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May 29, 2009

われらの内なるヤンキー的なもの

 高知のよさこい祭りは、阿波踊りをまねた観光のための盆踊りとして始まりました。最初は地味な踊りだったのですが、歴史が長くないぶん踊りの自由度が高く、その形はどんどん変化していきます。派手な衣装、濃い化粧、トラックにのせたPAから大音量で楽曲を鳴らし、チームごとの振り付けはチョー複雑に。

 現在よさこい祭りは札幌に飛び火し「YOSAKOI ソーラン祭り」となり、高知を上回る規模で開催されています。さらに「よさこい」は全国のあちこちで踊られるようになっています。

 盆踊りだったものがヤンキー踊りと化し、全国的な人気と市民権を得たわけです。

 ヤンキー的なものは、かくも強い。

 では、ヤンキー的なものとは何か。

●五十嵐太郎編『ヤンキー文化論序説』(2009年河出書房新社、1600円+税、amazonbk1
●難波功士『ヤンキー進化論 不良文化はなぜ強い』(2009年光文社新書、900円+税、amazonbk1

 

 学校のクラスのことを思い出すと、ヤンキーはオタクの10倍は棲息してたのじゃないか。しかしオタクの歴史や生態についての研究は多いのに、ヤンキーについてのそれはきわめて少ない。

 その原因はいろいろ考えられます。ヤンキー自身が自分を語る言葉を持っていない、ものを語るひとびとがヤンキー嫌いである、昔いじめられたことがあるから語りたくもない、そもそも現代のヤンキーは田舎にしかいないから周りにいないし。

 しかし。かつてナンシー関は言いました。

日本人の5割は「銀蠅的なもの」を必要としている

 この名言は両書でともに引用されています。さらに『ヤンキー進化論』のオビでは、東村アキコのマンガの登場人物であるところの猿渡副主任がこう喝破しています。 

ヤンキーが面白いと思うマンガは必ず大ヒットするんだ
あの層を取り込めたら軽く100万部はいくぞ

 浜崎あゆみやEXILE が売れているのは、ヤンキーのみなさんがたを取り込んでいるからなのですね。

 狭義の古典的ヤンキーは絶滅危惧種かもしれませんが、広義のヤンキー的なものは今なお日本じゅうに存在する。というか、あたりまえにオタクより多い。その彼らを研究対象にした本がこの二冊です。

*****

 二冊とも楽しく読みましたが、ヤンキー論はまだまだ始まったばかりなので、どちらも少し食い足りない。

 『ヤンキー文化論序説』は複数の筆者によるもののせいか、対象が狭義の古典的ヤンキーか広義のヤンキー的なものなのかやや不統一ですし、多方面のヤンキーについて論じられているのに、なぜか映画やTVについての言及がない。

 あとヤンキーといえば、この言葉を一般的にした嘉門達夫「ヤンキーの兄ちゃんのうた」(1983年)を欠かすことはできませんが、『ヤンキー文化論序説』では、だれもこれに言及していないのはダメじゃん。

 いっぽう『ヤンキー進化論』はひとりの著者によるものなので、ヤンキーの語源に始まり歴史を追いながら語句や定義も統一され、きちんとした本で感心しました。さらに外国のヤンキーに相当する文化についての記述もおもしろいなあ。

 ただし終章の、自分がつとめる大学のヤンキーの就職が良くってどうのこうのとか、ヤンキーこそ自分がそうなりたいもの、とかいう部分は蛇足。本の価値をかなり下げてます。

 わたしの興味はマンガにかたよってますのでそっち方面について言いますと、『ヤンキー文化論序説』収録の森田真功「ヤンキー・マンガ ダイジェスト」は、わたし自身がヤンキーマンガにくわしくないので勉強になりました。ただし狭義のヤンキーマンガへの言及が中心で、やや広がりに欠けるかな。字数制限もあってしょうがないのですが。

 たとえば、矢沢あい『NANA』が売れているのは、ヤンキー的なものを内在しているからです。これはもうマチガイナイ話で、隠れヤンキー嫌いのウチの妻などはそれを察知して近づこうともしません。ちょっと前の作品なら、冨樫義博『幽遊白書』の底に流れるヤンキーテイストは、この作品の大ヒットと無縁ではないでしょう。

 というようなことも読みたいのですが、誰か書いてくれないかなあ。『ヤンキー進化論』では、吉田秋生『海街 diary 』の元ヤン登場人物に触れてくれてまして、これは刺激的でした。

 しかしこういう本を読んでますと、自分の中にあるヤンキー的なものを自覚せざるを得ませんねえ。あとヤンキー論はファッションとしてのヤンキーだけじゃなくて、格差社会を論じるのに不可欠なのかなあ、などと感じます。

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Comments

どちらも未読なんですが‥
思うに"ヤンキー的なもの"というのは日本人のDNAに深く根ざしているのではないでしょうか。
浪花節やら演歌、もっと古くは歌舞伎者や婆娑羅、さらに遡れば縄文文化から連綿と続いていそうな気がします。
(カブキの語源は傾くから来ているそうですが、ヤンキー達のポーズも傾いていますよねぇ。)

Posted by: EIJI | June 01, 2009 01:00 AM

>隠れヤンキー嫌いのウチの妻
>自分の中にあるヤンキー的なものを自覚せざるを得ません

ご夫婦仲は平穏無事なのでしょうか?
奥様はオタク要素が好みなのでむしろOKとか?
不可解ナリ。

Posted by: トロ~ロ | May 30, 2009 02:38 AM

 この2冊に先行して『ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち』(速水健朗、原書房)という本があります。これがヤンキーや「ロードサイド文化」を先駆的に語っているように思われます。歌謡曲やマンガも扱われていて、かなり納得しながら読みました。

http://www.amazon.co.jp/dp/4562041633/

「少年マガジン」と「少年サンデー」の違いも、このあたりに要因のひとつを見いだせるのではないでしょうか。

Posted by: すがやみつる | May 30, 2009 12:25 AM

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