海外マンガの楽しみ
前項の最後で、将来のマンガはどういうタイプのものになるだろう、という問いを書きましたが、じつはわたし自身の予測としては、日本マンガの記号的表現はさらに先鋭化していくだろうと考えています。
マンガのキャラクターは小さなコマのなかに描かれた簡単な線あるいは色の集まりでしかありません。その線や色からなるキャラクターは、描き手がよほど名人でもないかぎり、名優のような「演技」ができるわけではない。
それをおぎなうのが集中線や汗やフキダシの形です。このようなさまざまな記号の集積があってはじめて、マンガにおける豊かな感情表現は可能になりました。
絵はヘタだけどマンガはうまい、という言葉が成立するのがマンガの世界です。クラスに数人は「マンガがうまい」人間がいるものですが、彼らは純粋に絵がうまいだけじゃなくて、記号としてのマンガがうまいのです。
作品の質を担保するのが作品数であるのなら、この記号的表現の進歩は必要なことです。ほんとうに絵をうまく描くことができるのはごく一部の人間だけですが、このような記号的テクニックは、読者であっても獲得することが可能です。
記号的表現を獲得した多くの描き手のなかから、すぐれた作品が生まれるはずです。
記号的表現は日本のマンガが長い年月をかけてを獲得した成果です。これを捨てることはおそらくないでしょう。日本マンガが今後、こめかみの汗なしの、集中線なしの、動線・流線なしの、マンガに変化することはあるのか。ごく一部の例外をのぞいて、そうはならないような気がします。
しかし世界の反対側では、記号的表現を廃したマンガがあたりまえに存在しています。ドメスティックな作品ばかり読んでいる日本人にとっては、そんなマンガがかえって新鮮。
●アラン・ムーア/ジーン・ハー/ザンダー・キャノン『トップ10』1・2巻(2009年ウィーヴ/ヴィレッジブックス、各3200円、3000円+税、amazon)
2巻が出版され、第一部完結。こっちは陰鬱な『フロム・ヘル』と違い、基本的にご陽気なマンガです。
スーパー・ヒーローやスーパー・ビランだけが住んでいる街、ネオポリス。その街の警察、第10分署(通称、トップ10)の警官たちの活躍を描いたマンガ。
ストーリーのおもしろさはさすがアラン・ムーアですし、ほろりとさせる第8章は、2008年ウィザードマガジンの読者投票「The 100 Best Single Issues Since You Were Born」でみごとベストワンに選ばれたそうです。
いつものアラン・ムーア作品と同様に、コマのすみずみ、セリフのかけらにまで膨大なオタク的引用とウンチクがつまっています。通りすがるだけの通行人、そのほとんどにモデルとなるキャラクターが存在するという壮絶さ。日本出身キャラも、アトムや鉄人がちらっと登場しますし、あの有名キャラがすっごい太った姿で出てきてびっくり。
そういう作品なので、ほとんどのコマで背景がみっちり描きこまれてます。集中線や動線もなし。汗は物理的に存在する汗しか描かれません。
ひとつのコマに存在するセリフも多い、ポスターなどに描かれる文字も多い、絵として与えられる情報量も多い。というわけで、日本マンガのようにすらすら読むことは不可能です。
そのかわり、絵解きしながらゆっくり読む、別冊の訳注を参照しながら再読する、という楽しみがここにはあります。
さらに、フランスから一冊。
●『euromanga ユーロマンガ』3号(2009年飛鳥新社、1800円+税、amazon)
出版社からご恵投いただきました。ありがとうございます。
ベーデーの専門誌も、もう三冊目。今回はお値段据え置きで増ページ、掲載作品数も増加。新しく参加したのはメビウス作品と、書影カバーイラストにもなっているジャン=ピエール・ジブラ『赤いベレー帽の女』、あとシリル・ペドロサ『抵抗』です。
絵の力は、日本マンガよりもアメコミよりも、ベーデーはすげえ(ベーデーの一般的な画力を知ってるわけではありませんが)。ここに掲載されているベーデーのひとコマひとコマ、絵としての完成度はカラリングも含めてすばらしい。
これからじっくり読ませていただきますが、これも時間かかりそう。読むのに時間がかかることが、アメコミ、ベーデーの短所でもあり長所でもあり、ですね。
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