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May 31, 2009

ブリトニーさんの話

 ブリトニーさん(←木村紺命名)はこれまでも日本全国いたるところに出没なさってますが、地球温暖化の時代でもありますし、さらに増えていくのかしら。空を飛ぶブリトニーさんの恐怖についてはみなさんもいろいろな思い出をお持ちでしょう。

 昨日、ウチの風呂場に小型のブリトニーさん(チャバネか?)が出現し、子どもたちが騒ぐので本日薬局に行ってみますと、いろんな製品がありますねえ。

 まずは以前からある、餌で呼び寄せて粘着シートで捕まえるタイプ。ごきぶりホイホイですな。そして定期的にスプレーしておいて駆除するタイプ。これに加えて最近では、毒餌タイプといいますか、これがはやってるみたい。ブリトニーさんは毒餌を食べて、巣に帰ってから(いったいどこに巣があるのか考えるだにおそろしい)亡くなるそうです。

 毒餌タイプの薬剤は、ヒドラメチルノン、フィプロニル、昔ながらのホウ酸、が主のようです。

 毒餌タイプはブリトニーさんのご遺体が確認できませんからホントに効果あるのかどうかちょっと不安なのですが、今回はフィプロニル製のものを買ってきました。

 いやあ毒餌タイプも袋を開けると、くさい。

 12個の餌を家のあちこちにセットして終了。

 書庫には2個を置きました。

 で、書庫の奥のほうをごそごそしていますと、おおっと、すっごい昔、数年前に設置したままわたしも存在を忘れておった、ごきぶりホイホイを2個見つけてしまったわけです。

 中をこわごわ覗いてみますと、それぞれにブリトニーさんのご遺体が一匹ずついらっしゃったのですね。きゃー。

 なぜまったく食べ物がないはずのこんなところに。かんべんしてくださいよー。南無大師遍照金剛。

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May 29, 2009

われらの内なるヤンキー的なもの

 高知のよさこい祭りは、阿波踊りをまねた観光のための盆踊りとして始まりました。最初は地味な踊りだったのですが、歴史が長くないぶん踊りの自由度が高く、その形はどんどん変化していきます。派手な衣装、濃い化粧、トラックにのせたPAから大音量で楽曲を鳴らし、チームごとの振り付けはチョー複雑に。

 現在よさこい祭りは札幌に飛び火し「YOSAKOI ソーラン祭り」となり、高知を上回る規模で開催されています。さらに「よさこい」は全国のあちこちで踊られるようになっています。

 盆踊りだったものがヤンキー踊りと化し、全国的な人気と市民権を得たわけです。

 ヤンキー的なものは、かくも強い。

 では、ヤンキー的なものとは何か。

●五十嵐太郎編『ヤンキー文化論序説』(2009年河出書房新社、1600円+税、amazonbk1
●難波功士『ヤンキー進化論 不良文化はなぜ強い』(2009年光文社新書、900円+税、amazonbk1

 

 学校のクラスのことを思い出すと、ヤンキーはオタクの10倍は棲息してたのじゃないか。しかしオタクの歴史や生態についての研究は多いのに、ヤンキーについてのそれはきわめて少ない。

 その原因はいろいろ考えられます。ヤンキー自身が自分を語る言葉を持っていない、ものを語るひとびとがヤンキー嫌いである、昔いじめられたことがあるから語りたくもない、そもそも現代のヤンキーは田舎にしかいないから周りにいないし。

 しかし。かつてナンシー関は言いました。

日本人の5割は「銀蠅的なもの」を必要としている

 この名言は両書でともに引用されています。さらに『ヤンキー進化論』のオビでは、東村アキコのマンガの登場人物であるところの猿渡副主任がこう喝破しています。 

ヤンキーが面白いと思うマンガは必ず大ヒットするんだ
あの層を取り込めたら軽く100万部はいくぞ

 浜崎あゆみやEXILE が売れているのは、ヤンキーのみなさんがたを取り込んでいるからなのですね。

 狭義の古典的ヤンキーは絶滅危惧種かもしれませんが、広義のヤンキー的なものは今なお日本じゅうに存在する。というか、あたりまえにオタクより多い。その彼らを研究対象にした本がこの二冊です。

*****

 二冊とも楽しく読みましたが、ヤンキー論はまだまだ始まったばかりなので、どちらも少し食い足りない。

 『ヤンキー文化論序説』は複数の筆者によるもののせいか、対象が狭義の古典的ヤンキーか広義のヤンキー的なものなのかやや不統一ですし、多方面のヤンキーについて論じられているのに、なぜか映画やTVについての言及がない。

 あとヤンキーといえば、この言葉を一般的にした嘉門達夫「ヤンキーの兄ちゃんのうた」(1983年)を欠かすことはできませんが、『ヤンキー文化論序説』では、だれもこれに言及していないのはダメじゃん。

 いっぽう『ヤンキー進化論』はひとりの著者によるものなので、ヤンキーの語源に始まり歴史を追いながら語句や定義も統一され、きちんとした本で感心しました。さらに外国のヤンキーに相当する文化についての記述もおもしろいなあ。

