« September 2009 | Main | November 2009 »

October 30, 2009

『昭和ちびっこ広告手帳』1970年代初期版

 マンガじゃないんですが、以前に紹介した本の続編が出ました。前作の評判が良かったそうです。

●おおこしたかのぶ/ほうとうひろし『昭和ちびっこ広告手帳 東京オリンピックからアポロまで』(2009年青幻舎、1200円+税、amazon
●おおこしたかのぶ/ほうとうひろし『昭和ちびっこ広告手帳2 大阪万博からアイドル黄金期まで』(2009年青幻舎、1200円+税、amazon

昭和ちびっこ広告手帳 〜東京オリンピックからアポロまで〜 昭和ちびっこ広告手帳2 大阪万博からアイドル黄金期まで

 出版社よりご恵投いただきました。ありがとうございます。

 マンガ雑誌に掲載されたいろんな広告を集めた本。雑誌からスキャンしてフォトショップで修正。文庫サイズですがたいへん美しい仕上がりになってます。前作は1965年から1969年まで、続編の「2」は1970年から1974年までを収集。

 表紙カバーになっているのは、あの、小川ローザの「Oh!モーレツ」です(CMがYouTubeにありました)。マンガ方面では、永井豪『ハレンチ学園』のジャンプコミックス2巻のカバーイラストが、このコスプレです。

 前作とどこがちがうかといいますと、まず広告が採集された雑誌がちがう。前作はまだまだ月刊誌が多い時代でしたが、続編になるとほとんどが週刊誌。たまに月刊誌が混じってます。プラモデルなどは前作ではイマイのサンダーバードだったりしますが、「2」ではタミヤのタンクや各社のウォーターラインシリーズが主流になってて、リアル志向ですな。ラジオの広告が増えたのも時代です。

 でも子どもはやっぱり子ども。このころの(今もか?)子ども向け雑誌の広告というのは、つくづくジャンクなものの宝庫ですね。

 シーモンキーなんかなぜ欲しいと思ったのか、今となっては謎です。怪獣の絵が描いてある日立乾電池はともかく、「ナショナル乾電池を買ってはにわ(プラスチック製)を集めよう」というのはキャンペーンとして成立したのか。

 わたしはこの時期になりますと、ちょっとだけオトナに近くなってますので、モデルガンが欲しくて欲しくてたまりませんでした。とくに「平玉紙火薬でセミオート・ブローバック」というのがどういう仕組みかよくわかんないけど、かっこよさそうでねえ。でもそれでほんとにブローバックしたのか?

 さらに、「君のつくった模型飛行機に、空中モーター専用の飛行機にポンとつけるだけで、大空高く舞い上がる」という「マブチモーター製空中モーター マブチA-1」というのはホントに飛んだのかっ!?

 読んでいてまさにおもちゃ箱をひっくり返した感じ。今回も楽しい本でした。

| | Comments (7) | TrackBack (1)

October 27, 2009

紙がかたい

 ものごとの本質とは関係ないどうでもいいことですが。

 最近の双葉社のA5判マンガ単行本って、紙がかたくないですか。

 市橋俊介『漫画家失格』と谷口ジロー/川上弘美『センセイの鞄』1巻を連続して読んだせいか、よけいに気になりました。これってとくに双葉社の本に特徴的なんですよ。他社のものよりけっこう紙がかたい。そしてちょっとだけ厚い、ような気がする。

 書棚の本を調べてみると、相原コージ『異種格闘技大戦』や武富健治『鈴木先生』の最初のほうからすでにかたい紙を使ってたようです。こうの史代『この世界の片隅に』もそう。『夕凪の街桜の国』が薄いつるりんとした紙だったから対照的でめだちます。

 双葉社のA5判単行本でも、わたべ淳『遺跡の人』とか村上たかし『星守る犬』なんかは他社と同じような紙なのですが、最近の双葉社のA5判はおおむね、かたくて厚いことが多いです。

 で、かたいからどうしたという話なのですが、本が曲がりにくい。そして本を広げるのにぐいっと力が必要。だもんでなんかこう、読みにくいんですな。みんな気にならないのかなあ。

| | Comments (10) | TrackBack (0)

