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February 26, 2010

タイガー立石のマンガ集

 タイガー立石をご存じでしょうか。一部ではものすごく有名。前衛画家であり、かつナンセンスでシュールなギャグを得意としたマンガ家ですが、1998年に物故。彼の作品集が新しく発売されました。

●タイガー立石『TRA 』(2010年工作舎、5000円+税、amazonbk1

TRA(トラ)

 タイガー立石の経歴については、Wikipedia や工作舎のこちらのページをごらんください。赤塚不二夫が創造したキャラクター「ニャロメ」は、タイガー立石作品によく出てきたセリフ「こんニャロメ!」が発想のもとになってるそうですよ。

 一枚絵ではこんな絵をかくひとです。タイガー立石の水彩や油彩作品は美術館に収蔵されているのも多いのですが、本書に収録されてる一枚絵は少しだけで、あくまでマンガ作品集。

 どんなマンガを描いてたかというと、工作舎のページの下の方から一部の作品にジャンプできますのでごらんください。

 ナンセンスマンガを解説するのもアレですが、擬音やハヤシことばにあわせてキャラクターが調子よく無意味に踊るものから、サイレントで非現実な展開にあ然とさせるものまで、そのアイデアは多彩。今も彼の作品に似たマンガを描くひとを挙げるなら、とり・みきでしょうか。

 わたしが好きなタイガー立石作品は、三次元を二次元に変換して描くときにおこるいろんな齟齬をギャグとして表現したマンガ。

 マンガで(あるいはアニメーションでも)こういう技巧的な作品をつくりあげるのはとてもたいへん。ですからこのタイプのマンガを描くひとは、いくらリスペクトしてもしたりないのです。

 本書はタイガー立石のマンガ作品の集大成。ハードカバー、427ページの大著で、カラーページいっぱい。構成と造本は祖父江慎! ですから仕掛けがいっぱいの、重くて濃くて楽しい本になってます。

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February 22, 2010

妊婦戦隊ウームズ

 2007年度(第11回)文化庁メディア芸術祭マンガ部門の奨励賞を受賞したのが白井弓子『天顕祭』。自費出版=同人誌作品でしたが、のちに一般書店でも手にはいるようになりました(→amazon)。

 この後、作者は商業誌に進出し、新作が刊行されてます。

●白井弓子『WOMBS ウームズ』1巻(2010年小学館、648円+税、amazon

WOMBS 1 (IKKI COMIX)

 ガチガチのSFです。地球上じゃなくて異星のお話。そこでは地球からの入植者が二陣営に分かれて、戦争が行われています。

 この星の異生物「ニーバス」はひとを襲う猛獣/バケモノと思われていますが、自身が妊娠中にはテレポーテーションというか瞬間移動ができる超能力を持っている。

 そこで開発された人間兵器。人間女性の子宮内でニーバスの胎児を育てることで、ヒトがテレポーテーション能力を手に入れてしまおうというもの。彼女たちが得た瞬間移動能力を利用して、兵士や物資を一瞬で戦場に送り込むわけです。

 主人公は女性。徴兵されて新兵となった少女たちが、体内で異生物を育てながら、超能力を持った兵士として戦争に参加していく。

 いやもうなんとも悪夢のような、かつ魅力的な設定じゃないですか。

 母の体内で子どもを育てる胎生というのは、ヒトもそうですが奇妙と言えば奇妙。わたしは男ですから、はっきりいって妊娠がどういうものか、身体の中に別人格がいるのがどんなものかよくわかっていません。古い言葉であれですが女体の神秘というか、男には越えられない壁ですな。

 それにしてもおなかの大きい妊婦ばかりの戦隊というのはなにやらすごい。

 タイトルの「WOMB 」とは子宮のこと。転じてこの世界では女性隊員たちの蔑称として使用されています。主人公のチームには日本人っぽい名の女性もいますし、あと初めてテレポートする「犬の日」という行事がありまして、戌の日の帯祝いだよこれ、ちょっとだけ和風テイストもあります。

 異世界を舞台にする作品ですから、風景やら建物やらメカやら服装やらをいかにそれらしく描けるかが「マンガ」として気になるところ。作者はフリーハンドでさらっとした絵を描くタイプ。萩尾望都に似てるかな。映画「アバター」のようにはいきませんが、このあたり健闘してると思います。

 お話のテーマからは当然、ル=グウィンを思い浮かべます。これから異生物ニーバスとは何者かという大きな謎が解明されていくのでしょうが、ニーバスや妊娠に伴う瞬間移動がSF的アイデアにとどまらず、母性とは何かを考えるフェミニズム的展開となると見たがどうか。目が離せません。

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February 16, 2010

ゲゲゲのレレレのらららの

 四月からのNHK朝ドラは、水木しげる・武良布枝夫妻が主人公の「ゲゲゲの女房」だそうです。手塚治虫とか白土三平とか長井勝一が登場したりすると、楽しくなるんだけどなあ。

