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May 26, 2010

実業之日本社の新書判マンガ

 「新書判コミックス」の誕生には、歴史的意義があるんじゃないかと思ってます。

 各社から新書判マンガがつぎつぎと出版されるようになったことで、出版社やマンガ家側から見ますと(1)雑誌に掲載したマンガを二次使用して単行本化して販売するというビジネスモデルができ、書店にとっては(2)それまでに存在しなかった「マンガの棚」をつくることになり、そして読者側においては(3)マンガをコレクションする層が増加し「オタク」の誕生を準備することになりました。ね、それなりに歴史的意義がありそうでしょ。

 辰巳ヨシヒロ『劇画漂流』などによりますと、大阪の八興(日の丸文庫)が1956年にすでに新書判単行本を出版していたことがわかっています。日の丸文庫が出したのは、横山泰三『プーサン』、荻原賢次『花咲ける武士道』、岡部冬彦『ベビーギャング』などのおとなマンガでしたが、みごとに大失敗だったらしい。

 新書判マンガの本格的な登場は1966年。この年にコダマプレスのダイヤモンドコミックスと小学館のゴールデンコミックスがほぼ同時に創刊されました(前者がちょっとだけ早かったらしい)。1966年~1968年には新書判マンガの創刊が大ブームで、マンガ単行本の出版点数が一気に増えました。

 というわけで、わたし新書判マンガの始まりは1966年、と思いこんでおりましたところ、先日Twitter で、実業之日本社が発行する新書判マンガの存在を教えていただきました。

 実業之日本社は明治時代から存在する老舗出版社で「週刊漫画サンデー」を出してるとこね。「週刊漫画サンデー」は今でこそ主におっさんが読む大衆劇画誌ですが、かつてはおとな向けナンセンスマンガの牙城だったのですよ。

 そこで図書館で『実業之日本社百年図書総目録』(1997年実業之日本社、非売品)を調べてみますと。

 実業之日本社はそれまでにも新書を出してましたが、1963年に「実日新書」というシリーズを開始しています。そして1965年に始まったのが「ホリデー新書」。

 出版されたのが、吉行淳之介『痴語のすすめ』、山田風太郎『自来也忍法帖』、竹村健一『海外スマート旅行』などですから、お堅い「実日新書」、エンタメ小説や実用軽読み物の「ホリデー新書」とすみ分けたのでしょう。

 「ホリデー新書」が開始されてすぐ、3冊目として1965年6月に発行されたのがこれ。

●サトウサンペイ『サラリーマン アサカゼ君』(1965年6月、158ページ、220円)

 おお、他社より一年早い新書判コミックスだ。『アサカゼ君』は「週刊漫画サンデー」に連載されていた作品ですから、自社週刊誌の連載マンガを自社の新書判単行本として二次使用する、というビジネスモデルの先駆でもあります。

 「ホリデー新書」の中では、マンガは小説や軽読み物と混じって三本の柱の一本という扱いで、継続的に出版されていきます。

●富永一朗『ポンコツおやじ』(1966年3月、162ページ、220円)
●富永一朗『ポンコツおやじ 2』(1966年5月、162ページ、220円)
●園山俊二『ギャートルズ』(1966年7月、157ページ、220円)
●小島功『日本のかあちゃん』(1966年7月、160ページ、220円)
●加藤芳郎『ベンベン物語』(1966年7月、158ページ、220円)
●荻原賢次『忍術武士道』(1966年8月、158ページ、220円)

 そしてしばらく間があいて、最後がこれ。

●手塚治虫『人間ども集まれ!(上)』(1968年12月、208ページ、250円)
●手塚治虫『人間ども集まれ!(下)』(1968年12月、228ページ、250円)

 ホリデー新書で出版されたマンガはすべて「週刊漫画サンデー」に連載されたものでした。

 ただし「ホリデー新書」というシリーズ自体、1969年で終了。1970年からは新書判のまま「ホリデー・フィクション」「ホリデー・グラフィック」「ホリデー・ダイナミックス」とシリーズが細分化しました。

 同時に「ホリデー・コミックス」が創刊。このマンガのシリーズは厳密には新書じゃなくて、全書判(小B6判)という新書判とは微妙に違う判型でした。

 「ホリデー・コミックス」のほうはけっこう知られてて、ネット上にはリストもありますね。

 1970年8月の赤塚不二夫『天才バカボンのおやじ』、藤子不二雄『黒イせえるすまん』、手塚治虫『ペックスばんざい』に始まって、1971年12月の福地泡介『泡介ウハウハ傑作集』、石森章太郎『CMコマちゃん』まで、計27冊を発行しました。

 出版ラインナップの半分はおとなマンガ系です。なかには長谷邦夫先生のパロディマンガ集『少年マネジン』や、石原豪人『柳生十兵衛』(出版された1971年はNHKの大河ドラマで柳生宗矩が主人公の「春の坂道」が放映されてて柳生ブームでした。このときの柳生十兵衛役が原田芳雄。このマンガ、大西祥平氏が復刊を計画してるらしい)なんかも混じってます。

 「ホリデー新書」として刊行されたマンガは、この「ホリデー・コミックス」の前身にあたるものです。実業之日本社は少なくとも他社よりも一年早く新書版コミックスを立ち上げたわけですから、ずいぶんと先進的だったのですね。

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Comments

八興の『ミス・ガンコ』(横山泰三)が
ぼくの本棚に。
どこで入手したのか?忘却の彼方。

『少年マネジン』を実日で出してもらっています。
漫サン連載時でした。
カバーにビニールがかぶせてありましたよ。

Posted by: 長谷邦夫 | May 30, 2010 11:37 AM

新書判以前の成功例としては、光文社のカッパコミクスがありますね。あのB5判の薄い造本は他社もマネしましたし。

Posted by: 漫棚通信 | May 27, 2010 10:31 PM

新書判コミックスはその形態というよりは丁度時代の余裕と合ったので売れたのだと思います。貸本屋の棚を入れ替えたのみならず、読者の単行本購入を一般的にしました。この「購入」が大きい。

販売中心の漫画単行本としては立川文庫みたいな1950年のKKポケットマンガなどありますが、時代は「買わないで借りる」が一般的になっていきます。講談社の場合1954年の「講談社の漫画文庫」は書店売りされていたのか不明ですが、1960年の「風の石丸」などのシリーズ(週刊少年マガジン連載を単行本化したもの)は書店売りされています。青林堂の「忍法秘話」(1963年~)も書店売りを念頭において発行されていますが、その1965年の廃刊は貸本屋の衰退によるものであるので販売中心としてはまだ無理だったみたいですね。

1966年から「週刊少年マガジンコミックス」など新書判コミックスより安い雑誌増刊号としての総集編本が次々に出てくるのも時代ですなあ。

Posted by: くもり | May 27, 2010 12:38 AM

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