October 24, 2009

復刊やまだ紫

 本年5月に亡くなったやまだ紫の諸作品が「やまだ紫選集」として復刊されてます。

コミックナタリー:やまだ紫の代表作が復刊!「やまだ紫選集」3カ月連続刊行

 まず最初に刊行されたのがこれ。

●やまだ紫『性悪猫(しょうわるねこ)』(2009年小学館クリエイティブ、1400円+税、amazon

性悪猫―やまだ紫選集

 ご夫君の白取千夏雄氏よりご恵贈いただきました。ありがとうございます。

 これまでにも複数回刊行されてきた、永遠の名作です。

 それぞれ数ページの作品からなる連作短編集。ここに書かれたマンガでは、語り手の多くは猫です。しかし彼らの言葉、これがもう推敲を重ねてつくられていることがよくわかる。やまだ紫の書くセリフやキャプションは、短文にしてじつに余韻のある語り言葉なのです。そこにいきいきとした猫の絵が加わり、さらにコママンガとして緊張感のある展開。

 たとえば『さくらに風』という作品。

 家のなかで二匹の猫がじゃれている。障子をへだてて編み物をする女性。その女性のアップがあり、宙にモノローグが浮いています。

やさしい自分(わたし)であろう

 次のコマ、編み物をする手のアップとモノローグ。

やさしさを失くすまい

 読者は、語り手を当然この女性と考えます。ところが、次のコマ。

──と 貴方が思うとき

 あれれ、二人称が出てきた。となると語り手はいったい誰。数コマの後、それが明らかになります。猫のアップに重ねて、

貴方は淋しいのだ

 つまり、語り手は猫なのです。貴方とは飼い主である女性のこと。女性のモノローグと思わせてじつは猫のモノローグ。

 しかし、読み進むうちにこれがさらに逆転します。実際のところ猫がこんな高度なことを考えるわけはありません。このモノローグはやっぱり猫に語らせる形で女性が自分の思いをつぶやいているのです。

 磨き上げられた言葉と、緊張感を持った線で描かれた絵が出会い、しかもそれがすぐれたマンガになっている奇跡。

 30年前の作品ですが、少しも古びていない。やまだ紫を知らないあなたにこそ、読んでもらいたい作品です。

| | Comments (1) | TrackBack (1)

October 23, 2009

ついったーをマンガ化すれば『中央モノローグ線』

 すてきな二色のカバーデザインに引かれジャケ買いしたけど、これはよかった。

●小坂俊史『中央モノローグ線』(2009年竹書房、743円+税、amazon

中央モノローグ線 (バンブー・コミックス)

 一巻だけで完結してます。えっと四コママンガです。

 中野から武蔵境まで、東京の中央線沿線、8つの街に住む8人の女性のお話。彼女たちは互いに知り合いというわけでもありません。

 彼女たちがモノローグでいろいろとつぶやいているマンガ。そのつぶやきの内容の多くは、自分の生活と住んでる街とのかかわりについて。

 四コママンガですから四コマ目で一応のオチがあるのですが、すべって転んでぎゃふんというようなものではありません。しようがねえなあ、という感じのオチが多いし、そもそもオチてないのもあります。だって彼女たちのモノローグは、日々の生活のなかでのつぶやきですからね。

 個人的つぶやきがそれぞれの街の姿を描き、さらにその集成が中央線沿線という大きな地域を描いていく。わたし最近「Twitter」始めたもので、それにちょっと似てるなと感じました。みんながかってにつぶやいているのに、総体として作品になってるじゃないか、なんてね。

 わたしが好きなのは、武蔵境に住む中学生、キョウコちゃんの話。土地勘がなくてよくわかんないのですが、武蔵境と隣の三鷹との間には大きな「中央線のカベ」があるらしい。

 そこからむこうは都会、こっちは田舎、なんだそうです。ですから彼女はこの壁を越えること=大人になることと考え、いろいろとトライしては挫折し、さらに未来を夢見ます。

 知ってる地域のあるあるネタというわけでもなく、これは普遍だよなあ。

 というわけでわたしとしてはたいへんお気に入りなのですが、この作品ウチの家族には、中央線ったってなじみないしー、ジミやしー、とあまり人気がありません。お前らはわかっとらんっ。

| | Comments (5) | TrackBack (1)