 ただし終章の、自分がつとめる大学のヤンキーの就職が良くってどうのこうのとか、ヤンキーこそ自分がそうなりたいもの、とかいう部分は蛇足。本の価値をかなり下げてます。

 わたしの興味はマンガにかたよってますのでそっち方面について言いますと、『ヤンキー文化論序説』収録の森田真功「ヤンキー・マンガ ダイジェスト」は、わたし自身がヤンキーマンガにくわしくないので勉強になりました。ただし狭義のヤンキーマンガへの言及が中心で、やや広がりに欠けるかな。字数制限もあってしょうがないのですが。

 たとえば、矢沢あい『NANA』が売れているのは、ヤンキー的なものを内在しているからです。これはもうマチガイナイ話で、隠れヤンキー嫌いのウチの妻などはそれを察知して近づこうともしません。ちょっと前の作品なら、冨樫義博『幽遊白書』の底に流れるヤンキーテイストは、この作品の大ヒットと無縁ではないでしょう。

 というようなことも読みたいのですが、誰か書いてくれないかなあ。『ヤンキー進化論』では、吉田秋生『海街 diary 』の元ヤン登場人物に触れてくれてまして、これは刺激的でした。

 しかしこういう本を読んでますと、自分の中にあるヤンキー的なものを自覚せざるを得ませんねえ。あとヤンキー論はファッションとしてのヤンキーだけじゃなくて、格差社会を論じるのに不可欠なのかなあ、などと感じます。

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May 27, 2009

中島くんと花沢さん

 録画してあった映画を見ていたら、オトナグリコのCM「25年後の磯野家」というのが、くり返し流されてました。

 で、気づいたこと。

 「兄妹の今・カツオ編」。グラウンドで野球の特訓をしているカツオ。そこへ呼びかける中島くん。「いそのー、もうあきらめたらどうだ」

 そのうしろにあるクルマには「花沢不動産」の文字が。

 そうか、中島くんは花沢不動産に就職したか。というか、花沢不動産が縁故以外で新入社員をとるとは考えにくいので、中島くんは花沢さんと結婚したと見るのが妥当ですね。

 うーん、みんな36歳になるまでには、人生いろいろあるよなあ。

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May 23, 2009

「メディア芸術」ちゃあなんぞ

 文化庁から、お台場に「国立メディア芸術総合センター(仮)」を作っちゃおうという計画が発表されたのが4月28日。で、2009年度補正予算案が5月13日に衆院通過するとともに、その建設費として117億円を投じることがあっさり決まってしまったわけですが。

 景気対策のための補正予算で文化施設をつくるというのがなんだかなあ。ハコモノかよー、というのが最初の印象です。

 で、文化庁のサイトに行って、

●「メディア芸術の国際的な拠点の整備について(報告)」概要(PDF
●「メディア芸術の国際的な拠点の整備について(報告)」報告書(PDF

を読んでみました。

 まず、文化庁が開催してる「メディア芸術祭」というのがあって、毎年マンガその他に賞をあたえてるのは、わたしも知ってました。でもこれ、「メディア」+「芸術祭」だと思っておったのですよ。ところがホントは「メディア芸術」+「祭」だったのですね。

 文化芸術振興基本法の第9条にこうあります。

国は、映画、漫画、アニメーション及びコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術(以下「メディア芸術」という。)の振興を図るため、メディア芸術の製作、上映等への支援その他の必要な施策を講ずるものとする。

 というわけで「メディア芸術」とは、日本においてはお国が定めた法律用語でありました。いやー、わたし無知でした。

 文化庁の文書によりますと、

我が国は、マンガ、アニメ、ゲーム等、欧米中心の芸術観ではとらえ切れなかった分野の作品を「メディア芸術」と宣言した。この「メディア芸術」という我が国初の芸術の概念を世界に発信し、浸透させていくことで、我が国が、新たな芸術の歴史を作っていくことができる。

のだそうです。日本発の用語だったのでね。すみません、きょう初めて知りました。

 「メディア芸術」=「media arts 」ですよね。しかしこの言葉、「映画、漫画、アニメーション及びコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術」の意味として、今、世界で通用するのかしら。マンガだけ他のものとちょっと違うような気もしますが、まあマンガも紙の印刷物からデジタルに移行しつつあるから、これでいいんでしょう。

 さて、「国立メディア芸術総合センター(仮)」です。施設の目的は、(1)文化の振興、(2)観光の振興、(3)産業の振興、ということになってますが、文書を読むと、まずは外国人向けの観光施設として考えられてるようです。

 すでに設計案までできています。地上5階、地下1階、上から見ると正方形の建物で、土地面積2500m2、延べ床面積1000m2。

 施設で何をするのかというと。

 (1)作品展示、(2)作品・資料の収集・保管、(3)情報の収集・提供、(4)調査研究、(5)人材育成と普及啓発活動、(6)関連施設間の連携・協力。

 おそらく村上隆の作品なんかが、どーんと展示されるのかな。

 ちょっと脱力したのが目標入場者数で、これが年間60万人。

 その根拠は、平成20年度の第12回メディア芸術祭のとき、11日の開催期間で5万5000人が来場したそうです。一日あたり5000人だから、その半分を目安として(なぜ半分)一日2500人が目標。年間250日(これまた週休2日で計算するところがいかにもお役所ですが)をかけて、年間60万人なんだそうです。

