日本版スパイダーマンとハルク
講談社「月刊別冊少年マガジン」1970年1月号から池上遼一『スパイダーマン』の連載が始まりました。
当時の世界情勢は冷戦そしてベトナム戦争という戦時下。日本でも学生運動の余波さめやらず、マンガ方面でも青年向けマンガが出現し始め、読者年齢がどんどん上昇していました。
そこへスーパーマンやバットマンとは異なる心情を持つ、マーヴェルの新しい「悩める」アメコミ・ヒーローが日本マンガに導入されました。日本マンガとアメコミがもっとも接近した時期です。仕掛け人は「週刊少年マガジン」の編集長でもあった内田勝。
池上遼一版『スパイダーマン』は「別冊少年マガジン」1970年1月号では13ページの予告マンガでしたが、翌2月号からは毎号100ページの巨弾連載。構成を担当したのは小野耕世です。
かつて桑田次郎が描いた『バットマン』では主人公はアメリカ人のままでしたが、池上遼一のスパイダーマンは日本人・小森ユウです。高校生の彼が奇妙なコスチュームを着て、これまた奇妙なコスチュームを着た怪人たちと戦うことになります。エレクトロ、リザードマン、カンガルー男、ミステリオたちですね。
ところが池上遼一自身は「話が単調」なのが気に入らず、すぐにオリジナルのストーリーを描くようになります。
池上遼一オリジナルの1970年7月号「疑惑の中のユウ」では、敵は優等生の皮をかぶった高校生で、お話にはスパイダーマンのコスチュームすら登場しません。1970年8月号「狂気の夏」でも敵は米軍脱走兵のハイジャッカー。時代ですなあ。主人公はつねにイライラしていて、汗をかいていて、どなっていて、自己嫌悪ばっか。
さすがに毎月100ページのストーリーを考えるのはキツく、1970年9月号からは原作として平井和正が参加します。平井和正も池上遼一のラインを踏襲し、1970年9月号「おれの行く先はどこだ!?」は、主人公がガールフレンドの裸を妄想しオナニーするシーンから始まります。
というわけでスパイダーマンというアメコミの代表的ヒーローは日本でまったく別の何かに変化してしまいました。以後も連載が続き、伝説的作品として、1976年の朝日ソノラマサンコミックス版をはじめとしてくりかえし単行本化されてます。
さて、マーヴェルの悩めるヒーローとしてもうひとりの代表格であるハルク。
講談社「週刊ぼくらマガジン」は月刊誌「ぼくら」の後継誌。「週刊少年マガジン」より年少読者向けとして1969年に創刊されました。こちらの編集長も内田勝です。
「週刊ぼくらマガジン」1970年11月24日号から、西郷虹星『ハルク』が連載開始されます。こちらのハルクも主人公は日本人。
これも当初、構成を担当していたのは小野耕世でしたが、第四話から小池一夫が参加します。
小池一夫がハルクぅ? この話、知らないひとはびっくりするみたいですね。当時はまだ小池一雄名義で、さいとうプロから独立したばかり。すでに『子連れ狼』『御用牙』の連載は始まっています。
この日本版『ハルク』こそまさにまぼろしの作品でして、もちろん単行本化されてません。わたしにしても西郷虹星によるやたらにうまい絵が記憶に残ってるだけ。
で、この西郷虹星/小池一夫版『ハルク』についてのレポートが、現在発売中の「映画秘宝」2009年5月号(洋泉社、1000円+税、amazon)に掲載されてます。
4ページの記事で大西祥平による労作です。「第一部完」による中断やその後のマンガ家交代の経緯についても書かれてます。このあたり興味のあるかたはどうぞ。
Comments
私、池上先生のスパイダーマンは
最高の名作だと思います^^
悩める等身大のヒーローって
最高ですww
Posted by: クラ | March 29, 2009 08:36 PM