October 21, 2009

海外マンガの楽しみ

 前項の最後で、将来のマンガはどういうタイプのものになるだろう、という問いを書きましたが、じつはわたし自身の予測としては、日本マンガの記号的表現はさらに先鋭化していくだろうと考えています。

 マンガのキャラクターは小さなコマのなかに描かれた簡単な線あるいは色の集まりでしかありません。その線や色からなるキャラクターは、描き手がよほど名人でもないかぎり、名優のような「演技」ができるわけではない。

 それをおぎなうのが集中線や汗やフキダシの形です。このようなさまざまな記号の集積があってはじめて、マンガにおける豊かな感情表現は可能になりました。

 絵はヘタだけどマンガはうまい、という言葉が成立するのがマンガの世界です。クラスに数人は「マンガがうまい」人間がいるものですが、彼らは純粋に絵がうまいだけじゃなくて、記号としてのマンガがうまいのです。

 作品の質を担保するのが作品数であるのなら、この記号的表現の進歩は必要なことです。ほんとうに絵をうまく描くことができるのはごく一部の人間だけですが、このような記号的テクニックは、読者であっても獲得することが可能です。

 記号的表現を獲得した多くの描き手のなかから、すぐれた作品が生まれるはずです。

 記号的表現は日本のマンガが長い年月をかけてを獲得した成果です。これを捨てることはおそらくないでしょう。日本マンガが今後、こめかみの汗なしの、集中線なしの、動線・流線なしの、マンガに変化することはあるのか。ごく一部の例外をのぞいて、そうはならないような気がします。

 しかし世界の反対側では、記号的表現を廃したマンガがあたりまえに存在しています。ドメスティックな作品ばかり読んでいる日本人にとっては、そんなマンガがかえって新鮮。

●アラン・ムーア/ジーン・ハー/ザンダー・キャノン『トップ10』1・2巻(2009年ウィーヴ/ヴィレッジブックス、各3200円、3000円+税、amazon

トップ10 (AMERICA’S BEST COMICS) トップ10 (AMERICA’S BEST COMICS) #2

 2巻が出版され、第一部完結。こっちは陰鬱な『フロム・ヘル』と違い、基本的にご陽気なマンガです。

 スーパー・ヒーローやスーパー・ビランだけが住んでいる街、ネオポリス。その街の警察、第10分署(通称、トップ10)の警官たちの活躍を描いたマンガ。

 ストーリーのおもしろさはさすがアラン・ムーアですし、ほろりとさせる第8章は、2008年ウィザードマガジンの読者投票「The 100 Best Single Issues Since You Were Born」でみごとベストワンに選ばれたそうです。

 いつものアラン・ムーア作品と同様に、コマのすみずみ、セリフのかけらにまで膨大なオタク的引用とウンチクがつまっています。通りすがるだけの通行人、そのほとんどにモデルとなるキャラクターが存在するという壮絶さ。日本出身キャラも、アトムや鉄人がちらっと登場しますし、あの有名キャラがすっごい太った姿で出てきてびっくり。

 そういう作品なので、ほとんどのコマで背景がみっちり描きこまれてます。集中線や動線もなし。汗は物理的に存在する汗しか描かれません。

 ひとつのコマに存在するセリフも多い、ポスターなどに描かれる文字も多い、絵として与えられる情報量も多い。というわけで、日本マンガのようにすらすら読むことは不可能です。

 そのかわり、絵解きしながらゆっくり読む、別冊の訳注を参照しながら再読する、という楽しみがここにはあります。

 さらに、フランスから一冊。

●『euromanga ユーロマンガ』3号(2009年飛鳥新社、1800円+税、amazon

ユーロマンガ vol.3

 出版社からご恵投いただきました。ありがとうございます。

 ベーデーの専門誌も、もう三冊目。今回はお値段据え置きで増ページ、掲載作品数も増加。新しく参加したのはメビウス作品と、書影カバーイラストにもなっているジャン=ピエール・ジブラ『赤いベレー帽の女』、あとシリル・ペドロサ『抵抗』です。

