卑弥呼と日食
皆既日食でしたね。テレビで特集してましたが、あんなに暗くなるものなのか。そして気温も下がるものなのか。
マンガに登場する日食といえば、手塚治虫『火の鳥黎明編』が思いうかびます。
日食におどろいた卑弥呼が、天の岩戸に閉じこもってしまう。この騒動に乗じて、主人公が邪馬台国を逃げ出す、という展開。
マンガの中では、日食の最中には地面に映った木漏れ日が三日月状に見える、という描写もあります。手塚先生、正確。
これはピンホールカメラと同じ原理でおこるので、逆に枝葉を見上げても、光が三日月型に見えるわけではありません。でも手塚先生、そういうふうにも描いちゃってまして、こっちはちょっとダメ。
さて卑弥呼の時代、日本で皆既日食はあったのか。こちらのサイトで調べてみました。
Wikipedia の記述によると、卑弥呼が生きていたのが西暦175年ごろから248年ごろ。日本でこの時代、皆既日食は西暦247年3月24日にあったようです。おお、これなら卑弥呼の晩年だし、マンガの展開にも合うじゃないですか。
でもこのときの日食は九州では皆既にならず。奈良ならかろうじてOKです。最大食分が1.007といいますから、みごとな皆既日食。
しかし、太陽のかけ始めが17時36分でもう夕暮れ。皆既になるはずなのが18時32分で、とっくに日没後。日没後の日食って理屈がよくわかりませんが、計算上はこうなるのね。
というわけで、卑弥呼の時代、マンガにぴったりの日食は畿内や九州にはありませんでした。なかなかうまくいかないものですねえ。
Comments
漫画少年に連載されたものは「火の鳥 第一部 黎明篇」で、COMに連載されたのは「火の鳥 黎明篇」ではないかと思います。
漫画少年版は「少女クラブ版 火の鳥ローマ篇」に併録されています。
したがって、黎明篇と名づけられた「火の鳥」はふたつあるわけでして、漫棚通信さんのおっしゃるのはCOM版ではないかと思いますが、私は漫画少年版のほうがよく憶えていて、そっちのお話をしたので、話が食い違ってしまいました。
手塚治虫は単行本がでるたびに書き直しているので、原稿の異同を言い出すと大変で、たとえば「雑誌付録版」とか、「○○書房版」「XX文庫版」といって区別して議論しなければならないでしょう。
Posted by: しんご | August 22, 2009 01:56 AM
私は子供もころ、はからずも「漫画少年」の最終号を買ってもらったのですが、それに手塚治虫の「火の鳥」が載っており、日食の場面でおわっていました。
このつづきはどうなるのだろうと思ったのですが、「漫画少年」の「火の鳥」は、これで中断されて未完になったのでした。この続きのストーリーを考えるのは相当にむずかしく、もし雑誌がつづいていても漫画は未完になったかもと思います。
「漫画少年」はあとにもさきにも、この号しか買ってもらっていないので、雑誌がなくなったこともしりませんでした。
日食のときには(昭和34年ころの金環食の経験では)一瞬、夜になり、寒くなり、まわりから風が吹き込んでくるのです。したがって、まわりは昼だけれども、太陽だけは真っ黒であるという「漫画少年」版「火の鳥」の描写は迫力不足で、夕暮れのようにあたりは暗く、風で木々は揺れ、太陽の周りのフレアだけが明るく輝くというようにしなければなりません。それは夜の描写と紙一重で、下手をすると夜の光景と誤解されるでしょう。
Posted by: しんご | July 25, 2009 11:13 PM
手塚氏自身の複数の回想の中で
「少年」から原稿依頼があったときに
最初に編集部に提示したのが
日食と卑弥呼と天岩戸をモチーフにした短編で
編集部から長編の空想科学ものでとの事から
次に「アトム大陸」というアイデアを出したところ
タイトルはやはり「主人公」の名前でと言われ
そこで「アトム大使」のタイトルが出てきた・・・
としていますね
(「大陸」のほうには戦前の海野十三「海底大陸」
蘭郁二郎「地底大陸」の「大使」には海野十三
「地球要塞」の「X大使」影響を感じるのですが・・・)
Posted by: 流転 | July 22, 2009 03:51 PM