わたしが『フロム・ヘル』英語版を買ったのは、ジョニー・デップ主演の映画『フロム・ヘル』が公開間近だったころ。シンガポールの紀伊國屋に原作となるぶ厚いグラフィック・ノベルが平積みになってました。アメリカじゃなくてイギリスから輸入された本で、シンガポールへの英語の本はイギリス経由なんだー、やっぱ旧宗主国だからかしら、なんて思いながら手に取りました。

(左が現在発売されてるアメリカ版、右がイギリス版。内容は同じですがお値段が違います)
ただし原作者アラン・ムーアの複雑な構成は、わたしのつたない英語力ではなかなか手におえるようなものではありません。英語そのものも難解なうえに、文章は大量。アラン・ムーア作品は、絵だけ見ててもストーリーがわかる、というようなものでもないし。当時は読んだというより、ながめただけでした。
わたし、アラン・ムーア作品で邦訳が出る以前に原書を読みきったものといえば、セリフが少なくてお話も短い『バットマン:キリング・ジョーク』しかないのですよ。
その後、映画「フロム・ヘル」も見たし、原作には何回かトライしたのですが、結局挫折。名作との呼び声高い作品だけに、いつかは再挑戦したいと思っておりましたところ……
出ました、邦訳。
●アラン・ムーア/エディ・キャンベル『フロム・ヘル』上下巻(2009年みすず書房、柳下毅一郎訳、各2600円+税、amazon
)

最近日本でアメコミが出版されるのは、映画が公開されるときだけと決まってますから、映画公開から7年もたってという今回の邦訳は異例。
ただし今年は映画「ウォッチメン」の公開のおかげか、アラン・ムーアの邦訳が続いてますね。『ウォッチメン』も再刊されたし、『トップ10』ももうすぐ2巻が出ます。
●アラン・ムーア/デイブ・ギボンズ『WATCHMEN ウォッチメン』(2009年小学館集英社プロダクション、3400円+税、amzon
)
●アラン・ムーア/ジーン・ハー/ザンダー・キャノン『トップ10』1・2巻(2009年ウィーヴ/ヴィレッジブックス、各3200円、3000円+税、amzon
)

そういう状況で『フロム・ヘル』が邦訳されました。しかし読んでみるとわかりますが、本書の価値は映画公開がどうのこうのいうレベルとは別次元。今回の邦訳は、日本におけるアメコミ受容史にとっても事件というべきものであります。
モノクロマンガ、上下巻 計600ページの大著。
19世紀末ロンドンでの娼婦連続殺人事件、通称切り裂きジャック事件が題材です。
本書を原作とした映画「フロム・ヘル」では冒頭で、同衾する男女が白昼何者かに誘拐され、その直後に娼婦の連続殺人事件が始まります。犯人は誰か、誘拐事件との関係は何か、という謎がお話を牽引します。
ところが、原作はそういう謎解きをめざしていません。冒頭の誘拐事件の謎はその場ですぐに判明するし、連続殺人の動悸も、犯人も、時系列に沿ってたんたんと明らかにされます。
著者が試みているのは、マンガで世界をまるごと描こうとすること。登場人物は女王からイーストエンドの娼婦まで、有名人、無名人膨大なひとびと。扱われているのは、貧困、差別、快楽殺人、社会主義、戦争、秘密結社、魔術、降霊術、イエロージャーナリズムなどなど。舞台は19世紀末のロンドンですが、20世紀の混沌はすべて切り裂きジャック事件に内包されていたという視点で描かれてます。
登場人物のほとんどは実在の人物。神の手を持つムーアは、彼らを使って過去世界を自分の思いどおりに再構築しています。これをおこなうにあたり、驚くべきことにムーアは、事件周囲の人物がいつどこで何をしていたかをこまかく調べ上げ、彼らの行動、言葉を虚実の隙間に落としこむというアクロバティックなことをしています。
すなわち、登場人物たちの行動やセリフは、もしかしたらあり得たかもしれないこと“だけ”から成り立っています。ここまで徹底しているとは。そのうえでこの複雑な物語を作り上げてしまうのですから、まさに魔術師のワザです。ウソつき、ほら吹きのカガミですな。
切り裂きジャックの正体についての考察は、著者オリジナルのものではありません。スティーブン・ナイト『切り裂きジャック最終結論』(1976年)をもとにしています。ただしこのことは本書の価値を下げるものではないでしょう。本書が描かれた時点ではすでに手垢のついた説であったものを、ムーアがもっとも美しい解法として注目し、あらためて光を当てたのが本書です。
ムーアによる世界を再構築する試みは、画家エディ・キャンベルによって実体化されます。100年前のロンドンの風景、建築物、街角、室内、服装にいたるまで、(おそらく)すみずみまで正確に再現されています。
第四章はロンドン観光案内みたいになってますが、ムーアの衒学趣味が炸裂する部分です。ロンドンの建築物に隠された魔術的秘密は、日本でいうなら荒俣宏『帝都物語』みたい。
本書のクライマックスは第十章、第五の殺人と遺体解体場面です。その細かくリアルな解体と犯人の見る幻視が重ねて描かれる重層的な構造。読者は酸鼻を極めるシーンに戦慄するのですが、その影には魔術の歴史があり貧困の現実があり狂気の未来があることを知ります。
ラスト近くには、本書で唯一といっていい救いのシーンが待っています。しかし世界はこの後、狂気と殺戮の20世紀に向かいます。いや堪能しました。日本マンガとのちがいを語り出せばきりがありませんが、マンガ/コミックという形式が到達したひとつの頂点でしょう。
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