 絵の力は、日本マンガよりもアメコミよりも、ベーデーはすげえ(ベーデーの一般的な画力を知ってるわけではありませんが)。ここに掲載されているベーデーのひとコマひとコマ、絵としての完成度はカラリングも含めてすばらしい。

 これからじっくり読ませていただきますが、これも時間かかりそう。読むのに時間がかかることが、アメコミ、ベーデーの短所でもあり長所でもあり、ですね。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 18, 2009

マンガの記号的表現に関するつれづれ

 海外マンガ、とくにグラフィックノベルというタイプのものを読んでいて日本マンガともっとも違うのは、漫符と呼ばれる記号的表現の少なさです。

 擬音も少ない、動線も少ない、バックには集中線もベタフラもないし、こめかみにつたう汗なんかまったく存在しません。

 ひるがえって日本マンガをながめると、そういう記号的表現を使ってあらゆる、とはいいませんが多くの演出がなされています。オノ・ナツメにしても谷口ジローにしても黒田硫黄にしても、はたまた本来アニメーションのひとである宮崎駿の描くマンガにしても、こめかみの汗なくして、現代日本マンガの登場人物の感情表現はありえません。

 戦後、日本マンガが大量に出版されるなかで、記号的表現はコピーされ開発され、どんどん進歩していったのですね。その結果、日本マンガはきちんと描いた「絵」がなくても、コマ構成と記号的表現をあやつることだけで劇的にお話を展開することが可能になりました。

 目を白抜き「○」で描いて、クチを四角く「Д」で描いて、額に斜線をいれて、大きなしずくの汗を空中に浮かばせておけば、絶望する人間のできあがり。

 人物のアップのバックにベタフラ。こめかみにひとすじの汗。フキダシにはトゲをつけてそのなかには「……」と書いておけば、衝撃を受けた人間。

 今となっては陳腐な演出ですが、現代日本マンガはこういう表現の集積で成り立っているのです。アラン・ムーア/エディ・キャンベル『フロム・ヘル』が日本マンガ的表現からいかに遠いところにあるか、読まれたかたにはわかるはずです。

 記号的表現の進歩が、日本マンガにおける「絵」の軽視につながります。

 編集者は、新人マンガ家の絵よりもストーリーや演出に注目するそうですし、「絵なんか描いてりゃそのうちうまくなる」というのはあちこちで聞く言葉です。

 絵の軽視はマンガへの新人参入の敷居を低くし、大量のマンガ志望者を生み出し、産業としてのマンガ出版を支えてきた。これがこれまでの日本マンガの出版システムです。

 日本マンガは絵の完成度にたよらない表現法と出版システムを並立して進歩させてきたのですね。こういうのは良い悪いの問題ではなく、実際にそうなっちゃったんだからしょうがない。

 さて、将来のマンガはどこへ向かうのでしょう。ますますコマ構成と記号的表現を先鋭化していくのか。あるいは絵の完成度を追求する方向に回帰していくのか。 

| | Comments (6) | TrackBack (0)

October 13, 2009

出ました『フロム・ヘル』

 わたしが『フロム・ヘル』英語版を買ったのは、ジョニー・デップ主演の映画『フロム・ヘル』が公開間近だったころ。シンガポールの紀伊國屋に原作となるぶ厚いグラフィック・ノベルが平積みになってました。アメリカじゃなくてイギリスから輸入された本で、シンガポールへの英語の本はイギリス経由なんだー、やっぱ旧宗主国だからかしら、なんて思いながら手に取りました。

From Hell From Hell
(左が現在発売されてるアメリカ版、右がイギリス版。内容は同じですがお値段が違います)

 ただし原作者アラン・ムーアの複雑な構成は、わたしのつたない英語力ではなかなか手におえるようなものではありません。英語そのものも難解なうえに、文章は大量。アラン・ムーア作品は、絵だけ見ててもストーリーがわかる、というようなものでもないし。当時は読んだというより、ながめただけでした。

