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September 30, 2009

本年初秋のマンガ論@web

 この9月ネット上の文章などで、マンガ関連で注目すべきいろいろ。最近のWEB スナイパーは、はずせませんね。

少女漫画における起承転結 作=小島アジコ

 批評性もあるすっげえお下劣なエロ四コマ。

少年漫画における起承転結 作=小島アジコ

 批評性もあるすっげえお下劣な(以下略)。

よくよく考えてみたら膨大な数を読んでいた四コマ漫画についてざっくりと語っておこう 文=永山薫

 とくにいしいひさいち・植田まさし以後を細かく記述した四コママンガ論。それ以前については清水勲『四コマ漫画 北斎から「萌え」まで 』(2009年岩波新書)もどうぞ。

四コマ漫画の巨匠・植田まさしを読み解く! 来るべき植田まさし批評のために 文=ばるぼら

 永山薫による「植田まさしを決して舐めてはいけない」という一文に対するアンサーソングのような文章。植田まさしのデビュー作の謎を追った部分などさらっと書いてありますが、どれだけ調べていることか。あるのを証明するのは簡単ですが、ないのを証明するのはムチャ難しいのです。

なぜマンガは「Comics」なのか? 文=小田切博

 boxman さんによる「comics 」とは何なのかという根源的な問い。こういうのを調べるのはたいへん。先日コミケでお会いしたササキバラ・ゴウ氏もこういうしんどいことは誰か他のひとがやってくれないかなあ、とおっしゃってましたが、これは本来アカデミックな場で研究されるべきことでしょう。というわけで、とくに東北大学方面のかたがたはがんばるように。

マンガ用語:斜線の名前 文=すがやみつる

 カケアミの歴史について。すべては宮谷一彦から始まった。

【追記】↑とか書いてましたら、あすなひろしはどうなっとんねん、というメールをいただきました。
 おっしゃるとおりでございます。かつてみなもと太郎先生も追悼文で書いてらっしゃいましたが、カケアミで宮谷一彦に先行するのがあすなひろし。さらに宮谷一彦はあすなひろしを手伝ったこともあるらしい
 というわけで、「すべては」という記述は不十分で誤りです。申し訳ありませんでした。

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新書はいっぱい出てますが……

 鳴海丈『「萌え」の起源 時代小説家が読み解くマンガ・アニメの本質』(2009年PHP新書)という本を、買おうかどうか迷いながら立ち読みしておりましたところ、長谷川伸を論じてる部分で、「関の弥太ッぺ」のあらすじが書かれてました。

 そこには、生き別れの妹を捜している弥太郎は……てなことが書いてありまして。

 だーかーらー、弥太郎が妹を捜してる設定は中村錦之助映画のものであって、原作戯曲にはそんな妹、登場しませんから。著者が感動しているラストシーンも映画のものであり、原作戯曲とはまったく違うものですから。

 巻末の参考文献には『長谷川伸全集』が挙げられてるし、本のそのページにはでかでかと『長谷川伸全集』の書影を掲げてあるのに、実は参考文献なんか全然読んでないんだなあ。

 脱力して本を置き、その場を離れたのでありました。

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September 28, 2009

ガンガン系ミステリ

 ガンガン系雑誌に連載されていたホラー風味ミステリ二作がともに完結。

●外海良基『Doubt ダウト』全四巻(2007年~2009年スクウェア・エニックス、各562円~581円+税、amazonbk1
●三部けい『鬼燈の島 ホオズキノシマ』全四巻(2008年~2009年スクウェア・エニックス、各514円+税、amazonbk1

    
   

 この二作品、同時に発売されることが多く、書店では二冊が並んで平積みにされてて、黒いオーラに包まれてました。

 『ダウト』のほうは、ある建物に閉じこめられたグループ内でおこる連続殺人事件。密室となる建物にはいろいろと仕掛けが……という映画「ソウ」系のお話。月刊少年ガンガン連載。

 限られた空間が舞台なのに、登場人物がいったいどこにいるのか読者にはよくわかんない、という最大の欠点がありますし、ラストは腰くだけ。

 ま、この分野にはクリスティ「そして誰もいなくなった」というオリジナルかつ偉大な先行作品がありますからねえ。でも建物の仕掛けはよく考えられてたし、途中の展開はなかなか怖がらせてくれましたよ。

 『鬼燈の島』も孤島が舞台。そこには特殊な学校があり小学生たちが閉じこめられている。いろいろと不審な事件が起こり、彼らは教師たちの手を逃れ学校から脱走しようとする、というお話。ヤングガンガン連載。

 サスペンスフルな展開はけっこうでした。ただしミステリ的にはちょっと弱い。最近の読者はミスリーディングに敏感ですからね。殺人の実行犯は意外にも○○だったという最大の謎も、あれだけ手がかりを与えてくれてたら途中でわかっちゃうでしょ。