 入場料が250円として、年間の入場料収入が1億5000万円。まあ国立の施設ですから採算などは考えなくていいのでしょうが、入場者予測にはもう少しマーケティングというものを (ry

 昨年「上野の森美術館」で開催された「井上雄彦・最後のマンガ展」。あの大人気展示の入場者が45日間で10万人ちょっと。一日2300人。「国立メディア芸術総合センター(仮)」は連日これよりも入場者が多いだろうという計画です。

 ちなみに京都国際マンガミュージアムが地道な努力で累計入場者数50万人を突破するのに、まる二年かかってます。

 文化庁が施設の参考としているのはオーストリア、リンツ市のアルス・エレクトロニカ・センターです。

 アルス・エレクトロニカなみにかっこいいものが作れたら、そりゃまけっこうなことですが、そこまでの見識とやる気があるのかしら。

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May 22, 2009

グレイトな一冊『定本アニメーションのギャグ世界』

 柳下毅一郎の本を買うつもりで書店の映画の棚をうろついていたら、おおっと、こんなグレイトな本を発見。

●森卓也『定本 アニメーションのギャグ世界』(2009年アスペクト、2700円+税、amazonbk1

 うわぁ、定本として再刊されてるとは知らなかった。というわけですみません、柳下本よりこっちを優先して買ってきてしまいました。

 原著は1978年奇想天外社刊の『アニメーションのギャグ世界』。もちろんわたし持っております。というか、今もブログ記事を書くときに参照しまくりで、現役で読み返してる本です。

 アニメーション、しかもアメリカのポパイやらベティやらトム&ジェリーやらドルーピーやらバックス・バニーやらコヨーテ&ロードランナーやらピンクパンサーやら、ただただ観客のお笑いに奉仕するためにつくられた作品群、これについて書くひとは森卓也しかいませんでした。しかも、のちに続くひとがほとんどいない。

 ですから本書は、アニメーション愛好家にとっての古典であり必携の書なのです。

 原著では上記の作品や、テックス・エイヴリー(原著ではアヴェリーだったのを修正)作品のギャグについて、さらに持永只仁による日本の人形アニメ史など、アニメーションに興味のあるひとには必読の記事ばかり。

 すべてがビデオが存在しない時代に書かれたもので、この時代に映像作品の細部について書くことがどれほどのものだったか、現代の我々は忘れてしまっていますが、これはタイヘンナコトダッタノデスヨ。

 かつてわたしの子ども時代、日常的にアメリカのギャグアニメーションがテレビで放映されてました。しかし文化が違うといろいろな謎も多い。それをきちんと解説してくれたのは森卓也氏の著書しかなかったのです。

 先達の名作に敬礼。

 わたし自身も、かつてテックス・エイヴリーのアニメ「Tex Avery's Screwball Classics」VHS全4巻をアメリカアマゾンから取り寄せたことがあります(当時はまだ日本アマゾンは存在しませんでした)。

 これは映画「マスク」を見たのがきっかけでした。この映画では主人公がエイヴリーファンのうえ、映画内ではキャラクターの肉体が自在に変化するギャグが炸裂。映画内のギャグがエイヴリーのものであると認識できたのも、ビデオを買ったのも、森卓也氏の著書を読んでたからです。

 今回の「定本」では、原著の記事が増補改稿され、さらに原著よりのちに書かれた文章が追加されてます。資料的には、他の本に掲載されていた『オリジナル「トムとジェリー」全作品解説』が収録されてるのがうれしい。

 現在、かつてのギャグアニメーションの多くが、ネットや廉価DVDで見られる時代になってます。パブリックドメインになった「トムとジェリー」や「ポパイ」のDVDも発売されてます。

トムとジェリー DVD BOX (DVD付) トムとジェリー DVD BOX vol.2 (DVD付) ポパイ DVD BOX (DVD付)

 わたしも最近、フライシャーの「バッタ君町に行く」をCS放送で再見しました(30年ぐらい前にTV放映されたとき以来です)。こういう時代だからこそ、本書の価値はさらに増しているように思います。

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May 20, 2009

へ、へ、へと笑うひとたち

 手塚治虫が創造した魅力的なキャラクターのひとりに「スカンク草井」がいます。、なんつっても鉄腕アトム「電光人間」(1955年)での名演が有名。

アトムは完全ではないぜ
なぜならわるい心を持たねえからな

完全な芸術品といえるロボットなら
人間とおなじ心を持つはずだ
へへへへへへへ

へへ へへ
へへへへへ
完全なものはわるいものですぜ

 スカンクは「へ」で笑うひとでした。しかも「へへ」と「へへ」の間に一拍いれるという、ずいぶんと特徴ある笑いかた。

 スカンクのモデルは俳優リチャード・ウィドマークであると言われています。ウィドマークのトレードマークといわれたのが「ハイエナ笑い hyena laugh 」です。YouTubeで実際に見ていただきますと、こんな感じ