 わたし、アラン・ムーア作品で邦訳が出る以前に原書を読みきったものといえば、セリフが少なくてお話も短い『バットマン:キリング・ジョーク』しかないのですよ。

 その後、映画「フロム・ヘル」も見たし、原作には何回かトライしたのですが、結局挫折。名作との呼び声高い作品だけに、いつかは再挑戦したいと思っておりましたところ……

 出ました、邦訳。

●アラン・ムーア/エディ・キャンベル『フロム・ヘル』上下巻(2009年みすず書房、柳下毅一郎訳、各2600円+税、amazon

フロム・ヘル 上 フロム・ヘル 下

 最近日本でアメコミが出版されるのは、映画が公開されるときだけと決まってますから、映画公開から7年もたってという今回の邦訳は異例。

 ただし今年は映画「ウォッチメン」の公開のおかげか、アラン・ムーアの邦訳が続いてますね。『ウォッチメン』も再刊されたし、『トップ10』ももうすぐ2巻が出ます。

●アラン・ムーア/デイブ・ギボンズ『WATCHMEN ウォッチメン』(2009年小学館集英社プロダクション、3400円+税、amzon
●アラン・ムーア/ジーン・ハー/ザンダー・キャノン『トップ10』1・2巻(2009年ウィーヴ/ヴィレッジブックス、各3200円、3000円+税、amzon

WATCHMEN ウォッチメン(ケース付) (ShoPro Books) トップ10 (AMERICA’S BEST COMICS) トップ10 (AMERICA’S BEST COMICS) #2

 そういう状況で『フロム・ヘル』が邦訳されました。しかし読んでみるとわかりますが、本書の価値は映画公開がどうのこうのいうレベルとは別次元。今回の邦訳は、日本におけるアメコミ受容史にとっても事件というべきものであります。

 モノクロマンガ、上下巻 計600ページの大著。

 19世紀末ロンドンでの娼婦連続殺人事件、通称切り裂きジャック事件が題材です。

 本書を原作とした映画「フロム・ヘル」では冒頭で、同衾する男女が白昼何者かに誘拐され、その直後に娼婦の連続殺人事件が始まります。犯人は誰か、誘拐事件との関係は何か、という謎がお話を牽引します。

 ところが、原作はそういう謎解きをめざしていません。冒頭の誘拐事件の謎はその場ですぐに判明するし、連続殺人の動悸も、犯人も、時系列に沿ってたんたんと明らかにされます。

 著者が試みているのは、マンガで世界をまるごと描こうとすること。登場人物は女王からイーストエンドの娼婦まで、有名人、無名人膨大なひとびと。扱われているのは、貧困、差別、快楽殺人、社会主義、戦争、秘密結社、魔術、降霊術、イエロージャーナリズムなどなど。舞台は19世紀末のロンドンですが、20世紀の混沌はすべて切り裂きジャック事件に内包されていたという視点で描かれてます。

 登場人物のほとんどは実在の人物。神の手を持つムーアは、彼らを使って過去世界を自分の思いどおりに再構築しています。これをおこなうにあたり、驚くべきことにムーアは、事件周囲の人物がいつどこで何をしていたかをこまかく調べ上げ、彼らの行動、言葉を虚実の隙間に落としこむというアクロバティックなことをしています。

 すなわち、登場人物たちの行動やセリフは、もしかしたらあり得たかもしれないこと“だけ”から成り立っています。ここまで徹底しているとは。そのうえでこの複雑な物語を作り上げてしまうのですから、まさに魔術師のワザです。ウソつき、ほら吹きのカガミですな。

 切り裂きジャックの正体についての考察は、著者オリジナルのものではありません。スティーブン・ナイト『切り裂きジャック最終結論』(1976年)をもとにしています。ただしこのことは本書の価値を下げるものではないでしょう。本書が描かれた時点ではすでに手垢のついた説であったものを、ムーアがもっとも美しい解法として注目し、あらためて光を当てたのが本書です。

 ムーアによる世界を再構築する試みは、画家エディ・キャンベルによって実体化されます。100年前のロンドンの風景、建築物、街角、室内、服装にいたるまで、(おそらく)すみずみまで正確に再現されています。

 第四章はロンドン観光案内みたいになってますが、ムーアの衒学趣味が炸裂する部分です。ロンドンの建築物に隠された魔術的秘密は、日本でいうなら荒俣宏『帝都物語』みたい。