 しかしこの作品も魅力的な設定が物語をひっぱります。学校や島の空間的位置的描写がしっかりしていて、こちらは安心して読めました。

 二作とも四巻できちんと完結しました。ちょうど映画一本ぶんぐらいの長さでしょうか。これが一ないし二年かけて連載され、順にのんびりと単行本が発売されるという形。こういうのはいいですね。

 ミステリではじめに魅力的な設定や謎が提出されたら、それだけで読んでみようという読者はけっこういると思います。ラストにたどりついて満足できるかどうかはまた別ですが、読者としては今度こそ大当たりかもしれない、とやっぱり手を伸ばしてしまいますね。

 わたしもそういうのに弱くて、このタイプの作品が発売されたら、また買っちゃいそうです。

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September 25, 2009

「鉄腕アトムオリジナル版復刻大全集」とアンチゴチ

 さて、『鉄腕アトム《オリジナル版》復刻大全集』であります。

●手塚治虫『鉄腕アトム《オリジナル版》復刻大全集 ユニット1』(2009年ジェネオン・ユニバーサル・エンターテインメントジャパン合同会社、14190円+税、amazon

鉄腕アトム《オリジナル版》復刻大全集 ユニット1

 ユニット1からユニット6まで全六巻、各14190円+税で、『鉄腕アトム』を雑誌掲載そのままのかたちで復刻しようとする企画。ユニットごとに2000部の発行。

 アトム復刻ものとしてはこれがおそらく決定版ですね。あとは人気の高いカッパコミクス版の復刻とかはあるかもしんない。

 高価な商品なので買うかどうか迷いに迷っていたのですが、ユニット1だけでもチェックしておこうと決心して9月始めにネットをのぞいてみますと、どこのサイトでも予約終了。しまった、出遅れた。

 こうなるとよけいに欲しくなってしまうものです。まあ完全予約制といっても大手のリアル書店には出回るだろうと思ってましたところ、大阪天満橋のジュンク堂でゲット。

 今回発売されたユニット1には、「少年」1951年4月号から連載開始された『アトム大使』、つづいて『鉄腕アトム』1952年4月号から1957年9月号までのぶんが収録されてます。

 手塚の絵は1950年代に限る、と思ってるわたしとしましては、とくにユニット1はちょっとはずせない。このころのアトムは中性的で色っぽいなあ。

 「少年」という雑誌はかつてB5判じゃなくてもっと小さなA5判の時代がありました。ですからこのユニット1には、A5判本誌掲載ぶん、B5判本誌掲載ぶん、A5判型別冊付録、B6判型別冊付録の四形態がつめこまれてます。

 別冊付録というのはたいへん悪い紙をつかってましたから、復刻版のほうがずいぶんぶ厚く、読みやすくなってますね。いっぽう本誌復刻のほうはちょっとしょぼい造本になっちゃってまして、不満なかたもいるかもしれません。ただわたしにはこれでじゅうぶん。

 これで手塚治虫が単行本でどんな描き直しをしてるか、こまかくチェックすることができるようになりました。って、そんなことをしておもしろいかどうかと問われますと、ちょっと困りますが。

 まだ最初のほうしか読んでませんが、たとえば『アトム大使』。

 わたしが初めて読んだ『アトム大使』は小学館ゴールデンコミックスに収録されたもので、この版では冒頭部分を大きく削除して、タマちゃんが雨の東京駅でたたずんでいるシーンから始まるという、ずいぶん大胆な脚色をしてました。サスペンスフルなオープニングで、わたしこのバージョン、好きなんですよ。

 のちの講談社全集版では、雑誌連載とほぼ同じ形に戻されて収録されてることが今回の復刻でよくわかりました。ただし学生服を着たアトムが消されたり、雑誌のカラーページがトレスで描き直されてるような細かい修正はあるみたい。

 ちょっとおどろいたのは、「少年」1951年3月号の『アトム大使』予告で、作者の名前にくりかえし「手塚治虫(てづかはるむし)」とルビがうたれていること。

 大阪赤本の、そして『ジャングル大帝』の若き巨匠も、中央ではまだまだ名前を知られてなかったのですね。

*****

 あとちょっとした発見をひとつ。

 今回、初期のアトムを読んでみますと、光文社「少年」ではフキダシ内のセリフは、基本、明朝体になってたことがわかります。

 現在、マンガのフキダシ内の書体として標準となっているのがアンチゴチ。かなは明朝体(アンチック体)、漢字はゴシック体(ゴチック体)、という通称「アンチゴチ」は、初期のアトムでは欄外のハシラやコマ内でも地の文として使用されているだけでした。

 これが変化して、フキダシ内でもアンチゴチを使用するようになったのは、1956年4月号「アトラスの巻」第2回から。その翌号のフキダシ内は明朝体とアンチゴチの混在で、さらに1957年6月号から以後、フキダシ内はすべてアンチゴチが基本となります。