 でも、ウィドマークのハイエナ笑いは「へへへ」じゃないよなあ。

 手塚マンガにはほかにも、「へへへ」と笑う有名人がいます。

 鼻の大きなレッド公が『罪と罰』(1953年)で演じた、ポルフィーリイ予審判事です。ラスコーリニコフとポルフィーリイ判事の対決シーン。

へ!へ!
これはこれはこんなむさいところへようこそ

へへ 尋問?
だれをです?
あなたをですか?
証拠もないのに?
へ…へ…
そりゃァむだですよ

 彼も「へへへ」と笑うひとでした。

 けっこう上級の役人のくせに、ちょっと下世話な口調。

 なぜ予審判事がこんな口調と笑いかたをしてるかといいますと、小説の邦訳がこのようになっているからです。

 手塚が読んだ『罪と罰』は、1914年に邦訳された中村白葉訳のものか、1935年の米川正夫訳のものか、どちらかです。

 中村白葉訳のポルフィーリイはこんな感じ。彼は饒舌と狂騒的な笑いでラスコーリニコフを追い詰めてゆきます。

そのあとで不意に真向うから斧の峰打ちを浴びせかける。へ、へ、へ! 真向うから──あなたのお見事な譬喩に従えばですよ! へ! へ! それくらいのことを心得てない奴があるもんですか。あなたはそれを、実際そうお考えだったのでしょうか、わたしが官舎の話であなたを‥‥なにしようとしたなんて、へ! へ! あなたもずいぶん皮肉なかたですね。いや、もうよしましょう! あっ、そうだ、ついでにもう一つ。(第四部)

 まるで刑事コロンボ。

 米川正夫訳ではこうです。

その後で不意に斧を振って真向からみね打ちを食わせる、へ、へ、へ!その真向からですな、あなたの巧みな譬喩にしたがえばね! へ! へ! それくらいのことはみんな心得ていますよ。じゃ、あなたはわたしが本当に、官舎の話であなたを……なにしようとしたなんて、そんなことをお考えになったんですか……へへ! あなたもなかなか皮肉な人ですな。いや、もういいません! あっ、そうだ、ついでに一つ。

 受ける印象はほとんど同じ。「へ」も同じです。

 ポルフィーリイの「へ、へ、へ」と饒舌は、後年の訳でも同様で、現在一般的に読める岩波文庫の江川卓訳にも、新潮文庫の工藤精一郎訳にも「へへへ」が出てきます。

 『罪と罰』では、他の登場人物も「へへへ」と笑います。ラスコーリニコフ自身が夢の中で「へ、へ、へ!」と笑ったりもするのですが(第二部)、ポルフィーリイ以外に「へへへ」笑いを多用しているのは、スヴィドリガイロフです。

 スヴィドリガイロフは作中でもっとも悪魔的な人物です。米川正夫によると彼は、「放蕩に身を持ち崩した貴族」で、「いかさま賭博師」で、「かつて十三歳の少女を姦して縊死に至らしめ」、「下男を自殺に駆り立て」、「恩人である妻のマルファを毒殺した」ことになってます。

 物語の終盤(第六部)になって、ラスコーリニコフは自身の精神的双生児ともいえるこのスヴィドリガイロフと対決します。ここでスヴィドリガイロフは「へ、へ、へ」を連発しながら自分の考えを披露します。

人間は自分のことは自分で考えるもので、誰よりも自分を欺き終せるものが、誰よりもよく愉快に暮して行くのです。ハ、ハ! それを何だってあなたは、むきになって、誰にでも善行一点張り突っかかってらっしゃるんです? どうかお手柔らかに願いますよ、先生、わたしは罪深い人間なんですからね。へ、へ、へ!(中村白葉訳)

 手塚版『罪と罰』では、ムッシュ・アンペアというキャラクターがスヴィドリガイロフを演じましたが、これは原作のキャラクターをかなり改変した人物でした。手塚版スヴィドリガイロフは、人民解放戦線の一員で金持ちは制裁してかまわないと考えています。そしてラストでは自分を英雄であると信じて革命に身を投じる。

 さすがに原作どおりのスヴィドリガイロフを深く描きこむことは、子どもマンガでは無理でした。手塚自身も「漫画化にさいしては、かなり子ども向けにアレンジして、筋をダイジェストしました。なかでも重要な主役の一人であるスビドリガイロフは、すっかり役柄を変えてしまいました」と書いています。

 じゃあ、本来のスヴィドリガイロフはどこへ行ったのか。

 手塚が『罪と罰』を描いた二年後、『鉄腕アトム 電光人間の巻』に登場したスカンク草井は「へ、へ、へ」という笑いかたを与えられていました。そして彼は悪の哲学者でもあり、悪の理屈を語るのです。

 手塚治虫の中で、「へ、へ、へ」は『罪と罰』と結びついていたはずです。となると、スカンクは、ドストエフスキー的世界の登場人物です。

 わたしはスカンクこそ、手塚が描き得なかったスヴィドリガイロフを、あらためてよみがえらせたキャラクターじゃないかと思っております。

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May 15, 2009

君の知らないメロディ

 「君の知らないメロディ、聞いたことのないヒット曲」を探して、いろんなマンガを読み続けておりますと、グローバルマンガというかワールドマンガというかインターナショナルマンガというか、「海外作家による海外読者向けの、日本マンガスタイルで描かれたマンガ」も視野に入ってきます。