 本書のクライマックスは第十章、第五の殺人と遺体解体場面です。その細かくリアルな解体と犯人の見る幻視が重ねて描かれる重層的な構造。読者は酸鼻を極めるシーンに戦慄するのですが、その影には魔術の歴史があり貧困の現実があり狂気の未来があることを知ります。

 ラスト近くには、本書で唯一といっていい救いのシーンが待っています。しかし世界はこの後、狂気と殺戮の20世紀に向かいます。いや堪能しました。日本マンガとのちがいを語り出せばきりがありませんが、マンガ/コミックという形式が到達したひとつの頂点でしょう。

| | Comments (5) | TrackBack (1)

October 10, 2009

マンガでお勉強

 最近のマンガの多くは学習マンガの要素を含むようになってますから、いろんなのがありまして。

●『週刊マンガ日本史 創刊号 卑弥呼』(2009年朝日新聞出版、171円+税、bk1

 古典的学習マンガ。書店に行くとどーんと積んでありますし、創刊号だから安い。

 人気マンガ家が多数参加しているシリーズですが、創刊号は、うーんちょっと微妙。藤原カムイの描く卑弥呼はやたらとかわいいのですが、残念ながらお話はたんたんとしたもので何かの事件が起こるわけでもありません。朝日、だめじゃん。

 ちなみに卑弥呼のマンガなら、「学研まんが人物日本史」シリーズのムロタニツネ象『まぼろしの女王 卑弥呼』(1981年学研、760円+税、amazonbk1)がダントツのおすすめ。こっちは空想の羽根を思いっきり広げてムチャやってます。


●山本おさむ『そばもん ニッポン蕎麦行脚』1・2巻(2009年小学館、各514円+税、amazonbk1

 

 そばに関するウンチク“だけ”で、連載が成立してしまうのですからねー。なぜみんな、そばのウンチクを語りたがるのか、そして聞きたがるのか。たとえば食べ方の作法とか、「ざる」と「もり」のどこが違うか、とかね。

 そばがいかに奥深いかといえばそのとおりですが、じつにめんどくさい食べ物であるなあ、ということにもなるのです。

 でもやっぱ愛されてる食べ物なんですよね。ちなみにウチの地方では、大根おろしをのっけたそばに熱いだしをかけるという、ぶっかけうどんみたいな食べ方をよくします。


●小野寺浩二『超時空眼鏡史 メビウスジャンパー』1・2巻(2009年メディアファクトリー、各590円+税、amazonbk1

 

 メビウスというのはメビウスの輪=“∞”で、すなわちその形からメガネのこと。天才博士と美人の助手がタイムマシンで過去の世界を訪問し、メガネの歴史を読者に教えてくれる、という正統的な学習マンガ。というはずもなく。

 博士が病的なほどのメガネっ娘萌えなので、下品で狂的なギャグが炸裂しております。おもしろくてためになる、のじゃなくて、くだらなくてためになる、という新しいタイプの学習マンガだったりして。

 とうぜん2巻で終わったと思ってたら、こんどはメガネの歴史・日本編に突入するそうです。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

October 07, 2009

なつかしのテレビ欄

 最近こういう本を買いました。

●『ザ・テレビ欄 1975-1990』(2009年TOブックス、1143円+税、amazon
●『ザ・テレビ欄 II 1991-2005』(2009年TOブックス、1143円+税、amazon
●『ザ・テレビ欄 0 1954-1974』(2009年TOブックス、1143円+税、amazon

ザ・テレビ欄 1975~1990 ザ・テレビ欄 2 1991~2005 ザ・テレビ欄0 1954~1974

 新聞のテレビ欄を経年的に集めた本。掲載されているのは4月第二週と10月第二週で、特番を避けた結果だそうです。1954年から1974年までのぶんを収録した三冊目が発売され、シリーズ完結。

 これがねー、読み出すと止まらない。やっぱ自分の子ども時代のものがおもしろいですね。

 たとえば、1966年4月10日(日曜日)に、フジテレビで新番組として実写版「バットマン」が始まりました。アメリカで大ヒットしたバットマンがいよいよ日本上陸。これが18時30分からの一時間番組でした。