 さて、同時期の『リボンの騎士』はどうだったか。『リボンの騎士』は講談社「少女クラブ」に連載されていました。

 『リボンの騎士 少女クラブカラー完全版』(2004年ジェネオンエンタテインメント)によりますと、これも初期はフキダシ内に明朝体が使用されていました。これがアンチゴチに変化するのが1955年10月号のことです。講談社は光文社より早い。

 さらに手塚治虫『ぼくのそんごくう』は秋田書店「漫画王」に連載されていましたが、『ぼくのそんごくう オールカラー版』(2006年ジェネオンエンタテインメント)によりますと、この作品のフキダシ内が明朝体からアンチゴチに変化したのが1956年11月号のこと。

 つまり1955年から1956年にかけて、講談社→光文社→秋田書店の順で、フキダシ内の書体は明朝体からアンチゴチに変化していってるのです。

 このころ、アンチゴチがトレンドだったようですが、いったいこの時期に何があったのか?

*****
 
 とまあ、こういうこまかいことにこだわってみたいかたはどうぞ。

 発売と同時にアマゾンのマーケットプレイスやヤフーオークションなどで転売屋さんが高価な値付けをしてますが、今ならアマゾン紀伊國屋で定価で買えます。もちろん大手のリアル書店でも手にはいると思います。(アマゾンに関しては9/25朝に行ってみるともう売り切れたみたい。昨夕はまだ残ってたんですけど、みんなすばやいなあ)

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September 21, 2009

ルーヴル展とやなぎみわと巨大ラバダック

 誰が名づけたかシルバーウィーク、世間では五連休だそうですね。ひとが休みのときにわたしが仕事してるのはいつものこと。土曜も仕事、日曜も仕事、明日の火曜も仕事。

 というわけでぽっかりあいた本日は、家族サービスで高速使って大阪へ行ってきました。

 中之島の国立国際美術館で、もうすぐ終わっちゃう「ルーヴル美術館展 美の宮殿の子どもたち」と「やなぎみわ 婆々娘々!」。

 ルーヴル展はねー、終了が近づいたせいかすさまじい混雑でして、わたしの認識が甘いのでしょうか美術館じゃこれくらいの混雑はたいしたことないっ、とおっしゃるかたもいらっしゃいますでしょうが、いやどうもまいりました。

 わたしのうしろに立ってたおばちゃんたちの会話。

 ぜんぜん動かんなー、前のほう行ってもあっちも混んでるしなー、そうやまじめにこの順番守ってんのがいちばんやで、それにしても全然動かんなー、係のひともっとちゃんとせなあかんわ、でもまじめにこの順番守ってんのがいちばんやで、それにしてもぜんぜん動かんなー、係のひともっとちゃんとせなあかんわ。

 とまあエンドレスでくり返してて、前に立ってたわたしはその会話のほうに死ぬ思いでした。彼女たちはそのあげく、もう先行こ、と向こうのほうに行ってしまわれましたが、その後どうされたでしょうか。

 展示そのものは古代エジプトの彫刻のとなりに17世紀の肖像画があるというぐあいでして、テーマと意欲はわかるけど、あまりといえばあまりの展示方法。

 いっぽう、やなぎみわ展はたいへんけっこうでした。細部まで作り上げたフィクションの世界が圧倒的。

 展示してある大きな写真では、オタクの部屋という設定(?)の「MIKIKO」という作品など書棚の本(多くはマンガ関係)がすべて判読できます。妻などは、あんたあれ全部持ってるやろ、と言ってましたが、いえいえ存在を知らない本などもあって、ひと知れずくやしい思いをしておりました。

 美術館のあとは新しく開通した京阪中之島線で天満橋に出て、巨大アヒル(giant rubber duck )見物。

 ありえない物体がそこにあるというだけで、世界が何か別のものに変容してしまってる、という気分。もうでかいというだけでアートですな。

 ただしお台場のガンダムほどの衝撃はありませんでした。これはなんなんだろ。

 アヒルよりガンダムがでかい、ということもあるのですが、いっぽうが「巨大」ラバダックであるのに対し、もういっぽうが「1/1」ガンダムである点が大きいのではないかと。

 「アヒルという生物をミニチュアのオモチャにしたものをさらに巨大化したもの」対「もともと巨大な架空のロボットを“実物大”でレプリカにしたもの」という設定の差。

 「こち亀」166巻に描かれていたように、「本物の」「実物大の」「1/1の」ガンダムとはいったい何なのか(もともと単にアニメの設定にすぎないのに「実物」とは何ぞや)、ということでしょうか。つまり「ガンダム」のほうが、フィクションのレベルが上であるぶん勝ち。

 あともちろん、巨大アヒルには日本人なら当然付け加えるであろうギミック(目が光るとか煙を出すとか羽根を動かすとか)が存在しないとか、日本的カワイイとは微妙に異なるとかもあると思うのですけどね。