 それにしても面倒な言い方ですねえ。「英語で!アニメ・マンガ」の椎名ゆかり氏によりますと、北米には「英語圏で製作され出版されたオリジナルのマンガ」=「Original English Language Manga」=「OEL」、「OEL manga」 という表記もあるそうです。椎名氏は「北米産マンガ」とか「日本産マンガ」という表現を使われてますが、これがあっさりしてていいかもしれない。

 最近、北米産マンガとヨーロッパ産マンガがいくつか邦訳出版されました。

●スヴェトラナ・シマコヴァ『ドラマコン』1巻(藤沢マサオ訳、2009年ソフトバンククリエイティブ、600円+税、amazonbk1
●ピンクサイコ(ヒース&ネイラ)『イン・ジ・エンド 最果てのふたり』(Mayu訳、2009年ソフトバンククリエイティブ、600円+税、amazonbk1
●フェリーペ・スミス『MBQ マック・バーガー・クイーン テイルズ・オブ・LA 』1巻(夏野りょう訳、2009年ソフトバンククリエイティブ、600円+税、amazonbk1
●フレッド・ギャラガー『メガトーキョー』1巻(椎名ゆかり訳、2009年講談社、1100円+税、amazonbk1

   

     ◆

 『ドラマコン』はネット上でも読んだことがありました。北米在住の作者が北米読者向けに描いたマンガで、主人公は東海岸在住高校生(♀)と西海岸在住大学生(♂)です。

 このふたりがアニメ・コンベンション(コミケよりもSF大会みたいなノリのお祭りらしい)でボーイ・ミーツ・ガールするラブ・ストーリー。1巻では出会ってからキスまで。コンベンションは終わってサヨウナラ。この後2巻で、ふたりが次回のコンベンションで一年ぶりに再会するという、これは続きが読みたくなる構成ですな。よくできている。

 シリアスとギャグの二通りの頭身と表情を使い分けるキャラクター、アセル汗や浮き出る血管等の漫符の多用など、日本マンガの文法をそのまま使用しています。

 たいへん読みやすいのですが、そのぶん表現としての新味はあまりありません。むしろアチラの風俗などが興味深いです。

     ◆

 『イン・ジ・エンド』はドイツ製。

 こっちは日本が舞台で登場人物も日本人。耽美系BLです。日本ではBLの作者も読者も女性ですが、この作者は男性でしかもビジュアル系ミュージシャンらしい。こんなひとです。

 雰囲気だけで進行し、エピソードは少ないしストーリーというほどのものはなく、別にどうということはない作品です。ドイツ製なら、ドイツのギムナジウムを舞台にしたスポーツもの少女マンガ『Gothic Sports』なんかのほうがよかったんじゃないかしら。

     ◆

 このなかでは、『MBQ』が圧倒的な画力で読ませます。これもネット上で読んだことがありました。

 フェリーペ・スミスは「モーニングツー」連載中の『ピポチュー』1巻が発売されたばかりですが、実質デビューの『MBQ』もエロとバイオレンスが全開。対象読者が北米でも日本でも、作風が変わらんひとです。

●フェリーペ・スミス『ピポチュー』1巻(椎名ゆかり訳、2009年講談社、648円+税、amazonbk1

 すでに自分のスタイルを持ってます。オリジナルなモノしか描かないと宣言するその意気やよし。やっぱ注目株だよなあ。日本マンガより過激な部分もあり、むしろバイオレンスに慣れてるはずの日本の読者のほうが引いちゃったりするかも。

     ◆

 で、『メガトーキョー』。

 「講談社BOX」という箱入りライトノベルのレーベルで出されてますから、マンガの棚には置いてないかもしれません。

 2000年からネット上で連載されているウェブコミックで、現在も続いています

 ゲーム好きのボンクラアメリカ人男性ふたりがトーキョーを訪れ、日本のオタク文化を背景に女子高生や女性型ロボットらと出会ってドタバタを繰り広げる話、らしいです。今、ネット上で続きを読んでますが、お話はけっこう内省的に展開します。

 最近でこそけっこう味のある絵を描いてますが、この巻に収録されてる2000年ごろの絵は、すみません勘弁してください、というレベルではあります。ここはまあ、猫村さんのようなものと思っていただければ。

 編集者が介在せず作者と読者が直接ふれあうウェブコミックという形式。オタクのアイコンや引用や内輪ウケがいっぱい。等身大の登場人物。たしかに新しい何かだろう、とは思うのですが、ごめんなさい、1巻だけではよくわからんのですよ。2巻以降は出版されるかしら。

