がします。ただしこういう作品では水木しげるが本領を発揮できるわけもありません。

 水木洋子名義なのはこの作品。兎月書房の末期に出された単行本ですから、水木先生のところには原稿料払われてないかも。

(図版は『水木しげる貸本漫画のすべて』から)

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