 で、こういう本が発売されました。水木悦子/赤塚りえ子/手塚るみ子『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(2010年文藝春秋、1429円+税、amazon

ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘

 2008年7月、朝日新聞に「おやじの話、しちゃおうか」という鼎談が掲載されました。登場したのは水木しげるの次女・水木悦子、赤塚不二夫の長女・赤塚りえ子、手塚治虫の長女・手塚るみ子の三氏。

 そのとき彼女たちの近影にそれぞれそえられてたのが、「ゲゲゲの娘」「レレレの娘」「ラララの娘」という言葉でした。

 朝日新聞の記者、近藤康太郎のアイデアだったそうですが、それを今回、追加の鼎談をおこなって書籍化するにあたり書名にしたわけです。

 いやじつによくできたタイトルで、ザブトン十枚あげましょう。「ラララ」をひらがなの「ららら」にしたのもグッド。矢作俊彦の小説『ららら科學の子』もひらがなでしたし、こっちのほうが字面がいい。

 ウチの子は「らららの娘」の意味がわからんっとか言ってましたが、あのねアニメ「鉄腕アトム」主題歌の歌詞にね、「空をこえてーららら星のかなたー」というのがあってね。

 巨匠マンガ家三人の娘たちが、巨人でありかつ変人、奇人でもある父親を語る鼎談です。家族しか知らないおもしろい裏話、有名人を親に持つ娘としての葛藤の部分、さらに父親の作品をいかにして今後も残していくかというビジネスの部分など、多岐にわたって語られてます。

 本書に登場する巨匠たちのマンガはすでに「古典」というべき存在になってます。でも将来もその作品群が継続して読まれるかどうかはわかんない。娘たちもいろいろと努力、活動してるわけで、本書もその一環……なのかしら。

 いちばん笑ったのは、男としての父親を語ってる部分。

水木(悦子) お父ちゃんの漫画でも「一生懸命エッチなシーンを描いたんだな。頑張った、よく頑張ったお父ちゃん」っていう感じのもあるんですが、全然エッチじゃないわけです(笑)。

手塚(るみ子) ねえ。男性はみんな、いつまでたっても小学生レベルなんですよ、感覚が(笑)。成長しても小学校5年生。

赤塚(りえ子) 5年生。4年生でも6年生でもなく、5年生。

 巨匠たち、かたなし。いやどうもわたしなんぞ娘にこんなこと言われたらもだえ死んじゃいます。

 あと、赤塚不二夫が手塚るみ子をホテルに誘った話には、ひっくり返りました。さすが赤塚先生。

 娘だからこそ語れる、いろんな楽しい話があるわけでして、息子じゃこうはいかないですね。なかなかの好企画でした。

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February 12, 2010

『海街diary 』を絶賛する

 吉田秋生『海街diary 3 陽のあたる坂道』(2010年小学館、505円+税、amazon)が発売されたわけですが。

海街diary 1 蝉時雨のやむ頃 海街diary 2 (フラワーコミックス) 海街diary / 3 / 陽のあたる坂道 (flowers コミックス)

 第1巻が発売されたときから当ブログでは大絶賛しております。お話は3巻まで進み、いやもうなんつーか、傑作。

 何かこうさらっとね、日常生活や登場人物の心理を描写。これがまたきわめて繊細でありながらわかりやすいっ。読者は作者の思いどおりに感情をゆさぶられてしまうのですね。

 力作とか問題作ではありません。日常の中で事件が起こり、それなりに解決され、それなりの結末をむかえます。かつてテレビで見たホームドラマ、そのもっとも良質なものを21世紀のマンガでやってるわけです。わたしは以前に向田邦子ドラマのよう、という表現を使いましたが、3巻を読んでますますその思いを強くしました。

 このマンガのステキなところはいっぱいありますが、まずはキャラクターの魅力。

 鎌倉の一軒家に同居している、主人公となる四姉妹。全員気っぷがいいといいますか男前といいますか、うじうじしない、できた子たち。彼女たちの性格が本編の方向性を決定づけています。しかし彼女たちは現代マンガの登場人物ですから、その内面にはいろんなものを抱えこんでいる。

 そういう彼女たちが深刻な事件に出会うとどうなるか。これがもう、そういう事件を軽々とのりこえていく(ように見える)。しかしそこには登場人物の複雑な感情が流れているのです。

 重い題材を救っているのは、マンガとしての「軽さ」もあります。

 本作は基本コメディタッチで描かれてます。吉田秋生の絵柄は単純化されていてコメディに向いています。さらにさまざまなマンガ的表現で笑いをとろうとしています。

 宙に浮く手書き文字で書かれた、作者からのツッコミや登場人物の心理描写。「そのとおり」「どんな感じだ」とか「そんけい」「固」などですね。不倫問題を原因とする姉妹のケンカ。そのバックに浮かぶ(愛の)「狩人vs 旅人」には笑いました。