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May 13, 2009

今シーズンのアニメ

 基本的に最近のアニメにはくわしくないし、あんまり見ません。でも今シーズンはけっこう多くなってしまって、これだけ見てます。

●戦国BASARA
●忘年のザムド
●東のエデン
●真マジンガー 衝撃!Z編
●けいおん!
●咲 -Saki-

 「ザムド」と「エデン」は、わけわからんわー、と半分腹たてながら見てます。「戦国BASARA」は、逆にわけわかりすぎて大笑い。

 視聴アニメが増えてしまったのは「けいおん!」と「咲」のせいです。

 「けいおん!」はたいした事件がおこるわけでもないのに、つい見てしまう。ウチの中学生が通う学校では、給食の時間にオープニングとエンディングテーマが流れてるんだそうです。はやってんのかな。

 「咲」は、登場人物のピンクのほっぺたがまったく趣味ではないのに、ハッタリきかせまくったライバル紹介(「スラムダンク」?)にやられてしまって、脱落できなくなってしまいました。

 いちばん楽しいのが「マジンガー」。あのデッサン狂いまくった、あの時代の永井豪の絵を、そのままにアニメートしようとする今川泰宏、すっごいわ。これは見のがせません。

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May 09, 2009

個人的なことをひとつ

 わたしはマンガ周辺に生息するアマチュアブロガーですが、これまでに一度だけ、原稿料が発生する仕事をしたことがあります。

 飛鳥新社が2006年に創刊した、団塊世代向けの「団塊パンチ」という雑誌がありました。この雑誌が2007年に「dankai パンチ」としてリニューアルされたとき、縁あって一回だけマンガレビューを書かせていただきました。

 数日かかって、やっとこさ第一稿として四本の短文を書き上げ、清書してメール送信したのが2007年6月3日の21時ごろ。やっと一段落だ、やれやれ。

 その後、寝っ転がって読みだしたのが、あの、唐沢俊一著『新・UFO入門』でありました。

 どぅわっ。これは盗作とちゃうんかいっ。気分はまさにジェットコースター。

 その日はほとんど眠ることができず、翌6月4日は仕事の関係で朝早くに職場に到着し、始業時間まで憤然としながらブログ原稿を書き始め、夜になって「これは盗作とちゃうんかいっ」というエントリをアップしました。

 以後、唐沢氏・幻冬舎サイドとの数か月にわたるドタバタ交渉が始まるわけです。

 アタリマエですが仕事もありますし、唐沢氏サイドとメールのやりとりもしてるし、ぷんぷん怒りながらブログも書きつづけてるし、いっぽうでマンガレビューのほうも決定稿にするのに書き直しをしなけりゃならないし。原稿を仕上げるまで、タイヘンな数日間でした。

 こういう状態で書きあげたのが文字数20×21のマンガレビューふたつ。あらすじなんか書いてたらそれだけで終わってしまう文字数です。短い文章でもそれなりに個性を出さなきゃいけないのがむずかしかった。

 事情があって「dankai パンチ」とのおつきあいはこれ一回だけで、今はもう雑誌も休刊してしまいましたが、このときはいろいろと勉強させていただきました。

 そのレビューでとりあげたのは、吉田秋生『海街diary 1 蝉時雨のやむ頃』と、岡崎二郎『宇宙家族ノベヤマ』1巻です。それぞれわたしにとって思い出深い作品になりました。

 で、『宇宙家族』のほうが、二年ぶりに発売された2巻で完結しました。

●岡崎二郎『宇宙家族ノベヤマ』1・2巻(2007年~2009年小学館、514円+税、amazonbk1

 

 ふつうのサラリーマンであるところのノベヤマさんご一家が、なぜか国家から選ばれて宇宙へ行くことになります。彼らがさまざまな宇宙人、さまざまな文明と出会い、星間文明の謎を解いていくお話。

 テーマはコミュニケーション、なのかな。

 ロケットのような閉鎖空間、そして危機的状況で、家族はどうかかわり合うべきかというミクロな問題と、異なる文明間のコミュニケーションはどうあるべきかというマクロな問題が同時に語られます。

 1巻では前者後者のバランスがよく楽しめましたが、2巻でお話の展開は少し駆け足になって、後者が話題の中心となります。そのぶん、「宇宙家族」があまり活躍しなくなったのがちょっと残念。

 スケールの大きな哲学的本格SFと家庭内物語の融合は、著者のような練達の士ならでは。お話もきれいに終わってぱちぱち。

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May 05, 2009

2009年5月5日の記録

 本日はクルマで京都までお出かけ。やっぱ高速道路1000円の魅力には勝てない。

 ひとつは京都国際マンガミュージアムを訪問。前回行ったのは2007年の6月ですから、2年ぶりですね。

 漫棚通信さんとしては明日おこなわれるはずのメビウスの講演会に行くべきなのでしょうが、当日朝に配布される整理券をゲットする自信がなかったのと、もひとつは家庭内諸般の事情がありまして。

 本日の京都国際マンガミュージアムの展示は、

(1)「冒険と奇想の漫画家 杉浦茂101年祭」(5月24日まで)
(2)「彼自身によるメビウス フランス・マンガ界の巨匠ジャン・ジロー=メビウス」展(6月7日まで)
(3)「フランス語圏のマンガ バンド・デシネの歴史と展開」展(5月17日まで)