Duck01 Duck02

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September 18, 2009

十年以上ひと昔

 ひとのブログとか日記を読むのはおもしろい。それは「今」おこりつつある事件についての情報や意見が収集できるからですが、じゃ、ひとの過去の日記を読むのはどうか。

●大森望『狂乱西葛西日記 20世紀remix 』(2009年本の雑誌社、2400円+税、amazon

狂乱西葛西日記20世紀remix

 書評家、翻訳家である著者がネット上に公開した日記のうち、1995年から2000年部分のよりぬき。登場人物は700人超だそうです。すみません、登場する固有名詞、人物・作品の半分くらいはよくわかりません。

 今、小熊英二ファンの妻がぶ厚い『1968』下巻をうんうん言いながら読んでいるとなりで、わたしはへらへらとこの日記を読んでおるわけですが。

 この本、おそらく自分の人生には何の役にもたたないだろうなあと思いつつも、おもしろいったらなくって、まあ読むのが止められないというか夜も寝ないでイッキ読み。

 当時のことを思い出しますと。昔話で失礼。

 このころは高知在住で、ビデオ屋で借りてきたエヴァのラスト2回を妻と見ながらケンカしてました。「なぜわたしにこんなものを見せるっ」 新本格のミステリや『ハイペリオン』とかも読んでたなあ。

 むちゃ遅いモデムでネットにつないでました。当時のコンピュータはSE/30から買いかえたマッキントッシュ7100/66AV。腰が抜けるほどお高いマシンでしたが、ビデオとつなぎますとビデオ内蔵のTVチューナーを使ってパソコンのモニタ上でTVが見られましたし、TVやビデオ画面のスクリーンショットが撮れました。だからどうしたというものではありますが。

 一応ニフティにも参加してまして、今ココログでブログやってるのはそのころとったアカウントが残ってたから。もちろんわたしはまだ漫棚通信にはなっていません。

 近過去の時代の証言とかいうより、どうでもいい過去のゴシップの集成ですが、でもま、やっぱそういうのが楽しいのね。あと大森望の文体はすごくマネしたくなってしまうようなお気楽調なので、たいへん危険。

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September 16, 2009

鳩山幸さんとホホホのおばさん

 本日、鳩山新首相が誕生しましたが、首相夫人である鳩山幸さん、最近よく見かけるように(※)なりました。テレビに彼女が登場するたびにウチの子どもたちが、ホホホのおばさんだー、とうるさい。

 ホホホのおばさんとは、森下裕美『ここだけのふたり!!』に登場する彼女であります。

Kokodakenofutari01_2
(初期のホホホのおばさん)

Kokodakenofutari07
(後期のホホホのおばさん)

 うーん、似てるかもしんない。

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September 13, 2009

アニメを描くマンガ

 高校アニメ部の活動を描いたマンガ、『ハックス!』2巻がとっくに発売されていたのに気づかず、今ごろ買ってきたわけですが。

●今井哲也『ハックス!』1・2巻(2008~2009年講談社、各552円+税、amazon

ハックス! 1 (アフタヌーンKC) ハックス! 2 (アフタヌーンKC)

 しかしあれですな、文化部マンガというジャンルができて、マンガの世界はひろがりましたねえ。このマンガも続きを楽しみにしてます。

 2巻は1巻に比べて「描く」シーンがあまりなく、地味な展開ではありました。「ハックス」という言葉の謎がやっとわかります。いよいよ本格的な活動に向けてバネをためてる段階かな。

 で、アニメを描くマンガをもういっこ。

●片山ユキヲ『空色動画』全三巻(2008年~2009年講談社、533~552円+税、amazon

空色動画 1 (シリウスコミックス) 空色動画 2 (シリウスコミックス) 空色動画 3 (シリウスコミックス)

 女子高生たちがアニメをつくるお話という噂だけ聞いて、内容知らずに買ってきました。

 80年代マンガみたいな絵柄で、オープニングシーンにスカートの短いギャル系女子高生がいっぱい登場してきたのを見たときは、うわ、失敗したかな、と一瞬思いました。

 しかしその後、彼女たちが描くアニメキャラクター、パワーパフガールズやらそのあたりの落書きみたいなのが、彼女たちと同じコマ内にでっかく登場したとき、まさに世界が変わりましたね。

 おっもしれー。

 この世界のリアルである80年代タッチのマンガと、子ども向けアニメ=カートゥーン・タッチのキャラが、同一空間内(ほんとは平面内ですが)同居している。世界は二重写しになり、劇中劇はアニメ平面を飛び出してマンガ内リアル世界を浸食します。