 女性の顔に歌舞伎の隈取がされる怒りの表現。いわゆる「二頭身キャラ顔」に変化することもある(厳密には吉田秋生キャラは二頭身にはなりませんが)。フキダシ内に浮き出た十字型血管や汗が存在する。これらは「日本マンガ的表現」によるギャグです。

 「マンガ的」表現とは少し違いますが、名前だけ出てきて本人は登場しないアライさんとか、あまりにあざといすれ違いでお互いの正体を知らない次女と係長とかも楽しい。

 マンガ表現を駆使してしかも感動させるという、マンガとしてお見事なことをなしとげている本作。いくら絶賛しても足らないのであります。

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February 06, 2010

『ジャングル大帝』と白いライオンの謎

 手塚治虫は、自作が刊行されるたびに追加執筆と再編集をくりかえしていました。そのため発表当時とはまったく違った形でしか読めなくなった作品も多くあります。

 その最たる作品が『ジャングル大帝』です。現在流通している講談社全集版は、原稿の一部紛失のためトレスしたり、幼年向けに描きなおしたりしたものを含めて、エピソードの順番などを変えて再編集したもの。このためコマごとに新しい絵と古い絵が交互に登場するという、そうとうに珍妙な作品になってて、わたしなどはたいへん不満でした。

 わたしがくりかえし読んだのは、1969年発行の小学館ゴールデンコミックス版です。総合的に幼年向けになってる講談社全集版より、こっちのほうがよほどましなんですよ。

 そういう状況で『漫画少年版ジャングル大帝』(2009年小学館クリエイティブ、7600円+税、amazon)が刊行されたわけです。

漫画少年版 ジャングル大帝

 講談社全集版とはまったくの別物です。これはもう今後、漫画少年版以外の『ジャングル大帝』は『ジャングル大帝』と名のること許さんっ、というくらいの名作なのでみなさん読んでおくように。

      ※

 さて今回、漫画少年版『ジャングル大帝』を読んでいて個人的にいくつか考えることがあったのですが、そのひとつ。

 『ジャングル大帝』のレオと言えば、「白い」ライオンとして有名です。彼の父親、パンジャも白い。でも彼らは最初から白かったのか、という疑問。

     ※

 雑誌「漫画少年」での『ジャングル大帝』連載第一回は、モノクロ4ページでした。ここに登場するパンジャはカラダもタテガミも白い。

Panja_new_2

 『ジャングル大帝』第一回にはパンジャ以外のライオンたちも登場します。彼らはカラダは白ですが、タテガミは黒い。パンジャはひとり違う存在として描かれているのです。

 ただしモノクロマンガでは、白は白であるとは限りません。モノクロマンガには、白、黒、斜線、アミしか存在しない。これですべての色を表現しなきゃならないのです。

 ですからマンガの読者としては、ここはぜひ、セリフで「白いライオン」と言ってほしいところ。ところが漫画少年版『ジャングル大帝』では、連載第四回になっても、「白いライオン」という言葉はまったく登場しないのです。すでにお話は、レオがアフリカに戻るところまで進んでいます。

 これって当時の読者としてはどうだったんでしょ。

 1965年のアニメを見たことのあるひとは当然、レオやパンジャが白いことを知っています。あるいはアニメを知らなくても今もレオのキャラクターが白であることは有名ですから、現代の読者はレオやパンジャを白と脳内補完して読んでるでしょう。でも、1950年連載当時の読者は、レオを白いと思って読んでいたのかどうか。

     ※

 たとえば小学館ゴールデンコミックス版では、オープニング、ドンガ酋長がパンジャについての解説をしてくれます。

「パンジャと わしらはその白いザンバ(ライオン)のことを呼んでおりますがの」

 パンジャが白いことは、はじめからセリフで明らかにされてます。レオのほうは彼がアデンに流れ着いたとき、ある登場人物のセリフにこうあります。

「あのライオンのように白いライオン」

 物語の比較的最初のほうで、レオも白いことが示されてました。

 講談社全集版ではどうか。船上でレオが誕生したときの人間のセリフ。

「ほほーこりゃかわいいな まっ白じゃないか」

 レオは生まれたときにすでにまっ白であると強調されてます。パンジャの色が確定するのはけっこう遅くて、レオがジャングルに戻り父親の毛皮と対面したとき、「白い毛皮」というセリフがあります。

