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April 19, 2009

光文社新書『サンデーとマガジン』を校閲してみる

 大野茂『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』(2009年光文社新書、900円+税、amazonbk1)読みました。

 少年サンデーと少年マガジンが同時に創刊されて50周年、書籍としてきちんとしたものが出ることを期待してたのですが、光文社新書からとは。

 著者はNHK所属のかた。2009年5月5日にNHK総合でドラマが放映されるそうですが、その番組取材を書物にしたものです。

 あとがきが書かれてるのが4月12日、アマゾンでの発売が4月17日、発行の日付が4月20日、TV放映が5月5日という突貫工事ですけど。わたしが買って読んだのが4月18日。

 取材対象もきっと多いのでしょう。一般向けとして良くできた本だと思います。おそらく今後、創刊時から1970年前後までのサンデー&マガジンに言及するときは基礎的文献になるのじゃないかしら。

 ただし校閲するわけじゃないですが、ちょっと気になったところ。重箱の隅ですみませんねえ。

●(少年サンデー創刊編集長・豊田亀市が)注目している雑誌の一つに、フランスの「パイロット」という少年週刊誌があった。同誌に連載中の『スパイ・バイ・スパイ』という白と黒のスパイが繰り広げるコメディ・マンガの日本での出版権を取ろうと、欧州に行き関係者を訪ねたこともある。(27ページ)

 フランスの「パイロット」というと、「PILOTE」(ピロート)のことでしょうか。『アステリックス』やメビウス作品が掲載された有名雑誌。ただしこの雑誌、創刊されたのが1959年6月でサンデー&マガジンの創刊より遅い。サンデー創刊前の豊田亀市が愛読することはできなかったはずです。

 『スパイ・バイ・スパイ』についてはよくわかりませんでした。『SPY vs. SPY』なら、アメリカ「MAD」誌に掲載された、白と黒のスパイが戦う有名なナンセンスマンガなんですけどね。

●(『巨人の星』の作画担当として)そのなかから選ばれたのが、川崎のぼる(1941年~)であった。さいとう・たかをのアシスタントを経て、少年サンデーで西部劇の劇画を連載していた。(211ページ)

 『巨人の星』開始以前に、川崎のぼるがサンデーで連載していた作品といえば、「アタック拳」「キャプテン五郎」「死神博士」。西部劇はないはずです。

●白土三平も『カムイ外伝』に代わる新しい作品『サスケ』をサンデーで発表した。連載開始と同時にTBSでテレビアニメ化もされ、(中略)1968年から翌年にかけて連載された『サスケ』は、白土のファン層を大人から子どもにまで広げ、彼の代表作となった。(256ページ)

 もちろん『サスケ』は、光文社の雑誌「少年」に1961年から1966年にかけて連載された看板作品でした。この本、光文社から出てるんだけどなー。「少年サンデー」版『サスケ』は、TVアニメ化されたことをきっかけに描かれた、「少年」版の部分的リメイク。

 あと、舌足らずの記述となっているのが「W3事件」について。(166~169ページ)

 「W3事件」は、

(1)虫プロで企画中のアニメ「ナンバー7」に登場する宇宙リスのキャラが、TBSのアニメ「宇宙少年ソラン」に盗用されたのではないかという疑いから、「ナンバー7」の企画が「W3」に変更された、という1964年の事件。

(2)マンガ版「宇宙少年ソラン」がマガジンに連載されることを知った手塚治虫が、マガジン連載中のマンガ「W3」の執筆を中止し、サンデーで「W3」の連載を開始した、という1965年の事件。

 上記ふたつからなっています。本書では(1)と(2)がごっちゃに扱われていて、整理されていません。

●(少年マガジン編集長・内田勝が水木しげるを訪問したときの話)東京・調布の深大寺にある仕事場を訪ねた内田は、息を呑んだ。水木は、体をよじって腕のない左肩で紙を押さえ、ぐわっと見開いた眼は紙から数センチのところで、残った右手で執念を込めるようにして墓場の場面をコツコツとペンで点を打ちながら描いてゆくのである。点描する音はいつ果てることもなく続く……内田は思わずゾッとして鳥肌が立った。(192ページ)

 この記述のもとになっているのは、内田勝『「奇」の発想』(1998年三五館)です。

 水木しげるといえば点描、というくらい有名です。でもねー、水木プロではたしか、点描は筆で描かれてたはずです。

●「テンテンをうってみよう」水木しげる

 ぼくはべつに、「秘密の技術」なんていうようなものはない。
 しいていえば、テンテンを打つまでのことで…… テンテンをうったからって、おもしろいまんががかけるわけでもないが、無意味なテンテンを打ちつづけてみたいという「テンテンマニア」がいたらやってみられたらよかろう。
 その砂をかむような味気なさに、
「おれ、まんがかくのやめよう……」
という気でもおきれば、大いにけっこうだと思う。
 まず、古くなった筆を手にもって(この場合、筆は古いほどよい)紙に筆の先をくっつける。するときたないテンテンができるから、それで不満足な場合、一、二カ月テンテンをうちつづければ、じょうずになる。筆でうまくいかないときは、ペン先でなおす。それだけです。
 ぼくは読者にまんが家になれと、決っしてすすめない。だからぼくが「まんがのかきかた」をかくと、とっても不親切になるのです。ゆるしてね。(「COM」1967年3月号)