 お話のほうは、ギャル系女子が文化祭でアニメを上映させるため、イヤミな校長に対抗しながらがんばるっ、という王道です。

 全三巻で完結してますが、最後には「壁アニメ」が登場します。ストリートの壁に直接ペイントしてアニメートするこういうの(YouTubeに飛びます)ですね。これをつくる過程をおもしろく見せてるし、出来た作品もおもしろく思わせるように描いてます。このパートも燃える展開と表現でした。

 いや、ええもん見せてもらいました。

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September 10, 2009

忍一兵はうしおそうじか

 うしおそうじ(1921-2004)は、マンガ月刊誌時代に『チョウチョウ交響曲』や『どんぐり天狗』『朱房の小天狗』などを描いた人気マンガ家です。さらにその後ピープロを設立し、「マグマ大使」「スペクトルマン」「ライオン丸」などを製作したプロデューサーとしても知られています。

 鷺巣富雄(さぎすとみお)『スペクトルマンvsライオン丸 うしおそうじとピープロの時代』(1999年太田出版)は、うしおそうじのインタビューをもとに構成されたもの。鷺巣富雄はうしおそうじの本名です。その多岐にわたる細かい記述は資料性十分な上、読んでおもしろいというたいへんけっこうな本です。

 この本にこのような記述がありました。

「少年マガジン」創刊号に連載した『右近左近』。忍一兵名義だが、実はうしお氏。(80ページ)

一般に漫画家うしおそうじは月刊誌時代の人という印象が強いが、「少年マガジン」創刊号から、時代劇ものの『右近左近』(原作・吉川英治)の連載を開始している。忍一兵という連載第一回のみで、第二回目以降は波良章(はらしょう)とまたペンネームを変えている。ソ連びいきの担当編集者が名づけ親である。(247ページ)

 「週刊少年マガジン」に1959年創刊号から8回にわたり連載されたこのマンガのタイトルは、正しくは『左近右近』ですが、ま、これはちょっとしたマチガイ。この文章を読んだわたしも、へーそうかー、と思っておりました。だってうしおそうじ生前の本だしね。

 この記述を信じて、わたしのブログにも数回そのように書いたことがありましたし、Wikipediaでも忍一兵=うしおそうじとされています。

 ところが。

 マンチュウ氏より、わたしのかつての記事に対して以下のようなコメントをいただきました。

(略)なお、少年マガジン創刊号から連載された吉川英治原作のテレビ時代劇を漫画化した「左近右近」は、当初は、忍一兵の絵でしたが、すぐに波良章(はらしょう)に代わりました。この波良章こそがうしおそうじの変名です。

 さらにその後、マンチュウ氏は連載3回目となる波良章による『左近右近』のコピーをメールしてくださいました。その節はどうもありがとうございました。

Harasho
(クリックで拡大)

 おお、波良章名義のこのうまい絵はまぎれもなく、うしおそうじだ。

 いっぽう、忍一兵の『左近右近』はこんな絵です。

Shinobuippei_4
(クリックで拡大)

 うーん、あんまりうまくない。というか、デッサン狂ってるよなあ。

 『スペクトルマンvsライオン丸』の記述を信じるなら、うしおそうじが忍一兵と波良章という名義を使いわけてただけじゃなくて、絵も描きわけてたことになりますが、彼のような絵のうまいひとが、こういうヘタな絵を描くことができたかどうか。

 さて、「忍一兵」の名をネットで調べても、この『左近右近』の作者としてしかヒットしませんが、米沢嘉博『戦後少女マンガ史』(1980年新評社)にこのような記述があります。

この高橋真琴の影響はすぐに現われる。バレエマンガ「水色の少女」(毛利のぶお)、「海からきたパール」(しのぶいっぺい)、「こんにちはパリ」(望月あきら)、「さよならADIEU」(松尾美保子)等がそうである。

 そして巻末の戦後少女マンガ史年表によりますと、しのぶいっぺい『海からきたパール』は、1959年講談社「なかよし」に連載されていました。

 「忍一兵」ならぬ「しのぶいっぺい」は、「なかよし」で高橋真琴に影響されたバレエマンガを描いていたと。うしおそうじが高橋真琴タッチのバレエマンガを描くことはないと思うぞ。

 ネットで調べてみますとしのぶいっぺいは、「なかよし」以外にも秋田書店「ひとみ」で『山猫少女』『4枚の花びら』などの連載作品を持っていました。

 そこでしのぶいっぺいの絵を探してみますと、最近は大阪府立国際児童文学館の所蔵品をひたすら読み続け、記録されている「むうくん'sPage」に「しのぶいっぺい」作のマンガが紹介されているじゃないですか。ごくろうさまです。