 のちの版でこのように書いたということは、手塚治虫自身もモノクロマンガでは、セリフや文章で「白い」ことを示す必要性を感じていたはずです。

     ※

 手塚治虫が「白いライオン」の着想をどこで得たかは、自伝で語られています。

 大阪時代、手塚は動物ものの絵本の依頼を受けます。

仕事ならなんでも大歓迎なので喜んで引き受け、見本にヒョウとライオンの親子を描いた。ところが、夜、暗い灯の下で描いたものだから、黄色を塗ったつもりが真っ白で、白熊だか白猫だかわからないライオンの子ができあがってしまった。(手塚治虫『ぼくはマンガ家』)

 これがのちに『ジャングル大帝』の「白いライオン」となったと手塚は書いています。

     ※

 では、カラーでパンジャやレオはどう描かれたか。漫画少年の連載ではトビラがカラーで描かれることがありました。連載第二回のトビラ。この絵かっこいいでしょ。

Img_new

 動物たちを引き連れて堂々と歩くパンジャ。この絵は手塚のお気に入りだったらしく、同じ構図で描き直され、学童社から出版された『ジャングル大帝』の単行本第一巻の表紙絵になりました。

 この絵の驚きは、このパンジャと思われるライオン、タテガミは白ですが、カラダは(わかりにくいですが)微妙なイエローに塗られてます(えー、ライオンは本来こういう色をしてます)。パンジャは明らかに普通のライオンとは異なる色です。

 下は連載第三回、第四回、第五回のトビラ絵です。

Img_0001 Img_0002 Img_0003

 それぞれに子ども時代のレオが登場します。レオは基本的に白ですが、耳や腹の下にちょっと朱がはいってる。ひたいのカールした毛は、むしろ白じゃなくて茶です。

 そして連載第五回のトビラで、やっとパンジャは白いことが明らかにされます。前号までのあらすじとしてこういう文章が。

アフリカのコンゴ奥地のジャングルに、つよくやさしい心と、美しい毛並をそなえて動物たちに君臨していた白い獅子パンジャは、王子レオをのこしたまま白人の手にたおされてしまった。

 第五回のトビラには毛皮になったパンジャが再登場してます。やはりタテガミが白で、カラダは茶色。うーん、「白い獅子」には無理があるなあ。

 いったいパンジャは白いのか白くないのか。

     ※

 マンガ内でレオの一族が白であるのが確定するのは、やっと連載第六回のことです。

 この回ではレオが白いことが連呼されます。

●新聞に「ケン一クンは白いライオンの子供をつれているから」という記事が載る。
●ドンガ酋長「お前方のつれの、白いししの仔が」
●ヒゲオヤジ「雪みたいに白いししのことをきかなかったか」 
●船員「白いしし? そんなものいるのかい」 
●アルベルト「白いしし! いますとも」

 連載第一回から第五回まで、マンガ内でパンジャやレオの色については何ひとつ触れられていませんでした。カラーのトビラ絵で白っぽい彼らが描かれ、第五回の「あらすじ」にやっと「白い獅子」の言葉が登場しただけ。ところがこの第六回には、「白いライオン」「白いしし」という言葉が12回も出てきます。

 第六回では、古代エジプト王朝に出現した白いライオン=レオの祖先の話が語られ、レオの出自が明らかになります。この後、レオの一族はカラーページであっても常に白く描かれるようになります。

     ※

 で、上記をふまえてわたしの推理、というか妄想。

 手塚治虫の構想では最初から、パンジャやレオは他のライオンと違った美しい姿をしていたはずです。しかしそれは「全身が白いライオン」じゃなくて、「タテガミが白いライオン」であったのじゃないか。

 つまり連載第二回のトビラ絵のごとく、パンジャやレオは白いタテガミと薄茶のカラダを持ったライオン。これはデザイン的にも優れたものですし、実際に美しい。これこそパンジャとレオにふさわしい色だと思います。

 ところが、子どものレオが登場して、さあ色を塗ろうとしたとき、手塚は困ってしまった。子どもライオンにはタテガミがありません。白いタテガミがないライオンは、単に薄茶のライオンですから、普通のライオンと変わるところがありません。

 そこで手塚は子どものレオを、カラダも白いライオンとして描くことにしました。このときも、レオがおとなになったときはカラダが薄茶でタテガミを白くする心づもりだった。子どもとおとなで毛の色がかわるのは、野生動物ではありうることだし。

 しかしお話が進むうち、レオが子ども時代から一気におとなになるような展開はむずかしいことがはっきりします。レオは少しずつおとなにしていかなきゃならない。となるとレオのカラダを白から薄茶に変更するタイミングをどうするか。手塚治虫は悩んでいた、のじゃないか。

 ここはもう、最初の色の構想とはちょっとちがうけど、カラダもタテガミも白い、ということにしてしまえ。

 というわけで連載途中にして、レオやパンジャのデザインは、全身まっ白に変更された…… というのはいかがでしょうか。

 どうしてもモノクロ表現が主となる日本マンガだからこそ、こういうこともありえたかもしれません。

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