 ところが、この裏番組に何があったかというと、TBSで18時から「てなもんや三度笠」(30分)、日本テレビで18時30分から「シャボン玉ホリデー」(30分)、そしてNHKでは18時から新番組「サンダーバード」(50分)。さらに19時からはTBSで「ウルトラQ」(30分)、19時30分から「オバケのQ太郎」(30分)。

 いやーなんとも強力な布陣で、サンダーバードとウルトラQだもんね。バットマン惨敗もしょうがないっす。

 当然ですがビデオなんかない時代で、テレビ番組は一期一会。さらにテレビにリモコンはありません。がちゃがちゃ回すチャンネルですからザッピングなんかできません。どの番組を見るかの選択は各ご家庭でシビアになされてたころ。

 このころはわたしも「てなもんや」「シャボン玉ホリデー」じゃなくて、「サンダーバード」→「ウルトラQ」→「オバQ」だったような気が。

 さらに日本テレビで20時から「青春とはなんだ」がありましたから、それも見てました。「ごくせん」にまでいたる熱血教師が主人公の学園モノの元祖ですな。なんと原作は石原慎太郎で、のちに原作読みました。

 1970年10月10日(土曜日)はどうだったかといいますと、19時からは当然日本テレビ「巨人の星」(30分)、19時30分からはご家族で見るNHK「連想ゲーム」(30分)ですな。

 20時からがむずかしくて、TBSが「8時だよ!全員集合」、NETが「巣浪人花山大吉」、さらに日本テレビが新番組「謎の円盤UFO」。しかしわたしは軟弱系ポップスが好きだったので、NHK「ステージ101」を見てましたね。

 読者年齢によって読んでみたい部分がちがうと思いますが、こういう本はみんな興味があるのじゃないかな。三冊そろえれば、ちょっとした資料として使うこともできるでしょう。

 あと、ちばてつやのマンガ「1・2・3と4・5・ロク」って1972年に実写ドラマ化されてたんだー、とか、現・鳩山邦夫夫人の高見エミリーが1968年に出演してたドラマ「台風娘がやってきた」の第一回サブタイトルが「ようこそエミリー」だったりして、ビリングトップは宍戸錠だけど実質主役だったのかー、とか、どうでもいい知識が得られます。最近は夜、ベッドに寝っころがってからはずっとこの本をながめております。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 04, 2009

意外にも青春マンガ『8bit年代記』

 書店のマンガコーナーじゃなくて、ゲーム攻略本の棚で購入。

●ゾルゲ市蔵『8bit年代記』1巻(2009年マイクロマガジン社、1200円+税、amazon

8bit年代記 (GameSide Books) (GAME SIDE BOOKS)

 日本のビデオゲーム史を、地方在住であった著者の少年時代と重ねて描いた自伝的マンガ。第1巻はインベーダーゲームからファミコン全盛の1987年まで。

 著者の本性は「台無し発狂マンガ」にあるそうなのでどんな仕上がりなってるかと思えば、これがきちんとしていました。自身の経験をもとにしたうえに後年の取材でこれを補強。

 わたし自身はインベーダーゲーム(1978年)のころはもうけっこういい歳でしたから、本書に描かれてるようなコイン投入するゲームはあまりしてません。

 むしろホビーユース機として、NECのパピコンことPC-6001(1981年)でプログラム打ち込んだり、PC-8801mkIISR(1985年)で「ブラックオニキス」とかのゲームばっかりしてました(ただしさらにその数年後になると、コンピュータは、文書つくったり、表計算したり、統計計算したりする、「仕事で使うもの」に変化してしまいますが)。

 ですから本書に描かれてるいろいろなゲームのあれこれは、目の端っこに映ってはいたけれど、あんまりよく知らないことばかり。楽しく読みました。

 しかしこの第1巻で注目すべきはちょっと違ったところ。著者は高校時代、クラブ活動で本格的なセルアニメ制作にうちこむのですが、この時期を描いた数十ページはゲームと無関係。過去の自分と正直に向き合ったこの部分、著者も描きづらかったでしょうが、青春の情熱と勘違いと挫折がつまっているのですね。

 実体験が、娯楽、フィクションとして昇華されたものになり、普遍性を持って読者に迫ってきます。じつにおみごとな青春マンガとなっているのにおどろいたのでありました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« September 2009 | Main | November 2009 »