 おお、この目は、この鼻は、まぎれもなく同じひとの手になるもの。「忍一兵」=「しのぶいっぺい」ですね。

 うしおそうじのマンガ家としての活動は、没後に出版されたうしおそうじ『手塚治虫とボク』(2007年草思社)によりますと、

ボクの少年少女月刊誌への寄稿時代は一九五一年の『冒険王』一月号にはじまり、一九五九年、旺文社『中学時代二年生』九月号までの正味八年間だ。

とあります。しのぶいっぺいはこの期間のあとも活動しています。

 というわけで、絵柄や作品傾向、活動期間から考えましても、「忍一兵」=「しのぶいっぺい」は、「うしおそうじ」とは別人、という結論であります。

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September 06, 2009

「羣青」終了について

 講談社の雑誌「モーニング・ツー」で『羣青』を連載していた中村珍氏が、連載終了=中断=打ち切りについてのいきさつをブログに書いています。

絵とか漫画とか仕事とかの雑記

 下記は今回の問題に関する記述の目次ページとなっています。

絵とか漫画とか仕事とかの雑記-御愛読ありがとうございました。(「羣青」連載終了に関する記事の一覧)

 「モーニング・ツー」はわたしが定期的に買ってる数少ないマンガ誌で、かつ『羣青』は楽しみにしていたマンガなのでずいぶん複雑な気持ちになりました。

 中村氏のブログ記事はそれぞれすごく長文ですし、多くは担当編集者に対する恨みつらみが書いてありますので、第一の問題点は作家と編集者の人間関係のようにも読めます。ま、どの職場でもトラブルの第一は人間関係なので、ありふれているといえばそのとおり。

 しかしそれだけで終わる話ではなく、現在のマンガ制作システム上の欠陥がいろいろと指摘されていると思うのですがどんなもんでしょ。

 まずマンガ制作の場において編集者対マンガ家の力関係は、編集者側が圧倒的に強いこと。

 一般的な商慣習として、マンガ家側が売り手、編集者側が買い手と考えればこれは当然といえば当然なのですが、双方が協力してひとつの作品を創造する関係と考えれば、これはちょっとどうか、なんて思っちゃうわけです。

 第二に、マンガの方向性をいろいろとマンガ家に「指導」する立場の現場の編集者が、最終決定権を持っているわけではないこと。その上には編集長がいて、それまでの方針をあっさりとひっくり返したりもするのですね。

 出版業ではないわたしも、こういうことで仕事上いろいろと腹のたつ経験があったりしますから、社会人にとってはよくある不満かもしんない。

 そして第三にして最大の問題点は、マンガ制作の費用が、原稿料だけではまったく補填できなくなっているということ。

 中村氏によりますと、月刊連載13回ぶんのマンガ制作経費は1000万円におよび、多くはアシスタントの人件費だそうです。すでに連載初期に原稿料の前借りをしていましたがそれでは足りず、作者は数百万円の借金を抱えることになったといいます。

 中村氏は収入確保のため早期の単行本出版を希望しますが、編集部との合意にいたらず。結局『羣青』の単行本は「上巻」として本年10月発売が決定されたようです発売中止になったようです。

 月刊連載でマンガの作画レベルを落とさないためにはアシスタントが必要。ところがその間の制作経費を確保するには原稿料ではまったく足らない。作者にとっても単行本が発売されないとペイしない。

 マンガ売り上げが低迷している現在でもこのシステムが続いていることは、最終的にマンガ作画上の質を低下させる方向に向かっているように思われます。これはまずいのじゃないか。

 中村珍氏のブログ記事が公表されてからかなりたちますが、世間ではあまり注目されていないようなので、あえて記事を書かせていただきました。

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September 05, 2009

脚色とは 「関の弥太ッぺ」の場合

 小林まこと/長谷川伸『関の弥太ッぺ』(2009年講談社、933円+税、amazon)はむちゃおもしろかったと前エントリで書きました。

劇画・長谷川伸シリーズ関の弥太ッペ (イブニングKC)

 ところが長谷川伸の原作とマンガでは、細部がすごーく違っているのですね。つまり小林まことがいろいろと脚色しているわけですが、マンガという表現形式向けにこれがいかにみごとになされているか。ふたつを見比べてみましょう。

 長谷川伸「関の弥太ッペ」は、戯曲として書かれています。

*****(以下最後までネタバレします)*****

●序幕第一場:桂川の河原

 前夜ある宿で、堺の和吉が関の弥太郎の持つ五十両を盗みます。弥太郎は桂川の河原で和吉をつかまえ、斬り合いのすえ五十両を取り戻しますが、和吉はわが身を恥じて投身自殺してしまいます。

 和吉は小さな娘、お小夜を連れていました。弥太郎は和吉の頼みを聞き、お小夜を吉野宿の旅籠、沢井屋まで連れて行くことになります。

●序幕第二場:吉野宿沢井屋

 弥太郎が沢井屋にお小夜を連れてやってきます。この子をあずかってくれと談判する弥太郎。しぶる沢井屋の一家。ぷっつんきれた弥太郎は、この金で向こう十年お小夜の世話をしてくれと五十両を渡し、名も告げずに去ってしまいます。