とまあ、三つもあって、おなかいっぱいに楽しめました。

 杉浦茂の雑誌付録のコレクションがあまりに美本なのにびっくり。あと、雑誌付録の原画は、等倍で描かれてたんですねえ。それにしても杉浦茂の原画は美しい。

 マンガ家諸先生がたが杉浦キャラを描いた原画展示がありましたが、これがアイウエオ順。島本和彦/島田虎之介がひとつにまとめられて展示されてました。うーん、これをどれほど盗んでしまおうかと思ったか。

 メビウスの複製原画も堪能しました。わたし個人としては、「アンカル」時代より「ブルーベリー」時代が好きなので、そちらを楽しませていただきました。古くてスミマセン。

 さらに「バンド・デシネの歴史と展開」展がすばらしい。これほど系統だってきちんとしたBDの紹介は、なかなか見られないのじゃないでしょうか。この展示は5月17日までなので、見てないひとは損しますよ。

 今日はミュージアム内でコスプレーヤーのかたがたのイベントもありました。マンガの学術的展示とレイヤーと立ち読み少年少女が混在するカオスな空間に、わたしの家族はずいぶんと喜んでおりました。

 京都国際マンガミュージアムのあとは京都駅に移動。

 京都駅ビル内の京都伊勢丹7階「えき」でおこなわれてる、「高橋留美子展」。

 展示内容は高橋留美子のカラー原画が主ですが、いやー大量にありました。

 モノクロ原画やネームも少しだけ展示されてました。高橋留美子が自分の銘いりのマンガ原稿用紙を使っているは当然としても、本人専用のネーム用紙(こぶりのもの。青でpiyo piyoと印刷)があるのには驚いた。

 モノクロ原稿のほうも黒山の人だかり。しかも列がまったく動かない。みんなモノクロマンガの描画技術のほうが気になるのね。他の場所での展示の際には、モノクロ原画やネームをもっとたくさん展示されることをオススメします。

 著者が描くカラー絵のベストワークは、「らんま1/2」時代でしょうか。

 新版「うる星やつら」発行のときに描かれた、多数のマンガ家の手による「ラムちゃん」の展示もありましたが、いやー松本大洋うまい。

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 家族が買い物している間、闘病しておられるやまだ紫先生が入院されている京大病院はあっち方向かなあと合掌してました。四月末から夫君の白取千夏雄先生のブログでは悲痛な記事が続いていましたので。

 帰宅してから、本朝やまだ先生が亡くなられたことを知りました。ご冥福をお祈りします。

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May 03, 2009

オールタイムベスト『この世界の片隅に』

 いやすごいものを読みました。

 『夕凪の街 桜の国』(2004年双葉社)でヒロシマを描いたこうの史代。彼女が再度戦争にいどんだ作品が、ついに完結しました。

●こうの史代『この世界の片隅に』上中下巻(2008年~2009年双葉社、各648円、amazonbk1

  

 上巻・中巻で描かれるのは、昭和19年に広島から呉に18歳で嫁いできた主人公、すずの日常です。

 絵を描くのが大好き、あわて者だけど明るくくじけない彼女の生活が、戦時下でありながらユーモアを忘れずにたんたんと描写されます。

 しかしわたしたちは知っています。呉は軍港の街。昭和20年には空襲で壊滅的打撃をうけることを。そしてその八月にはヒロシマに原爆が落とされることを。

 下巻で描かれるであろう空襲と原爆のときに向けて、上巻・中巻はゆっくりと時間を進めてゆく。

 ですから、今回発売された下巻のカバーイラストを見て、まずはほっとするのです。ショートカットにしたすずが笑いながら屋根の上に寝ころんでいる。

 そして、あわてて目次をめくりますと、この下巻では、昭和20年4月から昭和21年1月までが描かれていることを知ります。ああ、どうやらすずは無事だったようだ。わたしたちはひと安心してから読み始めます。

 しかしやはり読者の不安感は的中するのです。それが歴史なのですから。

 昭和20年6月、すずと一家に不幸が訪れて以後、この作品のテーマは、すずがいかにして救済され再生していくか、となります。

 そしてそのために、この作品ではマンガ的技巧を駆使した表現がなされるようになります。もともとこうの史代はテクニカルな表現をするひとですが、これほどアクロバティックなことをするとは。

(※以下、作品の重要な部分に触れますので反転文字にします。人生を大切にしたいかたは、わたしの文章よりもぜひ、原著のほうを先にお読みください)

 空襲ですずは、右手を失います。そして彼女にとっては世界が歪んでしまいます。「まるで左手で描いた世界のように」

 なんとこれ以後、この作品の背景は、まさに左手で描いたようにつたなく乱暴なものとして描写されるのです。

 こうの史代の絵は人物も背景も写実的なものではなく、簡略化されています。だからこそできたであろう、オキテ破りの表現です。赤塚不二夫ならギャグでやったであろう表現が、この作品ではマンガ的内面描写として昇華されました。

 さらに作品内に、すずの失われた右手が登場するようになります。すずの右手はすずを救済するためにいろいろ活動することになります。

(1)右手は、まず終戦の日、泣くすずの頭をなでる幻想として登場します。

(2)次に登場するとき、すずの右手は座敷わらしの物語=マンガを描いています。この座敷わらしは上巻の第2回に登場するエピソードですが、読者がまったく忘れていたもの。

