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September 10, 2009

忍一兵はうしおそうじか

 うしおそうじ(1921-2004)は、マンガ月刊誌時代に『チョウチョウ交響曲』や『どんぐり天狗』『朱房の小天狗』などを描いた人気マンガ家です。さらにその後ピープロを設立し、「マグマ大使」「スペクトルマン」「ライオン丸」などを製作したプロデューサーとしても知られています。

 鷺巣富雄(さぎすとみお)『スペクトルマンvsライオン丸 うしおそうじとピープロの時代』(1999年太田出版)は、うしおそうじのインタビューをもとに構成されたもの。鷺巣富雄はうしおそうじの本名です。その多岐にわたる細かい記述は資料性十分な上、読んでおもしろいというたいへんけっこうな本です。

 この本にこのような記述がありました。

「少年マガジン」創刊号に連載した『右近左近』。忍一兵名義だが、実はうしお氏。(80ページ)

一般に漫画家うしおそうじは月刊誌時代の人という印象が強いが、「少年マガジン」創刊号から、時代劇ものの『右近左近』(原作・吉川英治)の連載を開始している。忍一兵という連載第一回のみで、第二回目以降は波良章(はらしょう)とまたペンネームを変えている。ソ連びいきの担当編集者が名づけ親である。(247ページ)

 「週刊少年マガジン」に1959年創刊号から8回にわたり連載されたこのマンガのタイトルは、正しくは『左近右近』ですが、ま、これはちょっとしたマチガイ。この文章を読んだわたしも、へーそうかー、と思っておりました。だってうしおそうじ生前の本だしね。

 この記述を信じて、わたしのブログにも数回そのように書いたことがありましたし、Wikipediaでも忍一兵=うしおそうじとされています。

 ところが。

 マンチュウ氏より、わたしのかつての記事に対して以下のようなコメントをいただきました。

(略)なお、少年マガジン創刊号から連載された吉川英治原作のテレビ時代劇を漫画化した「左近右近」は、当初は、忍一兵の絵でしたが、すぐに波良章(はらしょう)に代わりました。この波良章こそがうしおそうじの変名です。

 さらにその後、マンチュウ氏は連載3回目となる波良章による『左近右近』のコピーをメールしてくださいました。その節はどうもありがとうございました。

Harasho
(クリックで拡大)

 おお、波良章名義のこのうまい絵はまぎれもなく、うしおそうじだ。

 いっぽう、忍一兵の『左近右近』はこんな絵です。

Shinobuippei_4
(クリックで拡大)

 うーん、あんまりうまくない。というか、デッサン狂ってるよなあ。

 『スペクトルマンvsライオン丸』の記述を信じるなら、うしおそうじが忍一兵と波良章という名義を使いわけてただけじゃなくて、絵も描きわけてたことになりますが、彼のような絵のうまいひとが、こういうヘタな絵を描くことができたかどうか。

 さて、「忍一兵」の名をネットで調べても、この『左近右近』の作者としてしかヒットしませんが、米沢嘉博『戦後少女マンガ史』(1980年新評社)にこのような記述があります。

この高橋真琴の影響はすぐに現われる。バレエマンガ「水色の少女」(毛利のぶお)、「海からきたパール」(しのぶいっぺい)、「こんにちはパリ」(望月あきら)、「さよならADIEU」(松尾美保子)等がそうである。

 そして巻末の戦後少女マンガ史年表によりますと、しのぶいっぺい『海からきたパール』は、1959年講談社「なかよし」に連載されていました。

 「忍一兵」ならぬ「しのぶいっぺい」は、「なかよし」で高橋真琴に影響されたバレエマンガを描いていたと。うしおそうじが高橋真琴タッチのバレエマンガを描くことはないと思うぞ。

 ネットで調べてみますとしのぶいっぺいは、「なかよし」以外にも秋田書店「ひとみ」で『山猫少女』『4枚の花びら』などの連載作品を持っていました。

 そこでしのぶいっぺいの絵を探してみますと、最近は大阪府立国際児童文学館の所蔵品をひたすら読み続け、記録されている「むうくん'sPage」に「しのぶいっぺい」作のマンガが紹介されているじゃないですか。ごくろうさまです。

 おお、この目は、この鼻は、まぎれもなく同じひとの手になるもの。「忍一兵」=「しのぶいっぺい」ですね。

 うしおそうじのマンガ家としての活動は、没後に出版されたうしおそうじ『手塚治虫とボク』(2007年草思社)によりますと、

ボクの少年少女月刊誌への寄稿時代は一九五一年の『冒険王』一月号にはじまり、一九五九年、旺文社『中学時代二年生』九月号までの正味八年間だ。

とあります。しのぶいっぺいはこの期間のあとも活動しています。

 というわけで、絵柄や作品傾向、活動期間から考えましても、「忍一兵」=「しのぶいっぺい」は、「うしおそうじ」とは別人、という結論であります。

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Comments

光文社文庫の「少年」傑作集 小説・絵物語篇の巻末に雑誌「少年」に掲載された小説、絵物語のリストがあります。それを見ると昭和33年5月から8月まで芝野富雄「地球盗難」という絵物語が短期連載されたことがわかります。この物語作家・芝野富雄とは聞きなれない名前ですが、いったい何者でしょう?大阪児童文学館にこの号の「少年」があるはずです。

Posted by: しんご | September 19, 2009 05:56 PM

「スペクトルマンvsライオン丸」には以下の記述があります。

>「少年」誌上に『地球盗難』を発表したさいは、芝野巷児という名前を使っているが、これは劇画調に作風を改めたためで、それまでのやわらかなタッチのうしお漫画と区別化をはかる意味の変名だそうだ。

いっぽうネット上の「戦後日本少年少女雑誌データベース」によりますと、芝野富雄=うしおそうじ別名、とありますね。芝野巷児説と芝野富雄説があって混乱しますが、後者のほうがホントっぽい。同時期同雑誌に「どんぐり天狗」が連載中だったので名義を変えたのでしょう。

Posted by: 漫棚通信 | September 19, 2009 09:11 PM

ピンポーン!いやーさすがですねえ。私は「地球盗難」の第一回をコピーしてきたのですが、整理が悪く、現在紛失状態です。しょうがないので、「少年」傑作集の巻末リストを参照してコメントいたしました。

 うしおそうじのようなまるまっこい描線の漫画をかくひとが、絵物語をかくとどうなるか、いうまでもなく、変名をつかっても、「これは、うしおそうじがかいているんじゃないか」と子供でもわかったのではないでしょうか。そのころは「少年」をとっていなかったのでわかりませんが。

 同じ号に小松崎茂が、吹き出しのある、コマ数の多い、漫画調の絵物語を描いているのですが、これもさっぱりだめでした。たまに大きなコマをかいたときだけ、本来の小松崎茂のオーラがかがやくのです。うしおそうじは絵物語にエールを送るつもりで連載を開始したのかもしれませんが、そんなに甘いものではないのでしょう。短期に終了しています。劇画うんぬんはあとからのいいわけのように思います。

 武内つなよしが同じ少年画報に吉川一郎(?)の名前でなにかかいたときは、子供心に「武内つなよしソックリの線の新人があらわれたな」と思いました。山川惣治も小松崎茂もひとつの雑誌に連載をふたつ持っていたのですから、武内つなよしが二つもつなら、別にペンネームをかえる必要はない。名前が違うのなら別人だと、思っていました。

・・・雑誌データベースは会費が惜しくて利用権がないのです。uuu。

Posted by: しんご | September 20, 2009 08:38 PM

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