 弥太郎が去ったあと、お小夜が十二年前に行方不明になった沢井屋の娘、おすえの忘れ形見であったことが明らかになります。

●二幕目第一場:下総菰敷の原

 序幕から七年後。弥太郎は長年のライバルだった箱田の森介と果たし合いをしますが、笹川の繁蔵親分に仲裁されて仲直り。

●二幕目第二場:銚子大網楼
 
 その後、弥太郎と森介は兄弟分となり、酒を酌み交わしています。先輩渡世人の話から、お小夜が美しく成長し、沢井屋が恩人を捜していることをふたりは知ります。

 その場へ笹川繁蔵と対抗している飯岡助五郎の幹部、神楽獅子の大八が乗り込んできます。弥太郎・森介と大八一同は喧嘩となり、弥太郎は大八を斬って逃げます。

●大詰第一場:吉野宿沢井屋

 沢井屋には恩人をかたった森介が逗留しています。彼はお小夜に結婚を迫って沢井屋一家を悩ませています。そこへ弥太郎登場。

●大詰第二場:同じく裏手

 弥太郎は森介とお小夜に、自分こそかつて沢井屋にお小夜をつれてきた男であることを明かします。森介は弥太郎と一度は刀を交えますが、改心して和解。

 そこへ飯岡からの三人の追っ手が登場。弥太郎と森介は三人を倒して、お小夜たちの前から去ります。

*****

 とまあ、こういうお話。長谷川伸が新国劇のために昭和四年に書き下ろしたものです。

 とくに弥太郎とお小夜の再会シーンが意外と淡泊かな、という感じでしたね。

 小林まことがマンガ向けに改変した部分は多いのですが、とくに大きな変更点は以下。

(1)序幕第一場と第二場の間の、距離と時間をのばす。

 戯曲では桂川と吉野宿はご近所という設定です。ですから弥太郎はお小夜をあずかってすぐ、沢井屋に到着してしまいます。これでは、弥太郎とお小夜の心の交歓などはできるはずもありません。

 マンガでは弥太郎がお小夜にうどんを食べさせたり、笛を買ってやったりするエピソードを付け加えました。この笛が小道具として、弥太郎お小夜が再会する場で再利用されることになります。

 マンガでは連載まるまる1回分を使って(連載は11回)、弥太郎とお小夜の旅を描きました。この伏線のおかげで、ラストの再会シーンでお小夜と弥太郎はじっくりと大芝居、泣かせる名シーンになったのです。

(2)弥太郎の顔を知ってるのは三人だけ。

 原作戯曲では、沢井屋ご一家はみんな弥太郎に会っています。それなのに数年後、恩人をかたる森介に、みんなころっとだまされてしまう。これはちょっと不自然じゃないかい。

 というわけでマンガ版では、沢井屋にやってきた弥太郎に会うのは、すでにお年寄りのお小夜の祖母、間抜けな番頭だけ、となってます。あと、もちろんお小夜は弥太郎の顔を知ってますが、彼女は子ども。

 これで後年、森介にだまされてもしょうがないかな、と読者も納得できることになりました。

(3)弥太郎の五十両は、森介のために用意したものだった。

 原作戯曲の弥太郎は五十両を失ってもどうということはなさそうでしたが、マンガ版では違います。この金は、森介(マンガ版では森助)の賭場でのいかさまにわびを入れるため、弥太郎が必死で都合したものだったのです。

 命を捨てる覚悟をした弥太郎に、神楽獅子の大八(マンガ版では新八)を殺してこいとの依頼があります。

 つまり、五十両=勢いで突っ走る弥太郎の性格→神楽獅子の大八との喧嘩、それぞれのエピソードが有機的につながり、しかもキャラクターの性格を表現しているわけです。

(4)弥太郎と大八の勝負がやたらとかっこよくなった。

 (3)の結果、原作戯曲と異なり、喧嘩を売りに行くのは弥太郎のほうになりました。

 街の大通りを神楽獅子の大八以下五人が歩いてくる。それを道の真ん中で待ち受ける弥太郎。

 前エントリで引用した、弥太郎のかっこいい啖呵も原作戯曲にはなく、マンガオリジナルのものです。このセリフを書きたいがための変更だったのかなー、なんて思ってしまいます。

(5)ラストのあっさり処理。

 原作戯曲のラストは、飯岡の追っ手三人組と弥太郎・森介の立ち回りでした。最後の見せ場ですね。

 ところが、マンガの見せ場はあくまで弥太郎とお小夜の再会と別れという泣かせるシーンでした。

 マンガのラストは、弥太郎が追ってきた三人に蛇を放り投げ、三人が逃げ出して終わり、という腰くだけのギャグ。いかにも小林まことらしい終わりかたですが、これは「もうひとを斬らないで」という(原作にはない)お小夜の願いを受けてのもの。すがすがしいラストシーンになりました。

