脚色とは 「関の弥太ッぺ」の場合
小林まこと/長谷川伸『関の弥太ッぺ』(2009年講談社、933円+税、amazon)はむちゃおもしろかったと前エントリで書きました。
ところが長谷川伸の原作とマンガでは、細部がすごーく違っているのですね。つまり小林まことがいろいろと脚色しているわけですが、マンガという表現形式向けにこれがいかにみごとになされているか。ふたつを見比べてみましょう。
長谷川伸「関の弥太ッペ」は、戯曲として書かれています。
*****(以下最後までネタバレします)*****
●序幕第一場:桂川の河原
前夜ある宿で、堺の和吉が関の弥太郎の持つ五十両を盗みます。弥太郎は桂川の河原で和吉をつかまえ、斬り合いのすえ五十両を取り戻しますが、和吉はわが身を恥じて投身自殺してしまいます。
和吉は小さな娘、お小夜を連れていました。弥太郎は和吉の頼みを聞き、お小夜を吉野宿の旅籠、沢井屋まで連れて行くことになります。
●序幕第二場:吉野宿沢井屋
弥太郎が沢井屋にお小夜を連れてやってきます。この子をあずかってくれと談判する弥太郎。しぶる沢井屋の一家。ぷっつんきれた弥太郎は、この金で向こう十年お小夜の世話をしてくれと五十両を渡し、名も告げずに去ってしまいます。
弥太郎が去ったあと、お小夜が十二年前に行方不明になった沢井屋の娘、おすえの忘れ形見であったことが明らかになります。
●二幕目第一場:下総菰敷の原
序幕から七年後。弥太郎は長年のライバルだった箱田の森介と果たし合いをしますが、笹川の繁蔵親分に仲裁されて仲直り。
●二幕目第二場:銚子大網楼
その後、弥太郎と森介は兄弟分となり、酒を酌み交わしています。先輩渡世人の話から、お小夜が美しく成長し、沢井屋が恩人を捜していることをふたりは知ります。
その場へ笹川繁蔵と対抗している飯岡助五郎の幹部、神楽獅子の大八が乗り込んできます。弥太郎・森介と大八一同は喧嘩となり、弥太郎は大八を斬って逃げます。
●大詰第一場:吉野宿沢井屋
沢井屋には恩人をかたった森介が逗留しています。彼はお小夜に結婚を迫って沢井屋一家を悩ませています。そこへ弥太郎登場。
●大詰第二場:同じく裏手
弥太郎は森介とお小夜に、自分こそかつて沢井屋にお小夜をつれてきた男であることを明かします。森介は弥太郎と一度は刀を交えますが、改心して和解。
そこへ飯岡からの三人の追っ手が登場。弥太郎と森介は三人を倒して、お小夜たちの前から去ります。
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とまあ、こういうお話。長谷川伸が新国劇のために昭和四年に書き下ろしたものです。
とくに弥太郎とお小夜の再会シーンが意外と淡泊かな、という感じでしたね。
小林まことがマンガ向けに改変した部分は多いのですが、とくに大きな変更点は以下。
(1)序幕第一場と第二場の間の、距離と時間をのばす。
戯曲では桂川と吉野宿はご近所という設定です。ですから弥太郎はお小夜をあずかってすぐ、沢井屋に到着してしまいます。これでは、弥太郎とお小夜の心の交歓などはできるはずもありません。
マンガでは弥太郎がお小夜にうどんを食べさせたり、笛を買ってやったりするエピソードを付け加えました。この笛が小道具として、弥太郎お小夜が再会する場で再利用されることになります。
マンガでは連載まるまる1回分を使って(連載は11回)、弥太郎とお小夜の旅を描きました。この伏線のおかげで、ラストの再会シーンでお小夜と弥太郎はじっくりと大芝居、泣かせる名シーンになったのです。
(2)弥太郎の顔を知ってるのは三人だけ。
原作戯曲では、沢井屋ご一家はみんな弥太郎に会っています。それなのに数年後、恩人をかたる森介に、みんなころっとだまされてしまう。これはちょっと不自然じゃないかい。
というわけでマンガ版では、沢井屋にやってきた弥太郎に会うのは、すでにお年寄りのお小夜の祖母、間抜けな番頭だけ、となってます。あと、もちろんお小夜は弥太郎の顔を知ってますが、彼女は子ども。
これで後年、森介にだまされてもしょうがないかな、と読者も納得できることになりました。
(3)弥太郎の五十両は、森介のために用意したものだった。
原作戯曲の弥太郎は五十両を失ってもどうということはなさそうでしたが、マンガ版では違います。この金は、森介(マンガ版では森助)の賭場でのいかさまにわびを入れるため、弥太郎が必死で都合したものだったのです。
命を捨てる覚悟をした弥太郎に、神楽獅子の大八(マンガ版では新八)を殺してこいとの依頼があります。
つまり、五十両=勢いで突っ走る弥太郎の性格→神楽獅子の大八との喧嘩、それぞれのエピソードが有機的につながり、しかもキャラクターの性格を表現しているわけです。
(4)弥太郎と大八の勝負がやたらとかっこよくなった。
(3)の結果、原作戯曲と異なり、喧嘩を売りに行くのは弥太郎のほうになりました。
街の大通りを神楽獅子の大八以下五人が歩いてくる。それを道の真ん中で待ち受ける弥太郎。
前エントリで引用した、弥太郎のかっこいい啖呵も原作戯曲にはなく、マンガオリジナルのものです。このセリフを書きたいがための変更だったのかなー、なんて思ってしまいます。
(5)ラストのあっさり処理。
原作戯曲のラストは、飯岡の追っ手三人組と弥太郎・森介の立ち回りでした。最後の見せ場ですね。
ところが、マンガの見せ場はあくまで弥太郎とお小夜の再会と別れという泣かせるシーンでした。
マンガのラストは、弥太郎が追ってきた三人に蛇を放り投げ、三人が逃げ出して終わり、という腰くだけのギャグ。いかにも小林まことらしい終わりかたですが、これは「もうひとを斬らないで」という(原作にはない)お小夜の願いを受けてのもの。すがすがしいラストシーンになりました。
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原作戯曲とマンガを読み比べてみますと、マンガ版での改変は、どれも納得できることばかり。現代のマンガという表現形式で古典をいかにおもしろく読ませるか。そのお手本みたいな脚色じゃないでしょうか。
さて、「関の弥太ッぺ」の脚色作品として名作として名高いのは、監督・山下耕作、脚本・成沢昌茂、主演・中村錦之助の映画「関の彌太ッぺ」でしょう。
わたしも見たことあるのですが、細部は忘却の彼方。あらすじは映画がダウンロードできるサイトのコチラがいちばんくわしいようです。
原作戯曲と大きく違うのは、まず弥太郎が十年前に別れた妹を捜している設定にしたところ。妹の面影をお小夜に投影することで、弥太郎のお小夜への思いを深めています。
あと箱田の森介はお小夜の父親を殺してますし、最後で弥太郎に斬られちゃってて、かなりの悪役。
そして有名なのがラストシーン。多数の飯岡一家が待つところへ弥太郎が向かうところで終わり。最後の見せ場を見せずに終わるという、これもみごとな脚色でした。
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