 一家の生活が苦しく奉公に出された少女が、奉公先を逃げ出し、座敷わらしとして子ども時代のすずに出会い、さらに呉の遊廓で娼妓となり、すずと再会し友人となる。

 すずの友人の娼妓、リンは今回の空襲で亡くなっています。彼女はすずに口紅をプレゼントしたことがあり、すずの右手はこの紅を薬指につけてこの物語=マンガを描いている。

 座敷わらしとリンを結びつけるのは、すずの右手、すなわちすずによるおとぎ話ですが、これによって彼女自身、そしてリンが救われます。フィクション=マンガのチカラはひとの救いになるのです。

(3)三回目の右手の登場は、幼なじみの水兵、哲との再会シーンです。上巻第3回のエピソードで、すずは彼に「波のうさぎ」の絵を描いてあげたことがあります。

 哲と再会したとき、すずはふり返らず通り過ぎますが、すずの右手は、宙に軍艦と波のうさぎを描きます。すずの右手が使うのは、かつて哲からもらった羽根ペンです。

 このシーンですずは、自分の役目を「記憶の器」であるとして、生きる希望を再発見します。

(4)すずは被爆した妹を見舞います。彼らには戦死した兄=「お兄ちゃん」=「鬼いちゃん」がいました。上巻にはすずが描いたマンガ、という設定のショートマンガ「鬼いちゃん」も掲載されていました。

 すずが言います。

「あー 手がありゃ鬼いちゃんの冒険記でも描いてあげられるのにね」

 そこで、すずの右手が「鬼イチャン冒険記」というマンガを描くことになります。

 このマンガ内では、兄は南洋でワニと結婚し元気いっぱいに生き抜いていました。そしてホントの鬼に変身し日本に帰ってきます。

 リアルすずは、戦後の広島の街で鬼となった兄とすれちがいます。しかもこの鬼は、上巻第1回のエピソードで、子ども時代のすずをさらおうとした人さらいの鬼。

 遺骨もなく、家族にとって戦死したことも信じられなかった鬼いちゃんは、こうしてすずによるフィクションで救済されます。

(5)全編のラスト。最終回「しあはせの手紙」は、すずの右手がすずに書いた手紙です。

いま此れを讀んだ貴方は死にます

と書いてあってどきっとするのですが、

少しづゝ 少しづゝ小さくなり
だんだんに動かなくなり
歯は欠け 目はうすく 耳は遠く

なのに其れを
しあはせだと
微笑まれ乍ら

と続きます。すなわち、すずは年老いている。彼女は激動の日々を生き残ったのです。よかったよかった。

 そして、右手からすずへの最後の贈り物が、戦災孤児の少女。右手は少女のこれまでをつづり、すずと引き合わす。すずは彼女を自分の家に連れ帰ります。家族が増えました。

 その時、右手は筆を持ち、世界に色を与えます。モノクロマンガは色づけされ、美しい背景を取り戻します。

 すずは救済され、世界は再生されたのです。

(反転終わり)

 本書にはマンガでなければ描けない表現ばかりが登場します。これほど技巧的で重層的でかつ叙情的な作品があったでしょうか。

 物語の表面だけを追っかけていては、作品の半分も読めていません。本書で読者は、描かれている絵の意味を考えながら読むことを要求されます。そうすれば、眼前にはすばらしい物語が展開されることになるでしょう。

 そのとき初めて、下巻のカバーイラストの絵・構図の意味も明らかになるのです。

 本年度最高の、いやオールタイムベスト級の傑作です。

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May 01, 2009

読売の「マンガ50年」

 今年初めから読売新聞に定期的に掲載されている、マンガについてのレポート「マンガ50年」。一般読者向けにマンガの現状とマンガ史を語ってみようという試みです。

 ネット上でも読めますのでどうぞ。


1月:【マンガ50年】新しい種
●海外における日本マンガについてのレポート。

(1)ロシアで描く日本の情景
(2)留学生、母国で産業化志向
(3)米国版「ジャンプ」がクール
(4)「外国産」モノマネ超えた


2月:【マンガ50年】ギャグは爆発する
●ギャグマンガ家の苦悩。

(1)少年誌の良識に「死刑!!」:山上たつひこの巻
(2)楽しませるため身を削り:江口寿史の巻
(3)4コマ革命「不条理」の追究:スピリッツの巻
(4)停滞した時代の「ヘタレ」:うすた京介の巻


3月:【マンガ50年】少年週刊誌誕生
●サンデーとマガジン創刊。

(1)窮屈な学習雑誌壊したい
(2)「囲い込み」に2誌奔走
(3)編集長自ら「添削」新人鍛錬
(4)「知的」から「刺激的」に変化


4月:【マンガ50年】「王者」の伝説
●少年チャンピオンの黄金時代

(1)「がきデカ」苦悩の執筆
(2)怒れる編集長 「弱小」返上
(3)部数「あり得ない」急伸
(4)黄金期の後も自由な気風


 次回の記事は6月だそうです。

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