*****

 原作戯曲とマンガを読み比べてみますと、マンガ版での改変は、どれも納得できることばかり。現代のマンガという表現形式で古典をいかにおもしろく読ませるか。そのお手本みたいな脚色じゃないでしょうか。

 さて、「関の弥太ッぺ」の脚色作品として名作として名高いのは、監督・山下耕作、脚本・成沢昌茂、主演・中村錦之助の映画「関の彌太ッぺ」でしょう。

 わたしも見たことあるのですが、細部は忘却の彼方。あらすじは映画がダウンロードできるサイトのコチラがいちばんくわしいようです。

 原作戯曲と大きく違うのは、まず弥太郎が十年前に別れた妹を捜している設定にしたところ。妹の面影をお小夜に投影することで、弥太郎のお小夜への思いを深めています。

 あと箱田の森介はお小夜の父親を殺してますし、最後で弥太郎に斬られちゃってて、かなりの悪役。

 そして有名なのがラストシーン。多数の飯岡一家が待つところへ弥太郎が向かうところで終わり。最後の見せ場を見せずに終わるという、これもみごとな脚色でした。

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September 01, 2009

股旅モノ復活「関の弥太ッぺ」

 なつかしのTVコメディ「てなもんや三度笠」で、藤田まことが演じた主人公が「あんかけの時次郎」。で、この名前のモトネタが「沓掛(くつかけ)時次郎」です。といっても知らないひとのほうが多くなってしまったかもしれません。沓掛は地名で、「沓掛時次郎」は長谷川伸が創造した股旅モノのヒーロー。

 股旅モノとは、江戸時代、縞の合羽に三度笠スタイルのアウトロー=渡世人が各地を放浪しながら事件に出会う物語です。彼らは喧嘩ばかりしている乱暴者ですが、女やカネにはストイックで、強きをくじき弱きを助けます。ただし彼らはヤクザですから、社会から阻害された孤独なヒーローとして描かれます。

 西部劇のアウトローたちと似たような構造を持ってますね。日本で股旅モノは任侠モノに変化し、さらにさまざまなアウトローが主人公の作品を生み出すことになります。学園番長モノもその変種でしょう。

 わたし知らなかったのですが、「股旅」という言葉そのものを発明したのが長谷川伸なんだそうです。パイオニアだなあ。かつて長谷川伸作品は映画や演劇などで大人気、大衆の基本教養になってました。ですから「あんかけの時次郎」なんてダジャレが通用したのですね。

 しかしいつの間にか股旅モノって見なくなりましたねえ。古典的股旅モノの長谷川伸作品ですが、わたしも「一本刀土俵入」はTVの舞台中継か何かで見ただけ。「沓掛時次郎」「関の彌太ッぺ」は中村錦之助の映画で見ただけ。それ以外はあんまり記憶にないなあ。

 で、これだ。

●小林まこと『関の弥太ッぺ』(2009年講談社、933円+税、amazon

劇画・長谷川伸シリーズ関の弥太ッペ (イブニングKC)

 市川崑が「木枯し紋次郎」や映画「股旅」でこきたない渡世人像を描いて以来、古き時代の威勢のいい主人公が登場する股旅モノは映画やTVからは駆逐されてしまいました。大衆演劇ではきっと今も生き残ってるんでしょうけど。

 小林まことが、マンガでこの様式美に満ちた古い股旅モノを復活させてくれました。

 合羽を着て傘で顔が見えない渡世人が、天下の往来、道のど真ん中で敵の一味を待っています。

◆「恐れ入りやす」「神楽獅子の新八親分さんでござんすね」
◇「誰だ てめぇ」
◆「てまえ常陸の国結城の関本という処の生まれで関の弥太郎」「またの名を関の弥太ッぺと申します」
◇「貴様 菰敷の処の者か!!」
◆「おっと!! ひっこめろい!!」「まだ挨拶が終わっちゃいねえ!!」
◆「訳のわからねぇを承知の旅人暮らし」「渡り鳥のあっしでも死に急ぎはしたくねぇが」
◆「神楽獅子の親分さん」
◆「殺すか殺されるか」「今この場でどっちか鳧(けり)をつけとうご座んす!」

 くーっ、かっこいい。わたしは小林まことのきっちり描いた線が大好きなものですから、こういう真正面から見得を切るようなシーンにはしびれるったら。

 すべてのキャラクターが、小林まことの過去作品からの再登場であることも楽しい。手塚治虫のスターシステムですな。

 ストーリーはあたりまえですがよくできている。しかもくりかえし映像化されてる作品ですから、作者にとっても挑戦しがいのある仕事だったことでしょう。

 風景や服装、小物まで描きこみもしっかり。見たい絵がかっこよい構図で展開される。ためにためて爆発させる演出もあり。

 アタリマエのことをアタリマエにきちんと見せてくれます。これぞエンターテインメント。たいへんけっこうな出来になっております。

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