手塚治虫は、自作が刊行されるたびに追加執筆と再編集をくりかえしていました。そのため発表当時とはまったく違った形でしか読めなくなった作品も多くあります。
その最たる作品が『ジャングル大帝』です。現在流通している講談社全集版は、原稿の一部紛失のためトレスしたり、幼年向けに描きなおしたりしたものを含めて、エピソードの順番などを変えて再編集したもの。このためコマごとに新しい絵と古い絵が交互に登場するという、そうとうに珍妙な作品になってて、わたしなどはたいへん不満でした。
わたしがくりかえし読んだのは、1969年発行の小学館ゴールデンコミックス版です。総合的に幼年向けになってる講談社全集版より、こっちのほうがよほどましなんですよ。
そういう状況で『漫画少年版ジャングル大帝』(2009年小学館クリエイティブ、7600円+税、amazon
)が刊行されたわけです。

講談社全集版とはまったくの別物です。これはもう今後、漫画少年版以外の『ジャングル大帝』は『ジャングル大帝』と名のること許さんっ、というくらいの名作なのでみなさん読んでおくように。
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さて今回、漫画少年版『ジャングル大帝』を読んでいて個人的にいくつか考えることがあったのですが、そのひとつ。
『ジャングル大帝』のレオと言えば、「白い」ライオンとして有名です。彼の父親、パンジャも白い。でも彼らは最初から白かったのか、という疑問。
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雑誌「漫画少年」での『ジャングル大帝』連載第一回は、モノクロ4ページでした。ここに登場するパンジャはカラダもタテガミも白い。

『ジャングル大帝』第一回にはパンジャ以外のライオンたちも登場します。彼らはカラダは白ですが、タテガミは黒い。パンジャはひとり違う存在として描かれているのです。
ただしモノクロマンガでは、白は白であるとは限りません。モノクロマンガには、白、黒、斜線、アミしか存在しない。これですべての色を表現しなきゃならないのです。
ですからマンガの読者としては、ここはぜひ、セリフで「白いライオン」と言ってほしいところ。ところが漫画少年版『ジャングル大帝』では、連載第四回になっても、「白いライオン」という言葉はまったく登場しないのです。すでにお話は、レオがアフリカに戻るところまで進んでいます。
これって当時の読者としてはどうだったんでしょ。
1965年のアニメを見たことのあるひとは当然、レオやパンジャが白いことを知っています。あるいはアニメを知らなくても今もレオのキャラクターが白であることは有名ですから、現代の読者はレオやパンジャを白と脳内補完して読んでるでしょう。でも、1950年連載当時の読者は、レオを白いと思って読んでいたのかどうか。
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たとえば小学館ゴールデンコミックス版では、オープニング、ドンガ酋長がパンジャについての解説をしてくれます。
「パンジャと わしらはその白いザンバ(ライオン)のことを呼んでおりますがの」
パンジャが白いことは、はじめからセリフで明らかにされてます。レオのほうは彼がアデンに流れ着いたとき、ある登場人物のセリフにこうあります。
「あのライオンのように白いライオン」
物語の比較的最初のほうで、レオも白いことが示されてました。
講談社全集版ではどうか。船上でレオが誕生したときの人間のセリフ。
「ほほーこりゃかわいいな まっ白じゃないか」
レオは生まれたときにすでにまっ白であると強調されてます。パンジャの色が確定するのはけっこう遅くて、レオがジャングルに戻り父親の毛皮と対面したとき、「白い毛皮」というセリフがあります。
のちの版でこのように書いたということは、手塚治虫自身もモノクロマンガでは、セリフや文章で「白い」ことを示す必要性を感じていたはずです。
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手塚治虫が「白いライオン」の着想をどこで得たかは、自伝で語られています。
大阪時代、手塚は動物ものの絵本の依頼を受けます。
仕事ならなんでも大歓迎なので喜んで引き受け、見本にヒョウとライオンの親子を描いた。ところが、夜、暗い灯の下で描いたものだから、黄色を塗ったつもりが真っ白で、白熊だか白猫だかわからないライオンの子ができあがってしまった。(手塚治虫『ぼくはマンガ家』)
これがのちに『ジャングル大帝』の「白いライオン」となったと手塚は書いています。
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では、カラーでパンジャやレオはどう描かれたか。漫画少年の連載ではトビラがカラーで描かれることがありました。連載第二回のトビラ。この絵かっこいいでしょ。