 ほら、やっぱ筆みたいです。

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Comments

こんにちは
川崎のぼるの西部劇というと、少年ブックの「大平原児」と、少年ジャンプの「荒野の少年イサム」が明確に記憶に残ってますが、その間に「イサムよ銃をとれ」という読み切り(連作だったかも?)を何かに描いてた記憶があります。
「荒野の少年イサム」が連載開始した時に、あれを連載にしたのかと思ったのですが、もう遠い昔のことで記憶が定かではありません。
ググってみてもそれについて書いてる人は誰もいないようですが、あれは何に載ったのでしょう?
ひょっとしてサンデー?

Posted by: a.sue | April 19, 2009 08:17 PM

川崎のぼるの西部劇は少年ブックの「大平原児」ではないでしょうか。http://www.suikoudou.co.jp/sub9.htm
昭和39年と昭和40年の別冊付録があります。「少年サンデーに西部劇の連載はないはずだ。」とつっこむのではなく、「少年ブックのまちがいでしょう?」と言ってあげたらいいのでは。
川崎のぼるは絵物語を連載マンガにしていた。「荒野の少年イサム」は、その集大成で、巨人の星よりあとでは?

Posted by: しんご | April 19, 2009 11:20 PM

>。『SPY vs. SPY』なら、アメリカ「MAD」誌に掲載された、白と黒のスパイが戦う有名なナンセンスマンガ

僕も全然詳しいわけではありませんが、その昔ファミコンで同様のゲームが出ていましたね。どちらが先かはわかりませんがもし、ゲームが先なら明らかに50年よりも後になると思います。

Posted by: 小覇王 | April 20, 2009 12:01 AM

小覇王さま。

『SPY vs SPY』作者のアントニオ・プロフィアスは、キューバ出身のマンガ家。
TBSブリタニカ「MAD傑作選・I」に「MAD」1961年1月号掲載の作品が収録されてます。おそらく最初期のものでしょう。アメリカ亡命直後かな。

当然ながら、ファミコンゲームが出たのははるかに後です。

Posted by: かくた | April 20, 2009 02:04 AM

追記。

上記の作品を見返しますと、キャプションに「新しい連載が始まった」と書いてあります。連載初回ですね。

Posted by: かくた | April 20, 2009 02:09 AM

なんか、かなり「雑」な本のようですねえ~
今どき…。

つまり、50周年とかの話題があるウチに
売ろうという下心。

光文社!
かつては「少年」を出したわけですが、
まあ、現在はその面影が無いわけで…
安い値段だから購入…したくないような(笑)

これを<文献>として「研究論文」を書いても
心配で、結局全部調べて、このサイトに来ちゃう
とか…そんなことに成りかねません。

やはり、止めとこうっと。

Posted by: 長谷邦夫 | April 20, 2009 08:20 PM

「イサムよ銃をとれ」は、「少年サンデー」に掲載されていましたよ。短期連載だったような気が。

 漫棚さんのブログでも、「川崎のぼるがいかに忙しかったか」の記事に、そのことにふれてありますね。
   ↓
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_b507.html

Posted by: taroh | April 22, 2009 05:29 PM

taroh さん、ありがとうございます。
でも時期的には「巨人の星」連載開始よりあとだったんですね。

Posted by: a.sue | April 22, 2009 10:37 PM

本筋とは関係ありませんが、あとがきで気になったのが、山下達郎の在学していた都立竹早高校について<竹早高校は1969年に全国でただひとつバリケードを築いて全学ストをやったところ>という趣旨の文章が書いてあることです。

たぶん、ネタ元はこちらの高校時代の記述でしょう。http://www2u.biglobe.ne.jp/~sugano/web1/biography.htm

何を以て<全学スト>か、という基準は難しいけれど、「若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(朝日新聞社 刊)の63ページに1969年10月20日の時点で<都内でバリケード封鎖中の高校は、都立青山、駒場、玉川、桜町、文京、南、学芸大附属の7校になった>と書いてあって、多分これは、ほぼ正確な記述だと思います。
この7校の中の一校の当事者であった私としてはバリ封、全学ストを行ったつもりだし、<竹早が全国でただひとつ云々>と言う記述は何をもってそういうのか不可解です。

ついでにいうと、バリケード封鎖をしたような高校生たちの間では、すでに『サンデー』『マガジン』より『ガロ』『COM』の方が熱狂的に読まれていたと思いますが・・・

Posted by: natunohi69 | May 14, 2009 09:13 PM

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