動物たちを引き連れて堂々と歩くパンジャ。この絵は手塚のお気に入りだったらしく、同じ構図で描き直され、学童社から出版された『ジャングル大帝』の単行本第一巻の表紙絵になりました。
この絵の驚きは、このパンジャと思われるライオン、タテガミは白ですが、カラダは(わかりにくいですが)微妙なイエローに塗られてます(えー、ライオンは本来こういう色をしてます)。パンジャは明らかに普通のライオンとは異なる色です。
下は連載第三回、第四回、第五回のトビラ絵です。

それぞれに子ども時代のレオが登場します。レオは基本的に白ですが、耳や腹の下にちょっと朱がはいってる。ひたいのカールした毛は、むしろ白じゃなくて茶です。
そして連載第五回のトビラで、やっとパンジャは白いことが明らかにされます。前号までのあらすじとしてこういう文章が。
アフリカのコンゴ奥地のジャングルに、つよくやさしい心と、美しい毛並をそなえて動物たちに君臨していた白い獅子パンジャは、王子レオをのこしたまま白人の手にたおされてしまった。
第五回のトビラには毛皮になったパンジャが再登場してます。やはりタテガミが白で、カラダは茶色。うーん、「白い獅子」には無理があるなあ。
いったいパンジャは白いのか白くないのか。
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マンガ内でレオの一族が白であるのが確定するのは、やっと連載第六回のことです。
この回ではレオが白いことが連呼されます。
●新聞に「ケン一クンは白いライオンの子供をつれているから」という記事が載る。
●ドンガ酋長「お前方のつれの、白いししの仔が」
●ヒゲオヤジ「雪みたいに白いししのことをきかなかったか」
●船員「白いしし? そんなものいるのかい」
●アルベルト「白いしし! いますとも」
連載第一回から第五回まで、マンガ内でパンジャやレオの色については何ひとつ触れられていませんでした。カラーのトビラ絵で白っぽい彼らが描かれ、第五回の「あらすじ」にやっと「白い獅子」の言葉が登場しただけ。ところがこの第六回には、「白いライオン」「白いしし」という言葉が12回も出てきます。
第六回では、古代エジプト王朝に出現した白いライオン=レオの祖先の話が語られ、レオの出自が明らかになります。この後、レオの一族はカラーページであっても常に白く描かれるようになります。
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で、上記をふまえてわたしの推理、というか妄想。
手塚治虫の構想では最初から、パンジャやレオは他のライオンと違った美しい姿をしていたはずです。しかしそれは「全身が白いライオン」じゃなくて、「タテガミが白いライオン」であったのじゃないか。
つまり連載第二回のトビラ絵のごとく、パンジャやレオは白いタテガミと薄茶のカラダを持ったライオン。これはデザイン的にも優れたものですし、実際に美しい。これこそパンジャとレオにふさわしい色だと思います。
ところが、子どものレオが登場して、さあ色を塗ろうとしたとき、手塚は困ってしまった。子どもライオンにはタテガミがありません。白いタテガミがないライオンは、単に薄茶のライオンですから、普通のライオンと変わるところがありません。
そこで手塚は子どものレオを、カラダも白いライオンとして描くことにしました。このときも、レオがおとなになったときはカラダが薄茶でタテガミを白くする心づもりだった。子どもとおとなで毛の色がかわるのは、野生動物ではありうることだし。
しかしお話が進むうち、レオが子ども時代から一気におとなになるような展開はむずかしいことがはっきりします。レオは少しずつおとなにしていかなきゃならない。となるとレオのカラダを白から薄茶に変更するタイミングをどうするか。手塚治虫は悩んでいた、のじゃないか。
ここはもう、最初の色の構想とはちょっとちがうけど、カラダもタテガミも白い、ということにしてしまえ。
というわけで連載途中にして、レオやパンジャのデザインは、全身まっ白に変更された…… というのはいかがでしょうか。
どうしてもモノクロ表現が主となる日本マンガだからこそ、こういうこともありえたかもしれません。
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